大学キャンパスと研究室のご紹介:
札幌市立大学デザイン学部空間デザインコース 山田良研究室は2007年にスタートしました。大学キャンパスは札幌の南区「芸術の森」内に位置します。デザイン学部では約400人が学び、空間デザイン・製品デザイン・メディアデザイン・コンテンツデザインの4コースで構成されています。キャンパスは森に囲まれ、着任時には「日本にこんなデザインの大学があったのか」と感動してしまいました。
2016年度の研究室のメンバー数は、学部4年生4名、大学院博士前期4名、博士後期1名です。空間デザインコースでは建築・ランドスケープをあわせたデザイン教育を目指しています。
ドローイングとしての工房作業:
研究室で大切にしているデザイン方法についてご紹介します。わたしたちは頻繁に木材を主に使って「体験できる空間」を制作します。セルフビルドという捉えではなく、ツールは異なりますが図面を描くことと実際の空間を制作することは同じデザインプロセスなのだと思っています。頭でイメージしたものが実際にどう体感されうるのか。規模の大小はあれ、建築家を目指す若者の将来につながる経験になると信じているのです。
大学内には木工・金工・プラスチック・セラミックといった素材別に工房が設けられています。札幌市立大学は1991年に開校した札幌市立高専を前身としていて、工房教育を重視した校舎施設を受け継いでいます。そのため素材の加工と制作、その後の展示をする環境に恵まれています。それらを活用しながら、ここ北海道でこそ行えるデザイン方法を試みたいのです。
まじめに風景のことを:
眺め入るような風景は至る所にひろがっています。山田良研究室では、風景と場・空間をテーマとした研究と制作を行っています。私自身は修士まで建築意匠を学び、風景と環境芸術をテーマに現代美術の分野で博士課程を修了しました。建築やアートといったカテゴリーを限定せず、地域の魅力から学ぶべく、風景と対峙する空間を介して学生とコミュニケーションしています。
学術的には「風景」と「景観」は分けることができます。風景を「見る人によってつくられる」[1]と捉え、場と空間の制作、その先に立ち現れるあらたな風景の見え。曖昧でありながらも表現と試論の繰り返しを通してチャレンジングな成果を学生と模索しています。
近作の作品:http://www.designboom.com/tag/ryo-yamada/
北方圏諸国でのプロジェクト:
山田良研究室では北方圏の大学や地域とのプロジェクトを行っています。ロシア・シベリア地方のノボシビルスク芸術建築大学、フィンランド・ロバニエミ市のラップランド大学芸術学部、また、私が以前講師をしていたノルウェーのオスロ建築大学などです。海外の大学との共同ワークショップなどは多くの大学にて試みられていると思います。研究室では仮設空間制作を中心として、公共の場所での作品設営に取り組んでいます。
シベリア地方の中心に位置するノボシビルスク市内の中心街では、仮設の空間インスタレーション作品制作を珍しく眺める人々に囲まれて作業を行いました。体験型の作品を介することで、言語を超えて市民と交流できる機会となります。また、寒冷地であることをアドバンテージとした制作ワークショップもスタートしています。
卒業制作に招待して:
研究室に所属する学生の卒業制作を一部紹介します。実はご紹介する3人は2013・2014・2015各年度の空間デザインコース卒業制作 最優秀作品として選ばれた方々です!
船山哲郎君「標/風情を感じる空間」です。森へ実際に空間を制作し、風情と身体のつながりを自ら感じたいとする試みです。キャンパスに隣接する深い森の中に、滞在することのできる空間を建設し制作プロセスの展示をあわせ卒業制作としました。北海道の自然風景のなかにある大学キャンパスを最大限に利用しています。
テーマの風情とは、そもそも人に施されて感じるものでしょうか。そしてまた、しつらえる側と訪れる側の双方が主語となっていました。卒制ゼミではこれらの主体に関するとりとめのない議論を楽しみました。実際に空間を「施工」し、まず自分の体で受けてみたいという興味から発する場づくり。身体行為を通じて、できればその先を見据えたいとするプロセス。答えが出るのかわからない問いへの思いを、「体験」をもって一段落させる。ディスカッションしながらも、うらやましい時間を過ごしているなと思いました。
そして風情を感じることはできたのかどうか。卒業制作の内部に人を招待し、時に吹雪の中で作品をメンテナンスする彼の姿に、テーマや成果の妥当性への問いは薄れていきました。それどころか「空間」の本来の魅力のひとつである「経験と場の共有」にあらためて気付かされ、私は刺激を受けてしまったのでした。
つづいては藤澤千広さん「人が足を踏み入れられるドラマ」です。
これは建築なのかインスタレーション・アートなのかもしくはインテリアの装飾なのか。空間デザインコースであるわたしたちが制作をすすめる中盤でぶつかる話題です。中盤といいましたのは、スタート後なるべく作品カテゴリーを示すことが無いようにディスカッションしています。「何をつくるか」が邪魔しないように。卒業制作は制作の主体を「自分」にして許される最後の機会ではないでしょうか。「自分の興味は何か」に真摯に向き合う、大袈裟にいえば自分とは何かということです。
最後に神守優二君「Thinning Drive/間伐を待つ樹木と空間デザイン」です。
間伐される予定の樹木へ空間を制作し、木肌と身体のつながりを自ら感じたいとする試みです。深い森の中に、滞在することのできる三つの空間を建設し、制作プロセスの展示をあわせ卒業制作としています。
森に囲まれる札幌市でありながら、その多くは二次林であるといいます。その中でも人工的に植林された森は、自ずと人の手による「間伐」によって将来の生育環境が保たれることになります。テーマは、「間伐」を見つめ直し、さらに近い将来「間伐」される樹木の「木肌」を最後に味わおうとするものでした。樹木に寄り添いながら実際に空間を施し、まずは自分の体で全てを受けてみたいという興味。以前より枯れ始めていたこの「間伐を待つ樹木」は、人を滞在させる「空間作品」へと変容しました。訪れる人に「経験と場の共有」をもたらす素晴らしい卒業制作となっていました。
たとえば、中村良夫先生による「風景学入門」(1982)中央公論
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