そのケンチクは、長崎市から海をまたいで西に100キロ、五島列島の福江島は鐙瀬(あぶんぜ)という集落にある。目の前には東シナ海が広がり、背後には芝生に覆われた美しい鬼岳(おんだけ)を望む。そのちょうど間に佇むとても小さなオンボロ家屋。誰ともなく「ひとみしりハウス」と呼ばれている。
住人は芳澤瞳さん。彼女の職業は放射線技師。と言っても年に3〜4ヶ月ほどしか働かない。自身と4歳になる息子が生活するために最低限必要な収入から逆算して、おおよその働く期間が決まるらしい。あとの8〜9ヶ月ほどはというと、基本は「今日は何をしようかな」という生活。天気がいいから海かな、それとも森の散策かな、はたまたお家でゆっくりかな、と息子と話しながら毎日のようにピクニック気分を堪能している。
彼女は、福岡で放射線技師として働いていたが、息子の出産を契機に地元の五島に戻ってきた。2012年8月のことである。知り合いからの紹介で、190坪の敷地にぽつりと建つこの物件に巡り合った。そのままでは住める状態ではなかったが、自身の負担で改修することを条件に格安で借りられることになった。
彼女が選んだ道はDIY。これまでの住まいで少しずつチャレンジしてきたDIY経験を頼りに、ここで初めて大掛かりな改修に着手する。といっても無理はせずに、一部、大工さんやシルバー人材の方々や友人たちに手伝ってもらいながら、2014年7月から1ヶ月半の間、キッチン周りの作り直し、床張り、壁塗りなどを進めていった。毎晩のように、ああでもない、こうでもないと試行錯誤の繰り返しだったが、大きなやりがいも同時に感じたという。かなり手直しや補修をしたにもかかわらず、人件費や材料諸々全て合わせて総額26万円で済んだとは驚きだ。
「絶対に無垢のフローリングに変えたくてカナヅチ5,000回は振ったのよ」
「このキッチンとテーブルは大工さんがあっという間に作ってくれたの」
「ここの畳に座ると鬼岳からの風が気持ちいいの」
「このウッドデッキで眺める天の川が最高よ」
「冬は友人に作ってもらったこの薪ストーブが大活躍なの」
まさに人に語りたくなる家。床や壁、家具、小物ひとつひとつに至るケンチクの細部にまで家主の物語が詰まっている。
ひとみしりハウスでの彼女の日々の暮らしを少しのぞいてみると、ふらりと友人に会いに行ったり、近くの芝生の上でコーヒーを片手に友人と話し込んだり、月明かりだけを頼りに海に散歩に行ったり、ワインを片手に星空を眺めたりと、実に羨ましい。そして、私たちが本当に欲しい暮らしとは何かを考えさせられる。たくさん仕事をして、たくさん稼いで、いいところに住んで、いいものを買う。本当に欲しい暮らしはそういうものだったのだろうか。
いちばん大切なことは、目には見えない。(『星の王子さま』)
「他人の人生を生きていくのでなく、自分の人生を生きたい。それは自分自身としっかりと向き合うということ、自分の人生を自分で作るということ。」と彼女は言う。ひとみしりハウスは、インテリアに至るまで彼女が考え抜いて作っている生き方の延長線にある。そう言う意味でひとみしりハウスは、その人固有の生き方に土着しているケンチクである。
消費社会の中で画一化していく生き方と最適化されていく建築の中で、それが唯一の解でないとしたら、このひとみしりハウスも建築であり、これからの建築を明るく語っているように思う。
最近のコメント