建築家自邸シリーズ 002 泉幸甫 / 心から湧き起こってくる思いを形に
対談「泉幸甫×服部岑生」
Dialogue: Kosuke Izumi x Mineki Hattori / Creating Form from Thought

10年寝かせて1時間で設計

服部:これまで、何件くらい設計されましたか。

泉:独立して35年間で、設計した建築は全部で200件くらいになります。そのうち戸建住宅は170件くらいで、あとは集合住宅や、小さなオフィスビル、美術館などです。

服部:泉さんは、ベテラン建築家として活動してきた35年間の思いを、どういう風に自邸に込めたのですか。

泉:土地を買って実際に建てるまで10年くらい経っています。何となくは考えていたんですが、その間、実際に図面を引いたことはないんですよ。人の家をつくるのに忙しく、かまけていたんですね。それともうひとつ、「自分の家だったらいつでもいい」、という思いがあって、延び延びになっていたんですよ。ところが、よく考えたらそろそろ60歳になってしまう。還暦です(笑)。「早くつくって住まないと損」と思い直して、1時間くらいで大まかなプランを作りました。

服部:土地購入から時間がかかっているので、設計の練り直しがあったかと思いました。しかし、実際には、1時間で決まったんですか。

泉:そうです。必要な部屋や、それまでの生活の中での問題点もよく分かってました。これまでの不便なところの改善、来客がどうであるとか、ピアノの音の遮音をしなければならないとか、老後の二人の住まいであるとか、はっきりと自覚できていたことがまずありました。1階には何と何の部屋を置いて、2階だけで一応住まえるようにしたい、と頭の中で考えて、ごちゃごちゃと絵を描いていたら、あっという間に出来上がってしまった。考えたのは1時間くらいですかね。後で家内に見せたら、ピアノ室が狭いといわれて、じゃあそれを広くしてと、いとも簡単につくっちゃったんですね。だから、自分が今までできなかった夢をここで実現させようとか、話題作をつくってやろうなんてのはあんまりなくて・・・(笑)。自分が経験を経て思っていることってあるじゃないですか。「こんなのがいい」というのは、この仕事を35年もやっていると自然に出来上がるものです。それがすーっと出てきたんでしょうね。あまり建築の設計を小難しく考えない方がいい。小難しく考えると変なものができてしまう。僕は心から湧き上がってくる思いを、もう少し大事にした方がいいと思います。

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求めたのは静謐な空間

服部:以前の自邸は、どんな住まいでしたか。

泉:マンションです。狭かったですね。なので、早く逃げ出したいと思いながらも、ズルズルと住んでいました。

服部:ということは、マンション生活からの脱出が、設計のテーマだったわけですね(笑)。それを、具体的に、どのような形にしたのですか。

泉:まず配置です。建蔽率や容積率から考えると、あの辺に庭をつくり、庭に面して和室とピアノ室を置き、あとは玄関と水回りを配置し、北側に車庫を持っていく。それから2階に行くときに、年を取って登れなくなったら困るので、ホームエレベーターを入れておく。単純なんです。でも、これだと話が面白くないですね(笑)。

服部:はい、面白くありません(笑)。よく、「建築家の人は自邸をステップにして、ワンランク上を目指す」、といいますね。

泉:それは全くなかったですね。ただし、心の底から湧き上がるようなもの、つまり空間の質をどのようにしたい、という思いはありました。この家に求めたのは、静謐な空間です。静かに、落ち着いて過ごしたかった。また、自邸ですから自分の好きなようにつくれるわけで、極端にいうと予算さえ考えなくていい。お金があるという意味ではなく、予算の枠に縛られなくてもいいという意味です。なので、まったく自由です。しかし、自由にやっていると、どんどんお金が出て行ってしまう。後で、お金がなくなって困りました(笑)。けれども、間違いなく、いつもの仕事より自由だけはありました。

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建築費は予算の2倍に

服部:泉邸には、材料は選び抜かれた、高額なものが使われています。また、工法的にも手間暇がかかるものが多いように感じました。

泉:全部が全部というわけではないですが、確かに、そういう物が多いことは否定しません。基本的には、僕が好きな材料を使ったので、やはり普通よりは高いでしょうね。

服部:しかも、普通の人が見たらよく分からないところに、お金がかかっていたりします。それは成り行きですか。

泉:そうですね。僕はいい素材を沢山見てきたから、自分の家には使いたいじゃないですか。なので、身銭はたいても使いたい。ただ、どんどん増えていったので、建築費は最初に考えていた予算の2倍になりました(笑)。

服部:上棟式のときに、裸の状態の躯体を見ましたけれども、あの姿は一生忘れません。まず、素材そのものが、相当に高級な素材です。そして、天井がすごく複雑な組み立てになっていました。あれがどうなるか、非常に心配したくらいです。

泉:あんな複雑な形になったのは、敷地が変形しているためでもあります。真四角の土地でしたら、あんなことをしなくてもよかった。しかし、敷地に合わせて、目一杯建てようと思ったら、あんな複雑な形になってしまいました。

服部:別ないい方をすると、そういう金のかかったものは、普通はデザインとして、現すじゃないですか。ところが、あの家では、覆っている甲羅みたいなものは、相当ガードが固くて、中を隠そうとしている感じがしました。

泉:通る人に、見せたくなかったのです(笑)。

服部:上品なんですね。

泉:根は上品です(笑)。

一緒に働いてきた職人仲間の目を満たす

服部:泉さんが自邸を建て終わったのは60歳くらいですよね。これまで、泉さんが対応した施主のなかで、その世代の人たちは、やはりああいうモデルになりますか。

泉:人様の住宅を作ってきた建築家として、その人に合った建物、その人が好きになってくれる建物をつくってあげたい、と思うじゃないですか。そうじゃないと仕事として成立しませんし、こんな家では引き取れないといわれると大変です。自分の家をつくるのと、人の家をつくるのでは、やっぱり全然違います。なので、世代の問題ではないですね。

服部:そういうことですか。人の家の建築をするときは、ある意味要求がはっきりしているわけですから、それを満たせばいいと・・・。ただ、泉邸の場合にも、自分の要求だけではなく、ご家族の要求も満たさなければならないし、あるいは一緒に働いてきた職人仲間の目も満たさなければならないようなことはありませんか。泉さんのいわゆる芸というか、建築家としての芸は、職人さんと深く関わって追究してきたのだと思います。泉邸では、そういう職人魂みたいなものも、満足させたいという気持ちがありましたか。

泉:それはありましたね。

服部:こういう話をすると怒られるかもしれませんけが、泉さんの作品は装飾的だと思います。飾りとしての空間、飾りとしての見え方とかを、すごく大切にしてつくっている。ところが、泉邸は、装飾性を押さえているように感じました。「どうしてかな」と考えて見ると、それは施主に対する泉さんのサービス精神ではないのですか。施主のためには頑張るけれど、自邸のためにはそんなに頑張る必要がない、というような。

泉:なるほど、そういう意味では、施主の家の方が装飾的かもしれません。

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50歳を超えて初めて建築少年になる

服部:泉さんは、自分の作品に、各地で集めてきたアイデアや空間のつくり方を、投入していくじゃないですか。例えば、泉幸甫建築研究所のホームページを見ると、お宝ガラクタミュージアムという欄があって、「建築のようなガラスの花瓶」、「韓国のカゴ」、「インドの馬」、「ウニの殻」、「インドのトレー」などを紹介している。これらのお宝は、建築の近代化によって、我々の住まいから失われた、一種のボキャブラリーですよね。泉さんの作品としては、集合住宅の泰山館とかがそうですけど、塼(せん、焼成した煉瓦)の積み方とか、それから木との接合部とか、何気ない伝統建築で蓄積されてたきボキャブラリーを集めてきて、自分の作品に投入している。

泉:泰山館の頃は特にそうですね。でも、最近は大人しくなりました。何年か前、『住宅建築』の編集長だった平良敬一さんに、「泉君、ずいぶんスッキリしたね」、といわれました。多分、遅まきながらモダニズムの洗礼を受けたんだと思います。実は、若いころはモダニズムにはあまり興味がなかったんです。建築って身体的に捉えるようなものじゃないですか。建築の装飾とか素材感というのは、空間的な力も持っていますよね。そういう装飾に興味があったんです。しかし、50歳前後から、初めて建築雑誌をよく見るようになった。いわば、50歳になってから、初めて建築少年になった。それからずいぶん変わりました。

服部:現在の作品と、1990年に完成した泰山館(集合住宅、目黒区東山、35戸)を比較してみましょう。何か、いいボキャブラリーで表現してみたい。バナキュラーという言葉は、泰山館時代のボキャブラリーですか。

泉:泰山館の形態、およびモチーフとしてのバナキュラーですね。ただ、現在は、もっと幾何学的に素材を組み立てています。

「5分の1」図面、「1分の1」図面の大切さ

服部:泰山館を離れて、もう一度、住宅設計の話に戻りましょう。泉さんは、図面をたくさん描きますよね。それで初めて建築が始まるわけですし、完成する作品も図面を超えられないわけです。

泉:その通りですね。100分の1か200分の1かで描いたような絵で、家がそのままつくれるわけではない。やはり縮尺を5分の1だとか、場合によっては1分の1に上げていかないと、なかなかいいものにはなりません。

服部:設計したことのある人なら、間取りだけやっていればいいとか、100分の1だけ描いていれば、それで済むような世界ではないと知っている。しかし、実際にはそうなっていると思いませんか。

泉:「そうなっている」とは、大学の教育でしょうか? 大学の教育に問題があるとすれば、一つは、そういうことを教えられる人たちが少ないからでしょうね。

服部:少ないというより、いないのではないですか。

泉:そうですね。多分いないんでしょうね。建築はモノづくりという基本的なことが全くおろそかになっています。そんなことにはお構いなしに、評価される作品はアイデアの面白さですね。

服部:なるほど。大学教育を、もつと、鋭く批判する方法はないかなぁ。

泉:先生が批判してください(笑)。課題として「何々を設計しなさい」と出しますよね。その後は、せいぜい1/100で描いた学生の図面を元に何回か中間指導をやり、最後に講評会をやるというのが一般的なスタイルになっています。それで学生は何を学んでいるのでしょうか? 一人一人を丁寧に見たとしても、モノづくりとしての建築設計のほとんどをスルーし、指導しているのはプランニングだけですよね。それは建築のほんの一部分です。だから観念的に建築をとらえる人間がウヨウヨとはびこることになる。ところが、建築には、そこに当然光もあるし、使い勝手や素材もあるし、構法もある。そういうものを一つ一つ積み上げて教えていくスタイルにはなっていないんじゃないでしょうか。

服部:テクノロジカルアプローチという言葉がありますよね。確か、前川國男さん。しかし、今は、施工者に任せておけばできる、みたいな感じになっている。

泉:ものをどうつくるかは重要です。どのような建築を作るか、ということと、どのように建築を作るか、この二つのうちの前者にだけ偏っています。文化は前者の中にあると思われがちですが、むしろ後者の中から生まれるんじゃないでしょうか。

1階平面図

1階平面図

2階平面図

2階平面図

3階平面図

3階平面図

矩計図

矩計図

造形作家の小野襄先生に学んだこと

服部:出身は日本大学生産工学部とうかがっています。先生はどなたでしたか?

泉:小野襄先生です。小野先生は、建築作家というよりは造形作家です。造形作家で建築学科の専任の先生として研究室を持っていたのは、日本では先生だけだったと思います。造形の授業は、先生が考案したONOJINというベーシックデザインプログラミングを使って、実際にモノを作る演習が主体でした。

服部:それはユニークですね。

泉:小野先生の研究室では、建築壁面の造形などはやっていましたが、建築そのものはまったくやっていません。「建築やるのはバカ」みたいな雰囲気があったし、実際、私はそう言われていました(笑)。しかし、どうやってモノをつくるかというセンスは身につきました。例えば、エポキシ樹脂に銅粉を混ぜて、造形作品をつくるとしましょう。初めに樹脂粘土でモデルをつくって、それを型取りするんですが、形が複雑なので型取りにすごい手間がかかるんです。そのとき大切なのは、段取りですね。作業に必要なスペースを確保し、材料の量を見積もって手配し、工具をかき集める。また樹脂の硬化には温度が関係するので、作業中の温度の管理に気を配る。モノづくりというのは、非常に具体的でリアルな世界なんです。僕は建築の設計を始めたときに、「建築の設計ってヘン」と思った。それは、建築家がカッコウさえ考えれば、施工者がどうにか形にしてくれる、つまり建築家がどのようにして作るかを考えなくても作れる、そんな世界に思えました。しかし、深みのある作品をつくるには、どのようにして作るかに立脚してない限り底の浅いものになってしまう。施工者任せで済むわけがない。そのとき、「どのような建築をつくるか」ということと、「どのようにして建築をつくるか」は、一体として結びついたテーマであることを自覚しました。「どのようにして建築をつくるか」というテーマを追究するとき、小野研究室で学んだ経験が、その後の僕に大きな影響を与えたと思います。

服部:大学を卒業した後、どなたの設計事務所で勉強されたのですか。

泉:アトリエRの斉藤義さんのところで勉強させてもらいました。斎藤さんは菊竹清訓さんの弟子で、当時『新建築』や『都市住宅』などに住宅を中心によく発表されていました。

戸建住宅と集合住宅の「心構え」

服部:泉さんの作品は、大きく、戸建住宅と集合住宅に分かれます。戸建住宅と集合住宅で、「心構え」が違ってくるようなことはありますか。

泉:独立した当初は、戸建住宅が中心で、それも小さな住宅の仕事しかありませんでした。それでも住宅をつくれることが、とにかくうれしかった。そのうちに、集合住宅の仕事が舞い込んできたんですね。集合住宅の仕事は戸建住宅に比べると、収支計算などで不自由な面もありますが、一方ではそこに住まう施主がいないから、ある部分ではとても自由なところがあります。

服部:戸建住宅の設計では、住む人(施主)を意識する必要があるけれど、集合住宅の設計では住む人は決まっていないために、建築家に任される部分が広くなる、ということですね。

泉:はい。戸建住宅の設計は楽しいこともたくさんありますが、反面施主の思いを叶える大変さがあります。誰でも、服や帽子や靴を、自分が好きなように組み合わせて身につけているように、個人住宅の施主は基本的には住宅でもそうしたいと考えている。自分が好きなように作りたいんですね。それを建築家に押し付ける傾向が大です。これに対して、集合住宅では、施主にとって全体を構想することは難しすぎるから、かなり任せてくれますね。それが楽しい。また、群としての造形やコミュニティーの形成などは、戸建て住宅ではできないことです。しかし戸建住宅以外をやっても、基本的な設計姿勢は、戸建住宅がベースになっています。戸建住宅の設計には、細々したことが多いと思いますが、集合住宅でも、戸建住宅の延長のような細かさでやっていて、それが僕の集合住宅の特色が生まれる要因の一つになっていると思います。

入居者がくつろげる空間

服部:戸建住宅には、施主のエゴを満足させるというテーマがあります。一方、集合住宅には、コミュニティを実現させるというテーマがある。泉さんは、内庭に池を設けたり、ベンチを置いたりして、入居者がくつろげる空間を用意している。そして、時には、泉さん自身が、ベンチに座って一杯やっているという噂も耳にしています(笑)。

泉:定期点検の後、少し休んでいただけです(笑)。

服部:デザイナーズ住宅、デザイナーズ集合住宅というジャンルがあります。その中で、泉さんの作品はダントツに人気があって、一種、順番待ちの状態になっていて、空室が発生すると直ちに埋まるといわれています。その最大の理由は、泉さんの集合住宅には、外部(庭)にも内部にもくつろげる空間があるからと聞きます。これは、集合住宅を戸建住宅の集まりというか、集落として設計しているためですか。

泉:そうだと思います。

服部:これまで、集合住宅を、10件くらい手がけていますね。完成した後、定期点検とか、住み方調査みたいなものをしていますか。

泉:定期点検とか住み方調査のアンケートのように型にはまったものもそれなりにやっていますが、それだけでなく施主と仲が良ければ遊びに行っているような関係がありますね。その方が住み方はよりわかるんじゃないでしょうか。数値化でわかることもありますが、それだけでは分からないことが多々あります。

服部:戸建て住宅よりも、集合住宅の方が、ある意味で社会性があります。その集合住宅にも、分譲と賃貸がありますが、泉さんは賃貸しか手がけていません。それには何か理由がありますか。

泉:現代において分譲は資本そのものの表現になりがちです。根本はそこなんです。できるだけそれとは距離を取りたいと思います。だから結果的に賃貸しかやれなくなるんです。

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泉幸甫

泉幸甫建築研究所主宰。日本大学教授(生産工学部)。NPO法人家づくりの会「家づくり学校」校長。主な受賞歴に1987年「平塚の家」で 神奈川県建築コンクール優秀賞受賞、1999年「Apartment 傳(でん)」東京建築賞最優秀賞受賞、2004年「Apartment 鶉(じゅん)」日本建築学会作品選奨受賞、2014年「家づくり学校」の活動で日本建築学会教育賞受賞。主な著書に作品集「建築家の心象風景1 泉幸甫」(風土社)、「建築家が作る理想のマンション」(講談社)、共著「実践的家づくり学校 自分だけの武器を持て」(彰国社)、共著「日本の住宅をデザインする方法」(X-Knowledge)、共著「住宅作家になるためのノート」(彰国社)。

服部岑生

千葉大学名誉教授。NPOちば地域再生リサーチ代表。東京大学卒業。愛知県出身。1941生まれ。著作に「新訂建築計画大系 建築計画」(彰国社 1986)、「建て替えられない団地再生の現場」(彰国社、2011)。

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2 Comments

  1. ぶらりと立ち寄った、本屋の店先で読み出したら止まらなくなって読破してしまったというのが正直な印象です。面白かった。

    泉さんの作品やしなやかな考え方に共鳴するところ大です。
    聞き手の服部さんとの手合いもよいのでしょうね。

    集合住宅作りで集落を作るという矜持に打たれました。分譲でもそのようなものが作れないかと希望します。

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  2. 泉さんとは、変な所でばかり会っていたので、こんなにしっかり?した考えで住宅を設計しているとは思っていなかった。一時期、躯体の上に直接漆喰を載せたり、今思うと無茶なこともしていたが、そういう様々な体験(と云うより挑戦か?)が、幅と奥行きを形成して来たのだろう(飽く迄、推測だが)。考えてみれば、誰にしたって良い加減な考えでは、特に住宅設計は続かない。直ぐ痛い目に会うから。服部さんとの絶妙な呼吸で、良い話が聴けたと思う。

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