建築作品小委員会選定作品
座談会「古都のグローバル化と建築家の展開」
Globalization of ancient capital and development of architects

座談会メンバー:森田一弥、魚谷繁礼、木村吉成、文山達昭、阿部大輔
司会:川勝真一
オブザーバー:京智健
記録:川井操
日時:2016/9/22 20:00-21:30
場所:RAD事務所

【企画趣旨】

古都京都の空間構造はグローバル観光の影響下で大きく変わろうとしている。投資目的とした町家やビルの買い上げ、宿泊施設の増加、それに伴う土地価格の上昇によりますます観光都市化としての特質が顕在化しつつある。そうした中で、建築家たちはこのグローバル化現象をどのように考えるのか、多様性の享受と捉えるのか、そして建築空間にどのように影響するのか、その先に待ち構えているものは何か。まず京都市役所都市計画局の文山達昭氏に現在のグローバル観光化における都市的状況を概説していただいた。続いて京都で設計実務に携わる3人の建築家、森田一弥氏、魚谷繁礼氏、木村吉成氏に作品事例をもとにしてそれらを取り巻く状況を含めて解説していただいた。さらに都市計画研究者阿部大輔氏にはヴェネチィア、バルセロナといったグローバル観光の先行事例についてお話しいただいた。そして京都で起こる都市現象とその行方について全体討議をおこなった。

【グローバル観光と宿泊施設の増加】

川勝:本日はお忙しいなかお集まり頂きありがとうございます。
まずは現在の観光を要因とした開発が進む京都で起きている都市現象について整理してみたいと思います。そこで状況をよく存じておられる京都市役所の文山達昭さんにお伺いします。

文山:現在、私は京都市役所で密集市街地改善や空き家対策を中心に仕事をしています。観光政策には直接の関わりはありませんが、市内各地で地域住民の方々とまちづくりに携わる立場として、近年のまちの変化を身をもって感じています。

文山達昭氏

文山達昭氏

そのなかでも大きな変化のひとつが町家を改修した宿泊施設の増加です。旅館業法の許可を取得しているものだけを見ても平成24年度の6軒からわずか3年あまりで260軒を超えるまでに増えています。町家の保全・再生という観点からは喜ばしき事態ではありますが、しかし、プライバシー性の高い路地奥で突然営業がはじまるなど場所を問わず増え続けており、こうした状況を地域住民の方々はあまり歓迎していないのが実情です。特に町家一棟貸しの宿泊施設は管理者不在によって中身がブラックボックス化してしまうため、地域の方々は防犯・防災面で不安を抱きがちで、実際に反対運動が起こっているところもあります。また、ブームに乗った国内外からの投資・投機のあおりを受けて価格が急激に上昇し、京都の人が居住空間として町家を借りたり買えなくなっている状況もあると聞きます。
そして、もうひとつの変化が新築ホテルに関わるものです。戸建住宅を建てるには大きすぎ、マンションを建てるには小さい。また、街区内部にあるため商業利用も見込めない。これまではコインパーキングとしてしか利用できなかったそのような土地に、プチホテルなどと称してペンシルビル状の簡易宿所が次々と建設されはじめています。町家の場合は住宅への可逆性がありますが、これらプチホテルの多くは転用するとしてもワンルームマンションくらいしか行き先がない。インバウンドが今後10年持たないとすると、ブームが去った後に不良ストックとして残るおそれもあります。
これまでは宿泊施設というと、一定規模を有し、交通アクセスのよいところや観光スポット周辺に立地するという通念があったと思うのですが、現在の京都では、規模がミクロ化するとともに、既存の生活空間の内側に入り込むようにして、それらがいたるところで、かつ急速に増殖しているという印象を抱いています。こうした状況を従来型のゾーニング手法だけでコントロールすることは困難です。
都市やまちにとっての宿泊という機能や用途、そのための空間のあり方をいまいちど考え直す必要があるのではないかと感じています。そして、京都においては、歴史や景観の象徴であり古くからの町衆文化を支えてきたものでありながら町家それ自体が次々に宿泊施設と化し地域へさまざまな影響をもたらしているという状況をどう捉え評価するかが、その切り口のひとつになるだろうと考えています。

【町家に見るクライアントの変化】

森田:作品を紹介する前に、まずは学生の頃から町家とどう関わってきたのかについてお話しします。私は愛知県の田舎から出てきて、最初はワンルームマンションにすごく憧れていました。大学入学当初はトイレやキッチン共同のオンボロな文化アパートに住んでいました。「こんなところ嫌だなあ」と思っていて、2年生の時、憧れだったワンルームマンションに引っ越しました。その後、一年間海外を放浪した時にその土地の文化を象徴する民家に興味を持って、帰国したタイミングで「町家に住みたいな」と思い始めて探したことが最初の町家との関わりでした。1995年当時、町家はすでに空き家になっているものが多くて、ガスメーターに「閉栓」の札が付いている物件を探して回って直接交渉して入居しました。一棟貸しで家賃月4万円ほどでした。

森田一弥氏

森田一弥氏

大学院を卒業して1997年から左官職人になり、主に京都の重要文化財等の修復などに携わっていました。働き始めて数年後に『別冊太陽』という雑誌で「古民家再生術」 という特集が組まれて、そこで麻生圭子さんが町家の良さを語ったりして、第一次町家ブームのようなものが起き始めました。
京都に住んでいる人たちも「町家もいいよね」と言い始めて、自分たちのささやかな資金で改修したりする物件がちらほら見えるようになりました。
そんな折、最初に町家を改修したのが小川通御池にある《繭》(2000)という作品でした(fig-1)。建物の持ち主がクライアントで西陣織を営んでおられました。用途は西陣織の体験工房も含む複合店舗です。

fig-1 《繭》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

fig-1 《繭》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

町家はもともと職住いろんな用途を受け入れていた建物です。一時的に専用住居になっていた町家が、その頃再び店舗として使われるようになってきました。
ところが2010年頃からクライアントのタイプがそれまでと違ってきました。関東、大阪、神戸の方が、町家を借りるというのではなく「買い取って改修する」というケースが増えだしたのです。用途も店舗ではく、ツーリストの宿として貸すスタイルや2拠点居住の別荘としての物件が増え始めました。
そんな状況下で手がけた初めての京都以外のクライアントの物件が《御所西の町家》です(fig-2)。
町家というより長屋形式に近い建物ですが、もともとは西陣織の職人の工房だった建物で、織り機が置いてありました。クライアントは普段は東京在住で、「月に何日かは京都に遊びに来たい」という理由で購入されているのでプログラムに対する要求も少なく、目先の使い勝手よりもむしろ既存の町家の良さを積極的に楽しもうという方だったので、荒壁と土を叩き締めただけの広い土間のある、日本の民家の起源を感じられるような空間になりました。

fig-2 《御所西の町家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

fig-2 《御所西の町家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

《西洞院の町家》

この物件は大阪在住のクライアントでした。当面は住むわけではなく別荘として使うという話でした。《繭》では3棟で3000万円規模、1棟1000万円程度の改修費だったのですが、《御所西》もそうでしたが、ここでは2500万円ぐらい掛けて構造も含めてしっかりとした改修をすることができました(fig-3)。

fig-3 《西洞院の町家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

fig-3 《西洞院の町家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

《梅ヶ畑の民家》

ここは町家ではなく、郊外の旧農村集落の古民家です。改修前は屋根も落ちて相当ボロボロな状況でしたが、京町家や中古住宅を扱う(株)HACHISEさんが買い取って彼らが事業主として改修費を出資した物件です。使う人や用途も決まっていなかったのですが、まずはちゃんと直そうということで、きちんとお金をかけて3500万円ほどかけて改修しました。基礎も打って、柱も相当な数を入れ替えました。そしてきちんと住めるような状態にして販売しました。後々、有名なコーヒー屋さんが買い取って、社員の研修所、商品開発の場所として使われているようです(fig-4)。

fig-4 《梅ヶ畑の民家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

fig-4 《梅ヶ畑の民家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

《北白川の家》

ここは町家というより大正期の戸建ての数寄屋住宅のような物件でした。ここで初めてクライアントが外国人になりました。香港人クライアントです。要望としては、ゲストハウスとして使いたい。だけど買った後に調べてみたら第1種専用住宅地域でゲストハウスにできなかったんです。彼らの感覚として「判断を3日待ったら売れてしまう」それぐらいのスピード感で買ってるんですね。ゲストハウスにはできなかったけど転売するか賃貸物件にするという前提で、2500万円ぐらいかけて改修しました(fig-5)。

fig-5 《北白川の家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

fig-5 《北白川の家》(写真提供:森田一弥建築設計事務所)

改修する上で大事にしていることは、時代遅れになった水回り、すなわちインフラにお金をかけること。そして構造をしっかり直すこと。数年後先の使われ方が予測できないという状況の中、用途変更に対応できるよう、オリジナルに回復可能な作り方にしておこくことが重要だと思っています。
そして町家には70~80年近い歴史があります。例えばかつてカマドがあって壁が真っ黒な状態であったり、柱を継ぎ足した跡が残っていたり。そうしたこれまでの住まいの痕跡をきちんと残しながら直すことに注意を払っています。
京都外からのクライアントは、海外の人も含めて古い民家の改修物件をすごく気に入っていくれてます。新築のように綺麗にせず、あえて既存建物が経てきた歴史を残すことに共感してくれるなど、同じ価値観を共有しやすいように感じています。こういった状況下で現在は設計を進めています。

川勝:森田さんご自身の町家に住むきっかけ、当時の状況、設計事務所としての町家改修経験からお話ししていただきました。重ねて、地元の人による店舗兼住宅、不動産、東京、外国人、といった「クライアントの変化」についてご紹介いただきました。

魚谷:森田さんは僕が学生の頃、まだ町家が今みたいにブームではないときから町家改修に取り組んでいたことを記憶しています。時流に囚われず、特に土を中心とした材料の扱いに注力するやり方で一貫していますね。そして、一貫しつつも、同じようなものをつくり続けているわけではないし、つくるもののクオリティが上がっているように感じます。

【都市構造と伝統産業への接続】

魚谷:インバウンドにより町家が売買されたり、宿泊施設にされたりしていることには賛否いろいろな意見があると思うんですが、インバウンドをうまく利用して荒廃した町家を改修し残すこと、そして将来的には宿泊施設から住居にも戻せるようにしておくこともありえるのではないかと考えています。つまり、今のうちにコストをかけて多くの町家を改修しておく。

魚谷繁礼氏

魚谷繁礼氏

先日竣工した《御所西の宿群》は、街路に面したオモテの2軒の町家と路地奥の8軒の長屋を一棟貸しの宿泊施設10軒に改修しました(fig-6)。いずれも空き家でほとんど荒廃していました。厳密に言うと旅館法上は10件の申請になりますが、長屋は柱梁を共有しているため建築基準法上は4棟の建物という扱いになります。全ての部屋のプランを変えています。一棟貸しの宿泊施設が集まり、路地全体で一つのホテルのようになります。集まっているため、共用のサロンを設けると同時に、常駐のスタッフも設置でき、問題があったときに素早く対応できるようにしています。これは、宿泊客のためのみならず、近隣に居住の人たちへも対応できることを想定しています。路地奥での一棟貸しが必ずしもいいとは思いませんが、空き家ばっかりの場合は、路地奥の長屋群が形成する街並み保全に有効だと考えます。

fig-6 《御所西の宿群》(写真提供:魚谷繁礼建築設計事務所)

fig-6 《御所西の宿群》(写真提供:魚谷繁礼建築設計事務所)

現在工事中の《西六角町の宿群》も路地奥の空き家である1軒長屋一棟を一棟貸し4軒に改修するプロジェクトです。
ところで旧五条楽園というエリアは、この地域の歴史的背景その他もろもろの理由から、土地は周辺の相場よりも安くてもなかなか売れないような場所でした。一方でお茶屋建築がたくさん残る独特の雰囲気を醸し出す魅力的なエリアでもあります。僕はこの地域がすきで、いくつか、お茶屋建築を小商いの集合した施設として活用するプロジェクトに関わっているのですが、近年はそのようなまちの背景を気にしない、というか知らない海外の人により、京都駅と東山の観光地の間という立地、町家(正確にはお茶屋)、鴨川と高瀬川がある、安い、という理由で急に土地が買われるようになりました。現地に一度も来ないで買っていく人も多いようです。それにともない土地の値段も3~5倍に跳ね上がりました。そのほとんどが宿泊施設への転用目的です。町家やお茶屋が宿泊施設へと転用されると、文山さんの話にあったように、宿泊客以外は中に入れない、外部に対して閉じてしまう、といった点があまりおもしろくありません。とはいっても、現在の京都において、宿泊施設の事業性のよさは他の用途をはるかに凌ぎます。小商いの集合した施設など足元にも及びません。そこで今では、宿泊施設へ転用するようなプロジェクトも引き受けつつ、オーナーを説得し、施設の一部を地域に開かれたテナントスペースとして活用しつつ計画をおこなっています。現在工事中の《第二西菊》もお茶屋建築を宿泊施設に転用するプロジェクトなんですが、地域の「パン屋さんがこの地域にない。パン屋がほしい」という声に応え、オーナーと協力してパン屋を誘致し、宿泊客への朝食サービスを条件にテナント料をほとんど無料にするなどしています。
最近設計を依頼されるのは宿泊施設が多いですが、そのオーナーのほとんどが東京在住だったり或いは外国人です。宿泊施設以外では別荘も多いです。《新釜座町の町家》は2つの隣接する柱壁を共有する町家を改修して1軒の住宅にしたものです(fig-7)。クライアントはロンドン在住で、京都が大好きな方です。クライアントとは打合せの度に、和紙、造園、銘木、漆といった日本の伝統的な産業に従事する作家さんのところに一緒に廻りました。町家再生を単なる建物の改修に留めるのではなく、それにまつわる伝統的な産業を巻き込むことも今後は重要だと考えています。

fig-7 《新釜座町の町家》(写真提供:魚谷繁礼建築設計事務所)

fig-7 《新釜座町の町家》(写真提供:魚谷繁礼建築設計事務所)

川勝:魚谷さんのこれまで建築作品の語りとして、都市構造から路地や街区構造への問題意識が中心にあったように思いますが、それだけでなく地域の産業構造への問題意識があるという点を興味深くお話を伺いました。

【町家の属性「職住混合」の可能性】

木村:私は京都に引っ越して4年になりますが、特に京都で生まれたわけでも学んだわけでもなく、大阪で10年近く設計事務所をやっていました。ただ実際に京都に移り住んでみると、仕事内容がガラリと変わりました。改修もしていますが、今は新築をメインでやっています。

木村吉成氏

木村吉成氏

われわれの場合、住宅+店舗あるいはアトリエといったような職住一体型の建築を選択されるクライアント、職種としてはデザイナー、アーティスト、フォトグラファーなどが多い。
こうしたクライアントの変化やプログラムの要求は京都に引っ越してからのことでした。どうしてこんなことが起こるのか?考えますと、それは京都における町家のあり方に内在していたものではないか。すなわち町家の延長線上、あるいは系譜上に職住一体型の建築のニーズがある、という見方ができるではないか。100%住居ではなく、お店、教室、工房が混ざり合う居住スタイル。そのように生活形態がごく親しい距離感で街に表出しているがゆえではないかと感じています。
話は変わりますが、現在、私は大阪市立大学博士後期課程に在籍中でして、そこで泉北ニュータウンの研究に携わっています。住居専用地域という性格上、かつてはほとんどが専用住宅だった地区ですが、今では住みながら部屋を開放するいわゆる「住み開き」を実行している人も多く、例えば家の一室をお店にしたり教室にしたりしています。住んでいる個人の欲求から生まれる生活現象を観察していて、大変興味深いと感じています。
このように設計や研究を通じて、自分たちの仕事の中で「住まうこと・働くこと」を行う場としての建築というが主要なテーマになりつつあります。
あるいはわれわれのクライアントには、これしかないというお金を握りしめて「工事途中で終わってもいいからつくってほしい」という人もいます。自分たちの生活の場を家族の営みのためだけに留めない、つまり住むことと活動することに「切実」な希求があり、それを感じ取る・応えることが設計として展開してゆく状況にあります。
そんな中で取り組んだものの一つが《house T / salon T》(2015)です(fig-8)。
これは京都の市街地から少し北にある八瀬という地域にあります。夫婦+子供2人の4人家族で、旦那さんは服飾デザイナーをされています。「自分で作って、お客さんに自ら手渡すことのできる場所をつくりたい」といった要望でした。
クライアントはこの京都からの適度な距離感を大事にされていました。家族として街中が良いのか、商売として郊外がよいのか、そのあたりの距離感への微妙なデザインをされていました。彼の「人としての切実さ」と「場所としての切実さ」の二重の切実さになんとか答えたかった。風致地区規制のセットバックラインに、7×3間のフットプリントを定めました。2階は7×1間、その面積比は3:1、合計28坪です。つまり開かれた空間を3、就眠の空間を1としました。
プランニングについては、職・住を分離するのではなく「職住混在」を試みました。単に用途で区切るのではなく、例えばキッチンではなく広く使える家庭科室の厨房のようなものであったり、風呂の壁を取っ払ってビニールプールを置けるような広さにしたりしました。風呂は個人の領域として一番開きにくい機能だと思うのですが、一定の広さを与えることで子供が友達を呼んでプールとして遊んだり野菜を洗えたりできる水場のような存在になりえます。

fig-8 《house T / salon T》(写真提供:木村松本建築設計事務所)

fig-8 《house T / salon T》(写真提供:木村松本建築設計事務所)

続いて、これはつい先日完成した《house A / shop B》(2016)という作品です。
改修ではなく新築物件で、敷地は上賀茂神社の近くです。金属プロダクトを制作するデザイナーのためのアトリエ兼工房兼カフェ兼住居です(fig-9)。

fig-9《house A / shop B》(写真提供:木村松本建築設計事務所)

fig-9《house A / shop B》(写真提供:木村松本建築設計事務所)

一般的な計画では、手前にカフェを設け、奥は工房となると思いますが、ここではあえて反転し、工房を手前、奥にカフェを設けました。つまり日常的に制作の振る舞いが道に対して現れるようにしたかったのです。
町家のかたちは踏襲していませんが、「工房で働く人の様子が町の姿を作っていく」という町家の持っている要素を参照しました。
京都への移住は個人的なきかっけだったのですが、人の行為と連動して建物さらには街がこれまでどう続いてきたのか、それがわれわれの設計基盤に影響があるのではないかと実感しています。

川勝:木村さんの話の中で大変面白いと思ったのはクライアント自身が中心市街地との距離感を設計されていたことでした。一方で空洞化していく中心市街地はどういう場所になっていくのかも問われると思います。

森田:僕は京都の生活が長いので「住まうことと働くこと」が共存する街や建築のあり方を見慣れてしまっていますが、木村さんが京都に移り住んでから仕事内容がガラリと変わった、という指摘にはなるほど、と思いました。たとえ町家が少なくなってしまった地域でも、職住一体という住まい方の地域性は受け継がれているのですね。

【グローバル産業としての観光都市~ヴェネチィア・バルセロナ~】

川勝:ストックとしての建築は動けないものであって、一方で流動する資本とそれに付随する現象としての観光客の相互作用について考える必要あるように思います。観光都市の先行事例としてヴェネチィアやバルセロナの都市研究に携わる阿部大輔さんに、そこではどういった現象が起きているのかお聞かせください。

阿部:全世界的に観光が主要産業に変わりつつあります。すなわち観光はグローバル産業なんですね。その国に住んでいるかを問わず土地が買えてしまう。そこが宿泊機能のある施設へと変わっていきます。こうした宿泊施設は、その都市の歴史文化体験、空間体験、社会文化の固有性を吹っ飛ばしてしまいます。本来は都市の歴史文化に触れるという目的が観光にはあるのですが、矛盾した対立構造を生み出しています。どの国の行政もその問題を本気で解こうとはしていません。

阿部大輔氏

阿部大輔氏

私はヴェネチィア、バルセロナ、京都の3都市を研究対象として扱っていますが、特にヴェネチィア、バルセロナは観光地として行き過ぎてしまい赤信号寸前です。一方で負の影響がいまだ顕在化していないのが京都です。
ヴェネチィアは特にわかりやすい事例です。島全体が観光地化してしまいました。象徴的な話としてあるのが、エリア内で下着が買えないことです。つまり生活者のための日用品を備えていないということです。実際に現地に行くと、言われているほど観光地化していないのですが、飲食店は一様に高く、地元住民は外食していないのではないかと思います。ふらっといくような立ち飲み屋や定食屋、慎ましい収入で生活できない状況といえます。
バルセロナでは、ツーリスト・フラットが急激に増加しています。7割がホテルの部屋貸し、個貸しです。しかも観光客のマナーはとても悪いです。バルセロナと京都の観光客で決定的に違うのは「解放されに来る」ということです。安いワインとビールを飲み行くいわゆる「酔いどれ観光」、羽目をはずしに行くわけです。これは場所の良さを消し、場所を消費していきます。京都の場合は街の良さを知っている人が潜在的にいると思います。良いファン、隠れファンが多いんです。もちろんバルセロナも良いファンはいるのですが、問題はちょっとした投資で利回りの良い事業者が増えていることです。特に近年ロシア中国資本が急激に増えています。その結果、質の悪い観光客向けのフラットや地域が増えています。そういった意味でバルセロナもヴェネチィア寸前で、すごく買い叩かれています。象徴的なのは老舗がここ2年ぐらいでものすごい勢いで閉店しています。特に古本屋が減っていて、4分の1ぐらいの数になってしまいました。その後、何のお店になっているかというと、ジェラート屋さんになっていたりしている。本来バルセロナとジェラートになんの縁もないのですが、なんとなく地中海のイメージと結びついたものとして増えているそうです。この状況は一体誰が得をするのかと疑問です。
観光客は基本的には短期滞在で長くても1週間ぐらいです。こうした状況は京都にも発生しうることです。土地利用、都市計画、地区計画をきちんと決めておかないと対処できなくなってしまいます。一方で街のファンがその都市を良くする。もしかしたら京都はその事例になりうるのかもしれない。一方で地域住民が抱く漠然とした不安感は否定できず、これをほっておくこともできませんよね。

【宿泊+αとして地域にひらくこと】

川勝:固有の特徴を持った場所や地域が世界規模で消費されているというお話でした。観光消費をGDP比で見ると世界平均が9%に対して、日本は3%程度ということでまだまだ伸びる余地があると考えられます。
一方で、京都ではバブルの頃の開発による都市の変容が問題にされてきましたが、『建築文化9402』で特集された「建都1200年の京都」を読むと、高松伸氏設計の《ORIGIN》(1981~1986)に代表されるようなこの時代の代表的な建築は、そのオーナーは変わらず、上物がだけが更新されているということがわかります。いわば地元旦那衆の気概に新たな形を与える役割を建築家が担った。
現在は、その現象が逆転して、町家改修のように外見は残しながら、中の人はグローバルに流動する。表層としては持続しているように見えて、そこで暮らしを営んできた人が抜けていくことで社会や地域を持続させてきた文化やスキルがどんどん失われている。今後、流動性を受け入れつつも、そこで暮らすことによって培われてきたスキルをどうやって残していくのか、一つの課題になっています。こうした地域側に対してどういったアプローチが必要かお話を伺いたいです。

会場風景

会場風景

魚谷:必ずしも流動しているとは限らないかと思います。今は空き家が買われている状況で、供給より需要の方が圧倒的に多い。外からやってくる人が増えているのは確かですが、今の段階ではもともと住んでいた人が減ってはいないですよね。

文山:賃貸住宅を宿に転用するためオーナーが居住者を追い出すという話を一部では耳にしますが、京都では、ヴェネチィアのように行き過ぎた観光によって既存の地域住民を追い出すところまではいってません。
ただし、コミュニティーはしっかりと残っている一方で、空き家の問題に目を向ければ、賃貸や売却の予定がなく活用意向のない所謂「その他空き家」の率が他の大都市に比べて高いという特徴が京都にはあります。つまり、借りたい・買いたいという需要は相当数あるにもかかわらず、供給がそれに伴わないわけです。「宿になっても地域側からすれば空き家とかわりがない。防犯や防災で不安が生じるのであれば、むしろ(本当の)空き家のままの方が良い」という地域住民の方々も少なからずいます。だけど、空き家がどんどん増えていき、コミュニティーが崩壊してしまうと当然買い荒らされますよね。京都のコミュニティーとしての閉鎖性が一種の防波堤にもなっている一方で、地域の持続性というものをどう考えていくか、その両面を見る必要があると思います。

森田:同じ宿泊施設でも「人が見えていると良い。」という人もいますよね。阿部さんの話にあったように、京都はバルセロナのように羽目をはずすところではない。京都でも投資する人にも「投資目的の人」か「京都のファンである人」の2通りがありますが、われわれはクライアントをきちんと選び、京都の価値を高めるようなビジネスができる人と付き合う必要があると思っています。「安いだけの改修は建物をダメにするし、街もダメになる。長期的にはお金をかけた方があなたのためになりますよ。」ときちんと伝えることが大事です。

阿部:再ストック化することは、観光の流れがあるからこそ有効な話です。つまり宿泊施設から再び住宅へ転用できるようにできる。危惧されるのは転用不可能な宿泊施設です。道路に対して開かず、ギリギリまで面積確保をしようとする。こうした物件はワンルームマンションに転用するのも難しく不良債権となってしまいます。土地の価格が高くないエリアや隙間を狙った場所でそうした物件が増えていく可能性があります。これは用途地域の問題にも関わってきます。
バルセロナの場合、1フラットで貸し出すので、都市構造的には大きな影響が出ないのですが、今後京都では更地やコインパーキングに変な建物が増えていく可能性があります。

文山:都市構造への影響という観点からすれば、一番の問題は、バブルのときがそうであったように、歴史的な地割を考慮せず土地を買い荒らして合筆化が進むことです。この度のインバウンドの影響では、合筆が進んでいるという話はあまり聞かないですね。時間をかけて土地を買い集めるより、2020年に乗り遅れないため、いま空いている土地にとくかく早く建てようということだろうと思います。

阿部:合筆は不可逆な動きになってしまうけれど、筆が残っていればそうではない。行政からの号令の割にホテル建設に向けて動いてはいない。自宅の前にもともと米屋さんの町家だった建物が解体されて2つ分の大きな空洞となった敷地があるんですが一年以上買われていません。

魚谷:たださっき川勝さんがおっしゃったように、バブルの開発の際は京都の人が事業主であることが多かった。京都の人が町家を壊しマンションを建てていた、ところが今は京都の人が「こんな宿をやろう」というような話はあまり聞かないですね。投資先として面白いのに。

京:地元の人々が改修を始めた頃のゼロ年代では町家型の宿泊施設の状況はどうだったのでしょうか?

森田:当時は町家を利用した宿泊施設はほとんどなく、バックパッカーの利用するような伝説的なゲストハウスとか数件あったぐらいですよ。

文山:京都市は、平成24年に、町家の活用促進を目的として、町家に限って受付帳場の設置を不要とするなどローカルルールで旅館業法の規制緩和を行いました。そこからですね、町家一棟貸しの宿泊施設が一気に増えてきたのは。ただし、冒頭に述べましたように、管理者不在の一棟貸しは地域にさまざまな問題を引き起こしています。このため、京都市では、地域への事前説明や連絡先の開示を義務付けるなどソフト面での規制強化を行う方針を打ち出しています。

阿部:宿泊施設の難しいところはやはり地域と関連が持ちにくいことです。魚谷さんのパン屋さんの事例もありますけど、やはり自分の通りに宿泊機能があることを地域の人たちが想像しにくいですから。

木村:以前ある物件でホテルと高齢者施設のあいの子のような施設を設計しました。例えば家族のDVから守るシェルターであったり、親戚がやってきた時の泊まる場所であったり、勉強会の場所であったり、ホテルでも施設でもない名前のつかないプログラムの可能性を実感として持ちました。宿泊プラス○○といったようにホテルや宿泊施設ではない新しい用途が見出していける。京都はそういったことが実現できる場所になりえるし、変えていく可能性を持っています。

魚谷:基本的には生活空間が存続しているような路地奥では、長屋の宿泊施設への転用などには関わらないようにしているのですが、例外的に以前関わったプロジェクトでは、路地奥の1軒を宿泊施設にしたのですが、地蔵盆の時には地域の人にその宿を使ってもらったり、清掃を地域の人にお願いするなどして、地域との良好な関係構築を図りました。

川井:私の知り合いにも最近町家を改修して本好きのための宿泊施設としてオープンしました。非常に好評なようで、特定ユーザーに向けて開かれた宿泊施設のあり方も考えられますね。

木村:用途に対して純度を高めない方が良いですよね。未来に対してのタネ、値段ではなくその人の属性に対して働きかけるバイアスのかけ方は面白いですね。

【先行都市としての京都】

川勝:その都市のファンがそうしたものを感じて、プログラムに馴染んでいく、面白い場所が生まれていく気配があるように感じています。

魚谷:京都以外にも宿泊施設や別荘の依頼は多いです。北は北海道から岡山、大分まで。それらは投機目的であって敷地も決まっていないケースも少なくないです。それから香港など海外の不動産屋さんは、福岡、大阪、東京あたりをターゲットにしているようです。意外に京都がないのは、京都の町家情報を獲得するのは難しい、敷居が高いと彼らは言っています。それで、京都に代わって歴史文化的な魅力から奈良を選択することも増えそうですね。

川井:そういった敷居の高いことも含めて、京都の強いコンテクストとグローバル観光に対して「京都の建築家」としてのどう舵取りするのか、重要な役割だと今日お話を伺って感じました。そして京都は国内における先行的な都市事例として非常に面白い存在と再認識しました。

森田:われわれも京都という都市の新しい局面に立ち会っていると感じています。

川勝:都市のプレイヤーが変化しているからこそ、建築家の側にその場所や地域のポテンシャルとどのように付き合っていくのかという戦略が求められているように思いました。流動する人や資本が都市のストックや暮らしの質にどのように寄与できるか。森田さんのように素材やものの記憶に対するリスペクトを育みながら転用可能性を担保することや、魚谷さんが路地などの都市構造や、またそれを支える職人の持続性にも寄与できる建築のあり方を模索する姿勢、そして木村さんのクライアントの切実さに向き合うことで単なる施設であることを越えつつ都市の振る舞いを継承するなど、建築家が果たしている役割は決して小さくないと感じました。また、一方で行政や地域コミュニティの存在が、いきすぎた流動化の障壁に成っているなど、京都の懐の深さがうまく機能している場面もあると皆さんのお話を伺って改めて再認識しました。
今日は長時間にわたりお話しいただきありがとうございました。

森田一弥

建築家。1971年愛知県生まれ。1994年京都大学工学部建築学科卒業。1997年京都大学工学部建築学科修士課程修了。1997年−2001年京都「しっくい浅原」にて左官職人として修行。2000年森田一弥建築工房設立。現在、森田一弥建築設計事務所代表。滋賀県立大学、京都精華大学非常勤講師。

魚谷繁礼

建築家。1977年生まれ。兵庫県出身。2001年京都大学工学部卒業。2003年京都大学大学院工学研究科修了。現在、魚谷繁礼建築研究所代表。京都大学、近畿大学、神戸芸術工科大学、京都建築専門学校などで非常勤講師。近著に『住宅リノベーション図集』オーム社(2016)。

木村吉成

建築家。1973年和歌山県生まれ。1996年大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業。1997年大阪芸術大学根岸一之研究室研究生。1997年狩野忠正建築研究所。2003年木村松本建築設計事務所設立。2015年大阪市立大学大学院博士後期課程在籍。大阪工業大学、武庫川女子大学、京都造形芸術大学、大阪工業大学非常勤講師。

文山達昭

京都市都市計画局まち再生・創造推進室勤務。1967年大阪府生まれ。1992年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修了。(株)GK京都などを経て現職。2013年-2015年京都建築賞(京都府建築士会)審査委員。共著に『アクティビティのかたち』建築ジャーナル(2011)、『空き家対策の実務』有斐閣(2016)ほか。

阿部大輔

龍谷大学政策学部准教授。都市計画・都市デザイン、博士(工学)。1975年米国ハワイ州生まれ。早稲田大学理工学部土木工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了、同博士課程修了。2003~2006年カタルーニャ工科大学バルセロナ建築高等研究院(ETSAB)博士課程。主な著書に『バルセロナ旧市街地の再生戦略』学芸出版社(2009)。

川勝真一

RADディレクター/リサーチャー。1983年兵庫県生まれ。2008年京都工芸繊維大学修士課程修了。2008年RAD開始。

京智健

1981年大阪府生まれ。大阪芸術大学卒業。京都工芸繊維大学大学院修了。隈研吾建築都市設計事務所勤務を経て、2011年より京智健建築設計事務所設立。現在、京都工芸繊維大学院博士後期課程在籍。成安造形大学、京都造形芸術大学、摂南大学、非常勤講師。

川井操

滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科助教。都市・建築計画。1980年島根県生まれ。滋賀県立大学卒業。同大学大学院修了。博士(環境科学)。東京理科大学工学部一部建築学科助教を経て、現職。

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