集落に学んだ、小さな要素の集合からつくる設計思想
<群造形>
群造形とは、建築家・槇文彦が提唱した設計思想である。槇は「部分と全体」という半永久的な課題を三つに類型化し、ニーマイヤーや丹下健三の都市デザイン手法を相対化した。群造形は近代建築の普遍性と地域の歴史性を調停するアクチュアル(現実的)な設計思想であり、「代官山ヒルサイドテラス」などに実現された。
-
槇文彦は1952年に東大を卒業後、ハーバード大学に留学し、1959年から1年かけて世界中を旅している。この時、槇は中近東から地中海沿岸にかけて、日干し煉瓦を下地にした漆喰の塗壁と瓦屋根で構成された民家群に出会い、強い関心を示した。そこでは複雑な地形に対して、単純な基本型を自在に組み合わせながら、民家ひとつひとつが集合することで極めて魅力的な全体(集合体)をつくり出していた[1]。
槇はこの旅行での経験をもとに、「集合体について:集合体に関する三つの典型」という論考をまとめている。そこで示された第1の典型は、「コンポジショナル・フォーム」と呼ばれる。これは建築家オスカー・ニーマイヤーが手がけたブラジルの新首都ブラジリアに代表され、それぞれ独立した象徴的な建物が点在し、道路などそれらを繋ぐ要素が附加されて集合体となる。第2の典型はメガ・フォームと呼ばれ、まず全体の骨格を描き、そこに要素を充填していく方法である。これには東大・丹下研究室が1961年に提示した「東京計画1960」などが該当する。第3の典型がグループ・フォーム(群造形)と呼ばれ、先に挙げた集落のごとく、共通因子を持った小さな建築群が次々とつながっていくことにより見えざる骨格が自然と形成されるというものである[2]。
槇の代表作である「代官山ヒルサイドテラス」はグループ・フォームに基づいており、設計時には特に、代官山に残る塚、樹木、穏やかに湾曲する道路、わずかな起伏といった微地形の集積に注意が払われた。槇は江戸以来の微地形と現代の建築の間合いや、内と外の良好な関係の構築に力を注ぎ、地上レベルのわずかな変化を操ることで、街路を歩く人と建物の中にいる人の視線の交錯を巧みに仕掛けていった。1969年の第1期竣工から四半世紀にわたって増築され続けたヒルサイドテラスには、近代建築の文法が一貫して採用されつつ、その時代の建築素材が反映されており、集落のように全体性と多様性が同時に感じられるものになっている。
こうした集合体のコンセプトを日本の都市空間の中にも見出した槇は、建築や街区のデザインにとどまらず、『見えがくれする都市』(1980)の中で日本文化論としてもこの概念を展開している。割り箸状の木質縦ルーバーが日本的建築表現と喧伝される現代において、今ほど槇の「群造形」と『見えがくれする都市』の再読が要請されている時はないのである。
関連事例
イドラ島
エーゲ海に位置するギリシャの島。直方体状の建築が積み重なり、集落全体が構成されている。
槇が世界旅行で訪れ、群造形の着想を得た場所のひとつである。
関連文献
– 槇文彦「群造形との四十五年」『漂うモダニズム』左右社 2013 p.111
– 槇文彦「集合体とアーバンデザイン」『記憶の形象』筑摩書房1992 p.305
建築に関わるさまざまな思想について、イラストで図解する「建築思想図鑑」では、古典から現在まで、欧米から日本まで、古今東西の建築思想を、若手建築家、建築史家らが読み解きます。イラストでの解説を試みるのは、早稲田大学大学院古谷誠章研究室出身のイラストレーター、寺田晶子さんです。この連載は、主に建築を勉強し始めたばかりの若い建築学生や、建築に少しでも関心のある一般の方を想定して進められますが、イラストとともに説明することで、すでに一通り建築を学んだ建築関係者も楽しめる内容になることを目指しています。
イラストを手助けに、やや難解な概念を理解することで、さまざまな思考が張り巡らされてきた、建築の広くて深い知の世界に分け入るきっかけをつくりたいと思っています。それは「建築討論」に参加する第一歩になるでしょう!
約2週間に1度、新しい記事が更新されていく予定です。また学芸出版社により、2017年度の書籍化も計画中です。
「建築思想図鑑」の取り組みに、ぜひご注目下さい。
槇文彦「群造形との四十五年」『漂うモダニズム』左右社 2013 p.111
槇文彦「集合体とアーバンデザイン」『記憶の形象』筑摩書房1992 p.305
最近のコメント