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MAD Architectsとは誰か——中国で継承されるアンビルドの想像力
Unbuilt China — About MAD Architects

事件

つい先日に出版された『a+u』(新建築社)2016年3月号が中国建築特集号だったのだが、この特集内容がじつに感慨深い。以前の『a+u』における中国特集を振り返ってみると、北京オリンピックや上海万博に絡めたものを除けば、直近は2003年12月号。2016年3月号と2003年12月号。このふたつの特集号を比べてみると、21世紀の中国現代建築にどのような変化が生じたのかがよく分かる(図1)。前者の主役は外国人建築家だったが、後者ではその座は大勢の若い中国人建築家に取って代わっている。掲載作品も、大都市を中心に国家事業として建設されるアイコニックな巨大建築から、中国全土に満遍なく展開される小中規模のものへと様変わりしている。

図1 『a+u』2016年3月号(左)と2013年12月号(右)

図1 『a+u』2016年3月号(左)と2003年12月号(右)

あるいは、このような対称的性格も見て取れるだろう。2003年12月号掲載作品の大方は現在進行形の「アンダー・コンストラクション」だ。それはオリンピックや万博に象徴される、今後の中国の明るい未来を予感させる。他方で、2016年3月号掲載作品にはそのような期待感は感じられない。むしろ表立つのは、政治を主たる内容にした色眼鏡つきの報道から伝わってくる「中国」とは異なる、現実の人民社会をとりまく生活の器、文化の器としての建築である。これは好意的に解釈できる。いまや中国において、建築は——少なくともアトリエ建築家にとっては——生活と日常が営まれる地点にまで「降りてきている」のだ。

さて、こうした中国建築の変容のなかで、MAD Architects(以下、MAD)が占める位置は興味深い。大げさに言えば、MADは中国現代建築史上で画期となる仕事をした。すなわち、2006年にカナダでおこなわれた国際コンペでの一等の受賞である。これはのちに「アブソリュート・タワー」(2013年)として竣工する高層住宅プロジェクトなのだが、重要であるのは、これが、中国人建築家が実施を前提とした国際コンペを勝ち、竣工にまでいたった最初の出来事であった、ということである。

「中国人建築家が世界で認められた」、そのような象徴的な意味を、MADと彼らの国際コンペ勝利は帯びている。ちょうど『a+u』2003年12月号の誌面が示すように、ゼロ年代(とくに前半)の中国はしばしば「外国人建築家の実験場」などと呼ばれ、実験的な形態の許される「アイコン建築の天下」であった。そんななかで、30歳を過ぎたばかりの建築家グループであるMADが外国で実施プロジェクトを勝ち取った。このニュースがどれほどの驚きをもって中国建築業界に迎えられたかは想像に難くない。MADのコンペ勝利は、2012年における王澍(ワン・シュウ)の「プリツカー賞」受賞と比肩する「事件」だった。

スター建築家の資質

MADのプロフィールを確認しよう。MADは、馬岩松(マー・ヤンソン)と党群(ダン・チュン)、そして日本人の早野洋介による建築家グループ。2004年に北京で事務所が設立された。中心的な存在である馬岩松は1975年生まれで、北京建築工程学院(現・北京建築大学)を卒業後、イエール大学に留学し、ロンドンのザハ・ハディド事務所に勤務。このロンドンで馬岩松と早野洋介が出会い、MAD結成となる。党群は事務所設立の約1年後に合流したという。

数年前、北京留学中の筆者は馬岩松にインタビューをしたことがあるのだが、そもそもなぜ彼に興味を持ったのかというと、『住』という建築雑誌[1]でつくられた馬岩松特集号(2012年)を読んだからだった(図2)。特集のメインコンテンツは「馬岩松密着ドキュメント」というもので、「情熱大陸」や「プロフェッショナル 仕事の流儀」のような内容を想像してもらえればよい。「アブソルート・タワー」コンペ以後、MADのプロジェクトが中国国内外で展開されるようになり、事務所代表の馬岩松もあちこちに移動するようになったことで、その多忙きわまる様子を密着取材している。誌面では、馬岩松が世界各地でクライアントと会い、レクチャーをし、現場確認をおこなう場面場面が記録されているのだが、それのみならず、たとえば疲れでしかめっ面をしたり外国人とサッカー盤に興じる様子を写真に納めたり、あるいはMAD自作をモチーフに制作されたシューズに着目したりもしている。そう、ここで示されている馬岩松のイメージは「スター建築家」そのものなのだ。つくられる建築以上に彼自身がアイコンとなり、興味の対象になっているのである。

馬岩松個人を特集した『住』第31号(2012年)

図2 馬岩松個人を特集した『住』第31号(2012年)

筆者がインタビューをしたときにもっとも印象に残ったのも、馬岩松自身のキャラクターだった。外国での経験が豊富な一方で、中華の伝統思想や幼年時代における古き好き北京の記憶を参照しながら、建築・都市と自然が融和した「山水都市」を主張する馬岩松の思想信条は明快そのもの[2]。そして質問に対して真っ向から反論するときもあれば、求められれば、同業の中国人建築家への批判的な意見も率直に述べ上げ、ムスッとしているかと思えば人懐っこく笑う(年長の建築家なので失礼な形容だが…)。語尾が「er(アル)」化する北京語の聞き心地とあいまって、「ちょっと怖いけど気のいいあんちゃん」のような印象を与える建築家である。このような印象は馬岩松がTV番組[3]に出演するときも変わらない。大衆的な人気を得るには十分な魅力をもった建築家であると思う。

曲線とコンテクスト

MADの建築を見てみると、やはり曲線・曲面が特徴的である。カナダの「アブソリュート・タワー」(2013年)は異なる曲がり方をする2棟の高層住宅だが、その流麗な外観から「マリリン・モンロー・タワー」という愛称で呼ばれているという。また、「オルドス博物館」(2011年)は、内モンゴル自治区オルドスの歴史を展示する博物館(図3)。宇宙船が着陸したようなSF的なイメージを想起させる建築である。砂漠・草原地帯に位置するオルドスは、石炭生産による好景気を背景200年代に建設バブルが生まれ弾けた都市で、巨大なゴーストタウンとして有名。宇宙船のような「オルドス博物館」は、(成熟した都市に建つには不似合いだが)そのような現実感の乏しい蜃気楼のような都市の中枢に建てられたことで、不思議な説得力がある。ある種の「ダーティ・リアリズム」と言うべき建築だろう。

MAD Architects「オルドス博物館」(内モンゴル自治区オルドス市、2011年)撮影:筆者

図3 MAD Architects「オルドス博物館」(内モンゴル自治区オルドス市、2011年)撮影:筆者

馬岩松と早野洋介はロンドンでザハ・ハディドに師事した。このことが、MADの建築が曲線を多く採用していることの理由の一端になっているのは間違いないだろう。ただし、ハディドの形態が抽象的な構成やテクノロジーを土台にするのに対して、MADのそれはより自然的なものを目指しているようだ。ロシアと国境を接する黒竜江省ハルピンに完成した「中国木彫博物館」(2013年)と「ハルピン・オペラハウス」(2015年)は、それぞれ、流木と水流に生じる渦という自然物が抽象化されたような形態である。前者は展示物が参照された形態であろうし、後者は、近くを流れる松花江の存在を参照した形態だろう。建築プログラムと周辺環境という、参照されるレイヤーは異なるものの、何らかの「コンテクスト」を形態に応用しようとする点は、ハディドとは異なるMADの建築的特徴だ。

曲線・曲面に特徴づけられるMADの建築は、『a+u』特集号に掲載された他の中国人建築家のそれらと比較してみても、独特のものである。先に述べたとおり、いま、中国の建築家は、中国社会・人民生活のリアルと並走しながら建築をつくることにの主たる関心を向けている。それゆえ、つくられる建築の多くは形態を強く主張せず、周辺環境との連続性を意識した空間構成や、地盤産材の活用といった特徴を多かれ少なかれ共通させる。「控えめで現実的な建築」と表現してもよいだろう。MADの建築はそのような地点にはない。自然との調和を重んじる中華の伝統的価値観を踏まえながら、アイコニックな建築の価値も認めつつ、それを現実の中国社会にまで届けること。そのようなプログラムが試されているように見える。
また、グローバルに活動を展開していることも、MADが中国若手建築業界のなかで異彩を放っている点だ。先述の馬岩松インタビューによれば、MADは結成の当初から「グローバルに活動を展開すること」を意図した建築家グループである。たしかに、結成直後から国内外の設計コンペに多数応募していたというし、「アブソルート・タワー」以降は実際に世界的に仕事が展開されている。イタリアの集合住宅「71 Via Boncompagni」(2010年~)や日本の幼稚園「クローバー・ハウス」(2016年)、国際コンペを経てスタートした、シカゴの「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティヴ・アート」(2014年~)などである。

中国人建築家のプロジェクトがウェブメディアや建築雑誌で紹介されることは、もはや珍しいことではない。中国政府は国策として中国建築展を多数企画し、ヨーロッパを中心に開催させている[4]。いまや「中国現代建築」は情報として世界中に流通しているのだが、実際に国外に飛び出てプロジェクトを展開する建築家というと、事例は数少ない。大手組織事務所の主任建築家として、各国の中国大使館を手がける崔愷(ツイ・カイ)が挙げられる程度であり、独立独歩のアトリエ事務所でありながら中国という枠を超え出るMADは、やはり稀有な存在と言うべきだろう。「グローバルに活動を展開すること」というMAD結成当初のプランは順調に進められている。

アンビルド

北京近代都市史を研究する筆者にとって、MADのプロジェクトでもっとも興味深いのは「北京2050」(2006年)である。これはその名前のとおり、北京の「2050年」を構想しようという架空のプロジェクト。つまり「アンビルド」である。ここでMADは、木々の鬱蒼とする森林と化した天安門広場、「泡泡」と呼ばれる小さなストラクチュアが挿入された四合院、そして未来的な乗り物が走りまわるフートンなどを設計している。

すでに竣工済みの実作が多数あるMADだが、「北京2050」のようなアンビルド・プロジェクトもじつは多い。あるいは、MADにおけるハディドからの影響(もしくは相似点)は、アンビルドを厭わない点にこそ見出されるべきかもしれない。もちろん、ここで言う「アンビルド」は現実に建てることのできない荒唐無稽な建築のアイデア、というネガティブな意味ではない。実際に建つことが可能か、という点よりも、現実の建築を批評的に捉え直し、未来にありえるかもしれない建築の姿を想像する想像力のことである。繰り返しになるが、ハディドにしろMADにしろ、すでに竣工済みのプロジェクトが多数ある建築家だ。

たとえば「800m Tower」(2006年)は、中国国内のコンペでつくられた提案。都市のランドマークとなる400mの超高層を欲する地方政府の要望に対して、より高い800mの超高層をプレゼンしたのだが、頂部で建築が折れ曲がっているので、結果的には400mのツインタワーである。この提案に含み込まれた意図は「建築の高層化競争」という時代遅れの概念に固着する中国都市(と市政府役人)へのアイロニーとユーモアだ。当然ながら、実施を前提にしたこのコンペを勝ち取ることはなかったが、こうした「高層建築批判」は馬岩松の根っからのテーマであるようで、学生時代に制作したニューヨークの高層建築群に屋上屋を架ける「フローティング・アイランド」(2002年)に始まり、当各階に不定形の庭を持つ「都市森林」(2009年)などがある。「山水都市」にもそれは通底する。

各プロジェクトに適宜反映される「山水都市」というコンセプトに象徴されるように、MADには、現実的の進められる仕事の前提に、「(中国において)建築と都市はこうあるべきだ」という理想と問題意識が存在する。多数あるアンビルドは、それが彼らにとって問題提起の手段だからだ。問題を提起するという意味では、建築という形式はさほど問題にならない。それゆえMADには現代アートとの接点も多く、オラファー・エリアソンとの共作「Feelings Are Facts」(2010年)などがある。

馬岩松は先のインタビューで、中国の建築に「メタボリズムのような運動がない」ことを批判的に指摘している。事実、大きな問題意識をもって社会にコミットメントするような中国人建築家は——政府権力の強さと高度経済成長を背景とした膨大な仕事量による忙殺によって——ごくごく少数である。アンビルドの想像力を大胆に展開するMADの建築は、そのような状況のただなかで特異点としてあり、それゆえにこそ、注目に値するはずだ。

  1. 『住』はイタリアの建築雑誌『ABITARE』の中国版だが、単なる「イタリア版の中国語訳」ではなく、中国建築の事象にスポットを当てた独自の特集を組んでいた。馬岩松特集(2012年、第31号)の他には、フートン特集(2013年、第34号)などがある。

  2. 馬岩松氏へのインタビューは『ねもはEXTRA 中国当代建築——北京オリンピック、上海万博以後』(フリックスタジオ)に掲載されている。

  3. たとえば、youtubeでは馬岩松氏が出演したCCTV制作のTV番組である「開講啦」や「一人一世界」などがを見ることができるので、中国語が分かる方は見てみてほしい。馬岩松氏のキャラクターがよく分かると思う。

  4. 『ねもはEXTRA 中国当代建築——北京オリンピック、上海万博以後』(フリックスタジオ)では、キュレーターの方振寧氏にもインタビューをおこなっている。方氏は、国務院文化部からの委託で、中国現代建築展のキュレーションとそのカタログ出版を多数手がけている。

市川紘司

東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、東北大学大学院工学研究科都市建築学専攻博士後期課程。1985年東京都生まれ。専門は中国近現代建築史。2013-15年中国政府奨学金留学生(高級進修生)として清華大学建築学院に留学。編著書に『中国当代建築——北京オリンピック、上海万博以後』など。

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