書評
「伊東豊雄はどこへいく?」を読んで
Some Comments on ‘Where Toyo Ito is going?‘

『伊東豊雄はどこへく?』http://touron.aij.or.jp/2017/02/3548

当方、70代まではまあまあ元気でしたが、80代も半ばを過ぎようとするこの頃は、講演会場などでは補聴器の助けを借りても不十分にしか聞き取れず、通常の遠近両用眼鏡に拡大鏡を重ねての読書もまた疲れやすく、若い頃なら一晩で済ませたろう書物の読了に休み休みで1週間はおろか10日以上も掛かる始末に苛立ったりしている有様。また、この便りを打ち込みつつあるパソコン利用にも専用眼鏡の必要を迫られ、先日購入の手配を済ませたところです。

昨秋に偲ぶ会が催された「活発なお喋りおじさんでもあった高橋靗一先生」がその晩年には暗い表情の無口なお人になってしまわれ、「田尻さん、僕はもう80を超えちゃったよ」などと私の耳元で弱々しくつぶやかれたりしていたお姿を自らのこととして想い起こしたりしております。一方、90歳を越えてなお、かつての友人たちの偲ぶ会の発起人代表などを連続して矍鑠とお務めの内田祥哉先生からそれらの会場で握手を頂戴したりすると、ドンと背中を叩かれたように感じて真似事ぐらいはと思ったりもするのですが、次の瞬間には、とてもとてもとへたり込んでおります。

なにしろ、昨秋は体調優れずと自覚しているところに、先の高橋先生をはじめ阪田誠造先生や石井和紘さんの偲ぶ会、はたまた写真家の村井修先生や若い小嶋一浩・藤江秀一さんなどの葬儀をも含むお悔みの席が立て続けに重なり、すっかり参ってしまい、出席の返亊をしていた他の催しなどもお詫びしてキャンセルさせていただいたという始末でした。そんなことで、布野さんにもご無沙汰の限りの失礼でしたが、年中お休みという身の上ながら、改めて正月休みを挟んで立春も越え、ようやく陽も長くなったこともあって少しは元気を取り戻しつつある感じで、松村秀一さんの新著『ひらかれる建築』(ちくま新書)もその宣伝文にそそのかされて購入し、近く読む予定で座右に置いております(笑)。

さて、前置きのご挨拶はこれぐらいにして本題の伊東豊雄さん関連へと話を進めますが、同氏の新刊書3冊はまだ読んでおりませんものの、伊東建築塾には時々顔を出させてもらい、ご本人の話なども聞かせてもらっておりますから、おおよその内容は見当が付くようにも思います。また、僕は未だ訪れておらず、掲載誌もちらりと眺めた程度ですから、それらについてあれこれ語るのはおこがましく失礼なのですが、岐阜の図書館や台中国家歌劇院など伊東さんの近作は時代を画す建築として、もっと評価されてもよいのではと思っています。これらの建築は、まさに「近代の呪縛」に放って本質的な風穴を開けてくれたのではと、私は考えております。

岐阜市立中央図書館――愛称「みんなの森 岐阜メディアコスモス」のほうが似つかわしいと思いますがーーは、その立地を取り囲む山々の姿と同調して相互の交歓をいざなうように、その屋根・天井になだらかな曲面の凹凸を作り成すべく、木の部材を不規則な格子状に編み上げて形づくられておりますが、そこに設けられた9ヵ所ほどの天窓から地表レベルの大半を占める読書スペースに射し込む陽光を和らげ、またその天窓に付属する換気装置が開かれた際には心地よい風の流れが双方向に生み出されるように、地元の伝統工芸のひとつ「岐阜提灯」を巨大にデフォルメしたような優雅な膨らみを見せるその曲面に見え隠れする程度の白色の切り絵のような図柄をも配した大小の天蓋が、まるで宙に浮かぶかのように群れを成して吊り下げられた読書スペース全体を見通す景色は、どこからか密かに祭り囃子でも聞こえてきそうな楽しい雰囲気を醸し出し、「日本語の建築」という堅苦しい表現よりも「ひらがなの建築」としたほうが適切であろう風情を呈しております。

また、これら天蓋それぞれが覆う空間に緩やかに生成された固有のゾーンは、その床に施された曲面を多用する「座」のデザインとも相俟って、堅い仕切りから解放された柔らかい固有の「場」を形成しながら、かつそれらは全体の部分として読書スペース全体を形づくっています。また、これら屋根・天井・天蓋・座・床などを総括する建築デザインの構想には、森やその中を流れる渓流沿いの散歩道なども備えた外構をも含めて、自然に寄り添いながらその自然が内包する力を援用することで化石燃料によるエネルギー消費を極力抑えながら四季それぞれに応じた心地よい室温をもたらそうとするなど、「設備」や「技術」といったアクティブな思考に著しく偏重して依存してきた近代建築のデザイン思想を止揚しようとするパッシブデザインの構想がその基底に据えられているものと、私は認識しております。結果として、その達成度がどうしたレベルであったのかは、現段階の私の知見では不確かですが、現況の一般的な建築デザインの状況下にあっては、そうした構想の試みの存在自体が高く評価されるべきだろうと考えております。

さて、ここまで書いて、実体験していない建築を語ることの難しさをいやというほど思い知らされました。そこで「台中」について感想を述べるのは訪れてからにしようと考えました。しかし、ここで全く触れないのも片手落ちですから、ごく簡単にはしょった感想でお許を乞うことにしたいと思います。

台中の建築は、オペラ劇場を中核とする大規模な建物ゆえにコンクリート造ですが、ここでも木造の岐阜の場合と同様に堅い壁といったもので仕切られることの少ない自由な空間や場を生成しようとする建築デザインの追求が通底しております。そして、ここでのそのためのデザイン手法の特徴のひとつは、許容範囲内でのバーチャルリアリティーの援用であろうかと考えます。

外観にあっては、四角形の巨大なコンクリートの塊に、水滴が球になったり萎んだりしながら流れ落ちるような表情を呈するレース編みにも似たコートを着せ掛けることで躯体を半透明の柔らかい表情に化けさせ、かつ建物の大きささえも消してしまっているように思います。また、その羽織らせたコートは、建物内部からの景色や眺めにもひと味を加えてもいるようです。建物内部は、床・壁・天井の領域さえはっきりとしない廊下のような空間を歩いていて、たまたま流れてきた音曲に誘われて覗いてみたらそこには大ホールの客席が広がっていたりするのではないかなどと想像されます。もちろん、何階などという野暮な区切りもないのでしょう。四角四面に空間を区切る壁からの解放が、たぶんここでは達成されているのだろうと推測し、そこでの新しい空間体験に期待するところ大なるものがあります。

ここまで、岐阜と台中についてくだくだと感想を述べましたが、たぶん布野さんは既にこれら建築を訪ねてもおられるだろうし、このたびの論評の冒頭でも「台中国家歌劇院が10年がかりで竣工した。(中略)よくぞ竣工にこぎつけたと思う。この見たこともない傑作は21世紀の名建築として歴史に残ることであろう」と評価しておられる布野さんにとって、これら長話は迷惑きわまりない蛇足だったに違いないと反省していますが、私としては未だ実体験していない建築の感想を述べることを通して己の考えを確かめると同時に、もし誤解などがあればご指摘いただくことを期待してのことでもありますから、ご容赦ください。

ところで、「建物の壁」の撤去は、以上のように伊東さんの執念深い研鑽の積み重ねを経てようやくその突破口が見いだされたのではないかと思っていますが、布野さんがその先の問題とされている「社会的な壁」はいよいよ健在ですね。数年前、年度初めの伊東建築塾の塾長自身による講義の演題が「渡る世間は壁ばかり」とありましたので期待しておりましたが、残念ながらそのときも「社会的な壁」は圏外のままで話は終わりました。また、その少し前の講義のひとつに、伊東さんがそこに宛がわれたのだと思う若い建築家による東日本大震災復興プロジェクトのひとつが紹介され、現在では構造的に最もコミュニティーを濃厚に残すだろう漁業中心の町を対象にしたそれは、「実現したらよかったのになあ」との慚愧の念を誘う力作でした。その実現を阻んだ「壁」の正体は、それこそ見えにくい妖怪だったのでしょう。残念極まることですが、一筋縄では参りません。「激情の人」でもある伊東さんがこの場面で黙っておられたのには、たとえその裏に隠れた何らかの壁の存在が働いていたにせよ、直接的には災害を被った町の当事者レベルでの不採用だったゆえではないでしょうか。また、その陰には震災後の建設費の高騰に拍車を掛けた東京オリンピック関係の多くの建設計画があっただろうことも、容易に推察されます。

そして当然、「社会の壁」には「建築界の中の壁」も含まれております。それに関連する諸課題の究明とそれへの挑戦には、布野さんや安藤正雄さんがコーディネーターを務めておられるA-Forumのアーキテクト/ビルダー研究会での議題や議論は地味ながらきわめて有用・有効な作業であろうと評価しております。その先には、さらに建築界内外での政治的活動などという世話の焼ける困難な諸課題も控えてはいるのでしょうが・・・・・・。

布野さんがこのたびの論評で伊東豊雄さんに投げかけられている問いには、その時々に私も疑問に感じたりしてきた点と重なるところがあり、同感するところも多くあります。しかし、かつて首を傾げさせられたバーチャルリアリティーにドップリだった伊東さんの展覧会プロジェクトやそれに付されていた論考なども、それから20年(?)ほども経過した今日、氏はそれを執念深く止揚して台中国家歌劇院での見事な成果に結実させてくれました。そのほかの疑念も、このように思いもよらぬ逆転の着地点に繋がってくれることを期待したいと思います。また、これら問題の多くは、建築界全体が担うべき諸問題とも重なってもいるだろうと考えます。

そこで、この私の感想文の結びにも、
「しかしそれにしても、伊東豊雄のように「壁」と格闘する建築家が群雄割拠しないといけないのではないか」
との、布野さんの論評の結びである呼びかけの言葉を拝借させてください。

2017年3月25日

田尻裕彦

編集者(元『建築文化』編集長)

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