海外建築事情
NUS的建築教育
NUS Architectural Education

シンガポール国立大学(National University of Singapore、以下NUS)デザイン・環境学部建築学科(School of Design and Environment、 Department of Architecture)で教員を務めて4年目になる現在、NUS的建築教育に関して考察してみたい。

Architecture Curriculum-建築学科のカリキュラム

NUSのデザイン・環境学部には4つの学科が存在し、建築学科はその中で最も生徒数が多く、1学年に約120~140人の学生が在籍している。NUSは英国におけるRIBA(Royal Institute of British Architects)の教育システムを導入しているために、学部3年+修士2年のカリキュラムで構成されているのだが、実際には5年生のみが修士プログラムに相当し、学部から修士への移行は曖昧である(図1)。これは、3年生の最後に行われるRIBAパート1(後期スタジオ課題が評価の対象となる)の審査に合格して資格を得ただけでは就職活動が困難であるために、ほとんどの学生はRIBAパート2(修士論文+設計“シーセス”の評価)が行われる5年生までの教育を受けなければならないことが影響していると思われる。1~5年生にかけて学生の入れ替わりが少ない上に、学部・修士間の移行がシームレスであることを踏まえると、シーシスを念頭に5年間の建築教育をデザインすることが重要だと個人的には考えている。なお、NUSは設計スタジオが軸に他の授業が構成されているということも特徴といえる。したがって、他の授業とスタジオとの密なるコーディネーションが必要不可欠になる。この他に、建築学科にはランドスケープ(MLA: Master of Landscape Architecture)とアーバン・デザイン(MAUD: Master of Urban Design)ならびにアーバン・プランニング(MUP: Master of Urban Planning)のプログラムも存在するために、修士の時点で建築設計からパス変更が可能であることは、NUSの魅了でもある。

図1 建築学科のカリキュラム

この4年間で毎年担当してきた授業は、1年生の設計スタジオ(Design studio)、2年生の都市デザイン・計画演習(Theory of Urban Design and Planning)、4年生の都市理論演習(Theory and Elements of Urban Design)、5年生のシーセス(Thesis)、MAUDプログラムのサステナブル・デザイン(Sustainable Urban Design and Development)になる。この中から設計スタジオとシーセスを説明した上で、2017-18年度に新しく導入される授業を通し、変革期にあるシンガポール社会とそれに伴って影響するNUS的建築教育の可能性を探る。

Foundation Year Design Studio-設計スタジオ

1年生の設計スタジオは2015-16年度に変革が行われ、副コーディネータとして建築デザイン・ペダゴジーを再考する機会が与えられた。伝統的な設計製図を教えることも大切だが、今日における複雑な社会と影響する空間概念、そして建築の多様性を学生に理解してもらいたく、前期13週間(8月から)では大学内外の様々な専門家とコラボレーションしながら合計12の設計課題を与え、議論が展開されるスタジオを目的とする。したがって、各課題は1週間で完結するフォーマットを取り、個人ワークかグループワークかは課題内容によって異なる。図面の描き方や模型の作り方は、課題を通して徐々に教えていく。なお、スタジオは12人の教員でチーム編成され(チュータ1人当たり10~11人の生徒を担当している)、チームは1年間継続される。NUSには研究室制度がない代わりにスタジオで担当する学生が研究室メンバーのような存在になり、ここで信頼と絆が深まる。
月・木に行われるスタジオは、前週の木曜日に課題が与えられ、学生は週末中に関連する資料を読み込み、月曜日から作業に入り、木曜日には終了する。木曜日の夕方になるとスタジオは混沌としているが、5時半に鳴らすベルで一斉にパネルのピンナップが行われ、学生はお互いの作品にポストイットを使用しながらコメントをつけることで講評会になる。後日、課題提供者(専門家)が全作品の中から3~5個程度のレッドリボンを与えることで優秀作品が決まるのだが、これによってベンチマークが決定するために、学生にとっても課題の本質を理解する上で参考になるのである。(図2~8に授業風景といくつかのレッドリボン作品を示す。)

  

図2 スタジオ風景

図3 ピンナップによる講評会

初めての模型作りとパネル作成
図4 第1課題:「Ethics」

初めての実地調査とそれに基づくプロポーザル
図5 第2課題「Elements of Architecture」

実測したショップハウスのアクソメとパースの練習
図6 第6課題:「Documenting and Presenting」海外フィールドサーベイ(ペナン島)

模型:左から右に向かって増築過程を表現している
図7 第7課題:「Incremental House」空間の関係性を設計する

図8 第9課題:「Material」新しい建築マテリアルの提案

ブレインストーミングからデザインに落とすといった作業を繰り返し行う思考実験型の前期に対して、後期13週間(1月から)は3つの課題で構成されている。都市スケールから始まり、住宅スケール、そして最後に身体レベルにスケールダウンすることで学生はディテールを学ぶ。都市スケールでは、アーバン・マッシングを学んでもらうために、既存の市街地(直径500m)を選定してその範囲内に存在する現状の都市プログラムを計測し、量を変えずに質を向上させるといった課題を与える。つまり、同値の容積率・延べ床面積であっても建築のマッシングによって異なる空間が創発されることを体感してもらう(図9)。

図9 アーバン・マッシング

住宅スケールでは、各々が他の学生の建築家になり施主の要望を聞き入れながらデザインを行い、同時に別の学生の施主になることで建築家との対話を図り、双方の立場を理解することを目的とした課題設定になっている。コミュニケーションを繰り返し、試行錯誤の元に住宅が完成される。最後の身体スケールでは、建築の寸法とディテールを駆使した小さなパビリオンを設計し、実寸大模型を製作する(2015-16年度では)。その過程で構造の授業と協同し、構造や工法のコンサルティングが行われるのである。そして、最終課題の終了は同時に人生初となる建築展覧会のオープニングになる(図10)。

図10 パビリオンの展覧会風景

Final Year, Thesis-シーセス

5年間の建築教育の集大成となるのが、シーセスである(図11)。シーセスは本来、修士論文(2017-2018年度から廃止)と修士設計が関連していることが望ましいのだが、なかなかそう上手くはいかない。設計のみを切り離しても良いが、厳密に捉えるとシーセスには命題を立てることが前提とされ、それをデザインで答えるわけだが、ここでしっかり理論を構築しなければ命題は空間的に乖離してしまう。図面やパネルボードを使わずに言葉のみで発表する学生がその典型と言えるだろう。とはいっても、命題から理論構築、そしてデザインまで全てが結びついている案は一握りで、各々の役割を考え、丁寧に教えることはデザイン教育において大きな課題である。
シーセスをどう捉えるのかは、教員によって様々である。自分の研究あるいはプロジェクトと直接関連させる教員もいれば、完全に学生主体の教員もいる。前者の場合には教員がテーマを与えるために敷地なども決定されていることが多いのだが、シーセスとして成立させるためにはいずれにしても学生による命題探しの長い旅が始まることに変わりはない。個人的には後者のスタイルを好んで採用している。シーセスの全過程における学生との対話は新鮮で勉強になるために、これは教員にとっても思考のステップアップだと思っているからだ。新たな理論が創発され、次の課題を投げかけてくれるのである。そして、ここで学んだことは他の授業へとフィードバックされる。

a) Junk Island: Architecture as a tool in territorial negotiation between Singapore and the Rohingya refugees (by Genevieve Ang Gia Hui)

b) SINGMALALAND (by Izabel Cheng)

c) The Cloud & The Cities (by Ngiam Kia Hong)
図11 シーセスパネル(ボードはRIBA規格の1.8m×1.8m×3枚)

Introduction to Urbanism-アーバニズムの導入

2017-18年度から新たに導入される3年生必修科目の授業を任されている。Introduction to Urbanismである。これは自分のたっての希望で教鞭を執ることになった。それは近年徐々に体感しているシンガポール国内の経済不況に端を発する。シンガポールは独立後に急速な経済発展を遂げたが、近年、成熟していく一方で経済成長幅は縮小しており、建設業にも影響を及ぼしている。シンガポールの建設事業は縮小傾向にあり、かつての高成長が継続することは望めないという新たな局面を迎えているために、海外事業の拡大に力を注ぐ方針でいる。こうした動向の中、建築教育において大学が掲げる特異性(NUSは建築テクトニックに焦点を当てようとしている)も必要だが、それと同時に不確定な社会の変動に対応できる柔軟性も必要不可欠だと考える。
他方でシンガポールはアジア地域、特にASEAN域内で知の拠点になっているために経済のみならず、建築・都市分野においても影響力は強い。ハワードの田園都市論、ペリーの近隣住区論、そしてオランダのランドスタットを見事に融合させ、実現させているシンガポールの都市プランニングは賞賛に値する。しかし、残念ながらそこに「アーバニズム」という概念はほぼ存在しない。アーバニズムとはヨーロッパの建築分野における都市計画全般に使われる概念であり、建築・都市を人間と社会を繋げる「システム」として捉えるものである。具体的には、都市機能(建物、インフラ、土地利用等)を独立した層として捉えるのではなく、一つの系として理解する空間概念を意味する。そして建築、都市、ランドスケープをスケールといった尺度類型に分類するのではなく、これらを同等に扱い、人間と社会との関係を描きながら物語性を持ってデザインすることが、アーバン・デザインである。今後のシンガポールは、アジア人的行動パターンを考慮しながら風土に見合ったアーバン・デザインを展開させていくことが、課せられた命題の一つであるといえよう。Introduction to Urbanismは以上のことを踏まえて理論から実践、デザインへ繋ぐためのプログラムであり、3年生の設計スタジオと協同しながら授業を進める。

Asian Urbanism-アジア版アーバニズム

先に述べた社会変動を巨視的観点から見ると、アジアでは農村部から都市部への大規模な移動が加速的な人口増加を招き、今もなお急速な都市化が進行している。これは、人口減少時代に伴って市街地の縮小問題が主たる都市課題になっている日本やヨーロッパとは真逆の現象である。ASEAN域内もまた、急速な都市化を招いているためにシンガポールの都市モデルは近隣諸国の模範となり、現在、大量に複製されながら今後も複製され続けるであろう。シンガポールは先進国として、指導的立場であり続けることが予測される。
国内における建設事業の規模縮小は免れないだろうが、こうした時代だからこそアーバニズムを考慮した都市プランニングを再考する機会が与えられているのかもしれない。近隣諸国で大量複製されている建築・都市にこの空間概念が導入されると、人間と社会とを結ぶシステムが確立されることになる。それはヨーロッパの空間概念とは異なるものになるであろう。今後のNUS的建築教育によってアジア版アーバニズムを提唱することができれば、シンガポールはこの分野で更なる進化を遂げるものだと私は考えている。

田村順子

シンガポール国立大学建築学科講師。1977年ジャカルタ生まれ。ベルラーヘ・インスティテュート(オランダ)修了後、MVRDV勤務。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。東京大学特任助教をへて現職。専門は都市解析と世界のスラム・低所得者住宅の空間分析。

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