第13回けんちくとーろん(AF=Forumアーキテクト/ビルダー研究会Architect/Builder Study Group共催)建築の設計と生産:その歴史と現在の課題をめぐって05
建築家の終焉!?―「箱」の産業から「場」の産業へ
The end of the architect! Is it? - From "box" industry to "place" industry.Architectural Design and Build: Its History and the Present Issues 05.

コーディネーター:安藤正雄、布野修司、斎藤公男
パネリスト:松村秀一、大島芳彦、島原万丈

参加者:金田勝徳、和田章、吉田倬郎、深尾精一、宇野求、多田脩二、広田直行、山岸輝樹他
記録:長谷部勉、米田葉子

日時:平成29年4月3日(月)17時30分~
会場:A-Forum(東京都千代田区神田駿河台1−5−5レモンパートⅡビル5階)

主旨
本シリーズ第1回目、2回目では、新国立競技場建築プロジェクト、そして東京オリンピック関連施設を例にとり、デザインビルドあるいは設計施工一括方式を巡る諸問題について議論した。本シリーズを通じた目的は、建築生産方式(=プロジェクト方式=発注方式)の多様化の必要性と課題を確認し、デザイン、エンジニアリング、コンストラクションの創造的協働の未来像を展望することにあるが、設計と施工の分離を前提とした伝統的な専業の枠組みが侵されていることがまず議論の焦点となった。シリーズ第3回では、「日本の住宅設計生産と建築家」をタイトルに、町場における建築家の役割をめぐって議論したが、アーキテクトの役割が再確認される一方、その未来についての展望は必ずしも明らかではなく、住宅芸術論、「最後の砦としての住宅設計」論、アーキテクト・ビルダー論、地域住宅工房論の帰趨ははっきりしない。むしろ、浮かび上がった大きな問題は現場の劣化、建築技能の衰退である。そこで第4回は、木造住宅の設計と施工の問題に焦点を絞って議論したところ、それ以前に、在来木造そのものの設計と施工が大きく変質していることが確認された。さらに重ねて議論することとしたが、ひとまず、前回予定した、すまい、まちの再生というテーマを念頭に、町場におけるアーキテクトとビルダーについて議論したい。「町場」という言い方が既に建築をつくる側の設定であるが、そういう時代ではない、というのが松村秀一『ひらかれる建築―「民主化」の作法』である。
第5回は、この松村秀一の提起をめぐって議論を深めたい。

布野修司

布野:それではこれより始めさせていただきたいと思います。今日のコーディネーターは、安藤先生と2人体制で行いたいと思います。前半のパネリストの紹介部分まで私が行います。安藤先生にはディスカッション部分をお願いしたいと思います。私はディスカッションに加わりたいと思います。アーキテクト/ビルダー研究会のシリーズは今日が5回目になります。建築の設計と施工、生産の問題を掘り下げるということで、最初の2回は新国立競技場のデザインビルドについて討論を行いました。続いて、「町場」の問題も是非やろうということで、3回目に、「家づくりの会」を中心に行いました。その次に今日のリノベーションの問題を1月9日に予定していましたが、松村先生が大変なご病気をされてやむをえず延期した次第です。幸い元気に回復されて今日来ていただくことができました。まず、松村先生の新刊『ひらかれる建築:「民主化」の作法』についてお話を聞いて議論を深めていきたいと思います。そして2人パネリストよしてお呼びしているのは、『ひらかれる建築』でいうといわゆる第3世代のホープである、大島さんと島原さんです。大島さんは、先日のNHKの「プロッフェショナルの流儀」(2017年1月14日放映)に出演されました。溢れんばかりのオーディエンスが予想されたのですが、ここでは議論を残したいということで、人数を制限させていただきました。この議論は、これまで同様、建築学会とA-Forumの共催ということで記録させていただきます。
それでは斎藤先生からこの場、A-Forumについて説明をお願いします。

斎藤公男

斎藤:みなさんこんばんは。このA-Forumに何度も足をお運びいただきましてありがとうございます。初めての方もお越しいただいて、大変ありがとうございます。私、和田先生、神田先生、そして金田先生の4人でこのA-Forumを立ち上げました。名前も少し変わっておりますが、建築の分野は大きくアーキテクトとエンジニアに分けられると思うのですが、そういう枠を取り払って、設計、生産の融合、抽象的ですが、建築と技術のコラボレーション、総合化の問題について討論を行うということでございます。松村先生だけでも時間が足りないとは思いますが、今回は講演会ではなくフォーラムですので、フォーラムの場としてみなさんに楽しんでいただきたいと思います。どうぞよろしくおねがいします。

布野:ありがとうございます。それでは早速ですが、松村先生からよろしくお願いします。

ひらかれる建築―「民主化」の作法:松村秀一 (東京大学)

松村:松村です。よろしくお願いします。どうして大島さんと島原さんにお越しいただいたかということから説明させていただきます。大島さんは、2002年頃コンバージョンの研究をしている時、不動産関係のセミナーに呼ばれまして、すでにコンバージョンの実践を始めている人がもう一人の講師で、それが大島さんだったというのが最初の出会いです。それ以来リノベーション関係で色々とお付き合い頂いております。島原さんは、僕が初めてお会いしたときはまだリクルートに勤めていらして、リノベーション系で全国各地の面白い人のところに行きたいけれどどこに行けば良いでしょう?と相談させて頂きました。その折に熊本とか長崎とか一緒に旅をさせていただきました。一昨年9月に『Sensuous City[官能都市]』(LIFULL HOME’S総研)という書籍を出されて、それが人気を博して今では週1は必ずどこかで講演会を行っているということです。これの報告書が送られてきたときに中身を読まないまま、感動しました。(笑)表紙の写真がセルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンが1970年代の日本でデートしているもので、バーキンのおなかが大きいのですが、このときシャルロット・ゲンズブールを身ごもっていたという、最高にかっこいい写真が表紙に使われていて感心したのです。今日はその中身のお話をして頂けると思います。

私は『ひらかれる建築:「民主化」の作法』という書籍を昨年筑摩書店から発売したのですが、この本の話をします。「民主化」をキーワードにしたきっかけは、リノベーションの世界を切り開いてきた人の1人中谷ノボルさんと大阪で比較的少人数のシンポジウムを行った際、中谷さんから、「先生、今起こってることを一言でいうと『民主化』ですわ。」と言われたのです。例えば、「セルフ•リノベーション」、あるいは古いマンションを購入してきて、その内装を自分の好きなようにリノベーションすることとか、中谷さんが仕事の上で相手にしている人たちの世界で起こっていることを指してそうおっしゃったのですね。なるほどと思っていたのですが、よく考えると、民主化って昔からテーマじゃないか?ということで、近代には近代の民主化があり、脱近代には脱近代の民主化があり、そして今の中谷さんが言うような民主化がある。これらを第1世代、第2世代、第3世代と分けて考えることにしました。
「第1世代」は日本だと1960年代、いわゆる高度経済成長期。住宅に関して言うと1963年住宅が日本に2110万戸しかないんですね。今は6000万戸を超えていますが、その3分の1しかありません。世帯の数が2180万世帯ですから、当然1世帯1住宅という考え方で行くと、そもそも量的に足りていない。この時代の民主化のテーマというのは、「人々にある程度近代的な生活をみんなできるようにきちんとした『箱』を届ける」というものだったんですね。それはいわば民主化のベースをつくる作業として、社会的に必要だった。この時代を象徴するものが例えば「団地」「マス•ハウジング」ですね。それはなぜできたかというと、家族が「モデル化」できたからなのです。こういう人たちは、画一的にモデル化しても誰も特段文句も言わないし、概ね合っていた、という時代ですよね、おそらく。もちろん個々の家族に個性はありましたけれど、今と比べると単一のモデルにしやすい時代。それに向けて、マス•ハウジングをしていく。だから急いでつくらなければいけないためにプレハブなんかも出てくることになってくる。これが第1世代です。(図-01)

(図-01)

さて、その後こうした近代の動きに反省がいろいろ出てきて、私が学生の頃にいわゆる「脱近代」「ポストモダン」の時代に入ります。この第2世代は大体1980年代、90年代だと思うのですが、1988年を例にとると、住宅の戸数がさきほどの2倍になっている。4200万戸。世帯の数が3789万世帯で、引き算をするとすでに420万戸余っていた。この時点で実は空き家も相当存在していたし、ストックの量というのは、家族の数を単位とすれば、それをはるかに超えただけの量を、さきほどの第1世代の勢いで造り出したんです。数が足りた第2世代には産業的にもテーマが変わってくる。これは当時の積水ハウスさんが写した写真ですが、何を意味しているのかというと、「星田さんには星田さんの暮らしがあって、星田さんのお宅というのは、田中さんのお宅とも佐藤さんのお宅とも違うお宅を我々はつくっています。」ということです。つまり、「個別化」とか「多様化」とかいうことがテーマになってきた。これは「多品種生産」、あるいは「マスカスタマイゼーション」というものです。驚くべきことに、例えばある住宅メーカーの工場が1990年頃にデータ管理している部品の種類が、200万種類を越えていました。10年前は万にも達していなかった。数千種類の部品で住宅をつくっていたのが、1990年頃になると200万種類の部品でつくっている。これはつまり、種類がないということだとも言えます。こういう多品種生産方式とかマスカスタマイゼーションとかがどう出来ていたかというと、これは注文受注生産だということです。注文がきてから、その部品をつくる。ここはかなりITの技術なんかも手伝っていて、それまではすべて見込み生産、棚に一旦つくったものを入れて、棚からいるものを取っていくという形が、星田ファミリーから注文が来たら、星田さんが欲しいトラスをつくる、という方式に変わっていったんです。こういうことを、大企業の積水ハウスだけがやっていたかというと、この時期に工務店の世界でも、「プレカット機械」というものが始まっていました。しかも全自動のCADCAM型と呼ばれた機械です。今で言うと当たり前ですが、大工が柱梁を切り刻んでいるというのがほぼ無いことになってきている。これになると、年間1戸2戸しかやっていない工務店でも、地域にあるプレカット工場に依頼すると、依頼した通りに加工された材がでてくる。それを全自動のマシーンがつくれるようになっているんです。だから、大きな会社ではなく、小さな会社でもこういう多品種生産方式的な技術を享受できる時代になった。このとき箱の産業が完全に完成した、いうのが私の考えです。みんなに一応違うものを届けている一方で、量産も成り立つという産業の姿が整ったということです。そのことによってストック数はもっと増えていくのですね。 (図-02)

(図-02)

そして今、第3世代です。第3世代の民主化の時代というのは「今」ですから、全く違う状況になってきているというお話になります。住宅の数は2013年の国の調査では6060万戸、世帯数が5025万世帯で、引き算すると800万以上。実際空き家の数を統計上政府は820万戸としているので空き家率は14%くらいだと言っているわけです。空き家が何戸あるかはとりあえず置いておいて、ストックはそれだけ十分ある。その時代に、どんなことになってきているのかというのは、先ほど申し上げた、大島さんの活動あるいは島原さんに案内していただいて色々見て、聞いていくと、全く違うことになってきているな、と。1つは、建物だけじゃなくて、知識も技術も十分なストックが今の日本社会にはあり、建築的に身の回りの環境を整える技術がある。経済成長期ではステレオタイプの生き方が想定されていましたし、実際そうだった。だけどここから先、一体何歳まで生きるか分かりませんけれど、どんな風に生きていくのかっていうのは相当考えなければならない時代になっているわけですね。今の若い人たちはもっとそうで、つまりどうもいろいろ見ていくと、今の時代の圧倒的テーマが「人の生き方の問題」だと。僕が若い頃は生き方は実はそんなにテーマになっていなかったんじゃないか。今は人の生き方がテーマなので、この十分なストックをその生き方の実現に利用する構想力というのが大きな位置を占める時代になっている。ここに私たちは注目しなければならない。これは1970年前後の頃のような政治的な動機付けとは全く無関係。つまり反体制であるとか、世の中がこうだから嫌だとか、ドロップアウトするとか、そういうものじゃない。自分の生き方を自分で見つけて、割と気軽に自然に個人的な動機付けでなにかをやっている、という時代に入ってきているということに、違う時代になったなという強い印象をを受けています。(図-03)

(図-03)

そしてその背後にあるのは、日本の豊かな「空間資源」。例えばこれは自分で計算して驚いたこなのですが、アメリカが1人あたり0.42戸住宅を所有している。日本は同じ時点で比べてみると、1人あたり0.48戸の住宅を持っていんたんです。驚くべきことだと。何故かというと、アメリカの住宅は第二次世界大戦で一般の建物は殆ど打撃を受けていません。一方の日本は大きな都市は焼け野原になりました。つまり日本は戦前のストックを引き継ぐことがあまり無くやってきた国。アメリカはそうではなくて、戦前の建物をそのまま戦後もストックとして引継いできた国なのです。尚且つアメリカの住宅市場というのは、今でも新築市場が年間100万戸あります。リーマン•ショックの後には50万戸近くになりましたけれど、常時100万戸〜200万戸というとても旺盛な新築を続けてきた、そのアメリカで、戦前からストックがあって戦後もたくさんつくったアメリカで、0.42戸なのに、戦前のストックを多く引き継ぐことのなかった日本が1人当たり0.48戸も所有しているという事態を、感謝なく語ることはできない。要するに、全員が投資してきた訳ですよ。国民全員が。そのことに対する感謝なく、ストックを「空き家で困ったから壊す」とか言っている場合じゃないだろう、というのが1つの考え方としてはあります。(図-04)

(図-04)

空間資源があれば、利用の構想力を働かせる人が出てくる。典型的な例はアーツ千代田 3331です。中村政人さんというアーティストが前々から上野と秋葉原の真ん中あたりに、世界中からアーティストが集まれる「アートセンター」があればなあという構想を持っていた。そこにたまたま廃校となった中学校がポンと現れた。千代田区がサブリースでこの学校を丸ごと誰か家賃払って事業をしませんか?という募集をした。このときに中村さんが、清水義次さんと「コマンドA」という事業会社を設立して事業提案をし、見事にプロポーサルが通って、2013年時点で年間80万人が訪れるアートセンターに姿を変えている訳です。この話はいつでもするんですけれど、これが「利用の構想力」だと。つまり建築のプロじゃない空間の利用者の構想力がこの事業を動かしているのであって、この後もちろん日大の佐藤慎也さんが設計に関わられていますけれど、このプロジェクトを成立させる、あるいはこのプロジェクトを成功させる力というのは、中村さんの構想力一点に集約できる、と思います。そういう意味で、こういう事柄を動かすのに「利用の構想力」、それは建築のプロの話ではない、ということですね。箱の産業の時代には我々がプロとして建築の世界に携わってきたけれど、こういう「場」の時代になった時どうだろうかというのが次の話です。(図-05)

(図-05)

今のが、廃校をアートセンターに変えた利用の構想力の話です。これは中村さんの特殊な例なんじゃないかと思われるかもしれませんが、そうではないことがだんだんと分かってきました。例えば、賃貸の世界で過去10年くらいに面白いことが起きている。実は、長い間賃貸の世界というのは誰も研究対象にしていなかった。誰1人面白いと思って語っている人なんていなかった。賃貸と言ったら、「ああ、賃貸ね。何回か住んだことあるよ。」位のものだった。ところが大島さんらが筆頭に賃貸の世界で「カスタマイズ」、あるいは「リノベーション」、そしてそれが「セルフ•リノベーション」になっていく様なことを許容し、また仕掛けていく賃貸をどんどん市場に出していった。2010年島原さんが『愛ある賃貸』という、賃貸に関する、今ではバイブルになっているレポートをリクルート総研から出された。「賃貸は愛だ」とおっしゃった。それで実際目覚めているオーナーがいるんですね。左上の写真のマンションの経営者だった青木純さんなんか、若い賃貸オーナーでしたが、島原さんのレポートを読んで、俺に愛はあったか?なんて問い直し、愛ある賃貸ってどうやったら出来るんだろう?そんな幸せなオーナーになりたい、というので、ああいうオーダーメイド賃貸とか、セルフ•リノベーションなんかを始めた訳です。日本中にそういう動きがでてきて、それは実は、「利用の構想力」が居住者の中にあるということです。それまでは賃貸居住者に構想力なんかあるとは誰も思っていなかった。唯一思っていたのは『賃貸宇宙』や『TOKYO STYLE』を著した都築響一さんくらいで、木賃の中にどんな豊かな人間のクリエイティビティが表現されているかを見ろ、という写真集を出していた位だったのですが、実際市場で動きはじめた。弱い個人を結ぶ柔らかな絆で、というのは西川祐子という京都のフランス文学者の方から教わった訳ですけれども、いずれこうなってくるよ、と西川先生がおっしゃっていたのが、実際そうなってきている。個人だけども、みんなで壁を塗ってみよう、その後みんなでビール片手に『今日は楽しかったね!』『みんなで壁塗って良かったね』なんて言って、ピザを食べている様なことをする。これが「柔らかい絆」で、あとは「計画されていないことの自由」というのが、ものすごくあるんです。こういう風にきれいに計画して設計されたものじゃない自由、というのがこのストックの世界でどんどん出てきている。(図-06)

(図-06)

それから21世紀的な移住現象が起こってきます。これも島原さんに熊本に連れていってもらった、いまや有名になっている「暮らし方冒険家」のご夫婦が首都圏から突然引っ越してきて建てた、川の横にある、あきらかに傾いている、朽ち果てた町家がありまして。島原さんからの強い推薦があって向かったのですが、実際面白いんですよ。まだ工事していらっしゃるんです。もう、住む=工事みたいな感じです。ご主人はWebデザイナーで、奥さんがフォトグラファーなんですけれど、ホームセンターからプチプチを買ってきて、「これNASAの断熱材」これで寒さを凌げるかしらなんて言っていて。奥さんの名刺をいただいた際に、「暮らし方冒険家」って書いてあったんです。「これ、冒険なんですか?」って聞いたら、「冒険ですけど?」って言われて。これはピザどころではない時代になったな、と。後日、旦那さんにシンポジウムに来てもらって、プレゼンをしてもらったんです。そうしたら、タイトルが「『高品質低空飛行』という生き方」だったんです。これはかっこいいと。そのとき彼のご両親が心配してきていらっしゃっていて、どうやら彼はご両親に対してプレゼンしているみたいだったんです。自分たちは、よく上の世代から「お前たち今はそれで楽しいかもしれないけれど、将来どうするの?大丈夫なの?子どもが出来たらその傾いた家でどうやって暮らしていくの?暮らし方なんていつまで冒険しているつもりだ。」なんて言いにくると。それに対して、「あなたたちは自分の生き方を考えたことがない人たちだからそういうことを言うんだ。私たちの世代は自分たちで自分の生き方を考えないと生きていけない時代に入っているんだ。終身雇用も崩れ、年功序列も企業の成長もおぼつかない時代、将来年金をもらえるかもわからない時代に自分たちは生きているんだ。」「だからこそ自分たちが目指しているのは、あなたたちからみたら『低空』でしょう。あなたたちは高いところを飛んでいれば安心するんでしょう。あなたたちからみたら地を這うように見えるかもしれませんけれど、『高品質』な暮らしなんです。」とおっしゃったんです。すごい、自分が言われているようでドキっとして、そういうことなんだと思いました。どうも見ていると、21世紀的な移住現象は、彼らに限らず、相当な勢いで進んでいるわけです。首都圏から例えば岡山へ、広島へ。左側は広島の「HIROBIRO」というサイトなのですが、そこに実名でバンバンでてきます。「私ここに引っ越して、パン屋を始めた夫婦です、とか、よくこんなに実名で出てこられるな、というくらい出てきます。(図-07)

(図-07)

これも新しい動きです。これは久米まりさんという、何年か前から自分でDIYを行っていて有名になっている方です。自分でDIYの作業風景等の動画なりを流して、カリスマになっている人です。しかも今やもう有名人なので、「久米」から、ひらがなの「くめまり」になっているそうです。URからもくめまりさんプロデュースの依頼がくるくらいです。実際お会いすると普通の方なのですが、生活者から出てきて、これをみんなが真似していくという、新たな段階の民主化を象徴する話だと思います。 (図-08)

(図-08)

第3世代の民主化には作法がいる。私はそもそも、建築学科を出た人はどういうキャリアプランをたてればいいのかな、と考えようとしていたんですが、もはやそれを考えることができるかどうかも分からないところにまで時代はきてしまった。誰がやるか分からないけれど、建築学科が出たような人たちも含めてこの第3世代の時代の作法のようなものがあるだろうということで、私の本では10の作法を挙げています。先ずは、「圧倒的な空間資源を可視化する」。これが大事で、どこにどういう空間資源が眠っているのかをまちで明らかにすることです。(図-09)

(図-09)

大島さんがやったところは、全部楽しそうなんですが、これはまさに暮らす人々の「利用の構想力」を引き出して組織化することをやっているからですね。(図-10)

(図-10)

それから、「場を設える」んです。くめまりさんたちも場を設えている。そして場の設えを情報共有する。プロの建築家だけが知っていてもダメなんです。1970年代にアレグザンダーが発案した「パタンランゲージ」などはとても早かったけれど、参考になります。 (図-11)

(図-11)

「行動する仲間をつくる」。北九州のリノベーションスクールは6年やって、この間終わった訳ですけれど、卒業生が総勢500~600人いて、その人たち同士がお互い相談していて、どんどん行動する仲間が増えていっているのが、一番面白いところだと思います。(図-12)

(図-12)

「まち空間の持続的経営」。まちを瞬間風速でパっと変えたりするのは、再開発の手法で今までやってきたことなのですが、「ほとんど派手に見えないけれど、ちょっとずつ変わることが継続的につながっていくのかどうか」が一番問題なのです。持続するかどうかということで、そのためにはオーナーが非常に重要です。(図-13)

(図-13)

それから「庭師を目指す」。これはハブラーケンらが昔から言っていることです。ハブラーケンが言っているのは、『あなたは木そのものをつくることはできないが、木が育つような環境はつくることができる。住まいも同じで、あなたたちが住まいをデザインしたりつくったりすることは出来ませんが、住まいが育つ環境を整えるような仕事はできるでしょう。』と言っているんです。だから『建築士は庭師を目指すべきだ。』と言っているんです。この教えは、いま再びみんなが「利用の構想力」を発揮しているときに有効だと思います。うまく環境を整えるということに力点を置くことが建築学科を卒業してきた人ができることだと。(図-14)

(図-14)

建築学科が卒業したらどうしたらいいのかをこの前座談会でお話したときに、大島さんは「今求められているのはマルチリンガル。ただ母国語は大事。マルチリンガルだからといって母国語がなくて言い訳ではない。」とおっしゃっていました。ただ、マルチリンガルを目指すために一旦建築を卒業する気持ちはとても大事です。 (図-15)


これから、建築学科を出た人すべてがそうなる訳ではないと思いますが、かなり重要な仕事の分野として、まちにくらしと仕事の未来を埋め込むことが挙げられます。 (図-16)

(図-16)

布野:私自身松村先生のお話の中で色々論点がありまして、いっぱい野次を飛ばしてしまいましたが、議論のときは安藤先生が司会をしますので、安心してください。松村先生の本の中で第3世代のホープとしてお2人をパネリストに呼んで、お話を聞いた上で議論を深めたいと思います。とても魅力的な、「高品質低空飛行」というタイトルです。まずは島原さんからお話を伺います。

「高品質低空飛行という生き方」:島原万丈(Home’s総研所長)

どうも島原でございます。わたしは建築や不動産業をしている訳ではなく、マーケッターです。LIFULL HOME’S総研という組織で働いております。LIFULL HOME’Sというのは不動産の住まい探しサイトでして、リクルートのSUUMOと同じようなサイトです。その中の研究所で1年に一度調査研究レポートを出すんです。2014年には「STOCK & RENOVATION 2014」では、リノベーションのユーザーの動向、リノベーションの事業主、設計者などにヒアリングを行って、200ページくらいのものをつくっています。(図-17)

(図-17)

先ほど、中身はみていないけど表紙はすばらしいね!とおっしゃっていただいたものはこちらです。
センシュアス・シティといって官能都市というレポートです。動詞で都市を評価したらどうなるか、という都市評価の指標とランキングを作りました。都市論は始めて行ったのですが、これはおかげさまで評判が良くて、いまは少し忙しいな、という感じです。(図-18)

(図-18)

今日は、「高品質低空飛行」というお題をいただきました。写真は元ネタの「暮らしかた冒険家」のサイトから引用させていただきました。とても重要なことはさきほど松村先生からお話いただいたので、どちらかというと、イメージを膨らませていただく様なスライドになっていていると思います。「Higher Quality of Life with less cost」ですね。お金をかけないでも、良い暮らしをしようぜ、という話が、「高品質低空飛行」です。(図-19)

(図-19)

暮らしかた冒険家のお2人には今子どもも産まれていて、3人で生活しています。3.11の後に熊本に移住して、廃屋のような町家をセルフリノベーションして暮らし始め注目を集めました。その後札幌に移住して、郊外にあった親の家が空き家になるというのでそこに住みだして、熊本でやっていたように、その家でもDIYでリノベーションをやるというのが札幌国際芸術祭の展示作品になる、という珍しい方々です。(図-20)

(図-20)

このような暮らし方が「高品質低空飛行」だと。これがどういう感じなのかを少し見ていただきたいと思います。まず最初のトピックスは「結婚キャンプ」というもの。結婚するときに、結婚式場のホテルに来て、ウエディングプランナーだのなんだのにお金を払うのはいやだ、ということで高尾山にキャンプをしに行った。そこに参列者を集めて、そこで結婚式を挙げた。今まであるものにフィットしなかったのでつくった、我慢しなくてもいいと思い、キャンプでの結婚式がなかったのでつくった、というのが最初です。(図-21)

(図-21)

これは築100年位の古民家で、セルフリノベーションした後の写真がこちらで、元の写真がこちらです。(図-22,23)

(図-22)

これも建築とか、建設のことを全くやったことがないフォトグラファーとITの技術者が、この古い状態から住もうと決めた。これ、冒険以外の何ものでもないですよね。無謀です。

(図-23)

これが、面白い町家です。ちょっとスキップフロアになっていて、下に降りて、下空間から川に出られる。(図-24)

(図-24)

彼らが言っているのは、「ないものねだり」をしてはだめだ、と。「あるものみっけ」をするべきだ、あるものはいっぱいあるじゃないか、と言うんです。空き家もいっぱいある。耕作放棄地もある。荒れた山林もある。太陽熱や太陽光もある。最高に笑ったのが、行き場のない善意もいっぱいある、です。世の中に善意が余っているんだと言っていたんです。(図-25)

(図-25)

彼らが行っていることはよく、DIY(Do It Yourself)という風に紹介されますが、彼ら自身は、DIWO(Do It With Others)と言っていて、「人と一緒にやろう」と。この人たちは熊本のセルフリノベーションしたときの方々なのですが、どうやって集めたかというと、「ワークショップやりましょう!」と言ったらしいです。「ワークショップ」は魔法の言葉です、と。報酬は美味しいご飯を出します、です。実際開かれたまちを、素人同士がガチャガチャとやっているので、ほかの人が何をやっているのか興味を持って参加してくれるようになる。(図-26)

(図-26)

彼はもう1つ面白いことを言っていて、「台所とベッドサイドがあればどこでも生きていける」と。これは台所も中古の業務屋さんから拾ってきたものらしいです。(図-27)

(図-27)

それと「やりたくないことは無理してやらない」と。無理しない。(図-28)

(図-28)

そして「ダサいものに囲まれて暮らしたくない」と。彼らはああいう風に町家をリノベーションしましたし、いまでこそ町家のリノベーションをしたカフェなどは流行っていますが、別に彼らは古民家が好きな訳ではなかった。だけど、賃貸マンションなんかに暮らしたくなかった。「ダサい」空間だから。(図-29)

(図-29)

高品質なものといのは住まいもそうなのですが、食べ物にもこだわっていて、これは近くの畑で、ここに有機野菜が育っている。有機野菜を毎日食べるのは実際コストがかかりますよね。それをどうやって入手しているのか。彼らは別に収入がない訳ではない。都会の共働き夫婦と同じ程度の世帯年収はあります。だけれども毎日紀伊国屋なんかで買い物をしている余裕はないと思います。(図-30)

(図-30)

それでは何をやっているか。「物技交換」っていうものを編み出しまして、彼らはWebデザイナー、Web製作を引き受けます。東京でそういう仕事をするのと、地方でするのではオーダーの額が半額以下らしいのです。これは、地方でこの仕事をお金で売っていたら割に合わない、ということに気がついた。例えばこれは有機野菜をつくっている農園で、レストランなんかにも出荷しています。ここのWebページをつくる代わりに、こちらでつくる有機野菜を一生分いただく。どうやって一生分を計算したのかは分からないのですが、そういうことになっているらしいです。(図-31)

(図-31)

それから野原農園の有機米も物技交換で一生分いただいている。(図-32)

(図-32)

車の使用権ももらっている。(図-33)

(図-33)

その他にも、熊本では山野さんという方の工務店との物技交換を行っていて、ここの倉庫に古い材や道具が残っているのですが、HPをつくってあげて、そこにあるものを全部なんでも好きに持っていけるようになった。なんならついでに暇を持て余している職員も連れて行っていいよ、なんていうことになっている。それを使ってリノベーションをしている。それから写真には用意できなかったのですが、既に泊まるところもあると。世界でポートランド、ボストン、ハワイ、日本だと札幌(自宅)、東京、神奈川、熊本などはいつでも無料で泊まれる場所がある。(図-34)

(図-34)

それをみた坂本龍一さんが「君たちの暮らしはアートだ」として、札幌国際芸術祭に招致された。先ほども言ったように展覧会だと思って訪れた人が騙されて一緒にDIYを手伝わされる、ということになっていたらしいです。(笑)彼らによると、DIYもそんなにこだわっている訳ではなく、お金を払うべきところには払う、ただ全部をお金で買うと、「高品質高空飛行」になってしまう。だから、品質を落とさないで低空飛行にするにはDIYが必要になる。(図-35)

(図-35)

彼らは何のためにDIYをやっているのかというと、「自由」と「自立」のためだと。お金に頼りすぎると、ろくなことにはならない。ここでいう低空飛行というのは単純にいうと「低収入でも生きていけるということです。こういう風に自立していく、何かに依存せずに生きていけるようにしたいといのが大きなポイントになります。(図-36)

(図-36)

今最新の家はこれです。オフグリットを目指して、年間暖房負荷が51.3kW/hになるようにしている。設計は森みわさんと竹内昌義さんがやって、めちゃくちゃ暖かい家です。内装は自分たちで行っているのですが、これを徐々にブラッシュアップしていくことによって、出来れば北海道電力さんとは手を切りたいと話していらっしゃいました。(図-37)

(図-37)

これだけだと彼らの写真を使っているだけのプレゼンになってしまっているので、もう少し説明をさせていただきますと、私がちょうど暮らし方冒険家とお会いしたのが2011年の3•11があった後にリクルート時代に調査レポートを出した時でした。(図-38)

(図-38)

「2025年の住まい考える−3.11の移行期的住まい論」3.11を経験して、人々の住むという感覚や価値観がどう変わっていく可能性があるのかという調査をしたものです。残念ながら何故かリクルートで発行禁止になってしまいまして、僕は会社をやめましたのですが、このレポートの取材をする過程で彼らにお会いしたんです。(図-39)

(図-39)

ここら辺をお話すると、第1の民主化、第2の民主化、第3の民主化という先ほどのお話ととても近くなると思います。日本人の暮らし方を、「流動性」か「定住性」という縦軸、もう一つは「共同体」的なもので、コミュニュティに接続していこうという話と、「個人志向」という横軸の2軸で切ってみると、おそらく第1の民主化よりさらに以前の暮らし方は、共同体で定住しているというムラ社会的なものです。これが、近代化が始まったときに、田舎を捨てて都会に出てきて、流動性が高く個人志向も強い暮らしかたが生まれた訳ですけれども、これが高度成長期にピークになる。これがやがてこの人たちが核家族化して持ち家を購入していくことで、定住性は高いのだけど個人志向もすごく強いというライフスタイルが出来上がる。その後、日本人は移住を繰り返したりしていない。(図-40)

(図-40)

次の図は第三象限にある現在を拡大したところですが、核家族で正社員、持ち家35年ローンでずっと住む、こういう非常にリジットな人生がモデルとしてみえてくる。ところが、現在は後期近代と言われる時代。グローバル化によって長期正規雇用みたいなものが人生設計として想定しにくなっています。いまは逃げ切れる世代とそうでない世代がありますが、おそらくいま2〜30歳で働いている方は、一生同じ会社の正社員で働いていけるとは思っていない(思っていてもよいのですが)。持ち家を買うために旦那さんが大企業のサラリーマンで35年ローン、リストラされたらシャレにならない様な暮らし方が、リスキーでリアリティのないものになっている、グローバル化によって海外転勤する可能性が出てきたため、定住することすら危うくなってきている。さらに、夫婦共働きで女性もキャリアで働くようになると、奥さんのほうがむしろ転勤するかもしれないという可能性もあるわけです。それから、それより以前に結婚率が下がっていて、離婚率は上がってきている。つまり、核家族という世帯も流動化している。そうすると、落ち着いたかのようにみえたライフスタイルのモデルが、グローバル化でもう一度流動性が高いところに引き上げられていくのと、もう1つ、さらに個人化に向かっている。ここに合成ベクトル的な不安が広がっている。ここに3•11が起こった。(図-41)

(図-41)

リジットな暮らしのモデルがすごくヤバいのが分かったのは福島などですね。(図-42)

(図-42)

家を買ったばかりなのに、家も何も壊れていないのに出て行かなければいけなくなった。(図-43)

(図-43)

そうすると、実際に3.11の後に「コミュニティ」とか「シェア」とかに対する感心がものすごく高くなっていますし、「移住」ローカル志向が高まった。つまり、「グローバル化」「流動化」の圧力と「シングル化」の圧力に、合成ベクトルの反対にあるベクトルが出てきている。(図-44)

(図-44)

そうするとこの合成ベクトルのバランスをし合うところに、「価値観の変化」が生まれてくるんじゃないか、というのが僕の仮説です。1つは、個人志向をさらに高めて流動性も高めていく生き方、もう1つは、個人志向は高まるけれど、さらに定住性を高めていくやり方。もう1つは、共同体により入っていって、みんなで同じ住まいに住んでいく、そういうやり方。それからもう1つは、共同体は志向をするけれども、何故か流動性も志向するという、今までにはおそらく無かった暮らし方。(図-45)

(図-45)

実際これに当てはめていくと、流動性の中で個人志向が高いのはノマドですよね。最近は聞かなくなりましたけれども、「ノマドワーカー」なんていうものがありました。それから、定住性が高くて個人志向が強いというのは、「近居」とか「同居」とかが増えている。東京でアンケートをとったのですが、東京地区近郊に親はいる夫婦が、出来るだけ親の近くで住む。なんなら二世帯で住む。そこにひょっと出戻りのお姉ちゃんがいて、2.5世帯になる暮らし方、これが非常にある。じゃあ流動性が高くて、コミュニティーに志向する様な人の暮らし方はないのかな、と探しているときに紹介をされたのが、暮らし方冒険家の夫婦でした。実際、縁もゆかりもない熊本に3.11後2人で移住して、あっという間にコミュニティーをつくりあげた。いまは北海道でもしている。そういう風に、これまでだったら、流動性が高いとコミュニティーとは縁を切ったような暮らしをしていたのが、どこにいっても「ただいま」と言える感覚がある。(図-46)

(図-46)

仮説をモデルにして大規模な消費者アンケートを行い、エッジにいる人たちを中心に取材を行ったのですが、この人たちというのは、ノマドワーカーは分かりやすいですが、リスク社会をサバイブするわけなので、できるだけ身軽に暮らせるのが安全だ、という意識をもつ人が多い。仕事もどこかに勤めきるのではなく1人でやる。実際には意識の問題ですね。実際にそれで食べていける人たちは少ない訳ですから。第三象限の価値観は現実にすごく大きく出ているのですが、ものすごくわかりやすいアンケート項目を言うと、「世の中でどれだけ大変なことになっていても、家族で力を合わせればなんとかなる」という質問項目に「はい」と答えた方が多い。第四象限に分類されたサンプルは、東京圏の郊外で生まれ育って今でも暮らしているという割合がたかった。おそらく地方都市にも多いはずです。
第1象限に分類された人たちの特徴をみてみると、「地方出身者で東京に上京してきた」とか、「高学歴」、「海外生活経験者がある」、「クリエイティブ職」の方が多い。で生活価値観の推移としては、「シェア」とか「中古」とか「リサイクル」「再生可能エネルギー」「フェアトレード」「ボランティアの経験がある」「仲間」「手作り」「職人の技」「日本人(おばあちゃん)の知恵」を嗜好する。住むところに関しては、「転居が多い」けれど、持ち家とかどうかも決めていない。今はここに住んでいるけれど、いずれはどこかに行くかもね、位の感覚が強い。まさに暮らしかた冒険家の2人が純粋サンプルかな、と思いウォッチさせていただいています。彼らまでいくと極端な例とは思いますが、こういう人たちの意識、ライフスタイルの部分が世の中のマスにちょっとずつ感染していっているというのが現状であり、今の変化ではないかな、と思います。以上です。(図-47)

(図-47)

布野:ありがとうございます。続いて、大島さんお願いします。

クリエーションとリノベーション:大島芳彦(ブルースタジオ)

大島です。よろしくおねがいします。先ずは、ブルースタジオの紹介からさせていただきます。私たちの会社は「モノとコトと時間」の3つをデザインしています。一般的には、1級建築士がいる設計事務所で、私は建築家です、というような説明をしています。ですから、先ほど、松村先生もおっしゃっていたように「ネイティブ」は建築だという認識で活動しています。その観点でいうと、ネイティブは、「モノ」のデザインとなります。例えば、建築家というのは社会的な存在ですので、特に私たちは、リノベーションをする上で既存環境自体がマーケットを失っているとすると、リサーチが必要であって、その結果を実際設計に反映してデザインに経済合理性を成り立たせようとしています。リサーチの結果、ターゲットは明らかになっているので、そこに「伝える」というプロモーションが必要になります。そう考えると、それは「コト」のデザインだと言っています。「時間」というのは、これは不動産管理の世界の位置づけです。仲介や貸し付け、建物の管理を含めて、「価値を持続していくためのデザイン」というものが必要だと。以前は、そういったものはシルバー人材を遣ってなんとなく掃除やクレーム対応をしてもらって、あんまり冴えない業界だという扱いをされていました。それが不動産の証券化以降、一躍不動産事業・金融の世界でも表舞台に踊りでた訳です。それは金融の世界ではあたりまえだと思っていましたが、建築の世界では「そんなことが大事だったんだ」と、ものすごい温度差がりました。そんな中での「監理」というものには、私たち建築に関わる人間も「時間」ということを考えながら、その「時間」をデザインしていくという発想があってもいいじゃないかと思うようになりました。ブルースタジオは立ち上げたときから、不動産屋に任せない、ということも考え、宅建業の許可を取って不動産業界に割り入って仕事をしています。普段は「釈迦に説法」といってこの話をするのですが、今日は30人全員お釈迦様なので、パッと飛ばします。(笑)(図-48)

(図-48)

この図で説明すると、1955年から1973年のこの辺りが高度経済成長の時代となります。そして現代はこの辺りにいる訳でして、つまり右肩上がりの時代の常識ので出来たものは今では通用しないのではないでしょうかということになります。(図-49)

(図-49)

そんなことから「常識を疑え」、ということが基本スタンスにあります。馬場正尊さんと私と松村先生とが3人で監修を行った『リノベーションプラス:拡張する建築家の機能』(ユウブックス)という書籍の冒頭にも書いているのですが、私は美大の学生時代にパンクバンドをしていて、とにかく世の中を斜に構えて見る、ということをしていました。そして今は概ね50歳になりました。松村先生からは第3世代とご紹介いただきましたが、どちらかというと第2世代です。このようなスタンスでいつも活動しています。(図-50)

(図-50)

先ほど話の中でも出ましたが、清水義次さんが『敷地に価値なし エリアに価値あり』と良くおっしゃっていますけれど、これも常識を疑っていると言えます。(図-51)

(図-51)

不動産業界で言えば、とにもなおさず、これは「人の価値だ」だと私は思っておりまして、不動産というのは単に建物を見るということではなく、そこにどういう人間が関わっているのかを見ることが必要だと思うのです。そして、これを真似ると、「結果に価値なし プロセスに価値あり」って言えるな、と。(図-52)

(図-52)

これは私が不動産事業者にいつも言いたいことで、不動産業っていうのはとにかく「結果」にコミットというと、直ぐに、折れ線グラフがあって、目標達成したかどうか、そういう話になる訳ですが、他方で不動産というのは、耐久消費材ではないということを考えれば、実は、事業のモデルに関してはそこでの結果になるかもしれませんが、それは受け継がれるもので、ひょっとすると5年後、10年後、50年後には失敗の可能性もあるかもしれない訳です。そういうことで不動産業というのは「結果」にフォーカスしてはいけないのだ、と思っています。それで、「プロセス」に価値があるんだ、ということになります。今なにをやっているのかが価値になるんだ、と思っています。(図-53)

(図-53)

すなわち、「蓄積」の価値を考えていこう、と。人の価値、そして蓄積の価値といったあたりが、「リノベーション」の発想かな、と思っています。(図-54)

(図-54)

話は飛びますが、「暮らしの価値」ってなんなのか、と。それには「計量的な価値」というものが当然存在すると思うのです。(図-55)

(図-55)

とどのつまりが、「コミュニケーションの価値」だと思います。これは家を手に入れて、家族がみんな幸せになったとか、子どもが嫁に行ったとか、出会うことが出来たとか。それは家だけではなくて、テーブルのサイズが大きくなったらみんなで食事をしたくなったとか、線の一本のこの形が違うだけで、おそらくコミュニケーションの形も変わってくるので、「暮らしの価値」というのは、そもそもどういうコミュニケーションを達成したか、というのがその評価の基準になってくると思っています。(図-56)

(図-56)

「家の価値」が「コミュニケーションの価値」だとすれば、不動産やまちというのも「コミュニケーションの価値」であろう、と。(図-57)

(図-57)

そういったまちや不動産の価値というのは、キーワードとしては「自分で考える」「主体性がある」ということになります。それから、それは「当事者」であって、ただ単に言われたことをやるということではなく、当事者としてコミットすることなのです。「当事者」の対義語は「消費者」だと思っていますが、当事者である、繋がっていく、続ける、ということもルールを守っていくということだけではなく、「共感」が連鎖していくことによって自分ごとにして変化させることが出来る、共感で繋がることが大事である。それから、共感というものがあれば、恐らくそれは「持続性」につながる。同じことを続ける必要はないです。自分を変化させていくことが持続することに繋がって行きます。不動産そのもの、まちそのものはコミュニケーションである、ということです。(図-58)

(図-58)

そして、リノベーションの現場ではよく「偉大なる日常のモノに気がつきましょう」ということを言っています。当たり前の風景や人にもう一度価値を見いだしてみよう、と言っています。(図-59,60)

(図-59)

(図-60)

ここだけの文化みたいなことは民芸の世界で80年以上、100年以上前に柳宗悦さんがおっしゃっているレポートそのままなんですね。(図-61,62,63)

(図-61)

(図-62)

(図-63)

日本人の心の中には「見立てる」という様な発想が必ずあるはずなんです。(図-64)

(図-64)

千利休がおっしゃった訳で、「こんなものがありがたい」というものが、そのあたりに転がっていたものを、自分の脳みそを使って、イマジネーションを豊かに、「良い」と言っている訳です。ですから、それを良いというのであれば、あのあたりに放置されている、苔むして雨漏りでシミがついてしまっている建物も、「このシミの入り具合がいいですなあ」と。極端ですが。(図-65,66)

(図-65)

(図-66)

これは日本だけの問題ではなくて、これはダダイズムやレディ•メイドの発想も同じかと思います。(図-67)

(図-67)

それで、「編集する」ということもキーワードの1つだ、と思っております。(図-68)

(図-68)

クリエーションとリノベーションの話ですが、リフォームとリノベーションはどう違うのかというのを僕らはよく聞かれるうちの一番ポピュラーな質問に近いと思っています。(図-69)

(図-69)

クリエーションは「つくり方」、リノベーションは「使いこなし方」という風に思う訳で、これはリフォーム、リノベーションとまさに一致していて、リフォームというのは、語源的に言えば「もう一度カタチをどうにかしよう」という、ハードウェアで解決する感覚で、リノベーションは「もう一度ノベーションを起こしましょうよ」ともう一度俯瞰するような目線なんです。そうするとリフォームというのは、リノベーションによって、取って代わられるようなモノではないんです。リノベーションという視点があれば、リフォームもその中の1つの手段として必ず残って行きます。(図-70)

(図-70)

これを元に戻せば、リノベーションの発想で、クリエーションということも考えていくことが出来るということです。(図-71,72)

(図-71)

(図-72)

今は「リノベーション=まちづくり」という繋がりのもとに、わたしは「リノベリング」という会社もやっていまして、全国で40都市以上の地方自治体から依頼を受け、有休資産、その有休空間を活用する、というビジネスモデル•ワークショップを行っています。(図-73)

(図-73)

結局、そのまちなかの有休資産を活用することの前に、有休資産を探します。また、有休空間だけじゃなくて、高齢者と言われる有休人材がこれからとても大事だと思っています。(図-74,75)

(図-74)

(図-75)

そういった「宝物」を探して再編集する、と。つまり建築だけを再編集するのではなくて、「宝物」である人、場所、それから歴史や文化を編集し直して「伝える」のです。(図-76)

(図-76)

それで、この「伝える」といのがとても大事なんです。伝わりやすくなければいけない。伝わりやすくするために、私たちが非常に意識していることは、「物語をデザインする」ということです。ブルーデザインの版紙に「ナラティブデザイン」と書いてあるはずなんですけど。Storyではなく、Talesになります。(図-77)

(図-77)

物語で「伝えやすい」ことを意識していることは、「物件」という言葉との対比なんです。「物件」という言葉は、建築や不動産の事業において、ものすごく当たり前の用語であって、一日に何回口に出しているのかもわからません。しかし極めてそこに愛情がないのではないかと私は思っています。「物件」とう言葉は、建築家、施工会社、不動産、そして家を探す人、金融を含めていろんな方が口にしますが、それぞれの方に“「物件の価値」ってなんですか?”と聞くと、みんな別のことを言うんです。金融機関とかは「担保価値」と言います。建築家に聞いたら「作品価値」だとこたえます。住む人に聞けば「生活の価値」だと言うんですけれど、このコミュニケーションがとれていないからこそ、新聞広告の中にマンションの広告では建築家が「こっちから光が当たっているから〜」とか言うけれど、不動産業は「敷金礼金は0」、「000キャンペーン中」とか言うんです。コミュニケーションが出来ていないんだろうなと思います。これが建築•不動の世界が抱える「不幸」な状況だと思っています。衣食住のなかで、衣と食はそれがうまくいっているんです。生産者も料理人も、みんなうまく出来ているからこそ、これがこの価値になるということが出来ていて、付加価値がうまくできている。建築と不動産はそれが出来ていない。だとしたら、お互いの関係性をもう一度見直そう、物語を見出そう、と。物語を分かりやすくすることが大事だと思います。(図-78)

(図-78)

分かりやすいことが何故大事なのかと言うと、「共感が生まれるか生まれないか」なんです。この「共感を生まれた」ということは、「持続性」につながります。そしてそれは「当事者」を生み出します。(図-79)

(図-79)

かつては信頼に基づいて形作られていた社会が、今は「共感」よって形作られていると言えるくらいの社会にならなければいけないのではないか、という風に思っているのです。(図-80)

(図-80)

ですから、「共感」を育む、「親しみやすい」でありながら、大きなビジョンを持とう、と。そんなことを1つ1つのプロジェクトで考えていきたいと思っています。(図-81)

(図-81)

そんなことできるのか、と言われるのですが、そのときに、やってみましょうって言っているのが、「あなたでなければ、ここでなければ、いまでなければ」という、3つの「人」「場所」「時間」。この3つにおいて、なにがオンリーワンなんでしょうか、ということを整理していかないといけません。分かりやすく整理していきましょう、と事業主さんや、オーナーさん、クライアントに話しています。(図-82)

(図-82)

どうしてこういうことを言うかというと、その反対に「あなたでなくても、ここでなくても、いまでなくても」という、これは「民主化」の過程でこんなことをいったかもしれません。あるいは、「近代化」の過程でかもしれません。これは悪いことの様に聞こえるのですが、「高品質」なものって良いことなんですね、そして「豊かさ」の象徴でもあるんです。けれども、反面、生んでしまった状況というのは、一挙集中すると選ばれないまちだとか、選ばれない不動産のほうが多くなってしまったということでもあるんです。(図-83)

(図-83)

これは高品質を求めるがあまりに起きてしまった。そうであればもう一度考えてみようと、いうことが非常に大事なことであるということです。地域もそうです。不動産にしてもそうなのですが、これは「マス•ハウジング」であったとしても、1つ1つは別のものなんですね。特に既存の住宅であれば、そこの歴史の蓄積は個別の状況を生じさせている訳ですから、オンリーワンであることを考えていく必要があると思います。(図-84)

(図-84)

その事例の1つとして団地をご紹介させていただきます。(図-85)

(図-85)

一昨年になりますが、団地再生のプロジェクトを竣工させました。これは団地とは言っても、公営住宅ではありません。小田急電鉄の社宅です。場所は座間市です。座間というのは、新宿からだと電車で40分〜45分位、横浜からも同じ位です。(図-86)

(図-86)

そこにこういう団地が建っていまして、駅があって、駅前ロータリーがあって、1、2、3、4号棟あります。全部で100世帯、築50年です。この社宅が使われない状況にありました。(図-87)

(図-87)

社宅なのでフェンスがあって、関係者以外立ち入り禁止です。写真が古いのですが、手前の2棟は私が見に行った2012年の段階ではラーメン構造で、築50年ですから耐震強度は確保できないために使われていませんでした。奥の2棟は壁式なので、かろうじて大丈夫だということで社員が住んでいたのですが、100世帯で言えば、10数世帯しかいなかった状態です。社宅も既に廃止していて、資産価値がなかった状態です。(図-88)

(図-88)

駅前で、鉄道会社が保有する団地であれは、通常ならば解体して、高度利用し、そこを商業にして、分譲し、賃貸にするのですが、それが出来ていなかった。なぜできないかというと、小田急線は小田原まであれだけ沿線がありますけれど、ここの賃料はその沿線でワースト5なんです。ですから、聞いたこともない様な、小田原から何駅とかというあまり有名ではない駅と同じくらいの賃料しかとれない、というのが座間駅の状況でした。(図-89)

(図-89)

それはなんでそうなってしまったのかというと、座間という場所には自衛隊の基地とか、日産の工場とかしか浮かばないと思うんです。ですから人が住むイメージがないんです。実際に駅で降りたっても、これですよ、駅前がどこかの炭坑都市に来た様な風景。しかも人が住んでいない。そういう状態です。(図-90)

(図-90)

そんなワースト5の賃料で、回収できないとうことは、どんなにコストをかけて新しいものをつくったとしても、結局ビジネスとしては成り立たない。そんな中で思いあぐねていた鉄道会社が2011年、先ほど松村先生にもご紹介いただいていた、多摩平のURが試みたルネッサンス事業という、民間事業者が借り上げた上で投資をして、民間の賃貸住宅として15年間事業をするという試みを知りました。ルネッサンス事業により民間の住宅になりURの規則が一切なくなってしまった賃貸住宅です。規則が無くなったので、共用部分はやりたい放題手を入れて、専用部分も民間の感覚で商品企画をしています。それはシェアハウスであったり、子育て世代であったり、高齢者のための商品企画であったりしました。そこで私たちシェアハウスと子育て世代をしたのですが、コミュニティとして非常に楽しげな風景が展開されました。それをみた鉄道会社さんが、(座間の団地も)どうにかそういう方法でしていただけないか、ということでお話をいただいたんです。駅前のロータリーを見てみると、小田急電鉄の資産としてのショッピングモールがありました。この団地の問題だけではありませんでした。小田急電鉄は1960年代から70年代に座間の背後に広がる宅地を分譲しています。それはここだけではなくて、多摩センターを深遠として、ニュータウンに連なるところに丘陵を切り開いて宅地を開発しました。URも同じことをやっていますけれど、鉄道会社は軒並みそういうことをしてきました。それが高齢化で、みなさんがお仕事で通勤しなくなっているのです。皆さんが通勤している頃、この辺りは商業が密集して、人が大勢通っていました。しかし、今は、2階はほぼシャッター街です。で、左端に入っているのは100円均一です。よくある構図ですよね。1階はどんどん抜けていってしまう。そんな衰退する商店街そのものの状況でした。その背後には実際地域の商店街があって、そこもシャッター通りです。これが現状でした。(図-91)

(図-91)

このプロジェクトを手がけるにあたって、鉄道会社からは企業のCREとして、有休資産の活用をせよ、という命令が下りました。ひとつの部署が、課長を中心として「どうやったらいいだろう?」と考えていたんですだけれど、ただその「資産の活用」ということではなくて、これをきっかけとして「地域の価値」を再生するという観点を持つべきなのではないか、といことを私は提案しました。(図-92)

(図-92)

それは、「あなた、ここ、いま」があるからです。これは同じ土地、建物を、不動産ディベロッパーが取得してどうにかしようというのとは全く違います。鉄道会社って言うのは第2の公共会社で、「パブリックマインド」をもったプライベート•カンパニーなんですね。だから沿線の人口を減らしたくはない。あわよくば増やしたいと思っているくらいです。しかも逃げも隠れもしません。ですから行政と同じ立場です。しかも民間企業なのでアクションを起こせる、という地域にとって模範となるモデルをここで掲示できるはずです。これが「あなた」です。それから、「ここ」というのは、駅前という非常に公共性の高い場所でなにかをやるということ。それからあとは、団地の環境というのが、建蔽率20%以下ですから、車が入って来られないようにしてしまったら、駅前にその敷地の8割を広場として還元できます。地域の子どもたちも自由に遊べるようにできるんです。全部駐車場だったので、そういうことができるんです。今って言うと、郊外のこれからの周辺の自然環境、それから1時間以内の通勤であれば、そこの自然豊かな環境の中、安い賃料で子育てができる。これは、今の20代30代にとって非常に良いことだ、と言われるのが「いま」だったりします。(図-93)

(図-93)

このあたりを全て混ぜ合わせて、このようなコンセプトで提案しました。こどもたちが駅前で遊べる広場になる場所をつくりましょう。と。NHKの番組を観てくださった方ならお分かりいただけると思いますが、こういうものを持っていくと、うちのクライアントからニコニコした顔で「こんなことお願いしたんじゃないんですけど」と言うんです。僕は自分にとってそれが一番の褒め言葉なんです。というのは「これやって」「分かりました」というのは10やれと言われて10やったとしても、絶対に10ある内の8か9にしかなっていないと思います。けれども、私たちは事業主が見ていない世界を提案してこそ自分たちの存在意義だという風に思っていまので、一番の褒め言葉は、ニコニコしながら「この人は言うことを聞いてくれない」と言われることです。この計画の時もこれを持っていって、唖然とされましたが、何故かということをちゃんとご説明すると、この土地、建物の再生ではなく、駅前にこれだけ恵まれた環境の「あなた」「ここ」「いま」があるとすれば、それはこの地域全体の、あなたたちが分譲したまちそのものの住み替えが促進できていない状況があるのであれば、それに役立てることができるじゃないですか、と。乗降人口をも上げることが出来るかもしれませんよ、という鉄道会社のツボを突く訳です。(図-94)

(図-94)

それで始まったことが、これを公益性の高い賃貸住宅にしていこうとです。(図-95)

(図-95)

一般賃貸に変えることは変わらないのですが、地域に開いていきましょうということで、駅前の路面は商業にするという観点もありますが、それ以上に子育てができることがテーマなので、子育て支援センターを市と話をして、座間市にも子育て支援センターとして入ってもらいます。駐車場をなくして、子どもたちが走り回れるようなランドスケープにすると。菜園も設けていますが、この菜園も賃貸住宅の菜園なんてせこいことは言わないで、まちの人、あるいは沿線の人が誰でも契約し利用できるという言い方をしました。そうすると、まちの人が使えるとなると、賃貸住宅の住人とまちの人が接点をもつことできるようになります。カフェも駅前の広場のど真ん中にあるので、カフェ自体が、コーヒー代を払えば佇むことが出来ると。公益性を持つので、これもまちに開くという要素になります。ドッグランなどもあり、様々なのですが、こっちは「市営住宅」と書いてあります。全部で100世帯。この半分を座間市と交渉している時に「そんな駅前にいい物件があるのか、市に借り上げさせてくれ」と。これはさらに座間駅から郊外にある、そこからまた離れた市営住宅が築40年50年経って建て替えの時期にあったものの代替住宅として、建築の計画が進んでいる間この人たちを住まわせてもらいたい、ということでした。そこで、5年から10年の間借り上げてもらうことにしました。この市営住宅は渡りに船でして、やはり100世帯すべてを超不人気のまちで、コンセプト型で子育てができます、なんてちょっと不安でもあったんです。そんなときに40世帯借り上げてくれるということになったので、よかったねと。これをもっとポジティブに考えると、ご高齢の方が多いので、そういった高齢者の方が住むということになれば、子育て世代と上手く交流を持ってくれるのではないかと思ったんです。それから駅前のスーパーマーケットそのものは地域の人が公共交通に車が運転できなくなると依存し始めるので、お年寄りが集まってくると。そうするとご高齢の方があたりで座ったりとか佇んでくれたりするようになる。その中に子どもがいるということが、理想的な環境に繋がるだろうと。(図-96〜109)

(図-96)

(図-97)

(図-98)

(図-99)

(図-100)

(図-101)

(図-102)

(図-103)

(図-104)

(図-105)

(図-106)

(図-107)

(図-108)

(図-109)

こうみていただくと何のデザインをしたか、ということになるのですが、1つはランドスケープをデザインしました。それから境界をデザインするという感覚がありました。境界がビシッとあったのを無くしてぼかしています。外から中へ入ってくる。中から外へ出ていく。ぼかしてマージさせたその境界に新たなアクティビティが生まれるという風に考えていて、これは多摩平以外のアパートでも同じことをやっています。(図-110)

(図-110)

「ホシノタニ」という名前の話は布野先生ご存知ですか? ちなみに「星の谷」という名前の由来は「物語」なんです。星と谷というのは団地の駅を挟んだ反対側に、鎌倉時代に創建された「星谷寺(しょうこくじ)」というお寺があるんです (図-111,112)

(図-111)

(図-112)

鎌倉時代に星をつかったお寺なんてなんてモダンだろうと思いました。星と谷じゃないですか。谷っていうのは八戸地形の谷なんです。八戸地形の端なので、「谷」と。反対に八戸を背にして向こうを見ると相模湾まで3kmずっと田んぼなんです、今はひまわり畑ですが。そうするとこの景色というのは恐らく鎌倉時代には満点の星空だったんだろうなとイメージできたんです。満点の星空と谷というのは、このあたりに住んでいる人達のインスピレーションだったんだろうと。そう考えると、今は地名としては失われているのだけど、この場所に住むということはそういうアイデンティティをもってもらいたい、というので、「ホシノタニ団地」という名前をつけています。(図-113)

(図-113)

 

(図-114)

この話が連鎖していて、現在は星の谷の店舗につながっています。(図-115)

(図-115)

それでは宿の話をしましょう。これは商店街の併用住宅です。1階が店舗で2階が住宅という。池袋の隣の駅の椎名町です。ここは各駅停車でしか停車しない駅で、豊島区って「消滅可能性都市」と言われましたけれど、これは「子育てができない」というレッテルを貼られていたわけです。歴史的に単身者のまちとして今までの蓄積があるから、どうしたものかと思っていました。この椎名町の駅周辺の東長崎という地名で、人口の統計をとると、高齢化率30%を越えていたという値で、そのエリアも高齢者がすべて単身者だということを覚えていてください。(図-116)

(図-116)

この人たちのような単身シニアが多いエリアです。そしてもとから単身なんで、商店街に依存しているんです。お惣菜屋さんから何から。だからこそ商店街がかろうじて生きています。電気屋さんも、犬も歩けば電気屋さんに当たるくらいです。だけれど、高齢者が高齢者にサービスを提供しているので今後はいずれなくなると思います。そんな中で子育て世代もいるんです。それは山手通り沿いにタワーマンションとか、マンションがバンバン開発されていまますので、そこに住む子育て世代がいるんです。それから大学も日大があったり武蔵大学があったりするので意外と多いんです。学生はアルバイトをして帰って寝るだけ。だから世代はかなり多岐にわたっているけれども、コミュニケーションが全くないことが問題だということに気がつきました。(図-117)

(図-117)

他方で、池袋はこのような状態です。外国人も多く来ている。知名度も高いです。(図-118)

(図-118)

そんな椎名町の、高齢者というには失礼な位に元気のいい方達がベテランたちをまずツーリズムに活かしていこうじゃないかと。池袋といのは新宿に勝るくらいリムジンバスに溢れています。それだけランディングしている訳です。(図-119〜125)

(図-119)

(図-120)

(図-121)

(図-122)

(図-123)

(図-124)

(図-125)

そういったディープな日本に外国人が集まりたい場所ということで、インバウンドにフォーカスしていきましょうということになります。(図-126)

(図-126)

ここで考えることは、アイデアが重要になります。そして、私たちは「布」に着目しました。一端外国人は置いておいて、布というのは、子育て世代と単身シニアとの関係性で言えば、「布」と「ミシン」なんです。単身シニアは洋裁をやっていましたなんていって、ミシンが使えるんです。子育て世代は、「子どものためになにかつくってあげたいけれど、ミシンを持っていない、使えない。」でも人生の中で一番クリエイティビティを発揮したい、と思う世代なんです。そのタイミングでこの世代同士を繋ごうと。カフェにミシンを置いて、飲食代を払ったらミシンが使える状況にしておけば良いのです。商店街のお茶やさんなんていうのは、開いておけば街中にいる高齢の単身者が、勝ってに入って来るんです。その暇な、スキルを持った人たちを人材として活かす、これは有休人材です。お金払わなくていいんです。むしろお茶代を払ってくれるんです。そしてこの人たちが教えてくれるんです。布というのは外国人にとっては「世界の共通言語」と言っていますけれど、布のない文化なんてほとんど無くて、布があれば、外国人としては「これはうちの国から来ている文化だ」とか、この布をつかってコミュニケーションが広がる可能性があるんです。だから、「布」をつかうんです。今日は「布」野先生だと思って用意しました。(笑)(図-127)

(図-127)

世界の共通言語「シーナと一平」ということで1階に「ミシンカフェ」を設け、地域のハブとして、2階は5部屋の最低限の部屋を確保した旅館に用途変更しています。(図-128)

(図-128)

そういった施設になっています。去年の3月にオープンして1年たちました。まちづくりの会社を設立しています。「椎名タウン」と言って僕も出資して役員なのですが、このメンバーで会社を設立して、オーナーから借り上げています。オーナーはトンカツ屋の主が80代を過ぎて、数年前に亡くなっていて、奥さんがもう90歳位。娘さんももう70近い年齢です。そのオーナーを女性がつとめるのは不可能です。ですので、やりたい人間とのマッチングをするという機能がまちづくり会社に求められました。私たちはそれに気がついたんだけれども、ネックもあって、女将として後から入れたこの方から、広がる場として共有しやっています。(図-129)

(図-129)

出来上がるプロセスとして商店街のど真ん中なので、“Do It Together”という考えをもっているんです。商店街のポテンシャルと、単身高齢者のポテンシャルを最大限に活用していて、表をバッてあけておく、なにかがあると人は集まるんです。(図-130)

(図-130)

塗ったり貼ったりという、安全上問題ない工事に対しては、どんどん参加していただいています。いわゆる魔法の言葉「ワークショップ」です(笑)。工事期間は3ヶ月ほどかかりましたけれど、終わるまでの間にお子さんなんかも含めて300人くらいの方が参加してくれました。そうすると、出来上がるタイミングには、商店街のみなさんから、いつできるの?できたときはどうのこうの、とか、差し入れを頂いたりとかで、既に支えられている状態になっていました。(図-131〜133)

(図-131)

(図-132)

(図-133)

1階は、オーナーが住宅として改装して使っていたのでほぼスケルトンにして作り直しています。建築家っぽいですよね。わざわざガラスのファサードになおすと。(図-134,135)

(図-134)

(図-135)

建具は古道具屋さんから買ってきました。こうすることによって、商店街の若い人なんてただ通過していただけだったのに、あたかもマンハッタンのポケットパークように、人が入っていくるようになりました。そして特にこどもたちが勝手に入ってくるようになりました。小学校の通学路にあるのですけれど、小学生が学校から帰ってくるとこの中に入ってきて、奥の小上がりでリュックサックを降ろして、宿題を始めるんです。宿題とかをやっているとお母さんが迎えに来て連れて帰ります。その横でおばあちゃんがミシンを教えています。実際にそういうことが起きています。(図-136,137)

(図-136)

(図-137)

ミシンカフェだけでは儲からないのですが、そういう場があるということは強烈にインプットされているんです。ですのでお母さん達がその場を使って料理教室やらせてください、とか、語学教室やらせてくださいと言ってきます。「場のニーズ」が生まれるんですね。ですので、いろいろなことをやっています。それから外国からやってきた人が、ヒッチハイク的にその国の料理を振る舞うなど、様々な現象がおきているというのが今の現状です。(図-138)

(図-138)

そういうことより、「プロセスに感謝しよう」ということです。現在はかろうじて黒字経営になっております。(図-139〜141)

(図-139)

(図-140)

(図-141)

ということで、ありがとうございました。

討論

安藤:非常に短い時間の中で、非常に刺激的で濃密な時間をありがとうございました。
それではディスカッションを始めたいと思います。私は今回お話を聞いていて、本当に説得されています。松村先生はフェニックスの如く蘇って、話の凄みがますます上がりました。それからその松村先生に、今日お分かりのように、ずっとインスパイアし続けていたお2人の話っていうのは、ものすごく迫力がありました。私は見ていて、みなさんうなずいていらっしゃるのが顕著に認められたと思うんですね。みなさんも説得されて、納得されたと思いますけれど、それでも少しこの辺を聞いてみたいだとか、議論をしてみたいとか思っていらっしゃる方は是非、この際ご質問ください。いかがでしょうか。僕は最後に質問を考えています。

安藤正雄

コモンスペースとは?ー結果に価値あり、プロセスに価値あり?

金田:金田と申します。今日は大変面白いお話ありがとうございました。実は昔大島さんと同じ建築事務所にいたことがありまして、長い間お付き合いさせていただいているのですが、大島さんの2週間前くらいのJ-WAVEを拝聴いたしまして、あの寡黙な大島さんがこんな流暢にお話しされているとはと思いました。映像をみながら改めて伺うと良さが分かりました。お話の中で「こんな風には望んでいなかった」とクライアントから言われるのがとてもうれしいと仰っていましたが、大島さんの上司から伺った話を思い出しました。私は構造設計者なのですが、わたしの周辺の建築家に賃貸住宅で面白い試みを行っている人々がいて、コモンスペースを大事にしていて、やはり境界をぼかすようなことをしている。そういう賃貸住宅を建てたとき、オーナーの方に話を聞くと、コモンスペースがあまりうまくいっていないということが結構ある。住民同士が仲良く無いとうまく活用できないという話をよく聞くんです。先ほど大島さんは「結果に価値はない。プロセスに価値がある」とおっしゃっていましたが、その結果というのは大島さんがやられていたものではどのようにされているものか。価値がないというのは意図でそういわれているのか気になりました。

金田勝徳

大島:すばらしい質問をしていただきありがとうございます。本当にそういうお話はいただくし、お施主さんにやりましょうと言ったら、そういわれるんです。結果ではなく、プロセスが大切なのは何かというと、コモンスペースをつくった!ということに執着してはいけないんですね。同じようにコモンスペースをつくった結果ではなくそのプロセスが大事であると考えております。このあいだ施工が終わったばかりでまだまだ成功かどうかは分からないのですが、大磯町の賃貸住宅は今ダメな状況にあります、と。ファミリータイプなのですが大磯の賃貸ではレアなんです。大磯に住むというのは、結構敷居が高いんだけれども、大磯のまちにはそれなりのハイソサエティがある。そこの隙間をどう埋めるかみたいなことができるとすれば、一言に魅力的な環境なはずなんですよね。ただそうできないというのは排他的に問題がある。その賃貸住宅の器を利用して、コモンスペースをつくった。そのコモンスペースをつくるということに、やはりコンセプトがないと、共感が生まれなければいけないと。「マイルド•ハイソサエティ」に着目してみると、旦那さんが「立派な大学教授」だった。今はお亡くなりになって未亡人です、とか。そういう高齢化した女性でも、旦那さんが立派な方というのが多い、という噂があった。だとすると、家にはたくさん蔵書があるはずだ。これをどうしたらいいか、困っているという。それなら、その本を、このコモンスペースに持ってきてくださいと。これは、森財団の「まちライブラリー」という仕組みを利用してやることにしました。そこに一言エピソードをつけて、それを集めましょう、と。そのライブラリーによって「まちの人がどういう人なのか分かることができる」。そこは賃貸住宅のコモンスペースとしても利用できる。シェアライブラリがあるだけではなく、地域の人がそこにコミットするきっかけがあるから、それを集める「プロセス」があったからこそ、地域の人たちと居住者たちが自然なカタチで、「本」をきっかけにしてコミュニケーションが発生するのであろうと。例えば、それも単なるコモンライブラリーを設けました。建築として同じ、場所も一緒なんだけれど、そこにどういう本を集めるプロセスがあったりとか、ストーリーを想定するかということが重要だったりするんです。だから、全てにおいてコモンスペースは「そこに当事者をどうやって置くか」ということなんです。管理側がコモンスペースを管理していて、時間を区切ってシャットアウトして、飲食禁止でどうのこうので、といったルールをつくると、大抵の場合運営するがわが疲弊してしまって運営できなくなってしまう。当事者もそもそもいない、ただのサービスだったので、誰も使わなくなる。

布野:答えになってるかなあ?結果は大事なんでしょう?建築家とか研究者は、コモンスペースが大事だというんだという。建築計画学は、コモンスペースをつくりなさいという。学生たちも、この広場、このコモンスペースではコミュニケーションが生まれます、絆が生まれます、というんだけど、ほんとうにそうなの?ということですね。ここはコモンスペースということで計画したら、不良のたまり場になったりしてしまったということがよくある。プロセスが大事で、結果はどうでもいいよということではなくて、コモンスペースをつくればいいということではない、ということですよね。コモンスペースをつくるプロセスがないといけない、、そのプロセスがないから、ただスペースさえつくっておけば良い、ということではないということですよね。

安藤:計画っていっている時点で古いよね。(笑)

松村:大島さんが設計したもので言うと、「青豆ハウス」っていうのがあるんです。青木純さんというオーナーが、「シェアハウスはあるけれど、シェアハウスで知り合って結婚した人同士が暮らすところがないじゃないか」とおっしゃった。シェア居住に慣れた人が、いきなり結婚したら普通のマンションに住まうことになってしますのはおかしい、と思われた。そのために自分も住む前提で、8戸の賃貸住宅を練馬区の方で、大島さんに設計してもらって建てたんです。真ん中にみんなでつくったピザ釜があるんですよ。ピザ釜を憎んでいるわけではないけれど、信じていないだけ。(笑)なにやっているんだよ、またピザか、と思っていた。それで青木さんに「どうせあのピザ釜で焼いたのは始めの頃だけで、みんな集まっていないでしょう?」と言ったら、「それが実際は集まっている」という。それで、今のご質問に対して言うと、「ピザ釜をそれらしくつくったら、みんなでピザを毎週、そして何年にもわたって焼くだろうか」というと、「そういうことはない可能性が高い」と。青豆ハウスの場合は、そうではなくて、大島さんと青木さんと住み手の皆さんがこれを作っていくプロセスがあったわけですよね?

大島:はい。仲間集めにいたるまでのプロセスもなかなか濃かったんですけどね。

松村:ただ、それが例えば50年後もピザ焼いているかといったら、そんなことは全く想定されていないし、期待する必要もない。5年くらい続いて次の居住者が入ったらピザ釜の物語は引継がれないから無くなってしまうかもしれないけれど、そういうことは別に構わない、というのが僕の今の見解です。

布野:島原さんが言った「キッチンとネットがあればいい」というのは正解だと思う。

松村:だから今その答えだったんですよ。完全に答えていました。(笑)

島原:お2人の話に似ているのですが、賃貸住宅を共用するスペースをカタチとかハコとか言うのが「結果」だということですよね。いかにそれを使えるようにしていくのか、そこの住民がその暮らしのなかにコミットするようなデザインというのは、必ずしも空間のデザインということだけではなく、リーシングやテナント集めも含めたデザインになるだろうし。

大島:それはコミットする人がいればその人たちはピザ釜が5年後にはピザ釜になっていなくてもいい。ただみんなが集まって、そこでビリヤードをやっていても構わないし、普通に釜戸で飯を炊いていても構わない訳で、
どんどん変わっていけるか、しかも当事者が変えていくことができる力を持っているかどうかが大事なんです。

島原:よくモノのデザイン、コトのデザインと言われると思うのですが、結局どうやってコトをデザインする話になってくるかというと、ピザ釜の大きさが何センチとか、共用スペースが何坪とか、そういう話では恐らくなくて、プロセスのデザインをいかにするかが重要だということですよね(?)

熱いのが嫌い!?

和田:先程熱い人達と言いましたよね。ピザ釜でも何でもなんでも。僕は熱いのが嫌いなんです。いま住んでいるマンションでも、隣に住んでいるひとの名前をしらない。家族構成もしらない。そういう方が自由でいい。みんなでピザを作りましょうと言われたらしらけてしまうし、みんなで御神輿をやらないといけないまちは、僕は嫌だなあと思う。

和田章

松村:そんなことを強制している訳ではないです。

和田:いや、そういうことが良いことだということ自体が僕は好きではない。

松村:良いことだと言っている訳でもない。それを自然に求めている人たちがそういう場をつくっているというだけでしょう?

大島:そうです。それが正解だとは全く思っていないんです。

松村:そうだよ。僕だってピザ釜があるところには住みたくはない。(笑)でも、そうじゃない人が増えている状況があるということ。

大島:選択できる自由があるということなんです。選択できる状況をつくるべきだと僕は思っています。

松村:実際選択肢があることで、喜んでやってくれる人が意外に多い。これが第3世代、つまり新しい世代が現れたなと感じている理由のひとつ。

島原:例えばシェアハウスが今流行っていると思いますが、実際にマーケットに対してアンケートをとれば、シェアハウスに居住したいという人は全体で1割いくかどうか。若い女性だと20%くらい関心がある。だから、 その数字で言うと、感覚的にはシェアハウスとかが嫌だという人が圧倒的に多いです。ところが、それが0ではない。特に3.11のようなことを経験して、非常にコミュニティーに対する気づきが出てきているのが、今の現状。その時に日本の住宅ストックのあり方、それは建物のカタチもそうですし、マネジメントのやり方も含めて、圧倒的にその人にニーズに答えている訳けではない。つまり、ワンルームマンションなんかは、むしろ全くコミュニケーションが出来ないようにつくっている。オーナーさんに聞くと、入居者が、それぞれがコミュニケーションをするようになると困るという様な人もいる位。そのニーズが一定数いるということも事実。もう1つは、「シェア的コミュニティーというのが流行っていますよ」「でもそれは一部の人だけでしょ?」というケース。「存在感」の問題だと思うんです。人数のシェアではなくて、「存在感」のシェアである。結局、シェアハウスだとか、ピザ釜的なものは、確かに一部のマーケットシェアかもしれないけれど、あれが「いいね」といってメディアで紹介されたり、グッドデザイン賞をとって注目されたりするということは、そういうエッセンスを薄めたものがマス•マーケットができあがるはずなんです。全くもってコミュニティーが0という訳ではない。そこまでではないけれど、10パーセントくらいならば入れても良いな、そういう様な広がり方をしていくんだと僕は思います。

民主化とは

吉田:松村先生の今日紹介された本に、「民主化」をつけたかったけれど、本屋は嫌がった、という話がありました。その話を聞いて、私が本を読んだ時に、こういうことを松村先生は「民主化」という言葉でいいたいんだろうな、ああなるほど、と思いました。一方で、「民主化」というと、非常に政治的な言い方が強い言葉だから、もっと他にいい言い方があったらそれを使っていたんだろうなあと。しかしそういうことも考えた上で「民主化」を大事なキーワードとして使われたんじゃないかなと思いました。

吉田倬郎

松村:本屋が嫌がったのは、おそらく堅すぎて売れないから、ということなんでしょう。「民主化」は冒頭に申し上げたように、中谷ノボルさんがそういったので、「ああ、そういう言葉の使い方もあるんだ」と。僕はどちらかというと吉田先生の感覚に近いから、「民主化」はポリティカルな香りがして、自分の言葉として使いにくい言葉だったけれど、中谷さんが「先生、これ『民主化』ですわ」って言われて、ちょっと刺激を受けて、この言葉で理解が進むなと思ったんです。

斎藤:もう1人は外国の方はプロフェッサーの、一緒にまちをまわった方ですよね?

松村:あ!先生よく読んでいらっしゃいますね!僕忘れていた!(笑)斎藤先生ありがとうございます。今のは忘れていました。本を読まれていない方のために言うと、ファン・ランデン先生といって、さっきでてきたハブラーケン先生と一緒に研究や実践を先導されていたオランダの先生なんですけれど。その方と神楽坂あたりでタクシーに乗っていたとき、当時はバブルの時代だったので、まわりがペンシルビルだらけだった。日本では、あんな狭い敷地を1人ずつもっているからこんなことになってしまうんだ、とすごくダメなこととして捉えられていた。僕も実際そう思っていた。それが、ランデン先生には「いやあ、いつきてもはいいなあ東京は!」と言われたんです。「敷地ごとに建物が違うんだ、これが民主化の風景だ。ヨーロッパはみんな高さをそろえたり、壁面揃えたりしていて、不自由で仕方が無いけれど、東京は敷地ごとに勝手なことをやっていて最高だな!」って(笑)これが民主主義だ、って。

布野:それはハブラーケン先生やファン・ランデン先生じゃなくてもみんな言うよ。

松村:それは良い話だったということですよ。(笑)

20年後はどうなる?

宇野:「センシャスティ」とても面白く読ませていただきました。自分自身にもとても響く内容でした。実際に起きていることは、絶滅危惧種というか、それが現実ですよね。大島さんの活動もディベロッパー、開拓者として素晴らしいと思ったのですが、今ある状況に対して手当をしていくだけではなくて、もう少し踏み込むとしたらどういう方向をお考えなのかな、ということをお聞きしたい。もう1つは、建築というよりは、政策上のことや、資本が国際競争力を生むということで超高層のハウジングを集中的に建てたり、郊外に戸建て住宅をやたら建てたり、つまりまだ住宅をつくり続けている訳ですよね。今つくっているものはあんまり良くないと、いまここにいらっしゃる方も同じ考えだと思いますが、良くないとかそういう問題ではなく、つくってしまっている以上、例えばそれが10年20年30年経ったらどうなるか、あるいはそれに対して何か提案をお持ちなのではないか、ということを伺いたい。

宇野求

大島:素晴らしい振りをしていただいて!これです。ありがとうございます。今日は漫画をみなさんにお配りしています。「お家に帰ろう」というもので、曲にもあります。今布野先生が歌っていらっしゃいますが、これはまさにぼくの思うつぼなんです。(笑)これは2世帯で3世帯居住をしましょう、という本です。特にターゲットとしているのは、布野先生のような年代の方でして。それでこれはまさに、団塊世代の方が、東京の西の方、多摩よりも先の方に、1億円以上お金を払って買った40坪50坪の家に2人で住んでいるんです。そこがどういう状況にあるかというと、その方達というのは、資産形成はかなりできているので、住宅の資産は結構低い。息子たちを含め、様々な資産形成ができている。息子たちが30代前半で、マンションを都心で買いたい。当然帰ってこないことはわかっているから、 当然1000万円とかを出してあげる。こどもたちは5000万、6000万のマンションを買おうとしている。親父たちは何をしようとしているかというと、それなりに裕福なのでその家を贅沢リフォームするんです。2000万くらいかけて。でもそれってすごく効率が悪いな、と思っていて。2世帯にわたって8000万くらいのお金が動こうとしている、とてつもない金額なんです。だったら、もう1000万くらいかけて二世帯リフォームするのはどう?と言う。息子たちも結構子育てが大変だし、50分くらいの距離ならば、こどもたち通うこともできるかもしれないし、ということで二世帯リフォームをすると、3000万の家で息子たちは家賃を払うことになるけれど、こどもたちも育てることができるし、両親も孫たちのことを見ていられる。高齢者と子どもたちの両方同士の問題も解決する。それから相続の問題も解決する。親たちにもう一度お金を借りられるくらいの年齢だから、借金を作ることによって、相続対策にもなるのではないか、と。そうすると、3つくらいの問題が解決できるということなんです。これが言えるのは、一部の高級宅地団地だけなんです。それでいいじゃない、と僕は思います。というのは、戸建てのリフォーム•リノベーション推進協議会を一緒に立ち上げてやっていますけれど、戸建てのリノベーションってすごく進んでいないんです。マンションはものすごい勢いで文化が生まれた、戸建ての、特に買い取り産業がうまいことビジネスモデルを確率できていない。それは個別買いのものに対して、手間がかかるんです、リノベーションは。それのビジネスモデルというのは、なかなか難しい。ならば、かつてある時代にビジネスモデルとして開拓された、ディベロッパーが開拓した、宅地の団地がある。団地という大規模分譲地が。そのモデルがあればこそ、みなさん同じ様な世代になるので、別のモデルでそれを塗り替えていくことが可能なんじゃないかと考えています。ディベロッパーがつくったフィールドで、新たなビジネスモデルを考える。おそらくそれはタワーマンションが30年後にどういう状況を迎えるか、ということを見越して、30年後にそのシステムを塗り替えるビジネスモデルというのは恐らくまた生まれるんです。それを考えるということが、ひょっとすると「使いこなし方ディベロッパー」と言われるのかもしれない。ビジネスとして成立するためのフィールドは、時代が蓄積している、そんな感覚をもっています。

宇野:ディベロッパー的な業務ですよね。別に個別の会社ということではなく。それでいうと、1つは、『センシャスティ』は素晴らしいし、ああいうアプローチはあると思います。しかし、気がついた時には既に絶滅寸前です、と。一方で、住宅がまだ供給されている訳ですよね、計画的に。だけどいずれ、今日の議論みたいなバランスが崩れて、しかも売れなくなっているし、空き家もどんどん増えているじゃないですか。そういうものも含めて全体を見た時に、今後10年20年後に、何をどういうことを想像されているのかな、ということを伺いたい。

島原:ありがとうございます。それでいうと根本的な話をさせてもらうと、法律なり税制なりを、第1世代の民主化の時代につくった、あるいは最も効率的に行うためにつくった税制、あるいは建築基準法、土地計画法を見直さないとディベロッパーも酷いことをやっているかのようにみえるが、合法でやっている訳なんです。かといって、これも意外だったのですが、『センシャスティ』を出したときに、ものすごく反応が良かったのは大手ディベロッパー、大手設計事務所でして、伺うと必ず本棚に入っていた。つくっているものは違うじゃないですか、どうすればいいでしょう。要するに今の法律とか税制だとあれしかやりようがない、という状況ですよね。だからそこを変えていく必要があるんだと。たとえば空き家の問題にしても、特定空き屋措置法ができまして、空き家の管理とかどうするんだ?というところに、行政のパワーが使われるもとにアパートが建っても、そこに税制優遇がばっちりはいっている訳けで、悪い冗談みたいな状況になっている。そこはまず1回変えていく必要があると思います。それを踏まえた上で、ディベロッパー的な業種というのはどうなるか。やはり、社会ストックがなかった、全部破壊された後に、急速につくらなければならない、というところに全部ハウスメーカーなりにチューニングした状態が出来上がったわけですから、今はその仕事がいったん終わったと認識せざるを得ないと思います。実際、丸の内とか、日本橋の超大手ディベロッパーというのは、別に全体グループの中で言うと、マンション開発なんて、誤差みたいな仕事ですよね。そのなかで丸の内らをいかにずっと食べていけるまちにするか、価値があるまちにするかという方が、むしろ関心が高い。だから、センシャスティにも反応してくれたのだと思います。そうはいっても、1つは「防災」はどうするの?と。「木密」みたいな横町はみんな好きだけれど、地震がきて火事が来たらどうするのか、と言われる部分が泣き所だと思いますが、ここはやはり建築的な技術開発なのか、もう1ついえば、採択をするスキームをもう一度見直す。再開発事業って大体いくつかみた限りでいうと、15%〜18%くらいの補助金がついているんですけど、これはディベロッパーにとっては粗利益なんですよ、要するに。それを踏まえて行っているのなら、その1%は周辺の防災化に使ってくれというような法律があったほうがいい。自治体だけでつくれると思うし、やろうとおもえば作れるのに、誰も行おうとしない。それやるだけで随分違う開発になると思いますし、開発も速度はどうか分かりませんが、やりかたは随分マイルドになるとおもっているんです。

宇野:もう1点。自分は港区に住んでいて、大学が葛飾なんですが、2つのまちは性格が全然違うのに、1つ共通していることがあって、子どもがものすごく多い。保育園が足りないんです。それでそれに対して、それぞれの地域なりの対応で一生懸命やっていて、お母さん達は店の人たちや、ディベロッパーさんと様々な工夫をしているんですよ。そういう、新しいこどもが生まれてくる地域と、そうでない地域に日本は二分されていくと思うんです。そういう時に、やはりこどもたちを寄せていく、すなわち若い人を引き寄せる魅力というのを、今日のお2人の話にもたくさん入っていたと思うのですが、改めて一般化した、戦略化してコンサルティングできるようにした、制度的なことや経済的、そういったあたりを是非お聞きしたい。Home’sのサイトを1読者としてよく拝見しているので、もっと発信していただいて、多くのサポーターを増やしていただきたいと思っています。

安藤:これは質問ではなくてよろしいですか?

島原:はい。1つ、子育ての話でコメントさせていただくと、大島さんがやっていた例に関して、とてもいいとはおもうのですが、政府が二世帯同居で子育て支援をすることに税金を使うとか、家庭内で子育て教育をすることにお金を使う、ということを打ち出していると思うのですが、僕は逆効果だと思っていて。子育ては、少なくともどの子どもも平等に教育を受けさせてもらうとしたら、むしろ家庭の貧困から教育を離れさせる必要があるとぼくは思っているんです。お母さんの社会進出もそうですし、子どもの教育水準を貧困家庭も標準家庭も、超上流家庭は別ですけれど、上流家庭も同じ教育を受けられる。だから家庭から切り離すべきだと僕は思っています。

安藤:予定の時間を10分過ぎております。島原さんの先ほどのコメントはですね、A Forumの神田先生なんかも法律に関する部分なんぞおられたら良いように繋がったと思うんです。もうちょっとだけ時間をいただいて、なければここでまとめていただきます。あと1つ。

建築学科の行方

多田:千葉工業大学の多田と申します。今日の話を聞かせていただいて、楽しかったです。専門は構造設計です。3人とも「リーディング」、先頭を切ってこのような活動をされていると思うのですが、この後、自分たちが続けられている活動をどんどん引継いでやっていくような人は出てきてほしいのか、もしくは松村先生の本にも書かれていたように、毎年1万人も出ている建築学生がいるわけですけれども、そういった学生の受け皿になるのかという可能性を聞かせていただけると。

多田脩二

大島:わたしは第3世代ではなく、第2世代だと思っています。「常識を疑え」みたいな暑苦しいことは今の20代は言わないです。そんなこと当たり前なんです。当たり前のように、自分で自分らしい暮らしを自分でつくっていかないといけない世代。そういう感覚をもっているので、建築学科で学んだことを、まさに「母国語」として、それだけで生きていこうとは思わずに、他のフィールドにはいって、その「編集」をして、職能を発展させていくということは、多分建築野教育そのものは多岐にわたっているから、魅力的な学問に見える様になるんじゃないかなと思うんです。というのは、物件の世界と言いましたけれど、その中に不動産業界とか、いろんな業界がある中で、建築の勉強をしてきた人たちというのは、色々なことを知っているんです。だから「編集する」という基礎言語能力が高いので、みんなこれから色々な可能性を持っているよ、と僕は大学で学生達に伝えています。

松村:大島さんとか、島原さんとかの世代、あとR不動産の馬場さんらみたいな方はいますよね。第2世代みたいだけど、第3世代みたいなことをやっている方。そういう人たちが、結構な塊でやっているから、相当な影響力をもっているので、例えば大島さんがずっとリーダーでやってくださっていた、HEAD研究会のリノベーションタスクホース(TF)は、東京藝大にいる宮崎さんに代わったり、あるいは、フロンティアTFは中村真宏さんに代わったり、どんどん面白い人がいるんですよね。大島さんだけが面白いのかと思ったら、だんだん大島さんが真面目にみえてきた。(笑)中村さんくらいになってくると、建築学科はでているんだけど、もっと自由なムードで。

大島:この場で話したら怒られそうなやつらがいっぱいいます。

松村:若い世代はかなり想像を超えた領域まで広がって活動を始めている感じがあります。

島原:僕がコーディネーターをしていたシンポジウムに中村さんは花柄のパンツで来ましたから。

布野:今日は議題になりませんでしたが、建築学科を出ないといけないのか、それは松村さんどう思われているのか。例えば東京大学建築学科をつぶせとか?

松村:いやいや、そんなこと言っているわけではなくて。今日話していることが当然全てではないから、すごく生き方が職業人として多様になってくる。

布野:だけど松村先生はこの本で宣言している。

安藤:じゃあ、わたしがその本から抜き取って質問をして終わりにしたいと思います。わたしが、やっぱりこの民主化というのは極めて説得力のある議論だと思うんですけれど、1つの歴史的過程を扱っているのなら、その次も聞きたくなる。それが関連して言うと、建築がまた必要になる時代が来るのかという問題とか、あるいは人口減少の局面に達しているのは、ほぼ日本だけですよね、現時点では。こういう問題のない国では建築はまだ必要なのか、とか。その辺りのことは松村先生を中心にまた議論を重ねていきたい。ということでこの場はここで終わりにしたいです。

斎藤:このフォーラムの前回は第4回で、1月13日に開催しています。振り返ると新国立競技場の問題から、前回のプレカットまで落差の激しい議論をしてきました。このA-Forumとしては、建築家ありきの議論ではなく、どんなことが問題になっているかを、今回のことをステップアップして、今と来世財産、未来の建築家、あるいはエンジニアを含めて問題提起していきたいと思います。これは、次にも話していかなければいけない。ネクストもよろしくお願いします。ありがとうございました。

(原稿整理 長谷部勉:文責 布野修司)

松村秀一

東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。1957年 兵庫県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業(1980),東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了 工学博士 (学位論文:戸建住宅構法計画試論)(1985),東京大学工学部建築学科専任講師(1986),東京大学大学院工学系研究科建築学専攻助教授(1990),ローマ大学客員教授(イタリア)(1992),トレント大学客員教授(イタリア)(1996),南京大学客員教授(中国)(2004),大連理工大学客員教授・建築産業化及び技術研究所所長(中国)(2005),東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授(2006), モントリオール大学客員教授(カナダ)(2007),ラフバラ大学客員教授(イギリス)(2010)、特定非営利活動法人建築技術支援協会代表理事(1998年~),一般社団法人日本建築学会副会長(2016年~),一般社団法人HEAD研究会副理事長(2010年~)、一般社団法人団地再生支援協会会長(2016年~)。「住宅生産の工業化に関する研究」で2005年日本建築学会賞を受賞。「箱の産業-プレハブ住宅技術者たちの証言-」(彰国社)で2015年日本建築学会著作賞を受賞。「建築再生の進め方-ストック時代の建築学入門」(市ヶ谷出版社)で2008年、「箱の産業-プレハブ住宅技術者たちの証言-」(彰国社)で2015年、「建築-新しい仕事のかたち 箱の産業から場の産業へ」と「場の産業 実践論」(彰国社)で2016年、都市住宅学会賞(著作)を受賞。「建築-新しい仕事のかたち 箱の産業から場の産業へ」(彰国社)で2016年第10回日本ファシリティマネジメント大賞(功績)を受賞。

大島芳彦

ブルースタジオ 。1970年東京都生まれ。1993年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。1996年The Bartlett, University College London(英国)。1994から97年 Southern California Institute of Architecture(米国)。1997から2000年石本建築事務所。2000年からブルースタジオ専務取締役。

島原万丈

Home’s総研所長。1989年株式会社リクルート入社。2005年より リクルート住宅総研。2013年3月リクルートを退社、同年7月株式会社ネクストでHOME'S総研所長に就任。他に一般社団法人リノベーション住宅推進協議会設立発起人、国交省「中古住宅・リフォームトータルプラン」検討委員など(現:株式会社LIFULL/LIFULL HOME'S 総研所長)。

安藤正雄

千葉大学名誉教授。1948年生まれ。東京大学工学部建築学科卒業(1972),同大学大学院工学系研究科工学修士課程修了(1974)。建築生産,建築構法,構工法計画,住宅生産,ストック型ハウジング,建築生産,プロジェクト・マネジメント,植民都市に関する研究などをテーマとして建築学研究に取り組む。千葉大学工学部講師(1976〜),千葉大学工学部教授,千葉大学大学院工学研究科教授を経て2014年千葉大学工学研究科名誉教授就任。「インターフェイス・マトリクスによる構工法計画の理論と手法」日本建築学会賞(論文)受賞(2004)。共著に「変革期における建築産業の課題と将来像」,「建築ものづくり論-Architecture as “Architecture”」他。

布野修司

建築討論委員会委員長。日本大学特任教授。1949年松江市生まれ。工学博士(東京大学)。建築計画学,地域生活空間計画学専攻。東京大学工学研究科博士課程中途退学。東京大学助手,東洋大学講師・助教授,京都大学助教授,滋賀県立大学教授,副学長・理事を経て現職。『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』で日本建築学会賞受賞(1991),『近代世界システムと植民都市』(編著,2005)で日本都市計画学会賞論文賞受賞(2006),『韓国近代都市景観の形成』(共著,2010)と『グリッド都市:スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』(共著,2013)で日本建築学会著作賞受賞(2013,2015)。

斎藤公男

構造家。A-Forum代表。日本大学名誉教授。1938年群馬県生まれ。日本大学理工学部建築学科卒業(1961)。日本大学大学院修了(1963)。日本大学理工学部建築学科教授就任(1991)。日本建築学会・第50代会長(2007〜2008)。日本大学名誉教授(2008〜)。日本建築学会賞(業績)(1987)。松井源吾賞 (1993)。IASS Tsuboi Award(1977)。Pioneer Award(2002)。BCS賞(1978,1991,2003)。日本建築学会教育賞(2009)。IASS Torroja Medal(2009)。主な作品に,岩手県体育館(1967),ファラデーホール(1978),酒田市国体記念体育館,天城ドーム(1991),出雲ドーム(1992),穴生ドーム,船橋西台前駅(1994),唐戸市場,山口・きららドーム(2001),静岡・エコパスタジアム,京都アクアリーナ(2002),金沢駅・もてなしドーム(2004),他。著作に「建築の構造とデザイン」(共著,1996),「つどいの空間」(共著,1997),「空間 構造 物語」(2003)。「建築の翼」(監修,2012),「風に向かって」(2013),「新しい建築のみかた」(2014)他。

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