連載第2回/2015年3月28日/設計:森田一弥
「…えーっと、何とかようやく40号線に戻りましたね。このまま40号線にのっていけば、着くと思います」
「あー、ほんまや、あそこに40って書いてあるわ」
「あれ、速度制限標識です…」
「(後部座席3人)プッッ、クククッ……」
2015年3月下旬の暖かな日、地下鉄北大路からタクシーに乗った僕たちは、なんと京都最高齢(90歳!)のおばあちゃんタクシードライバーに身をゆだね、建築家森田一弥さんのご自宅を目指しています。
そうです、今回もぼっこでっこ建築隊がやってきました。ぼっこでっこ建築隊とは、建築家が設計した住宅に料理と酒を持参し、食事のひとときを通じて住空間をも味わおうと目論むパーティなのであります。先ほどから後部座席で失笑している三人は、いつものメンバー、ヤベ隊長、オクワダ隊員、ブン隊員。
助手席でナビをしている僕(オオタ隊員)は、細い電波をなんとか受信しようと、スマホを振ったり、天井に近づけたりと苦心していたのですが、結局迷ってしまったのでした。
ようやく着いた森田邸のある地区は、京都の北、天狗で有名な鞍馬から山を挟んだ東側に位置し、本来なら車で20~30分もあれば、京都市内に出られる距離。
便利な立地でありながら豊かな緑に囲まれており、そこここに建つ築百年以上の日本家屋や石垣が、今なお「古い集落」の面影を色濃く残しています。
おばあちゃんドライバーをみんなで見送った後、牧歌的な道をぶらぶら歩き、なだらかなスロープを上がっていくと、森田さんが穏やかな顔で1階事務所に迎え入れてくださいました。
事務所には大きな掃き出し窓がついており、そこからは日本の原風景をパノラマで見ることができます。瓦屋根の家々が立ち並び、向こうには植林された杉山が、青空との稜線をくっきり浮かび上がらせており、仕事するには最高の環境です。
ブン隊員の少しの遅刻と、僕の大いなるナビミスのせいで、みんなお腹がペコペコ。早速、昼食を頂きます。ビール、ワイン、デパ地下のおいしい惣菜を机の上に所狭しと並べ、素朴な景色を眺めながら、みんなでゆったりランチを楽しみます。
食べながら色々お話を伺うと、そもそもこの森田邸も大正10年頃築の建物を買取り、少しずつリフォームを加えていかれたとの事。今いるこの事務所も前は納屋だったところを改装されたそうで、見上げると天井にはボールの跡という、腕白な名残がありました。
もう一つこの事務所の大きな建築的エレメントは、手作りの暖炉。
事務所隅に配置されたコンクリートブロック積みの自作暖炉は、目地がとても細く美しい仕上がりです。これは同時に、接着に使うモルタルが最小限に押さえられているという事を意味し、見た目にも機能的にも完璧です。
大学で建築を学ばれた後、左官職人の修行もされていたという、異色の経歴をもつ森田さんは、暖炉を自作してしまうなんて事は朝飯前のようで、事務所においてあるドーム状の模型は、なんと厚さ3mmの左官仕上げで作られていました。
柔らかい午後の日差しを受けながら、おいしいお酒と食事、楽しい会話、薪のはぜる音とそろえば、そろそろギター出しても、いいかな?
しかし、ギターケースを開けてびっくり! なんとギターのネックが折れていたのです。これは前回のhoujuにお邪魔した帰り、どうやら酔っ払ってコケタ時にできた名誉の負傷。みんなからの非難の嵐の中、やさしい森田さんは手持ちのインパクトドライバーで、ネックと本体をビス打ちしてくれたのでした…。
ひとしきり宴が落ち着いた所で、事務所以外の住居部分を見学させていただきました。
外観はあまり大きく手を加えておらず、雨対策として屋根はグレーの金属板に葺き替え、壁を補修した程度で留めており、周りとの調和が崩れていません。
昔ながらのゆったりした玄関からお邪魔させて頂き、正面のガラス戸を開けると、そこには青と白のツートンで鮮やかに彩られたタイル床が象徴的な、キッチン・ダイニングがあります。
キッチン正面のガラス窓には、この地区の特徴である苔むした石垣が自然に埋もれるように迫っています。天井の天窓だけでなく、この石垣の光の反射が、キッチン・ダイニングを明るくする大きな要因です。そんな空間に、ラグと長テーブル、黒い薪ストーブなどがとてもマッチしていました。
キッチン・ダイニングの隣には、奥行きを凸凹にした本棚が面白い書斎・勉強室があり、壁の落書きから、子供さんが好きなようにこの家と向き合っているのが、垣間見えました。
キッチン北東側はトイレ、洗面室、浴室となっており、家事動線がスムーズです。
この洗面室の床は、足裏の感触がたまらなく心地いい、なぐり仕上げの床材。隣接するキッチンのモザイクタイルとの肌触りの変化がとても面白かったです。
壁はキッチンと同じ漆喰で、空気が柔らかく感じます。浴室からも石垣が見え、ゆったりした入浴が楽しめそうでした。
キッチン・ダイニング西側はリビングが2つあり、何とも贅沢な広さ。剥き出しの丸太梁が、歴史とダイナミックさを空間に与えます。ここでも、切り取ったような開口部の先に石垣が見え、一幅の絵画のようでした。
2階はこれからリフォームされるご様子でしたが、眺めはやはり最高です。隣家の屋根をみてヤベ隊長が「自分の設計する家は瓦屋根にはあまりしないけど、隣家が瓦屋根の借景は最高ですよ」といったのが印象的でした。
一通り、お宅を拝見させてもらい事務所に戻ってから、トイレをお借りしました。「事務所のトイレは屋外なので、一旦出て東側に回って」といわれ行ってみると、そこにはドーム型のトイレが。しかも薄いレンガの平板を匠の左官技術で、小口側の接着だけで積み上げているではありませんか! カウンターに取り付けた照明電球の防水はコップを逆に被せているだけ、というのもイカシテマス。
トイレから戻り、皆に感動を伝えると、森田さんの新たな経歴が明らかになりました。
2007年と2011年、森田さんはスペインに留学と客員研究員として合計2年滞在されたそうで、その時にカタルーニャ地方発祥の「カタラン・ボールト」という工法に出会い、学ばれたそうです。
この「カタラン・ボールト」とは、イエッソという速乾性がある石膏の一種を使い、薄レンガを型枠無しに接着していく工法で、通常では難しい3次曲面などの形状も作ることができます。
もともと日本の左官技術をお持ちだった森田さんは、この工法に興味を持たれ、現地の職人さんに現場も見せてもらいながら、少しずつ習得されたそうです。本当にバイタリティー溢れる経歴に脱帽しました。
トイレのドームだけでなく、事務所にある3mm厚のドーム模型も、このカタラン・ボールトの計画らしく、繊細さと技術力の粋を集めた計画となりそうです。
話は戻りますが、森田邸について気になった所の一つに、キッチン・ダイニングの床があります。
フローリングでなく、あえて床一面に青と白の25mm角タイルが敷き詰められており、「このタイルの使い方も、森田さんのスペイン経験が元になったのかな?」と思ったのですが、床暖の効きを想定して用いただけで、スペインとはあまり関係ないとのことでした。
ただ、部分的に何かの模様がみえるので聞いてみると、森田さんの作品のひとつである、イスラム研究者の自宅「shelf-pod」で、テーブルに埋め込んだタイルのパターンを拡大して敷設したそうです。残念ながら家具などがあり、全容は見えませんでしたが、真上から見ると、オスマン語で「召し上がれ」という意味を持つらしく、カッコイイデス!
この西洋と東洋の文化が静かに融合した空間は、雰囲気がなんとなくホッと落ち着く、昔ながらの“おばあちゃんの家”を思い出させます。
もちろん、建具や素材など日本独特のカラーを持つ建築要素の影響もあるのですが、それだけではない何かが“おばあちゃんの家”の空気感をかもし出しています。
最初は、「あえてモザイクタイルを使われたからかな?」と思いました。なぜなら、最近ではコスト的にも手ごろで、メンテナンスも楽な300角タイルなども多く使われ、見慣れているからです。
「当時はどうだったのだろう?」と疑問に思ったので、今回某タイルメーカーに問い合わせてみました。すると、やはり量産の300角タイルが出回りだしたのが、1980年代くらいだそうで、それまでは大判のタイルは公共施設などをメインによく使われたようです。
つまり、古い日本家屋に大判のタイルという取り合わせは、当時あまり存在しなかったともいえます。
しかしそれだけでない様な気もして、今回写真をよく見直しました。ふと思ったのが、タイルの質感でした。
通常、水周り床などにタイルを使う時、メーカーは防滑タイプを推奨します。しかし森田邸のタイルは、昔ながらの釉薬塗りの光沢タイプ。この濡れたような質感が、僕の中で、少し薄暗い“おばあちゃんの家”の水周りイメージとシンクロしたのだと納得しました。
ちなみに、森田さんにタイルの色を青と白にした理由をたずねると、「イランやトルコの建築でもあるように、青は釉薬タイル独特の色だと思うので」という回答でした。
日本に伝わってきた焼き物の歴史を見ても、白地に青または藍色染付けのものは、シンプルで固有の存在感があります。
もしかしたら、この色合いの歴史的な背景も、潜在的に日本の古き良き時代の建物とリンクしており“おばあちゃんの家”を想起させているのかもしれません。
(湯気が立ち上がる中、親戚の子達と一緒に入るお風呂が僕は大好きでした。その風呂場の壁にモザイク貼りされた豆タイルの中、一枚だけある大きめのタイルには、青色で染め付けられた富士山が立派にそびえていました。)
そんなこんなで、ほろ酔いの中、建築もしっかり学ぶという心地よい時間は、空に夕闇が迫り、夜の帳が下りても、しこたま買い込んだ酒がなくなるまで続くのでありました…。
隊員:矢部達也(隊長)、岡文右衛門、奥和田健、太田康仁、石井良平(顧問)
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