コーディネーター:安藤正雄、布野修司、 斎藤公男
パネリスト:平野吉信、 森民夫、小野田泰明
参加者:森暢朗、金田勝徳、吉田倬郎、古瀬敏、 木坂尚志、 渡邊詞男、水津秀夫、 前田瑶介、広田直行、山岸輝樹、他
記録:長谷部勉、長野晃人、曽根大嗣
日時:平成29年7月7日(金)17時30分~
会場:A-Forum(東京都千代田区神田駿河台1−5−5レモンパートⅡビル5階)
主旨:
本シリーズ第1回目、2回目では、新国立競技場建築プロジェクト、そして東京オリンピック関連施設を例にとり、デザインビルドあるいは設計施工一括方式を巡る諸問題について議論した。第3回では、「日本の住宅設計生産と建築家」をタイトルに、町場における建築家の役割をめぐって議論した。さらに、第4回は、木造住宅の設計と施工の問題に焦点を絞って議論した。第5回では、すまい、まちの再生というテーマを念頭に、松村秀一『ひらかれる建築―「民主化」の作法』の提起をめぐって議論をおこなった。第6回は、建築行政の経験者を招いて、発注者の問題に焦点を当てる。
設計完了後、それに基づいて施工の契約を締結するという「伝統的」なプロジェクト運営に代わり、昨今、主にコスト・工期の問題に対処する必要性などから、各種のデザインビルドやCMを通じたECIの実現等プロジェクト運営の多様化が進展している。一方これらの運営形態ではプロジェクトのもう一つの重要な要素である「設計の質」が確保できるか?との懸念も存在する。今回は、発注者、マネジメント、設計サービスの提供等それぞれの立場からインプットを受け、この問題にどう対処していくべきかを議論したい。
安藤:今日の豪華なパネリストを紹介します。企画・主題解説を、今年広島大学を退官された平野先生にお願いしています。平野先生は施工者が設計するとはどういった効率性能の整合性の上に成り立っているのか深いレベルで研究されています。二番目のスピーカーは森民夫さんです。国交省から長岡市長に転進され、新潟中越地震の復興では大活躍されました。在任中に全国市長会の会長もされています。アオーレ長岡という隈さんの設計した市庁舎で日本建築学会の業績賞を受賞されました。公共施設の発注を行った経験から今日は解説していただきます。三番目の小野田先生は建築計画学のリーダー的存在の一人で、一昨年『プレ・デザインの思想』という著書を出されています。公共建築のコンペやプロジェクト・マネジメントのことを学問的にも実務を支援する立場でも活躍しておられます。その視点からお話を聞けると思います。
プロジェクト運営の多様化:平野吉信(広島大学名誉教授)
平野:私が建築学会でプロジェクト運営の多様化問題を担当している時に、新国立競技場の問題や地方公共団体がデザインビルドなど新しい仕組みを取り入れるなどいろいろありました。一つの大きな課題として、設計の質をどう担保していくのかということがあります。この課題ついては昨年一昨年と設計団体などとどう対策していくべきか議論してきました。今日は、森さんと小野田さんに来ていただいていますが、最初に今日の議題について、簡単にどういった議論があって、どういった問題があるか、まず解説したいと思います。
現在、デザインビルドやECIなど多様化が進んでいます。その本質は、一言で言うと、設計と施工との近接、コラボレーションだと思います。伝統的なデザインビッドビルド、設計施工分離、発注者が設計者と契約をし、設計を終えて入札をして施工を行うなどいろいろありますが、発注者は2つの契約をコントロールする。それに対してデザインビルド、ECIは設計の段階から施工者が持っているノウハウや技術を提供していただいて設計を進めていく。それを実現するためにCU契約をしたりする。今日のテーマとして考えて欲しいのは、設計と施工の近接の問題、そして発注者と設計者の契約上の物理的距離の問題です。発注者のコントロール能力が設計にどう影響を及ぼし、これをどう解決していくかということです。おそらく世界各国にこの課題があります。(図-01)
設計と施工の近接また共同がなぜ必要とされるのか。日本の場合、民間ではエンジニア設計を導入したり、設計士とコラボレーションしたりすることで工期を短縮することが行われています。最近、地方公共団体の事例では、プロジェクト早期において施工の契約まで行い、それに対して設計と施工を合わせて発注することが行われます。必ずしもデザインとビルドが必要だからという理由ではなく多様化が進んでいます。(図-02)
多様化が進んでいるのはイギリスです。アメリカでも80年代以降は多様化が進んでいます。どうも日本とは違う理由があるようです。アメリカでも、80年代までは、建築家が施工図も仕上げた上で、入札にかけ、施工契約をするのが主流でした。公共プロジェクトにおいても、最低限のお金で契約するというのが当然の原理であるとされてきました。日本でも会計法で定められています。アメリカの伝統的なDBB、競争入札にも問題点ありました。激しい競争入札が行われて、安い価格で落札されることが起こるわけです。そのため、設計変更が行われます。それに伴い当初契約から3~4割は金額が上がり、工期が長引くなどの問題が発生するわけです。訴訟社会だからと言うわけでなく、もっと歴史的に遡る問題があります。アメリカのコモンローでは、ウィン・ウィンの関係が、裁判の積み重ねで決まってくる。かなり古い判例で、設計の完全性は発注者が請負者に黙約的に保証する、つまり設計施工分離の契約だと発注者は完全なものを請負者に渡す、請負者は渡された図面が完全なものだと理解して工事すれば責任を取る必要がないとされています。安く入札するけど要求してどんどんお金を積み重ねる。そういったことから設計と施工の対立的関係が生まれてきたわけです。(図-03、04)
DBBは設計施工別契約です、設計の完全性を設計者でなく発注者が保証するわけです。設計者はコモンローで最大限の注意義務を果たせば責任は果たされます。しかし設計が完璧であることはないので間に入る人が困ってしまいます。様々な契約パターンが生まれた大きな要因の一つです。そこで、DBBは必ずしも最適な手段ではないという考えが1980年代に生まれました。そこでDBB同等のやり方があってもいいのではないかということで法改正が進んでいきました。しかし、ベストバリューを見つけるのは大変で、対立的関係を産まないために、契約上のリスクの取り方を区分しながらプロジェクト運営をする必要があります。契約関係に詳しい法律家が考えたその結果がデザインビルドなどの方式になります。(図-05)
デザインビルド、DBBは理論上発注者にとって最善のQDCのバランスが取れているという、日本もアメリカもそういう位置づけがあります。(図-06)
問題は発注者のコントロール能力です。DBBの場合、QDCのバランスの最適化が難しい。デザインビルドでコストは発注者ではないQが決定力をもつとすると、DB側にリスクが高まるので厳しい。何を作るかということで最初に決めてしまうか、現場で設計を詳細化していくかですが、後者だと値段が高くなります。どうやったらバランスをうまくとれるか、計画的なリスクマネジメントが必要です、この問題をどう解決していくかが私たち建築家の今後の課題だと思います。(図-07)
これまでの方法は新しいプロジェクト運営には通用しない。そこで、バランスに悪影響を与えない範囲で設計をコントロールすることがひとつです。もうひとつはコストへの影響を最適化するという思想のもとにリスクマネジメントするのがひとつです。具体的には契約のやり方や設計者、施行者の選定の仕方に気を使いながらプロジェクト運営していくということです。(図-08)
簡単に可能性を考えてみると、優先して実現すべき設計基準FRPを明確にしてデザインビルド前提で明示するやり方があります。あるいはブリッジングという方法があります。発注者がブリッジング・アーキテクトを雇って、必要なディティールを決めデザインビルドに任せるやりかたで、一見基本設計をやって要求基準書を作成して設計施工者と設計契約するやり方と似ていますが、相違点は、決して基本設計に優先度がついているのではないことです。全て実施設計と施工によって実現するのは果たして合理的なのだろうか、という提起があります。(図-09)
これは当たり前ですが、設計能力や設計条件を見てデザインビルドを決める、ということですが、ものすごく手間がかかります。アメリカには、二段階方式があります。過去の実績などで数を絞って、コンペ形式で設計コンセプトを出してもらって審査する方式です。あくまで設計のコンセプトを見て決めるということが基本です。(図-10)
もう一つは非常に難しいのですが、コストへの影響を最適化するリスクマネジメントによってプロジェクト運営する方法があります。単純に言えば、設計における不確定性のリスクを発注者と設計者・施行者のどちらにも押し付けるということになります。請負者のみに負わせない、発注者と請負者のリスクシェアをできるような契約条件を考える。例えば、入札に変わる交渉型による価格決定の方法があります。それからランプサムに代わる清算型の支払い契約があります。それからなかなか難しい話ですが、設計施工分離でもランプサムであっても、日本と英米のランプサムでもずいぶん違うので、契約後の設計条件変更と連動して価格の契約検討をきちんとやるのを契約上明記するような考え方があると思います。ただし、現実的には難しいと思います。(図-11)
それでは御議論いただきたいと思いますが、一つは多様なプロジェクトへのそれぞれメリットもリスクもありますし、それを関係者が理解し、時間をかけて先立って作っていかないといけないということがあります。それと多様なプロジェクト運営にはリードタイマーが必要であります。かなり先立ってプロジェクト運営計画というものを作っていかないと発注はできない。そして、公共プロジェクトとしての必要な設計の質とは何か明確なビジョンを確保することが大事です。4番目としては、設計の質に対して一定程度必要な発注者側のコントロール能力を持たなければならない、それを契約リスクが偏らないように契約条件等を考える、ということがあります。口で言うのは優しいですけど、それを可能とするためには例えば交渉型の発注相手を選定していくために当然ながら相手側と同等の能力を持った担当者が必要です。例えばコスト予測等共通性の高い交渉に耐えるツールを確保していく必要があります。そのためのプロジェクト運営の熟知した担当者を確保しなければならないということが、おそらく今の地方公共団体の中では難しいと思います。もう一つ、私も役所にいましたのが、上記の条件に柔軟な予算措置が必要になります。例えば日本の予算ですと、予備費の設定や契約後の価格変更手続きが非常にややこしい、柔軟なプロジェクト運営はできないということがあります。現在の日本の予算制度ではハードルが高いですが、共通理解が的確な位置付けを実現していきます。政府にやっていただくしかないのですが、我々に何ができるかと言うと、それに向けた理論武装や十分な理解を広める必要があると思っています。(図-12)
政策決定段階での企画力をどのように高めるか-アオーレ長岡の実例から-:森民夫(前長岡市長)
森:1997年に長岡市長になり、2016年まで市長を務めました。全国市長会長は8年やりました。出身はあくまで建築です。東京大学で建築計画を鈴木成文研究室で学びました。役人になって市長になって政治家になって・・・とゴルフでスライスしたような感じです。選挙に落選したりもしました。大学の時に建築計画学の、空間と生活の対応関係を学びました。大学で学んだことがこの歳になっても何十年も染み付いています。
さきほどの平野先生と比べると、平野先生は建設省では私の後輩にあたりますが、緻密さにおいては私の方が大雑把です。私の話はもっと表面的ですが、これが現在の市町村の実態だと思ってください。
具体的な事例で説明します。長岡市役所は、もとは長岡駅前にあったんです。一回、二回、三回、と変遷しているのを駅前に戻すということになりました。私自身は、市役所を郊外から中心市街地に戻すことだけを目的としたわけではありませんでした。とりあえずは市役所が中心市街地に戻ってきたプロジェクトだとご理解ください。(図-13)
市役所を中心市街地に戻すのにはいろんな理由がありましたが、私は、市民の自由な発想によるイベントの場として中心市街地を活性化するということと、市民が市の中心として認識している場所に市役所と市民活動スペースを共存させることによって、市民協働の象徴の場とすることを大きな目的と考えました。郊外の市役所を街中に移転してくるというよりも、この二つが私の市長としての思いでした。旧庁舎の耐震性の不足が明らかとなっていったので、それで25億から30億かかるなら新築しようと思ったということもありますし、合併によって庁舎のスペース不足があったということも直接的な理由であったし、三番目も大きな理由ではあったんですが、高齢者や障害者が集まりやすい公共交通機関の結節点に市役所を置くということも大きな目的としてありました。いろんなことがありましたが、私としてはやっぱりイベントの場ということ、あるいは市民協働の場を生み出すということが非常に大きな理由だったんです。(図-14)
時間もかかりました。2004年に中心市街地構造改革会議というものを作りました。中心市街地の活性化は商業施設だけではなくて、公共施設を重視して活性化を図るという方針を出したのが2004年です。しかし、この直後に新潟県中越地震が起こって大幅に遅れることになりました。2007年2月に市役所の移転を市議会で可決します。市役所というのは条例で場所を決めなければいけないんです。市役所の位置を市議会で可決した上で、設計コンペティション審査委員会を開催しました。しかし、その年の11月の市長選があり、これが大変で、とにかくコンクリートから人へという時代でありますから、大変な選挙になりました。それが終わってからコンペティションの設計を隈研吾さんに決定しました。それから設計に2年かかり着工、3年かかって完成というスケジュールでした。(図-15)
このコンペの審査委員長が槇さんで、副委員長が大野さん。早稲田の新谷先生、古谷先生と、鎌田学長と中出さんは長岡技術科学大学で、あと副市長を入れて委員会を構成しました。(図-16)
設計コンペティション実施要領が非常に大事でした。隈研吾さんが竣工後に「建築計画というものがあったからこそ建物ができた」ということを書いてくれましたが、建築計画を重視したことが鍵だったと思います。細かい点についてもきちんと仕様書を作ったのですが、私として申し上げたいのは、21世紀の市民協働型のシティホールにしたいんだという、公会堂と当時は呼んでいたが、今はアリーナと呼んでいますが、まちなか市役所そして屋根付き広場が融合した市民との協働の場であるというコンセプトをしっかり立てたことなんです。行政と市民との垣根をなくして市民と協働する時代だという認識をもとに、ハレの行事や市内各地域のお祭りや特産品展などを開催するイベントの場にしたい。雪国なので屋根付き広場が必要だ、そういった具体的なイメージも含めて、新市の一体感を醸成するということを目標とすることを直接自分で書いたんです。部下に任せないで、自分で書きました。そういうことを明示したということです。歴史的にも全ての市民が同じ目線で物事を考えるというのは長岡の伝統文化である、長岡藩がそうだったと書いたんです。さっきの平野さんの話と比べると抽象的すぎるかもしれませんが、目的をしっかり明示したということをご理解いただきたい。もちろん面積とかは駐車場の台数とかそういうことはコンペの条件として明示していますけども、そこは省略いたします。(図-17、18)
とにかく、箱モノ反対の大合唱があったんです。民主党政権の時代でコンクリートから人へという言葉が流行っていたんですね。私は建築計画学を学んで育った信念に基づいて、空間とそこで展開される生活のソフトとは相互に影響を与え合う関係にあって、市民が使いたくなるような質の高い空間を提供すれば、市民の自由な発想による様々なイベントが生み出せるであろうことを丁寧に説明しました。なかなか、わかってもらえなかったんですが、私が大学で学んだ一番基本的なことなので徹底的に説明しました。結果としては選挙に圧勝したんですが、集会を何度も開催してアオーレ長岡でどういう催し物が行われて、皆さんがどういうように使っていただけるということを徹底して説明した。とにかく箱モノ反対それだけの選挙だったんです。私が圧勝した形ですが、対抗馬の宍戸さんという共産党の立候補でしたが、2万6千票というのは共産党としては2倍以上取れたわけです。一応、大変な選挙を通して、プロジェクトは進んだんです。(図-19)
もう一つ大事なことを申し上げますと、市役所機能を計画的に分散して配置することを考えたということです。アオーレ長岡は駅前にあるんですが、分庁舎は既存のビルに土木部と整備部を置いて、再開発ビルの中にも市役所分庁舎を入れた。緑の大手通はエレベーターであると捉えて、高層であっても平面であっても同じだと考え、わざと分散させたんです。この点を高く評価してくださる先生もたくさんいらっしゃいます。(図-20)
アオーレ長岡については、図のピンク色が市役所を含めた行政機能ですが、市民交流ホールという市民が自由に使えるホールが青で示されています。そしてアリーナがあります。中心にナカドマという隈研吾さんが命名した屋根付き広場があります。あと、コンビニとかそう言ったものは、ナカドマを囲んで複合施設になっています。アオーレというのは長岡弁で会おうよという意味です。これは公募して小学生が考えてくれました。この建物を呼ぶ既存の言葉がないんですよ。図書館とか病院とか言葉だけでイメージが湧く施設じゃないんです。市役所でもない、アリーナでもない、市民協働ホールでもない。ですからここは、アオーレなんですよ。市民は市役所と言わないでアオーレと呼びます。アオーレという名前が定着しています。一般の言葉がないということ、これが非常に大事なんですね。特別養護老人ホーム作るとか、病院作るとか、市役所を作るとか図書館を作るとかいうと、イメージが固まってしまうんです。それで設計はじめちゃうことが多いですけど、固定概念があるとこういう建物は絶対できないということだけを申し上げたい。(図-21)
これはアリーナですけども、バスケットBリーグの本拠地になっているんですが、この反対側がナカドマにつながる形になっています。
(図-22)
これは市民協働センターです。(図-23)
市議会議場はですね、一階の一番いい角のとこにあるんです。これが議会反対の大合唱があって、隈研吾さんに議会まで来てもらって説明してもらいました。そんなことがありました。(図-24)
これが成人式なんですが先ほど言いましたけど奥で式典やった後に、ここが男女交際の場となるんです。アリーナとナカドマを一体に設計したおかげで式典をやった後に様々なイベントができるようになって新しい使い方ができたんです。(図-25)
それから大相撲をやりました。(図-26)
フィギュアスケートをアリーナでやれるんです。(図-27)
これはバスケットボール。(図-28)
市民の手作りイベントというのは非常に大事にしています。高校生ラーメン選手権というのを、商工会議所の青年部が企画をして、実費だけは出しますけども、彼らが全部ボランティアでやります。市内の10校くらいの高校が全部自分たちで特色のあるラーメンを作って、市民に食べてもらって投票してもらって順位を決めるという単純なイベントなんですが、これがすごい人気で、行列ができて最後尾という看板が出るくらい賑やかになります。こういうイベントが目白押しです。(図-29)
これは合併した地域の地域活動である竹灯りというのをナカドマでやった時です。(図-30)
これは市民の手作りイベントで、市民活動フェスティバルハワイアンで随分お歳の召した方たちが多いですけども。(図-31)
これは長岡造形大学の大学生のファッションショーを企画してやりました。(図-32)
結婚式もやりました。(図-33)
私が一番嬉しかったのは自発的な利用が行われるようになったことです。合併した小学校がアオーレ長岡に来て、自分たちの学校でカルガモを使って栽培している様子を勝手に演じているわけです。それを市民が見るという場が自然とできている。(図-34)
保育園児が市役所に遠足できます。私の市長室から見下ろせるんですけども、一番嬉しい。つまり、考えてなかったことが市民の方で勝手に考えて使ってくれるんです。私が大学で学んだのはこれだったと思います。空間があればそこでいろんないいイベントが行われるという信念はあったんだけど、素晴らしいイベントが行われるようになったんです。(図-35)
これは全く素人の集団がランチコンサートといって月一回から二回やっています。これも自発的で、市が仕掛けたわけでもなんでもない。(図-36)
だからコンクリートから人へじゃなくて、場所があって質の高い空間があってそこで必ず使う側が考えてソフトが育つということがこのアオーレ長岡で実証されたことが私は嬉しいです。
来場者が150万と言っていますが、これはちょっと眉唾モノだと思いますが、ダブルカウントがあります。まあ相当な実績があるということです。それから相当視察が非常に増えている。まあ5年も経てば減ると思いますが。これは街中に戻した効果もあるんですが、既存の駐車場で300台必要だっていう計画を100台にしたんですよ。それで既存の駐車場を使うために駐車券を出したんですけども、それで非常に利用が増えた。つまり、既成市街地なら既成のものを使う。それは例えばレストランも同じです。社員食堂は作っていません。周辺の食堂を全部使っていますので。既存ストックの活用という意味での駐車場が民間駐車場の利用が増加しています。駐車券は出しています。(図-37、38)
これは店舗数が100店舗ぐらい増えたということですね。それから空き店舗が36.5%減少したということです。(図-39、40)
これは市民がどういう評価をしているかというと、イメージが良くなったということを最大に評価している。その二番目はよくある街が賑やかになった、楽しくなった、市役所が移転して便利になったとかはあるんですけど、商業が活性化したからよかったという人は一人もいなくて、イメージが良くなったことで最大の評価をしてくれています。それも私は非常に嬉しいことなんです。(図-41)
建築学会賞と都市計画学会賞とBCS賞の3つをいただきました。そのほかにグッドデザイン賞や公共建築賞などもいただきました。(図-42、43)
最後になりますけども、政策目的の明確化の必要性が非常に大事なんです。中心市街地の活性化というだけでみんなわかったつもりになっている。何を活性化させるんですかと聞くと答えられる人はほとんどいません。たいていの人は商業の活性化を中心市街地の活性化とイコールで考えている。それが言葉の持つ魔術なんですね。具体的な目的は、商店街の商売繁盛なんですか、あるいは団塊の世代のノスタルジーなんですか、昔賑わっていた中心市街地を取り戻したいというノスタルジーの問題なんですか、あるいは市全体の活性化を象徴とすると考える市民の故郷の誇りの復活ですか、という風に聞くと商業の活性化を望んでいる市民はほとんどいません。普通の人は中心市街地の活性化というと、曖昧な言葉なんですけど、商業の活性化だと思い込んでる。そうするといい政策はできない。長岡のイメージが良くなったというのは、市全体の活性化を象徴すると考える中心市街地とは故郷への誇りの問題だったからですね。誰のニーズか。商店主か市民かというのも大事なことなんですが、市民のニーズだとすればどんな市民かが問題です。例えば、若いお母さんはほとんど興味ないです。やっぱり団塊の世代が多いわけです。そういうことで政策目的を突き詰めて明確化していくということがまず必要になります。これができる市町村が非常に少ない。たいていの市町村は中心市街地の活性化をしたいから何かいいアイディアがありませんか、という。中心市街地の活性化を、ブレークダウンするとどういうことになるのかまで考えている市町村は少ないと思います。ここはひょっとしたら建築家の役割ではないのかと私は思います。(図-44)
政策目的がはっきりした時に解決策を立案する企画力というは、当然ニーズに合致したものでなくてはならない。さっき言いましたけど、中心市街地の最終目的はなんなんですか?と突き詰めていった時に本当のニーズが出てきます。アオーレ長岡で感じたのは、長岡のイメージが良くなったとか、中心市街地が元気になってよかったという思いが一番ニーズだったということです。それから、イベントがやれてよかったということが一番のニーズだったと思います。それから、既成概念にとらわれない柔軟性。大学、病院、図書館などの言葉のイメージに拘束力からどれだけ脱却できるか、ということです。図書館を作ったらそれで終わりなんです。病院を作ったら終わりなんです。東京大学の計画系を否定しているようで、すいません。しかし、これが非常に大事なんです。これに囚われているとアオーレ長岡は絶対にできない。それからもう一つは法令や予算を検討する力が必要という当たり前のことです。(図-45)
最後に言いますが、行政組織の企画力をどのように高めるかということはこれからの課題です。この研究会のテーマになるんだと思います。例えば困難な事業を積み重ねることで組織力が向上します。かつての横浜市や神戸市というは組織力がすごくて、発注者として本当に的確なことが言える組織だったと思いますが、少ないんですよ、町村なんてここまで考えられる人はいません。それが最大の問題なんですね。首長の見識とリーダーシップの向上というのは絶対必要になるんですが、首長の見識に関しては研修制度を充実させようかなと一生懸命考えているんですが、もう一つはアドバイザーをどう活用するかですね。簡単にコミュニティアーキテクトと書いていますが、第三者が目的を明確化するような必要性があるだろう。まあ全国の市長会の会長を8年もやりまして、町村会との付き合いもある程度あるけれど、本当の意味で企画力がある市町村は少ないと思ってください。だけど、市町村長は勘がいいですから、いいアドバイザーがいるとパッとわかります。町村にはたった一人の優秀な人物がいるだけで大きく変わります。ですから、私はこのアドバイザーというはすごく大事なんじゃないかなということを最後に申し上げまして終わらせていただきます。(図-46)
「建築」の実践に向けてー建築の価値を発現させる丁寧な発注へー:小野田泰明(東北大学教授)
小野田:お招きいただきありがとうございます。いろんな形で実務をやりながら、計画の実践についていろいろと考えてきましたが、2011年3月11日に東日本大震災が起こってからは、様々な復興の現場に呼び出されてて余計過酷な状況になっています。市民の協働者としてニーズを代弁するワークショップをやったり、市の中に建築計画の技術屋さんとして入って、行政マンや建築家と一緒に打ち合わせをしたりとか、あとは学識者として合意調達するための会議に出席したりと色々なことをしてきました。
まず釜石のことを紹介させてください。釜石市は、人口約3万7千人と小さな市ですけど、今から30年くらい前は、製鉄所が最盛期で人口が10万人に迫るほどに栄えていました。その後、鉄冷えで、急激な人口減に見舞われます。今回は、そうした中での被災でした。最初に釜石市に呼ばれた時は厳しい状況で、東部地区という海沿いにある中心街でさえ、放棄して内陸に移転することを主張する人も多くいました。そうした所にさらに、様々な専門家や実務者、政治家の先生が外部支援者として来られて、かなり錯綜していました。それで、それを整理するために、まず伊東豊雄先生に来ていただいて、全体を落ち着かせた上で、都市計画の遠藤新先生らと市民ワークショップをしながら、まちづくりの骨子を検討しました。現在、ほぼこの時の基本計画が踏襲されています。 (図-47)
次は建築ということで、いい建築を中に埋め込んで行くために、優秀なパートナーをプロポーザルで選ぶ「みらいのまち事業(通称:みらまち)」を始めました。ここまでは良かったんですね:笑。岩手県は、一関・北上地区と盛岡地区などが産業の中核なんですけれども、釜石はそこから一番遠い。産業的ロジスティクスからいうと1番の奥地にある。大船渡とか陸前高田は一関から一時間くらいで日帰り通勤圏ですが、釜石になると二時間以上かかるので、職人は泊らなければならない。なので建築コストは非常に高い。(図-48)
文部科学省の学校予算は、㎡当たりの標準単価がこの時は15万円、あとでお願いをして17万円にあげてもらいましたが、いろんな特例加算をつけても27万円ぐらいが上限でした。2013年ぐらいに見積もりをざっと取ったところ45万円/㎡というのが平気で出て来る。約1.7倍、これではほぼ何もできない。予算と実勢価格の乖離という事態に直面した訳です。もっと安いところも探せばあるかもしれませんが、仕事の方が多くて競争性が十分に働いていないので、探すのはすごい大変です。(図-49)
優秀な若手建築家を選んで、「さあ、新しいまちづくり」と勢い込んだんですが、最初から入札不調となりました。多分そういう時期が来るだろうと、他の発注方法も探そうということを並行してやっていましたが、1発目からダメになるとは思っていませんでした。2発目、3発目ぐらいからは、ヤバイと思っていたんですが、1発目からいきなりの洗礼です。そこで買取方式、所謂デザインビルドに移行します。大手ハウスメーカーが東松島市の復興公営住宅でやったのが、被災地ではほぼ最初の事例でしたが、我々の方では、この情報を早期に仕入れて、隣の石巻で改良版のプロポーザルを仕掛けていました。買取だけど、できるだけ良質な物を作りたい、社会が直面する少子高齢化に対応したものを作りたいと条件つけて、建築家と組んで出してもらったものです。これは、最優秀として実現したリビングアクセスのテラスハウスです。阿部仁史さんが大手メーカーと組んで設計されました。(図-50)
このやり方を釜石の「みらまち」の5番目でやってみようということで、試みました。これも石巻で勝った大手メーカーですが、我々の企画は建築家と組むと勝率が上がることをわかっているので、こっちは千葉学さんと組んで出してきました。この5号のスキーマを1号にフィードバックして1号の平田晃久さんの設計からデザインビルドに切り替えました。3回不落にさせて、かなり遅延させていた案件で、市の人に切腹に値する大罪だと言われていた事業でした。被災者の皆さんに対して申し訳なくて、生きた心地がしませんでしたが、最終的には良いものが出来て、多くの方に喜んで頂けました。 (図-51)
従来型発注ですと、建設の入札時にコストとプライスの乖離が顕在化します。デザインビルドではコストとプライスの乖離は存在しますが、内部化しているので見えません。なので、乖離はスペックダウンの形で、無言でクライアントに押し付けられることが多い。それを避けるために、川上でしっかりとした要求水準書を書かないといけないのですが、まだ設計も十分できてないのに、個別のスペックがそう簡単には決められない。そこで、エイヤッと決めるか、それともコンサバに縛るかしないと成り立たない。要するに問題が川上に移行している訳です。(図-51、52)
デザインビルドにおいてクライアントは、要求水準が不確定で、実際のコストも不確実な、川上で判断しなければならない。さらにそれに加えて、情報の非対称性に見舞われます。通常クライアントのエージェントとなる設計者がビルダー側に付くので、クラインアントは対抗上、アドバイザーを雇うのですが、それでもハンディを背負ってしまう。加えて、時間に対する脆弱性も受け取らないといけない。つまり、最初に覚書を交わして、後に払う訳ですから、状況が変化するとその約束を変えなきゃいけない。ではなぜ、災害公営住宅で可能になったかというと、住宅品確法があり、災害住宅設計標準というガイドラインがある。さらには、住宅市場が存在しているので一戸あたりいくらという値付けが出来る。こう言った周辺状況を活用しながらデザインビルドをかけるので、ビルダー側は極端なスペックダウンはでません。それを活用して釜石では、リビングアクセスで非常にいい町並みができました。(図-53)
学校などの発注では、買取方式からECIに移行しました。買取方式でうまくいったんだからECIをする必要はないと思われるかもしれませんが、例えば実施設計が確定しないとコストの妥当性が得られない公共施設、学校とかホールとかの一品生産ものは、最初に値付けができないので、まずは設計する必要があります。そこで、基本設計をやった後に施工者を決めてもらって入ってもらう、そこで不落を避けるというやり方が出てくる。基本設計を元に優先交渉権者という形で施工者を仮押さえするということです。これがECI、Early Contractor Involvementになります。設計段階から施工者が参加する、発注者と施工者は技術協力契約を結んで、施工に関する優先交渉権を付与する訳です。(図-54)
絵にするとこうなります。上がデザインビルドで下がECIです。ECIにも色々とありますが、ここでは、発注者が基本計画に基づいて基本設計を発注。そして、基本設計が完了した段階で技術提案書を求めるケースを上げてあります。優秀な提案者と技術協力委託契約を結び、そこから施工のVE提案を受けて仕上げた実施設計図書を基に、官積と施工予定者の社内見積を比較して、合意すれば施工契約という流れです。(図-55)
絵にすると綺麗なんですけども、課題があります。最初課題1は、技術提案書記載の価格は情報が不十分でほとんど意味を持たないことです。要するに、行政が予定した価格で入れますけど、そのあとあれも足りないこれも足りないこれも知らなかったあれも知らなかったと価格を上げられます。一方で、実施設計でいろんな提案をしてくるんですけども、 VEなのかCDなのか見極めるのが非常に困難です。あと、合意に至らなければ、オープンビットに出せるんですが、出せるもんなら出してみなさい、という感じです。(図-56)
斜面地に学校を貼り付ける実例2例です。上の例は、RC構造が合わないので全部土木工事にして、在来の木造を置くようなVEをかけました。形もできるだけ整形にして、そのあとECIに移行しています。上も下もECIなんですけども、両方とも非常によくできています。(図-57)
DBとECIを両方経験しましたが、決して安くできている訳ではありません。ECIプロポーザルの段階では予定価格そのままなんですが、後で情報の不完全性をいろいろ言われて乗っけられています。かなり弾き返していますが、全部弾き返せる訳ではないのでどうしても上がります。これも施工業者が悪者という訳ではなくて、不確定性があるんでどうしても上がらざるを得ない。また、設計プロポーザルの場合と違って、ゼネコンの営業の方が直接入ってこられるこのようなプロポでは、様々な情報が飛び交って、発注側としては状況を読むのが難しい。口では言いにくい難しい世界が広がっている。情報戦の結果、一社しか応募しない場合もある。そうやって立場を強くしたうえで、後で大幅に工事費を上げてきてとんでもないことになった事例もあると聞いています。このように発注側には、交渉の技術力が必要です。悪くい言えば、施工者は隙あらば、スペックダウンを仕掛けてきますが、スペックダウンとVEを分けるのは非常に困難で難儀する。幸い釜石の場合は、並行して3つの事業(ホールと2つの学校)が進んでおり、大体の相場が把握できましたから、ある程度の交渉はできましたが、普通はなかなか難しいと思います。釜石の経験では、実施設計が進んでいるほど、その後のECIはうまくいったような印象があります。基本計画から施工予定者が参画した最後の物件は、それ以外の要因もありましたが、大変でした。これを通して従来型がいかに守られているかというのを痛感しました。(図-58)
もうひとつ、小田原市の城址前のホールでやっていることを紹介します。ご存知だと思いますが、10年前にプロポをやって、山本理顕さんが面白い提案で取られたんですが、反対運動が起こって設計を降ろされた。もう一回プロポーザルをやって、新居千秋さんの良案に決まったんですが、これはお金が合わなくてダメになった。市も色々と試行錯誤されたようなのですが、最終的にはデザインビルドにしようと判断された。そこで、東北の方で難しい発注をやっている私の所に、力を貸してくださいと話が来た訳です。
そもそもデザインビルドは慎重な対応が必要で、安易に推奨するものではないし、個人的にも山本理顕先生や新居千秋先生に弓を引く形になってしまうので、悩みました。なので、安藤正雄先生など信頼できる先生方に内々に相談に乗って頂きながら、そろそろとやっている所です。イギリスのやり方なども参考にしながら、二段階でやろうとしてしています。質と建設費をいっぺんに見ないで、最初に質をみて、次に建設費をみる。それを分けて、一段階と二段階の間に、競争性を働かせる(図-59)。先に紹介したECIもそうですが、一旦契約して中に入れるとどんどん仕掛けくるので、できるだけ競争させてから中に入れる。
これはフランスのガイドラインにあるコストをコントロール曲線(図-60)ですが、先に仕掛ける、つまり早い段階での計画ほどコストを左右できる度合いが大きいことが示されています。遅くなるとほとんどコストをコントロールできない、なので、できるだけ川上で要求水準とコストをチェックしておくことが大事で、しっかりした要求水準でコンペに出すのが正しいというのが彼らの主張です。日本では、なんでこうならないのかなと思うことがしょっちゅう起こります。今日持ってきたのは、基本設計を19万円で某大手設計事務所が落札した事例の新聞記事です。予定価格は約1800万です。実施設計を取ろうという魂胆なんでしょうが、その逆でプレ・デザインにこそコストを掛けて全体を調整すべきなはずです。このようなやり方で、どうやっていいものが作れるのでしょうか。ぜひ力のある先生方にはここのところをどうにかしてほしいと思います。
先のイギリスは、コモンローの国なので、裁判の判例集みたいなのが憲法になっている不思議な国です。なので、行政発注においてもかなりの権限が認められています。また、民間と行政の間の人的交流が非常に盛んです。ですから、発注側にも経営的思考が非常に強い。
これは総理大臣賞をとったみんなに愛されているある市の素晴らしい図書館 (図-61)ですが、非常によくできています。コンサルタント費用に2億6千万円くらいかけていますが、平米単価も川上でコントロールして、全体の事業費を80%に圧縮できている。これは、途中で交渉をしながらどんどん絞り込んで行って、要求水準を書き換えることで、要求水準の不完全性を調整するともに候補者からの持ち出しを引き出している (図-62、63)。日本の場合は、最初に要求水準を出すのが入札の基本なので、公告したものは絶対変えちゃいけないんですが、この図書館では、交渉しながらだんだん絞り込んでいって施工業者にいろんなものを吐き出させながら契約している。デザインビルドをやるならこういう風にやらないとという見本です。入札原則の中でデザインビルドをやるのは危険だということを物語ってもいます。
フランスは制度と法の国なのでしっかりとした法律があってそれに基づいていろんな公共の発注が展開されているんですが、MOP法という強力な建築法とMIQCPというそれを効果的に運用する機関を作っています。ここでは法律上、設計競技がデフォルト(標準)です。(図-64)それからカイエドチャージという詳細な設計条件を作ることが求められています。ここでは審査委員会は必ず専門家によって構成されます。審査のプロセスは二段階で、二段階目は報酬を払って基本設計に当たるものが要求されます。一社以外に払ったお金は死に金ですが、それは必要経費という考えで割り切っています。また二次審査は、5社程度残す中で必ず1枠は若手にと明記されています。各段階でいくら払うかも定められている。礼賛したくありませんが、公共発注とはなんなのかが良く分かっている。安物買いの銭失いにならないよう、長期的価値をどう発現させるかが意識されている成熟した考えです。(図-65)
討論
安藤:まず、森民夫前市長に、設計施工一括方式やECIなどの発注方式についてどうお考えかということと、伝統方式には建築家がいてそれから請負入札するというアオーレ長岡でやったとき、どんな問題に直面したのかについてを補足していただきたいと思います。
森:市町村の実態は私が一番知っているわけですけれども、設計施工一貫方式を選ぶ1番の動機は、コストとかそういったことよりも、アイディアだと思います。要するに、発注するときの条件を自分たちで決められない。例えば建物作った時にテナントの誘致をしてくれるのかとか、あるいは観光客を連れてきてくれるかっていうことの魅力を感じて、大手のゼネコンに企画段階から頼んでしまうことが多いんだと思います。それに対して、設計施工分離型ですと、設計者というはどうしても受け身になる、しっかりしたプロポーザルを行えばいいんですが、何も考えないで市町村がやっても意味がないんです。期待しているのは、大手のゼネコンならテナントを呼んできてくれるとか、観光客を呼んできてくれるんじゃないかということがあって企画段階から相談する。そういうことができそうに見える、ゼネコンの力を知っている人から見ればそんなことあり得ないと思っても、市町村長はゼネコンはそういう力を持っていると思い込んじゃうんです。
安藤:東京はどうですか?
森(民):東京都は別です。小さな市町村の場合です。企画力がない市町村が企画力に期待をするとどこに頼むかと考えてください。残念ですけども、設計事務所にはそんな企画力はないと思われています。僕が言った建築計画の段階でしっかりとした企画を出せるところです。そういうところはコンサルタントで設計事務所ではないでしょう。野村総研とか三菱総研とか。僕が言っているのは一般論ですが。
布野:アオーレの時は、隈さんだけですか?
森(民):建築計画、企画の部分は私がやりました。誰にも相談していません。これは特殊な事例で、建築出身の市町村長はいないから普通の市町村長は企画ができない。守山市の宮本市長が優秀なのは布野先生を使うという知恵があったからです。僕は自分でできたが、レアケースなんです。企画力の他に2つ問題があります。コストの問題とアフターケアです。コストコントロールができるということは設計事務所が売り込む非常に有効な手段になります。もう一つ建物ができた後に面倒を見てくれますかというところが設計事務所にはいまいち信用がないんです。なんとなく竹中とか大成とかの方が力があると思えます。実際、コンサルタントは設計事務所じゃなくていわゆるコンサルタントでしょう。三菱総研とか野村総研とかそういうところでしょう。
森(暢):森さんたちがものすごく立派なことをされていてものすごく驚きました。発注者である首長さんたちがこんなに思いを持ってやっているところは結構あります。例えば金沢も比較的そうです。しかし、基本構想はコンサルが作っている場合が多い。基本計画もちゃんと発注する自治体には、依頼するのはコンサルの場合とそうでない場合の両方があります。設計の質、レベルを上げるには基本計画をしっかりすることが大きいです。基本計画の不確定要素が設計の質に影響します。それからもう一つ、今は売り手市場になっているのが問題で、利益がどこで出るかというとコスト削減と工期短縮です。概算発注でお金を決めてお任せになるから想定してないものができてしまう。できた時には後に戻せないくらいになってしまっているのが問題であって、小野田先生がおっしゃっていた海外のものとはやはり条件が違うんです。二段階にはならないし、ゼネコンは設計施工ワンパッケージの組織になって、最初の基本設計を設計者が頑張っても、実施設計者と施工会社がチームを組んでいて、ある程度の関係がいい距離感を持ったチームになっているんです。設計と施工の利益一致型のゼネコンのビジネスモデルは日本にしかないわけですが、ゼネコンが牛耳っているわけです。われわれが一番問題視しているのはDBでの基本設計者がいて、それを元に設計施工一貫をゼネコンに全部任せるタイプです。監修も誰もつかないのが問題で、特に病院に多い。ユーザーニーズを把握しないで、患者もナースもエンジニアも病院のいろんな関係者からのヒアリングを丁寧にやらず出来上がっているのが大きい問題です。DBにはいろんなパターンがあるけど、設計以外の問題っていうのは実施設計にこそあります。森(民夫)さんがおっしゃったことは、本当は設計事務所でできるんです。だけど、首長さんが組まない。私たち設計者のいろんな団体が公共発注の基本計画をしっかりやっているということを首長に伝えて欲しいです。市町村の大半のところは基本計画ができていない。小さな自治体で首長さんがものすごく威力のあるところはできています。おっしゃっていたようにいい職員が一人いれば本当に変わります。昔はそういう職員と設計が一緒にやっていたんです。
小野田:今、森(暢朗)さんがおっしゃったように、私の資料の最後のところに「公共建築で関心を寄せる多くの人には、私のような外部の人間が公共発注の支援に回らざるを得ないほど、良質な社会資本形成を目指そうとする発注者が疲弊しているということを知っていただきたい。」と書きました。森(民夫)市長のようにいいものを作ろうという人たちは行政内に職員としても昔はいっぱいいたんですけども、今は頑張って目立っちゃうと必ずメディアとかに足を引っ張られるので、無理してやらない世の中になってきています。そういうことをやれる人はいるんですけど、一旦炎上すると社会的に抹殺されかねないので、やれないとなってしまう。それと、設計入札が標準になっていることが大きい。デフォルト(標準)が入札なので、入札を変えるだけで説明責任を求めらる。ましてや議会は、入札は善、随契は悪と見ることがほとんどですから、そこを頑張って通すインセンティブが、残念だけど行政の現場にはない。だから、フランスみたいに質での競争をデフォルトにすれば、相当状況は変わる。しかしながら、会計法は財務省の三文字法なので、改定はなかなか難しい。
布野:僕は滋賀県で10年入札監視委員をやったけど、プロポーザル・コンペでも、ちゃんとしたコンペをやっも、随意契約になるんだよね。二段階で、公開ヒヤリングでやっても、法律上は随意契約。最初の頃はおかしいんじゃない、と言い続けたけど、会計法で決まってます、と言われてはね。僕は、余人をもって代えがたい随意契約は反対じゃないから、議論がややこしくなるんだけどね。
小野田:会計法は単純な買い物を前提にしています。設計を一番安い値段でとって、施工も一番安い値段で、それを足すと一番安いという。相互に独立していればそうですが、設計と施工のように密接に関係する時にはそれは当たらない。コストの割合の高い施工を調整し、事業におけるバリューを上げる方法である設計には、ある程度のお金をかけるべきなことは自明なのですが、現行の会計法では、単純な足し算が前提となっている。
森(暢):先ほどの話は公共工事の話で、民間は事業者、経営者の判断ですよね。説明責任を果たすために設計施工一貫であっても監修者をいれて第三者性を確保する経営者もいます。私は、公共建築は手間暇かけてやるものだと思っています。そこに安さだとか工期短縮ということで、不落不調が続いて早くから施工会社を囲い込まないとならないということでデザインビルドが普及してきたんです。それとプロポーザルやコンペはほとんどなくて、市町村では10%あるかどうかであとは全部入札です。それが実態です。工事費も曖昧な中で発注されていて余計なことをやらされているということが非常に問題だと思っているのですが、首長がOKしているので担当者には問題があっても絶対言えないです。
小野田:ひどいものができている例もありますが、ほとんどが隠蔽されている。この値段で、この面積、席数でできました、中身は知りません。以上。となる。
安藤:発注者責任という意味で大きですね。
平野:私も地方にいた経験もあるのでいろいろ感じていたんですけども、決められたルールを逸脱するとすぐやられてしまう。マスコミに叩かれないようにしなければならない。そればっかりです。ルールそのものをちゃんと変えないといけないわけだけど、会計法の壁というのはなかなか破れないもので、品確法で少し風穴が空いたんですが、建築にとってはあまりよろしくない。どうしてアメリカがロープライスから脱出したのかを知りたいんですが、それをちゃんとあきらかにして、必ずしもロープライスがベストじゃないんだということを知らないと先が見えないと思います。もう一つは、競争でこれは透明でしょう、公平でしょうという、ロープライスがベストじゃない方法をとる交渉です。交渉は一般的に癒着の根源ですので、そうじゃない理屈を世の中に広めていかないといけないと思っています。じゃあどうしたらいいかという議論をしていただきたいと思います。
布野:交渉するとどっちが悪いことになるんですか。
平野:交渉自体が公平じゃない価値観が混じる。
安藤:公共の人が、少なくとも役人がそういうことをやると汚職だとかが起こると、思われてるわけですね。
古瀬:要するにネゴシエーションが入るわけだから、決定のレベルが会議では完全に決まっている立場からするとグレーなわけです。そのグレーなのは嫌だという声に負けるわけです。それから、ロープライスではなくてベストクオリティという見方からすると、90年代の終わりくらいに情報通信機器の連邦政府調達はトップランナーを選ばなければいけないと決まりました。そうすると、ベストクオリティを選ばざるを得ない、そうなるとロープライスが違ってきます。何らかの形で使えないものはダメという縛りがかかるとロープライス入札というのは変だという根拠になります。
森(暢):改正品確法になって多様な発注方式を導入していったのは土木中心だと思っています。建築の事業に翻訳したいのですが、建築の事業の特性に合わないんです。土木の発想が基礎になると、本来建築の特性を生かしたことをやろうとしても土木主導型になるんです。実は他の発注方式を導入してもいいはずです。やっぱり行政はそういう仕組みなのでしょうか。
森(民):私はみなさんが見ている側と反対側から見ているわけで、小さな市町村全部わかりますけれども、基本的にプロポーザルやコンペということをやるのがそんなに難しいわけではない。だけど、説明がいりますから多少面倒くさい。今の質問から離れるかもしれませんが、市町村長が一番やりやすいのはいわゆるアイディアコンペのレベルです。土地が空いたからといってそれを何に使うかまでわからない人がいっぱいいるわけです。ここに空いた土地があるけど、ここにどんなものがあったらいいですかというのは入札ではできません。アイディアコンペから入って、基本設計の一つ前の建築計画をしっかり立てるような仕組み作りをする方が会計法を変えるより早いと思います。会計法はほっといて、アイディアコンペの奨めとか、そういうことやったらどうですか。小野田先生がやったことがそうだと思いますが、できるだけ川上から入って行く、川上から設計事務所とかが入ってくる仕組みをどうやって作るかというのが有効な手段ではないかと話を聞いてて思ったのが一つです。二つ目は、市町村長にとって大事なキーワードはコストです。コスト削減のためにはこのやり方がいいですよとそれをどうわかってもらえるかというあたりがポイントだと思います。コストの削減のためにこれをやりますよというのは議会に非常に説明しやすいんです。発注者側から見た感想です。
安藤:企画それから基本計画段階が大事ということは一致していますね。
森(民):さっきも申し上げあげたんですが、建物立った時の使い道とか、そこに誰か呼んでくるとかそういったノウハウまで欲しいと思っている市町村長は沢山いるわけですから、そこを相手にしなくてはいけないわけです。
安藤:企画段階ということでいうと、例えば設計施工一括方式で基本設計相当分と言っているのはどう言うことなのかというのは今後も議論がいりますね。
森(民):基本設計よりももっと川上のことからゼネコンは提案していると思います。この土地はこういう風に使ったら有効に使えますよという提案を無責任に言ってくる場合もあります。無責任にここはこう有効に使えますよという営業マンがいるわけです。
小野田:建設会社の営業と計画実務部隊は、別の論理で動いていて、人が入れ替わった瞬間に言うことが全然違うことも多い。契約した時にはもう遅い:笑。
森(民):しかし、基本設計以前のことは設計事務所側が弱い部分じゃないかと思います。
平野:今日の話の中で、一つは川上における企画を取りまとめるのを頑張らなきゃいけないというのと、もう一つは確定した企画をどうやったら実現していけるのか、そのあとのプロジェクトをどう設計して行くのかという問題があると思います。通常であれば設計施工分離で済んでしまうが、これからそうではない事態がいくらでも出てくるのでそういう時にどうしたら良いかということですね。
森(民):しっかりした企画があれば設計施工分離でいけるはずなんです。
平野:しかし、そうならない事態もあるから企画すると同時にプロジェクトの企画もやって行かなくちゃいけない。
森(民):企画する人がいるからで、それはゼネコンが受けちゃってるんです。
平野:さっき感心したのは、不落を見越して他の手も考えていたという小野田先生の話です。まさにそういうことですよね。あれをやって行かないといけない。公共の建築は交渉のやり方が違いますよね。単価で交渉するのは割と楽ですよね。
森(暢):概算発注のような曖昧なことをしないで相当精度のある設計をやって、基本設計をプラスアルファでちゃんとやることで実績を上げる。やっぱり基本設計プラスアルファでちゃんとした積算ができることが実現性を高めるんじゃないでしょうか。条件構成をしっかりやって金額が増えないようにすることが大事です。
平野:基本設計的な企画をやってデザインビルドを発注する。その時、監修者が必要とおっしゃいましたよね。確かにデザイン的な監修も必要だけれども、監修者には交渉力も必要ですし、できるのかという問題があります。設計の監修だけでなくて、そういうプロジェクトの進め方の監修をする人間がついてなければならないわけですけれども、それは今の設計体制の中では難しいんじゃないかと思います。
森(暢):業務委託になると思いますが、発注者支援業務でそういう設計内容の監修から交渉までちゃんと費用を払えばできると思います。設計者は結構力を持っているので、出身がゼネコンだろうが設計事務所だろうが、工事の内容を知っている人は交渉できると思います。委託内容がそれであれば、さっき監修という曖昧な言葉を言いましたが、設計内容の検証とかちゃんと業務とすれば、発注者支援側としてやって行けると思います。
小野田:デザインビルドにすると、必ず情報の非対称性が出るので、発注者はアドバイザーを雇わないといけない。大手設計事務所の中には、別会社を作ってそういう業務を受けているところもあります。
平野:マネジメントに対して理解がある市長さんも結構出てきている。
森(民):それを議会から承認得られる努力をしなくてはいけない。全部が100点は無理だから全国の市町村の3割ぐらいが理解できればいいと思う。
小野田:そういうことを学習して変わっていけばいいのに、長岡みたいなすごくいい例があるのに、中々それが大きな流れにならない。
森(暢):唐津は基本計画の設計をとるためにやっていたんだと思う。
布野:アオーレ長岡の総工費はいくらくらいですか。
森(民):130億です。基本設計の段階でかなりコントロールしました。施工は大成建設が入りました。言わせてもらいますと、コストコントロールができるというのは市長にとってかなり売りになっている。もう一つは企画力です。学校とかコミュニティセンターとか決まった従来概念の建物にはコストコントロールが有効です。もう一つは、土地があるが何をやったらいいかわからないというは企画力です。その二つが武器になる。
安藤:他の皆様はいかがでしょうか。
渡邊:ちょっと疑問だったのが、公共発注の場合に価格はできるだけ川上で企画力を発揮すればいいんだということです。民間が川上にいくのはなかなか難しいのではないかと思います。今僕も仙台で何件かやっているんですが、設計事務所がいかに川上にいけるのか、若手の建築家とかは企画側にできるだけ入り込みたいと思いますが、行政の方がどういうニーズが欲しいのかが掴みきれていないんですが。
森(民):行政側から言いますと、ある土地があってそれをどう使っていいかわからないので、とにかくアイディアが欲しいというレベルがあるわけですが、そういう事例ばかりではなく、建てるものは決まってて、学校だったら学校を作りたいとか決まってるものもあります。ある土地があるが地域の活性化のために大学を誘致したいとかそういう漠然とした企画があった時に、誘致を含めた企画をしてくれるものだったらば、随契はできます。現実にどこがどうやっているかというと、いわゆるコンサルタントと呼ばれるところが受けている場合が結構あります。コンサルタントの能力と建築士の能力は違いますから、私はコンサルタントと設計というのをうまく組み合わせるのが近道ではないかと思います。私は市村都市開発建築コンサルタントにいたことがあるが、あそこがそういう事務所でして、コンサルタント業務と建築設計が一体になっていて、企画の段階から入っていって建築設計につながる仕組みでした。コンサルタントと建築設計を一緒にした事務所というはあまりないです。それが答えになっているかわからないけど、一つの設計事務所で企画力まで持とうとするのは非常に難しいと思います。
安藤:野村総研や三菱総研とかみずほとかああいう大きいところは、傘下に建築設計事務所が入っていると思います。隋契でコンサル、企画をとったのを全部流しています。悔しいですよね。懇親会でまたぎろんしましょう。
木坂:基本的に中央集権だった行政に、地方行政がどのようにして台頭していけば良いかということに関しては、どう思われますか。また、構造家と計画家の役割、関係はどうなっていくんでしょうか。
森:地方分権から行きますと、具体的な事例をいうと、地方創生の関係で地方創生交付金というのが随分出ました。企画の段階のお金だったわけで、その地方創生がらみのプロジェクトをどこが受けたかというとコンサルタントです。そこがいい加減なことをしたり、いいものがあったりと玉石混交なんだけれども、いろんなものができてそれが建築設計につながっているケースが随分あります。そういう動きを見てすごく私が思うのは、企画の段階からしっかり入ってそれが建物の設計までつなげるような仕組みができているとすごくいいものができるのではないかと思います。ただ、うまくいっているケースは少ないです。例えば、具体的な例としていいかどうかは別としてわかりやすく言いますと、地方創生で、道の駅を核に地域活性化をはかるという計画があって、それをコンサルタントが受けるとして、道の駅の設計は誰がやるのかということでつながりがない、そのつながりを持たせるというのはすごく大事なことのように思います。飯館村に行って村長と話したんだけれど、あそこは三菱総研やらなんやらコンサルタントがいっぱいやっていて、今言った道の駅を作っています。そんなもので地域の活性化になるのかなと思うぐらいなんです。
安藤:今の質問を小野田先生の立場からお願いします。
小野田:森(民夫)さんの話につなげると、最近よく話題になっているのはオガール紫波という、盛岡からちょっと南に行ったところにある紫波町の話なんですけど、そこは岡崎正信さんという地元の建設会社の息子さんが、URや清水義次さんのところで勉強されてからやられた公民連携事業ですが、それは企画から設計者の選定まで彼の所でチェックをして、建物はすごく安いんですが、たくさんの人が来てバリューが出ている。やはり、川上から川下までちゃんとやれているというのが効いている。そういう業態が少しずつ出て来て徐々に状況は変わっていくのではないかなと思っています。それともう一つ、前半に構造と計画の関係についての質問がありましたけど、私は最近構造家の先生と組んでお仕事をすることが多くなっています。これは、人口が減って建築資産がいっぱいあるので、それらの建築資産を生かして再価値化していく物件が多いからなんですね。日本は耐震規制が厳しいので、大規模改修をやって現行法が遡及してしまうと、これがコストにダイレクトに跳ね返ってくる。なので構造家の先生に先に入ってもらって構造的にいけるかいけないかなどリスクをチェックしてもらってから動くようにしている。行くためにはどのような計画が必要となるかといったキャッチボールが川上で発生するなど、構造家と計画家はすごく近くなっていると思っています。あるストックを評価していかなくちゃいけない場合における構造家の役割はすごく大きい。また、リスク社会において地震リスクをちゃんと事業の中に組み込んでいないと、イニシャルでお金を掛けるのか、それともそのまま存置させておいてとりあえず建物を使った方がいいのか、判断が要りますので、やっぱり構造家に入ってもらった方が、話が早い。
金田:設計の質をちゃんと確保しなければいけないということですが、設計の質とは設計そのものなのか、それとも建築の質なのかその辺はどうでしょうか。建築の質というのは、構造にも関わってきて川上の部分に構造に早く参加させていただけるといいんですが。構造は結構川下のあたりから参加して、こんな計画になってしまっているのということが結構多いんですけれど、建築の質を本当に高めるとしたら構造がもっと川上の方から参加できたらなと強く思うんです。設計の質とはどういう意味だったのでしょうか。
平野:非常に曖昧な言い方をしますがバリューですね。構造も当然ながら建築ですから、アーキテクチュアルな価値と関わると思っています。そのバランスを誰が取れるかという問題ですね。森さんにお伺いしたいなと思いますが、監修者、ヴァリューエンジニアが、構造家、建築家、設備系それからファンクションエンジニア系の方たちからどうやって生まれるのかということが日本ではたぶん大きな問題になると思います。エンジニアの多様化がものすごく進んでいます。音響のエンジニアとか省エネの専門家などコラボレーションするのが当たり前になっていますが、例えば設計料の問題をどうするか。これまでは施工をゼネコン側に委ねてしまったりとかあるので、それをどうしたらいいのか。
小野田:フランスやドイツ、イギリスなんかでも同じなんですれども、この期間でこの業務はいくらと、設計料がかなり明確に決められています。これは、川上にちゃんとお金を投入して、プロジェクトを全体として妥当化する志向が共有されている。日本は、設計料が元々すごく安いから、それが出来ないだけなく、様々な専門家を雇って簡易にチェックをすることすら思うように行かない。川上で、一回それを回しておくと最終的にバリューは上がるんですが。それをやれないから「本当はベストはこれなんだけど」「本当は要求水準を書き換えられると良かったのに」という言い訳が付いてくる事例が多いです。設計の質で言えば、さっきの乾さんの学校を見せましたが、最初の案ではRCで土圧を抑えてその上が木造の混構造でした。VE案ではランドスケープを調整して、ほとんどの土圧を土木で抑えて、その上に木造の在来構法を乗せている。実際にできてみると、ランドスケープと一体化して在来構法でやった方がすごく空間は気持ちいい。それはやっぱり乾さんが、良い空間を実現するために、ひな壇造成の高さに建築のレベルを合わせて、照明の位置とか家具の位置とかと外構のラインをシンクロするなどして、すごく頑張ったおかげです。コストは下がっているけどクオリティは上がっている。たぶんこういうことが設計のクオリティが高いというのだなと改めて思いました。
布野:結局土木に持っていかれていたということじゃないですか。
小野田:そうなんです、土木なんです。複雑な曲線の法面からスパーッとまっすぐな間地ブロック仕上げとしているので、土木も安くなっています。これの典型的な事例が、小嶋さん赤松さんがやられた学校です。URの粗概算によると、L2津波の被害にあわない規定の高さで山を削って高台にグラウンドと校舎を置くと、土を54万立米ぐらい動かさないといけない。小嶋さんの案ではそれを17万立米ですませています。そのために小嶋さんたちの案は並行する二つの尾根を切って、その尾根の間をブリッジで渡して、切土量を減らしている。時間のことを考えると、54万立米切るのに4年半から5年かかるものが、17万立米だと1年半くらいですむ。なので、もう子供たちがここで活動している。でも、頑張って土木の分は減らしているのに、建築にはその節約分は回ってこない、土木の切土量が1/3に減って大幅な減額が出来ているのに、建築はブリッジ状になって経費は増えている、その分は建築で何とかしないといけない。なので、内装は即物的なものになって、校長先生に怒られたりしている。その時には、土木から建築に得した分を動かせればと本当に思いました。
安藤:土木がとりあえずは問題視されているわけですけれども、非常に真面目に議論しているうちにもう時間なのでもうひとかただけ聞いて、まとめてということでよろしいですか。
水津:私は設計事務所出身の者ですけれども、今私が一番気になっていることは湾岸の超高層マンションです。発注した人間は100年後にどんな姿になっているかということは全く考えていないわけです。おそらく大変なことになるわけです。それほど悪くない発注者であればみなさんのようなデザイナーなりがほどほどにできますが、巨悪な発注者がいるわけでこういうのを今後どうやって抑えていくか。作ったものはしょうがないが、さらに増えていくようなことがあってはいけないと気にしています。発注者の責任ということであれば、もう少しその辺のことを聞かなければと思うのですが、どうでしょうか。
平野:冒頭の説明のとこで申し上げたように、コモンセンスのような共通理解が必要だと思います。ひとつひとつの努力の実例はありますが、日本はつながっていかない。日本は急ぎすぎてまだ戦後が終わってない感じですね。戦後復興の高度成長に戻そうという仕組みを作ってきたわけですが、それでは今に合わない。そのためにはあるコモンセンスを作っていくのが問題なのですが、明らかな決め手がない。しかし、さっき森(民夫)さんがいいことを言ってくれたのですが、市町村の3割だけでもその気なって流れができると、それはひとつのコモンセンスの元になっていくから、そこからコツコツやっていくしかないのだと思います。
前田:東大の野城研究室の前田と申します。実際に私は首長になりたいと思っていて、活動をしているので勉強はおろそかになっていて怒られるのですけれど、今日来て首長になるのも大事だなと思ってよかったです。質問なのですが、森(民夫)さんのように、公共工事を通して職員だったり市民が成長できるようなことをしていきたいというふうに思っているのですが、そこでシンプルな質問かもしれないですが、昔の営繕課がかっこいいなと僕は思っていまして、大きい工事があるときに臨時で営繕課を作ってそこに地元の設計者の方とか職員の方とか市民の方とかを入れて、それを通して市民の方が成長できるようなことをしたいなと思っているのですが、それは現実性はあります。
森:ありますよ。私の経験でぴったりではないかもしれないが、私は茨城県の住宅課長もやりましたが、県営住宅を有名建築家にお願いする件だったんだけれども、必ず地元の設計事務所と組み合わせて茨城県全体の設計のレベルを上げようとしました。そうすると県営住宅以外の建物にも全部影響が出て来ます。そういうふうにして育てる楽しさというのは茨城県にいるときにわかっています。それからアオーレ長岡の時は、隈さんと相談して市民のワークショップというのを開催して、アイディアをかなり取り入れています。その過程で模型の段階でやったのだけれども、決して無駄ではなくて、意味のあるソフトが充実したものだということが市民に浸透していって、名前も小学生が提案してくれるくらいまでいったわけです。だから、できるかどうかじゃなくてそれが基本だということです。それが当然のことだろうと思います。それから一言、そういう思考は建築出身の市長に向いています。なぜかというと、コスト、デザイン、構造の安全、相矛盾する価値観を総合するのが建築です。それは行政そのものです。
安藤:前田さんは徳島出身ですから、近くの人はいろいろアドバイスをして上げてください。
森(暢):価値のあることを総合する仕事というのはものすごく価値のあることです。事例でいうと、消防の人は楽なんです。消防の安全だけ考えればいいわけですから。コストも何も無視していいのだから。本来我々は苦しむ立場にいるのだけれども、それが人格を形成する方法です。
安藤:斎藤先生最後になにかありますか。
斎藤:今日お配りしたチラシを見ていたのですけれど、今日は第6回、第1回、2回が新国立問題でやったのを思い出したのだけれど、たまたま中でやった最初のパネルを見返して、今現在は東京都主導でオリンピック施設が3施設動いている。外から見たり一緒にやったりすると、二回設計しているんですが、監修というは如何なものか思います。新国立のA案とB案、設計施工一括方式とあるのですが、今日は一回も出なかったので、あのやり方がどう思うかということを本当はお聞きしたかった。特殊な例かもしれませんが、大きなプロジェクトなので議論すべきかと思いますた。
安藤:そのうち共同のやり方みたいなものを議論したいと思います。デザインビルドもそうなんですけれどBIMなんかも出てくると思うので、いずれ取り上げていきたいと思います。今日はパネリストの先生方おかげで長い時間かかりましたけど良い議論ができたと思いますが、まだまだ足りない部分があります。例えば、示発注者と受注者がそれぞれの戦略を持って、自分の利益やリスクの削減で主体的に行動できる仕組みというのを外国は作り出しています。二段階方式もその一つです。定石もあります。日本はとりあえずECIでやれば不落不調のリスクが減るんだとそういう理解をしていたりするので、このへんは続けてやっていきたいと思います。それからもう一つ、日本は受注者と発注者のどちらが強いのか、どちらが有利かということが語られているのだけれど、実は共通言語が存在してないのと、中立的で第三者的な専門性がない、コンサルが立ってない、ここにやはり大きな問題があると思うのでこれもいろんな形でまた取り上げていきたいと思います。今日は本当にどうもありがとうございました。
(原稿整理 長谷部勉:文責 布野修司)
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