書評/木村草太編 山本理顕・大澤真幸共著 『いま<日本>を考えるということ』 河出書房新社 2016年6月30日
この国はいったいどこへ行くのか?
Quo Vadis This Nation State of Japan?

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安保法制をめぐって鋭い発言を続ける気鋭の憲法学者木村草太、理論社会学の先鋭として発言を続ける社会学者大澤真幸、そして、制度と空間をめぐって考察を深化させ続ける建築家山本理顕の3人の共著である。それぞれの視点から日本の現在そして未来を問い、議論を戦わせる。議論の平面は大きく共有され、議論が確実にクロスしているのは力強い。
仕掛け人は、編者となった木村草太である。まず、3人がそれぞれの問題意識に基づいたトピックスを報告し、議論するシンポジウムを行い、その後、そこで受け止めたことをそれぞれが執筆するかたちが採られている。すなわち、本書は、Ⅰ シンポジウム(鼎談「<日本>をどう見るか、これからどう生きるか」)、Ⅱ 論考の2部からなる。
木村草太と山本理顕の出会いは、邑楽町の設計競技をめぐる建築家集団訴訟に遡る。この邑楽町の設計競技をめぐっては、建築計画委員会(布野修司委員長)でシンポジウムを開催したことがある(日本建築学会建築計画委員会,「公共事業と設計者選定のあり方-邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案協議を中心として-」,五十嵐敬喜,清水勉,パネリスト:石田敏明,小嶋一浩,藤本壮介,ヨコミゾマコト,山本理顕,於:日本建築学会建築会館大ホ-ル,2007年3月16日(「裁判は建築家の職能を守る最後の砦?」,建築ジャ-ナルNo.1121,2007年5月))。この時、若き憲法学者として参加したのが木村草太である。この邑楽町建築家集団訴訟については、本書の補論「公共建築における創造と正統性」(初出 首都大学東京法学会雑誌48巻2号、2007年)にまとめられている。また、日本建築学会は、建築学会復旧復興支援部会(布野修司部会長)のシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」(2012年3月23日)に木村草太(司会)、山本理顕を招いて議論したことがある。石川健治、駒村圭吾といった錚々たる憲法学者にも参加していただいた(山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「第四部 復興と再生 復興の原理としての法、そして建築」別冊法学セミナー 3.11で考える日本社会と国家の現在 駒村圭吾・中島徹編181-224頁、2012年9月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part2」法学セミナー691号42-51頁、2012年7月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part1」法学セミナー690号27-39頁、2012年6月)。
一方、大澤真幸については、木村草太は、学生の頃からその精緻な人間分析、社会分析に学んできたという。大澤真幸の『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)に山本理顕の住居についての言及があり、山本理顕もまた大澤社会学についての関心を持っていることを木村草太が知っていたことが本書成立の背景にある。

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「Ⅰ シンポジウム」では、まず、山本理顕によって(「住宅の起源から考える」)、前著『権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ』講談社(2015年)のエッセンスが語られる。ハンナ・アレントの「ノーマンズ・ランド」が一つの焦点である。ギリシアのポリスに遡って、男女の空間、公私の空間、オイコスとポリス、市民と奴隷、自由と管理をめぐる基本的な問いが整理された上で、「1住宅=1家族」という「近代住宅」批判が展開される。この山本理顕の住宅論の展開は既にわれわれには親しいといっていいだろう。
木村草太は、「神は細部に宿る」という建築家(ミース)が好むクリシェを枕に、細部に普遍的原理を探し出すことの重要性を問う(「憲法は細部に宿る」)。パリ同時多発テロの報道をめぐって、大澤の、殺戮が日常である戦場とテロが究極の非日常を対比する分析を引きながら、細部にとらわれて物事が見えなくなった事例だという。また、夫婦別姓違憲訴訟の最高裁判決の細部のロジックの隘路を指摘する。さらに、安倍政権における「緊急事態」がヘゲモニー的記号と化し、命令権の首相への集中へ向かう議論を「細部を伴わない神」の議論とする。
大澤真幸は、ハンナ・アレントの最初の夫であったギュンター・アンデルスが捜索した寓話「無効だった「ノアの警告」」を冒頭にあげて、いくら警告されても耳を傾けようとしない日本人について、現代日本は既に洪水後を生きているのだ!という(「現実をどう乗り越えるか」)。洪水後とは、すなわち、広島、長崎への原爆投下後であり、3.11の「フクシマ」後である。そして、戦後日本を振り返った上で、フランスのテロと日本の集団的自衛権をめぐって、また、「サヨクの限界」をめぐって議論の空転を指摘する。サヨクの批判にも関わらず安倍政権の支持率が下がらないのは何故か。規範/反規範をめぐって、大澤社会学の現代社会分析が展開される。もちろん、批判しっぱなしということではない、現代社会の未来を展望する「スモール・ワールド」理論が紹介される(『不可能性の時代))。「スモール・ワールド」理論とは、無関係の2人の間を知人で埋めようとすれば実際には平均6人程度(6次の隔たり)で結びつくという理論である。
大澤真幸(『不可能性の時代』)は、日本の戦後史を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」にわけて振り返るが、「不可能性の時代」の現在、政治思想は、多元文化主義(「物語る権利」)と原理主義(「真理への執着」)に引き裂かれている(「Ⅵ 政治的思想空間の現在」)。この2極の分離対立は、実は依存関係にあり同一の地平で通底しているのだが、その地平を成立させる超越的な一者(「第三者の審級」、神、絶対的規範…)は、それを無化する巨大な力学(資本主義、グローバリズム)によって隠蔽されている。この対立葛藤する2者(普遍主義と特殊主義、ナショナリズムとインターナショナリズム、伝統主義と進歩主義、保守主義と自由主義・・・)を俎上に上げ、その両者の隠蔽された不即不離の関係を暴くという論理展開は大澤社会学に一貫するのだが、日本の政治思想におけるこの葛藤をどう克服するか、についてひとつの手掛かりに持ち出されているのが、ダンカン・ワッツおよびスティーブン・ストロガッツの「スモール・ワールド」理論である。すなわち、多文化主義のコミュニタリアリズムと個人の自由に局限化したリバタリアニズムの対立を克服する可能性が、このネットワーク理論にあると示唆する。

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討論は、まず、パブリックと個人をどう結びつけるか、個人と家族の関係をめぐって展開される。個別に差異を持って生まれたきた個人がどう家族を形成し、集団を形成し、都市を形成するかをめぐって、「1住宅1家族」という近代システムを批判しながら「地域社会圏」を構想する山本理顕のヴェクトルが、社会システムそのものの原理を掘り下げる大澤真幸の理論が重なり合うのは当然である。
大澤真幸が指摘するのは、ギリシアのポリスにおいて、オイコス(家)の問題はポリス(政治)から排除されていたことである。そして、現代社会においては、オイコスの問題、生命過程の問題が政治の問題になっていることである。この点をめぐっては、M.フーコーの「生政治biopolitique」「生権力biopouvoir」の概念をもとにした現代社会論『生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換』(ちくま新書、2013年)で展開されている。
そして、討論の後半で議論が集中するのは、「アイロニカルな没入」である。大澤現代社会論のキーワードと言っていい「アイロニカルな没入」という概念は、具体的に語られている例を挙げれば、隣人同士が無関心な空間が望ましいとは思っていないのに、選択肢がないために閉じた空間の設計が横行すること、心底から祖国を愛するわけではないけれど、愛する証明として外国人を排除すること(ヘイトスピーチ)、サヨクやリベラルが嫌いだから、彼らが相対化しようとする民族や国家を絶対化してみせるといったことをいう。

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論考は、「1933-2016」(山本理顕)、「日本人の空威張り」(大澤真幸)、「地域社会圏と未来の他者」(木村草太)と題される。山本理顕は、ヒトラーが政権をとった1933年を起点としてさらに自説「地域社会圏」を展開する。大澤真幸は、日本人の「自信回復」を示す調査データを引き合いに戦後史をさらに振り返っている。
総括は、木村草太に委ねよう。山本理顕と大澤真幸の思想的営為、理論的施策の同相性が見事に分析されている。そして、結論として、目指すべき社会のありかたについての大きな指針が示されている。

著者紹介
編者

木村草太:1980年横浜生まれ。憲法学、公法学。2003年、東京大学法学部卒。助手。2006年、首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部法学系准教授、2016年、教授。『平等なき平等条項論――憲法14条1項とequal protection条項』『憲法の急所――権利論を組み立てる』『キヨミズ准教授の法学入門』『憲法の創造力』『テレビが伝えない憲法の話』『司法試験論文過去問LIVE解説講義本――木村草太憲法』など。

共著者
大澤真幸:1958年松本市生まれ。数理社会学、理論社会学。社会学博士(東京大学、1990年)。東京大学文学部社会学科卒業。1987年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手、千葉大学文学部講師・助教授を経て、1998京都大学人間・環境学研究科助教授、2007年、同研究科教授、2009年辞職。2010年より思想誌「THINKING「O」」主宰。『行為の代数学――スペンサー=ブラウンから社会システム論へ』『資本主義のパラドックス――楕円幻想』『意味と他者性』『電子メディア論――身体のメディア的変容』『性愛と資本主義』『恋愛の不可能性について』『戦後の思想空間』『帝国的ナショナリズム――日本とアメリカの変容』『ナショナリズムの由来』『不可能性の時代』『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』『生権力の思想――事件から読み解く現代社会の転換』『自由という牢獄――責任・公共性・資本主義』『社会システムの生成』など。

山本理顕:1945年北京生まれ。建築家。1967年、日本大学理工学部建築学科卒業、1971年、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了、東京大学生産技術研究所原広司研究室、1973年、山本理顕設計工場設立、2000~11年、横浜国立大学大学院Y-GSA教授、2011年客員教授、日本大学大学院特任教授。作品に、山川山荘、GAZEBO、ROTUNDA、HAMLET、熊本県営保田窪第一団地、公立はこだて未来大学、東雲キャナルコートCODAN1街区、北京建外SOHO、横須賀美術館、福生市庁舎、天津図書館など。著書に、『住居論』『新編住居論』『建築の可能性、山本理顕的想像力』『地域社会圏モデル』『地域社会圏主義』『RIKEN YAMAMOTO』『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』

布野修司

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