本誌では「建築と戦後70年」をめぐるインタビューあるいは対談等を記事化するオーラル・ヒストリーのシリーズをはじめる。
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建築において「戦後」は、他のあらゆる分野におけると同様、何か特別な性質をもつ磁場のようなものでありつづけてきた。1945年から10年毎の節目に刊行されてきた特集記事や書籍を振り返ってみればわかるとおりだ。
しかしながら、70年の節目にあたる2015年は必ずしもそうではなかった。むしろ、「戦後」はいよいよ建築関係者の意識から遠のいたらしい。そのことが静かに印象づけられた年であったように感じられる。
いやとんでもない、と机を叩く読者も少なくないだろう。たとえば新聞各社が発表した2015年の十大ニュースをみると、安保関連法制の成立、従軍慰安婦問題の日韓解決、辺野古基地の建設開始、天皇皇后のパラオ訪問、原発の再稼働、さらには中台首脳初会談、南シナ海問題、米国の国際的影響力の低下、ヨーロッパ問題などなどの出来事が並ぶ。「戦後」は終わっていない、と同時に、「戦後」が終わらせられようとしている、といったことが、これらの互いに連関する出来事をめぐってある種の危機感とともに巷間では語られた。2014~15年にかけて、『現代思想』の戦後70年特集、『文藝春秋で読む戦後70年』シリーズ、加藤典洋『戦後入門』、山本義隆『私の1960年代』、小熊英二『生きて帰ってきた男』など、「戦後」を問い直す雑誌特集や書籍が多数出版されたのも当然のことだった。
たしかに建築においても、2015年にはたとえば『建築ジャーナル』誌で戦後70年を振り返る連載があり、また金沢21世紀美術館では「JAPAN ARCHITECTS 展」と称する大掛かりな建築展と関連シンポジウムが催された。だが、これらがいくぶん孤立しているように感じられるのは筆者だけだろうか。「戦後」を現在に地続きの問題として考える必要性も、逆に「戦後」の終わりを新たな建築論の契機とする可能性も、建築分野では決して広い関心を集めているとはいえないし、歴史研究や批評の新たな胎動が予感されるわけでもない。新国立競技場問題をはじめ、そのことを考えさせる出来事は決して少なくないにもかかわらずである。
このシリーズ「建築と戦後70年」では、オーラル・ヒストリーを軸に、その他の形式も交えながら、戦後建築史を語り継ぎ、語り直す運動の一翼を担いたい。
戦後建築史WG メンバー:青井哲人・橋本純・辻泰岳・市川紘司・石榑督和
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