書評/石榑督和 『戦後東京と闇市 新宿・池袋・渋谷の形成過程と都市組織』 鹿島出版会 2016年9月20日
東京:祭師と開発業者たちのパラダイス?
Tokyo : Paradice of Speculators and Developers?

新宿駅、渋谷駅、池袋駅、東京都民ならずとも一度は降りてみたことのある親しいターミナル駅といえるのではないか。評者の場合、18歳で上京して井の頭線沿線に住んだこともあって、毎日のように渋谷の街を歩いた。そして、新宿、池袋にもしばしば足を延ばした。名画座、人生座といった200円程度で見られる映画館があり、週末にはオールナイト5本立てなどという映画館があったから、頻繁に足を運んだのである。1960年代末から70年代にかけて、渋谷、新宿、池袋は、学生の街であった。その後も、京王線沿線、東上線沿線また東横線沿線、すなわち、環七沿線の西東京を居住圏としてきたから、四半世紀前までは池袋、新宿、渋谷の駅周辺はホームグラウンドのようなものであった。いくつもの居酒屋を知っているし、今でも通う店もある。
本書は、新宿、渋谷、池袋のターミナル駅周辺がどのように形成されてきたのか、とりわけ、第二次世界大戦後まもなくの闇市の興亡、その帰趨に焦点を合わせて、その変容過程を明らかにするものである。見慣れた町の知らない成立ちを活き活きと描き出しており、それぞれの街の景観の新たな相貌を発見することになる。そして、今、東京で進行しつつあるプロジェクトの背景を窺ういくつかのヒントを得ることになる。

%ef%bc%91

本書のもとになっているのは、『闇市の形成と土地所有からみる戦後東京の副都心ターミナル近傍の形成過程に関する研究』と題された学位請求論文(2014年、明治大学)である。論文は、(財)住宅総合研究所の第一回博士論文賞を受賞したことが示すように一級の仕事といっていい。丹念な膨大な作業がその論拠をしっかりと裏打ちしている。
大幅に構成し直したというが、本書は、大きく4章からなる。東京のターミナルの形成を概括した上で(Ⅰ 東京のターミナルの形成と駅前広場)、新宿(Ⅱ 四組のテキ屋が組織した闇市の盛衰 新宿の戦災復興過程)、池袋(Ⅲ 一主体が所有する広大な土地が与えた池袋の戦災復興過程)、渋谷(Ⅳ 地主が開発したマーケットの簇生と変容 渋谷の戦災復興過程)が順に扱われる。
本書の目的、視点、方法、枠組については序章に簡潔にまとめられる(序章 東京のターミナルと闇市)。何故、ターミナル駅なのか、何故、闇市なのか。東京の都市構造は、鉄道ネットワークによって成立しており、日本の大都市圏のように鉄道ネットワークが張りめぐらされた都市はないと著者はいう。確かに、今や日本の全人口の4分の1が集積する世界一の大都市圏域となった日本の首都圏を支える鉄道ネットワークのパターンは世界に類例のないものといっていい。しかし、本書が焦点を当てるのはネットワークそのものではない。ターミナル駅はネットワークの結節点であり、都市のインフラストラクチャーの要である。それ故、ターミナル駅周辺の街の成立ちをテーマにすることは大いに意味がある。ただ、そうであれば比較すべきターミナル駅は世界中に無数にある。著者の関心は、おそらく、闇市の方にある。何故、闇市がわれわれを引きつけるのか。それは、土地の所有と占有をめぐる原初の攻防、都市が形成され、変容していくメカニズム、都市組織の構成原理を見ることができるからである。結章(所有と占有からみる都市史)でまとめられるのはまさに都市計画の基本に関わるそうしたテーマについての議論である。

%ef%bc%92

新宿、池袋、渋谷の戦災復興過程は、各章のタイトルが示すように異なっている。場所に積み重ねられた歴史が異なり、土地所有の形態が異なるから、当然である。
新宿については、東口、西口の3地区と駅ビル、それに三越周辺、そしてゴールデン街が取り上げられる。新宿の闇市を組織した「尾津組」「野原組」「和田組」「安田組」という4組の「テキ屋」の「暗躍」が活き活きと描かれる。評者のように、1960年代末から歩き回っていた世代にとっては消えた建物、店は少なくないが、中村屋、高野フルーツパーラー、武蔵野館など、現在も場所を特定できるから、その変貌は容易にイメージできる。戦後まもなくの闇市の雰囲気を今でも残すのが、西口の「思い出横丁」であり、三光町の新宿ゴールデン街である。今や外国人観光客が数多く訪れる東京の名所であるが、東口の和田組の「八十八軒部」と呼ばれたマーケットが1951年に集団移転してできたのが新宿ゴールデン街である。新宿のみならず、池袋、渋谷についても戦後闇市の現存状況はそれぞれの章末に表として示されている。
露天商を組織した「テキ屋」が「暗躍」した渋谷に対して、池袋の場合、東口には敗戦直前に疎開事業で駅前の建物が撤去された広大な交通疎開空地と東武鉄道の社主根津嘉一郎が所有する雑木林(根津山)、西口には豊島師範学校用地があるだけであった。すなわち、民間の土地所有者は一人だけであった。「森田組」の「東口マーケット」など5つのマーケットが成立するが、1948年半ばには解散している。変わって進出したのは「武蔵野デパート」を建設した西部資本である。根津山は露天商たちの移転の受け皿となる。戦災復興土地区画整理事業は、権利関係者が少ない分、新宿よりスムーズに進むことになる。
渋谷は現在大きく変貌しつつある。戦後最大の大変貌が進行しつつあるといっていい。本書は、センター街の入口を含めて、現在一大再開発が行われている一体を対象とする。
渋谷の場合、台湾人によって「駅前マーケット」が建設され、「松田組」との抗争にGHQも介入する事態となり、「渋谷華僑襲撃事件」(1946年7月19日)が勃発する。新宿、池袋と異なる事態が進行する。渋谷の闇市の解消過程と戦災復興過程を特徴づけるのは、電鉄、百貨店などの有力資本の主導の一方で、小規模な土地を所有する地主が商店を立ち上げていったことである。
新宿、池袋、渋谷のそれぞれの場所については、本書によって復元された地籍図と表を片手に歩いてみるといい。街がどのように形成され、変容していくかを具体的に実感することができるだろう。

%ef%bc%93

結章は、それぞれの形成、変容の過程をいくつかに類型化する。
まず、テキ屋主導のマーケット街の形成(類型A)と地建者(地主・借地人)建設のマーケット街形成(類型B)が分けられる。すなわち、不法占拠のかたちで形成されたインフォーマルなマーケットと地権を前提として建設されたフォーマルなマーケットの形成がある。そして、地権者の中でも、鉄道会社や百貨店、大規模店舗などの戦災対応と復興過程(類型C)がある。さらに、公道上に発生した露店群の形成とその解消過程(類型D)がある。いずれの類型についても具体例に即して様々なヴァリエーションが明らかにされる。
結論を一言でいえば、「巨大ターミナルの近傍の形成過程は、時間を経るにつれて経路が増えていくが、戦後復興期に複雑化した空間に対する権利関係を単純化していく過程であった」ということである。
こう整理してしまうと、身も蓋もないかもしれないが、圧倒的な結論といっていい。単純な権利関係によって整理された街が、われわれが世界中で手にしつつある街である。
さらに、著者はこうもいう。「闇市の整理の裏側で、大資本が土地の取得と戦災復興土地区画整理による集約を行っていたことを見てきた。こうした大資本の勢力伸長を推進するような換地設計が、計画段階でどれほど意図的に行われていたかは、今後さらなる実証的な検証を必要とするが、戦災復興土地区画整理事業を遂行する公権力側にこうした意図があった可能性を示している」。

%ef%bc%94

%ef%bc%95

かつて、「アジアの都市変革のディテクター」とは誰か?をめぐるライデンで開かれた国際シンポジウムに招かれ、東京についてしゃべらされたことがある(International IIAS workshop: Mega-Urbanization in Asia: Directors of Urban Change in a Comparative Perspective, International Institute for Asian Studies (IIAS), Leiden University, Leiden, 12-14 December 2002 )。一冊の本にまとめられている(Peter J.M. Nas(ed.),“Directors of Urban Change in Asia ”,Routledge Advances in Asia-Pacific Studies,Routledge,2005)。「果てしない東京プロジェクト:破滅か?それとも再生か:コミュニティ・デザインの時代を目指して」(Never Ending Tokyo Projects: Catastrophe? or Rebirth?: Towards the Age of Community Design)と題して話したのだけれど、本になった時は「Tokyo:Paradise of Speculators and Builders」という題になった。大都市東京を動かすものは何か?本書が提起するのはそうした大きな問題である。

%ef%bc%96

豊洲問題の背後にあるものは何か、東京オリンピックの施設建設の水面下で蠢くものは何か。著者は、別のところで次のように書いている。
「虎ノ門ヒルズの下層を通り、新橋まで延伸された環状2号線は、五輪までに選手村や競技場が建設されることとなる湾岸部を通り豊洲まで延伸されることになっている。すでに湾岸部では超高層マンションの開発が相次いでおり、1980年代からの都の懸案であった湾岸地域の開発が五輪開催決定と環状2号線の延伸、さらに築地市場の豊洲移転などを契機として急激に進展する。
こうした地域の再開発・開発は、交通インフラの整備だけではなく、2002年に施行された都市再生特別措置法に基づく特定都市再生緊急整備地域に指定されていることで、さらに後押しされている。特定都市再生緊急整備地域の特徴は、土地利用規制の緩和に加え、事業者が都市計画を提案できる点にあり、東京では約1,990haを一帯的に指定した東京都心・臨海地域、新宿駅周辺地域(約220ha)、渋谷駅周辺地域(約140ha)、新駅とその周辺の開発が進む品川駅・田町駅周辺地域(約180ha)の4区域が指定されている。こうした地域を中心に、都や国は五輪開催を経済の活性化に役立て、交通インフラの整備と規制緩和を用意し、海外からの投資を呼び込むことで東京を改造し、グローバルな都市間競争において確固たる位置を確立する戦略をたてている。」(「新宿・渋谷・池袋の再開発のいま」『建築討論』004号2015年4月)。
半世紀後あるいは100年経った後、著者のような研究者が現れて、以上のような過程を実証的に解き明かすことになるのであろうか。

%ef%bc%97

%ef%bc%98

本書を読みながら、いくつか思い浮かべたことがある。ひとつは、雛芥子名で書いた「祭師たちの都市戦略--劇場街〈渋谷〉批判-」(『同時代演劇2』マルス、1973年9月『布野修司建築論集2 都市と劇場 都市計画という幻想』彰国社、1998年)という、渋谷にPARCOが進出、西部劇場がオープンし、NHK放送センター・ホールのこけら落としがあった1973年の文章である。小見出しだけ列挙すれば、「報道のエクリチュール」「企業のエクリチュール」「公園通り(VIVA PARCO)」「闇市―ターミナル―「劇場街」」「<西武>という名の劇場」「イヴェント戦略」である。「都市の記号学」あるいは「都市の現象学」を標榜する都市批評の試みであったが、「闇市―ターミナル―「劇場街」」の項目を掲げている。読み返してみて、本書のような緻密な分析は欠いているけれど、およそ的を突いていたのではないか、と思った。本書の「あとがき」に、著者は、「東京の今と本書の内容はどのように関係するのだろうか」と書いて、「新宿・池袋・新宿などの巨大ターミナル近傍に限っては、もはや再開発を繰り返す場所として割り切るべきだと考える」という。また、「戦後の都市空間を残す場所、資本を投下し開発を繰り返す場所、選択が必要である」という。しかし、問題は誰が選択するのか、誰が割り切るのか、である。

%ef%bc%99

%ef%bc%91%ef%bc%90

評者がもうひとつ読みながら思い浮かべていたのはスラバヤのカンポンである。もう35年以上フィールドにしているのであるが、当初、臨地調査で困惑したのは、土地建物についての権利関係が錯綜して容易に明らかにできないのである。近代的な土地所有関係、権利関係についての近代法はある。しかし、2か月単位の契約とか、固定資産税の納付と絡んで複雑な関係が形成されていた。というのも、カンポンの多くはもともとイリーガルな不法占拠地なのである。農村から職を求めて都会に移住してきて、とにかく住み着いてできたのがカンポンである。カンポン改善事業KIPは、結局、居住権をリーがライズする形で実施されていくのであるが、それを主導したのはカンポンのコミュニティ組織である。道路建設のための立ち退きなどの場合、権利関係を調整できるのはカンポンのコミュニティである。カンポンには共有地(コモンズ)のようなスペースもある。複雑な権利関係は、地上げに対する抑止力ともなっている。大規模な再開発は簡単にはできない仕組みがあるのである。
闇市は「闇」市である。非合法である。しかし、闇市がなければ生きていくことのできない状況が戦後まもなく出現したのである。「テキ屋」という存在はその歴史を遡って論じなければならないであろうが、闇市を仕切る誰かが必要であり、それが暴利をむさぼる反社会的な社会集団も含まれる「テキ屋」であったということである。都市の発生、市の発生は、諸関係が生存をかけて絡まる中で、まさに起こるのである。そこには、当然、権力と法の成立根拠もある。いささか気になったのは、著者が闇市礼賛、闇市=盛り場論を批判する上で、闇市そしてテキ屋を都市計画の攪乱要因とのみとらえているように思えることである。著者自身も、「巨大ターミナル近傍に限っては、もはや再開発を繰り返す場所として割り切るべきだと考える」といいながら、「思い出横丁はこれまで幾度と無く再開発の計画が持ち上がったが、土地建物の権利関係の複雑さから、ことごとく立ち消えてきた。今後も新宿の遺産として残ることを期待する。」ともいう。例えば、吉祥寺にハモニカ横町に集う建築家たちは、何を考えて、再開発の仕事を手掛けるのであろうか。

%ef%bc%91%ef%bc%91

選択が必要というけれど、都市が全てそうであってはいけないのか。そうである、とは「闇市的なるもの」である、というと誤解が多すぎるとすれば、「カンポン的なるもの」である。

著者紹介:
石榑督和
建築史・都市史、明治大学理工学部建築学科助教。1986年岐阜県生まれ。2014年明治大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。2015年に論文「闇市の形成と土地所有からみる新宿東口駅前街区の戦後復興過程」で日本建築学会奨励賞受賞、論文「闇市の形成と土地所有からみる戦後東京の副都心ターミナル近傍の形成過程に関する研究」で住総研第一回博士論文賞を受賞。2014‐2015年明治大学兼任講師、2015年より現職、2016年よりツバメアーキテクツ参画。

布野修司

この投稿をシェアする:

コメントの投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA