建築家自邸シリーズ 002 泉幸甫邸
十二単衣から考える現代住宅のリテラシー
A Literacy for Contemporary Houses Based on the Junihitoe (Lady's Ceremonial Court Dress)

而邸は、雨だった。

而邸は、雨だった。建前の夜に、現場に行き、親方たちと飲んだのは相当前で、また泉さんへのインタビューの日程がそれから時間がたち、また一回建築雑誌で感想を書き、さらに3年ほどたち、その間の思いといささかの思考の積み重ねられた気持ちを今急に書くので、冷静な論理づくりに至っていない文章のいいわけを最初に読んでください。
確か雨模様で棟木が裸電球に浮かび上がってぎらぎら輝く天井の重さを見上げ、ごろごろと転がした根太用の木材を腰掛けに飲んだ。木と人いきれでむんむんとした雰囲気の中の出会いであった。
新鮮さ、荘厳さ、包まれている安心感、親方たちのやり終わった安堵感があって、現在の而邸の有り様では見えない、設計の深い思いを感じる。棟木の微妙に変形する曲線やそれを束ねてつなげる垂木たちを馴染ませる工程で、職人たちが異口同音に構造の木を組み上げる時間の苦労を語っていた。
それから、本シリーズの編集会議がはじまった。作者の建築家泉さんの工学博士合格、それから自分の大学からの引退、森山邸という衝撃、加茂邸の思いやりを見ることが出来たことなど、多くのことがあった。ということは、棟上げ時や、過去に都市住宅の持論を書こうとして失敗した時期などの自分ではない自分に、今は成っている。
特に、現代住宅に関する作り手もその語り手たちも様相が変わり、行き場を探りつつも自信を持って語るメディアが現れてきた。作り手の語りは、様々な現代建築の建築と出来事を引用して、国際的に語る。ファッションの評論家のように、気持ちのよい叙情的な文体で瞬間芸のようだ。難解な作品紹介があるし、実業的な話題もある。饒舌で難しい「日本の現代建築を考える○と×」[1]シリーズなどを読んで前から思っていたが、作り手の視点の考え方は、理屈ではあるが実感的な理性の体系で一人一説であり、形而上的な推理や実態的なデータなどの知性的な論理よりも自らの体温や感覚で組み立てているので分かりにくい。住まいの設計事例の語り口は、テレビの番組のように若い作家の新しい小説のように、名もない植物のように顕微鏡でしか見えない建築が多数の建築に紛れているに思われる。しかし、どこに基本問題があるのか、どこに他人あるいは私との関わりがあるのか理解しにくい。わざわざ、これがいいとかこれがこれだと識別し、意味づけをすることがばかばかしく、評論をする仕事ならいざ知らず、識別する気もなくなる。

論考の視点
現代住宅の委員会の活動の視点、あるいはその立ち位置を考えておきたい。まず私の方は学術研究の視点があるが、小委員会のメンバーは作り手(建築家)が半数であり作り手としてまた自作の語り部としての立ち位置を持っている。本論では私の研究の専門としての立ち位置を基本としたい。昨今の研究者の活動を見ると、専門的な事象に焦点をあわせるものが多く、ひょっとすると総合的なあるいは、西山夘三が心がけた住宅とその生活像を全体的に捉えるような意味づけの時代は終わったのかと思う。総合調査は社会学的であるのでなく、学術的な知見を導くもっとも有効な方法だと思うが、そうでないと作品感想文などのような個別事例対応の思考となるが、総合的な知見は必要がないのか?あるいは、必要かを詰めてみたい。

都市住宅論と建築基準法

住宅設計のリテラシー
最初に、基本とも言うべき住宅から都市を構成するという考え方を論考し、そのありようを考える。
平均的な狭い宅地では、技巧的な設計論がはびこるし、都市と近隣との関係は萎縮していくし、壮大な夢がなくなるので、こじんまりとした建築論が生まれる。過去の小住宅設計バンザイ(1958)[2]の建売住宅論の方が、健全で住み手も社会的意識があるし、建築家も責任感があるし、住宅を語ることの意味があると思う。これまでの住宅論考は、有効かどうか?例えば、鳥瞰的な西山夘三の日本住宅史[3]は、おおらかで基礎的な知識として価値がある。隈研吾の10宅論[4]は、住宅を個別化していく類型として捉える点で直感的な様にも思うがデザインを見ていて実感的でよかった。これらの大局的なあるいは鳥瞰的な知識は、無用ではないが必須の意味を失ってきた。住宅設計のリテラシーとなる住宅像の鳥瞰あるいは類型論は有効性が低くなり、鳥瞰無しで自己意識が強いだけのすでに寂しい時代に向かう兆候がでている。いいかえれば過去の時代は、眺望的な住宅論が記述できる時代であった。現代の住宅論では、鳥瞰的でなく都市構成としての住宅づくりへの関係があるのかないのかよく理解できない。
それでは都市での住宅の基本課題は、なんであるべきだろうか。日本の住宅とそれが構成する住宅街区の形式についての問題意識は、自分には最も重要なテーマであった。本委員会の現代住宅研究の自分のテーマは、この点を建築家がどう考えているかを意識して見てきた。
泉の而邸は、平入り2階家で、通り側の中央に玄関口が空いており、閉鎖的な外観で、住まいを防護しているように感じる。意外に直角・直線の面で固く編成され、鋼板の屋根と打ち放しのRCの外壁が、防御的に感じる。東京の住宅地の宅地割りと宅地規模では、かなり技巧的な配置と構成である。妻側にサクラの樹がある小庭に面して上品な印象の開口部が上下の階にあけられている。戸建て住宅の配置として、またそれらが構成する街区として、理解できる。プライバシーの平側のファサードと、サクラと太陽を取り込む妻の窓面の構成は、「而して」であることを素直に感じる。
特段の評価はないが、平側のファサードは、小さめの玄関口を持つおとなしさがありボリュームの閉鎖感をやわらげている。アプローチしていく私たちに、、やや大きな鋼板の折れ線を重ねたボリュームを持つ住宅全体の塊は、ボリュームの内実が推理させない、不思議感というか探索の気持ちを起こさせおもしろい。「試行(しこう)して出来た住まい」という而邸という成り行き的な命名が表に出ているのかどうか設計者のユーモアを感じる。ボリューム構成は、複数の直方体の立体で、やや重い感のあるモノリス(monolithあるいは写真参照)といってよい。近代的でないし村落的でない、超越的な象徴性がある。

ファサード
都市の歴史が長いヨーロッパでは、煉瓦や石造の恒久性があり、旧市街地に見本が見られる街並み(建築と都市デザイン)、さらに守りながら都市を眺める街並み側のファサード、裏側の共同性が強いコミュニティの庭やオープンスペースがある。部屋の構成は、通り側の開口部、中庭側の開口部、その中央部にある上下交通の通路空間、さらに給排水の関係で地下や中庭に連結される設備インフラがある。このような通りと中庭との関係を作るゾーニングとサーキュレーションは街区の住宅の共通の原則で、20世紀初頭のArchitectural Planning[5]の専門書が明記している。而邸は、この伝統ではないが通り側を象徴的な形態とし、ボリュームのもたらす不思議感で通りの個性づくりに貢献しているといえる。
現在の法律は、集団規定で地域の特性を設定し、方に都市構成の調和を可能にし、実感的で個別的な関係について設計者の思考に制約を与える。住宅設計と都市の構成に関する建築家の社会意識をある意味で方向付け、自由を奪っている。単体規定においても同じように、建築基準法は建築計画を小さいうるさい基準集にしてきた。このような法律は、街区での住宅計画を統御しているようで、実は何ら本質的な秩序や方向性導き出していないように思う。
現代の都市建築が更新期を迎え起こっている激しい変化を考えると、都市との関係で住宅の建築計画はどうあるかを今こそ検証し住宅像と都市の街区のあり方を総合的に研究をすべきではないか。まず、容積率と建築形態の関係は、重要なテーマである。
現代の都市建築は各所で更新の工事が起り激しい変化が見られるが、住宅の建築計画は都市との関係でどうあるかを今こそ検証し住宅像と都市の街区のあり方を総合的に研究をすべきではないか。まず、容積率と建築形態の関係は町並みを美しくしているとは思われず、重要な検討テーマである。

二種類の住宅系列:直交座標系分節連続体VS非分節連続体(CAVE)

芸術としての住宅
私は、住宅計画の専門家ではない。住宅設計には直感的な感覚しか無い。間取りやその機能性などの専門家でないが、住宅設計がつまらないものだという論議—住宅は芸術でない(2006磯崎新、草月ホール講演会)[6]は気になる。驚きという現代性や独創性がない住宅は芸術でないと思うとともに学術的な論理的な創造性が重要だと思うので、これ以降の論理が主張が強気になりうるさいかもしれない。
而邸に入ったとき、最初に感じた驚きは、あの外観の巨大な塊の内部にしつらえられた連続空間であった。一階の和室は分節されているが、玄関から2層から3層、テラスの開放的なスペースまでの連続空間である。和風で、独自の形態を生み出す材料使いと詳細を特色とした泉さんの住宅として、直線だが直角が少ない室内で、独創性を感じるものであった。nLDK系の間取りで常套的な分節的表現となっていない。予想していた作風を超えて、有機的ともいえる新しい一体性を生み出している。ある意味で、泉さん自身と家族のライフスタイルが表現されているのだろうが、生活の節目に建具を配置しないで自由に空間から空間へ遊泳するような自然体のスタイルを感じた。
間取りは、いわゆる公団や現在のマンションの都市住宅のアレンジとまったく違う空間性を実現している。こういう間取りを言い表す言葉はあまりないような気がするので、あえて非分節連続体(CAVE・洞穴)という間取りを創出しているとしたい。その独自性は、おもしろい。部屋全体はやや斜めに相互に暴れて上がる棟木と垂木の線織面につつまれて、洞窟のような独自の感じが強烈である。部屋の機能の切り替わる節目には、アクセントとなる構法が工夫されやや和風の洗練されたデザインがある。特に、開口部は扉が抑えられ台所と階段の上がり口やアルコーブ(リビング)の間では間仕切り壁でない結界がうるさくなっておらず、空間の連続感を表現している。

洞窟の室内
非分節連続体(CAVE・洞穴)は、例えばピ-ナッツの殻(塊monolith)の内部のような不定形の内部空間である。原始時代の洞窟生活は、洞窟の各コーナーに暮らしのいろいろな場が設けられていた。洞窟の曲がった壁により、居場所は、視覚的に高低差においても適度に区切られる。空間を分節する道具である建具や間仕切り壁がない時代では、自然の洞窟の非分節連続体が一般的な住まいの空間であったが、現代ではあまり見られない連続体になった。
私は、いわゆる八田利也などの言う建売住宅でなく、市民の工夫で建設した理想を実現した住宅と住宅地を学生時代に全国に巡って探検した。そこには都市住宅でありながら農村住宅的な農地から自宅の作業庭に、さらに縁側から続き間の和室、その奥にひそやかにリビングルームとDKを控える構成の住宅を多数発見した。2階は子供たちや親の個室と寝室が載っていた。和室の続き間は、接客・親戚の集会など住宅の外に向かうウエルカムの空間であるので、南向きの庭につながり、住宅の開放性や社会性を大切にする精神の表現である。
長崎から、山口、新潟、山形、函館、さらに札幌まで、それぞれの住宅は南に向き仲よく連続配置された街区を構成していた。歴史的なデザインサーベイの対象地でなく、普通の住宅地である。秩序のある近隣関係を形成することを重視した意識を表現している。日本の間取りと配置の多くは、格子状の座標系に載る通路と部屋の積層で形成され直交座標的で合理的な空間配置(非CAVE)である。さらにまた、立体格子のフレームに引き戸や壁をはめあるいは埋めていって分節される空間である。泉の而邸との違いを明らかにすると、一般庶民の住宅は、分節非連続体(非CAVE)であり、泉邸は非分節連続体(CAVE)である。
私は、そういう庶民の夢を生み出すエネルギーをサポートする住宅研究と住宅行政や住宅産業の成長を祈ってきた。泉の而邸を見て感じたことは、小住宅でありながら開口部の少ない塊monolithを穿ってできる連続空間(CAVE)である。限界的な規模を緩やかに使い、大きな豊かさを生み出している。日本的な格子状の空間構成でないことを強く感じた。だから、普通の非CAVEの住宅をCAVEに演出するという点で、庶民の理想に建築家がかかわることの大きな特別変化の可能性を感じた。実際、このような住まいは、加茂邸でも感じるのだが、その後生まれ続けていない。なぜであろうか。ここで、やはり住宅計画の基本的な課題が示唆されていると思う。
ここで、間取りに関するまとめを行う。CAVE空間は石造や煉瓦造のヨーロッパの伝統にある空間だが、ドアなどの建具による分節が行われており一つの原型(ヨーロッパの形)である。また書院造りの格子状の建具と土壁による日本の空間は原型(日本の形)で、転用可能な室の機能を限定する伝統が継承されていないがとして存在している。而邸の連続性は、書院づくり的な開放性を持っているがほとんどの建具は内部には少なく外部を閉じるものである。工夫された独自の空間性があり、言葉通りCAVEの連続空間であろう。誰かが指摘しているのかもしれないが、日本の住宅として適切なもう一つの原型(日本のもう一つの形)といえるものであり、新しい空間像を生み出している。書院造りの建具による分節を基本とした伝統的な日本の住宅の形は開放的な連続空間となる特徴があり、泉の而邸は分節する建具を持たず分節されていない連続空間を内蔵しているという点で新しい原型といえる。

プルーイットアイゴー団地
初学の時に、萌芽期が終わり過渡期の公共的なニーズからの建築計画の研究室にいた(1965年頃)。研究を建築計画として実現する、公共団体からの委託された公共施設—病院、学校や公共住宅の設計を行っていた。今はハッキリしているが、過去の蓄積されてきた研究目的と方法とも別れ、未来に向かう住宅のあり方の価値やそのための方法を探っていた。大学院学生から教員になった直後、私の気持ちをいっそう押し出した出来事が起こった。セントルイスの公共住宅[7]が、主に建築計画的な失敗で爆破されることがあり、衝撃を与えたことである。
過去の蓄積のマイナスの影響に打ちひしがれた気持ちであったので、多くのデザインを専門とする大学研究室が新しいデザインを求めて「フィールド・デザイン・サーベイ」に出たように、行政や権威者の目線を自己批判して密かだがまさに郊外の町や農村に出ていった。また、同時に設計の学習としては先輩の黒川紀章や原広司の事務所で勉強しながら自作を東京で設計していた。黒川からは、愛知県のニュータウン計画で土地利用にフレキシビリティを導入することを教えられ、原からは、機能的な建築計画でない均質化と平均化する建築の有孔体による表現を学んだ。いずれも、建築の外部から決定してしまう計画方法でない主体的な主張を学んだと思う。いろいろなことから、自分の建築設計をメディアに公開して行く意識は無かった。設計と言うより住宅技術に関心があり、住宅生産が民間主体になり工業化構法・建築技術指向の中で住まいづくりを市浦都市建築コンサルタントなどの住宅コンサルやプレハブメーカーで学んだ。当時は、住宅設計という視点で、住宅づくりを学ぶ気持ちはなかった。その姿勢が、自分の特性を作ってきたかもしれない。
そもそも現代の庶民の住宅設計・住宅づくりは、不動産業と建設を請け負う建設産業によって市場で条件づけられている。経済市場の問題として住宅づくりを検討する必要がある。残念ながら、建築学会で市場の中の建築計画や建築設計という学術概念は十分に詰められていない。また、先に述べた建築基準法の単体規定や公共的に影響がある各種の基準が制約や同一化を促進している。私がこういう風に言うのは、都市から建築/住宅までの空間と計画ルールが直交座標に縛られている、縛られざるをえないことという基本的な特性は、間接的に市場性や法規制と対立しないで済む条件となっていると考えるからである。いいかえれば、経済性が高く有利な直行座標系空間条件が弱くならない限り、直行系座標軸に従い軸と壁を配置する非CAVE住宅が多数生産される。そのために泉さんの而邸風の連続空間のCAVEと、建具で区切られ構成されるいわゆる書院造りや田の字型農家づくりの間取りを継承する非CAVEの両者が共存し多様化することにならないのではないかと思う。

建築問題の鳥瞰を不可能にした現代

建築学科に入った約55年前の学生時代は、丹下健三が東京オリンピックの屋内競技場で大きな驚きを生んだ時代で、建築デザインの未来が光っていた。大学院で、住宅・住宅地計画の仕事をしたいと公共的な集合住宅のために研究生活に入った。建築資料集成と建築学大系は、その当時の最重要な参考書であった。公共の責任という標準的な住宅計画にミッションを感じていた意識を驚かせ、挫かせた視点はいくつかあったが、吉坂隆正の自邸や大学セミナーハウスのブルータルな建築の設計論であった「不連続的連続体」の理論や原広司の平均化していく建築への批判理論であった「有孔体理論」、池辺陽の住宅における「快楽主義への警告」などがあった。いずれも説得力のある建築論で、予言的で建築づくりに広い影響力を発信していた。
しかし、豊かさとともに、少しずつ公共などという基準は消えていき、調和に収束する方法も下火になるとともに、個人の快楽が表面に浮かび上がってきた。快適感や、日常性や個人性が重視されるようになった。そういう変化を実感したのは、ロボットのアトムの妹ウランちゃんではなく、ジュラルミンの硬い肌の裸のロボットが電車の車内広告に使われたときであった。どうしてそうかははっきりしないが、非生物の女性のようなロボットが、戦後の思考を破壊したように思い出す。
市民目線の意識が、浮かび上がってきた。利用者の要求条件という概念はあったが、そこからは必ずしも生まれてこなかった等身大の建築計画の視点が出現してきた。民主主義という価値観はもちろん存在したが、予定調和できる公共を信じた合意意識の裏にあった民主主義で、まだ現代の少数派が主張するラディカルな民主思想ではなかった。現代は等身大の視点の範囲から、もっと対立的な時代に入っているかもしれない。

ブランド小説
時代が進み、人気小説「なんとなくクリスタル」[8]の出版が境界であったかもしれない。個人的で趣味的で消費的な価値観が邪道でなく基本になってきてから、社会性や改革意識が消えていくようになり個性や個人性が表現される住宅づくりがメディアの中心的な情報になっていく。公共住宅や公共建築への不満が生まれ、理論的に建築の正義の基準から入る論理は表に出なくなる。特に最近では、建築回想的な講演会が多い。現役のメジャーな建築理論や主張は見えなくなり、思想から演繹的に事象を評価する語り口は少なくなったからかもしれない。瞬間的な思いを重視するといってよい住宅設計も肯定されていく。大多数とか社会正義とかが基準でなくなっていくとともに、個人の自己主張あるいは差別化を前提にした建築が続々と生まれていく。民主主義も多数の価値観に従わなくてもいい、個人が納得できなければ否定してもよいという、極限的な関係が顕在化する。
阪神淡路大震災(1995)は、こうした日本人の価値意識に大きな反省のきっかにとなったとともに協同性への回帰が見られた。しかし、高度な個別性を前提にした民主主義意識には、合意して納得していく建築づくりへの道のりに不安が見えだした。

参加・協働
神戸の震災復興住宅のある現場で、権威者、実務家、行政担当者の激論を目の当たりにしたことを、ハッキリと思い出す。東日本大震災(2011)では、もっと激しく統一的な価値へ収束していくことの難しさを感じた。現在、いくつかの復興の住宅地が完成してきたが、可能な限り早く、合意を前提に、安全安心な計画を求めたものであろうが、いずれの関係者も充実感を持っていないように思う。
参加や協働という価値観は、これからの住まいづくりでは基本的な価値で、反対者がいることを前提にする。建築に関わる行為では、関係者の全員の100%合意による推進は不可能になってきたといえる。ルールによって多数決を前提にするという契約によって推進することになる。
而邸のように個人住宅では家族間の合意は外に見えないし、近隣との関係も法律的な手続きも調整されていれば、以上のような問題は顕在化しない。
建築の問題を多数の関係者の満足を得る方程式だとすると、関係者の要求条件とその満足の基準があり、それを満たす解決方法が困難になってきたということになる。時間をかけて検討しようの意味は、永続的に解決していく研究等をしていくといつかは、100%解答にたどり着くということをいっているのかもしれないが矛盾している。
不可能問題については他分野でも存在している。基礎科学分野の数学研究、言語研究、経済学研究などで現代の不可能性という解答がない課題が指摘されている。建築系の課題では、同じく問題が複雑になり、コスト問題、マネージメント問題など、方程式の高度化は普段に進行している。
こうして膨張し高度化し、解決できない状況に向かうと、急に小宇宙に戻って個人の生態圏バイオソフィーアにこもる発想が出てくる。
建築家は、一般解よりも、元々経験的な自己訓練で個別解に向かうので不可能性にはなれている。活躍のフィールドを縮小して自己防衛するとともに、そういう仲間によるメディアが生みだしていると思う。現在の住宅設計の、多くがこのような傾向の事例になっているのではないか。

匿名性を識別し鳥瞰可能にする方法

建築研究
住宅のあり方の課題で、入り口には計画論や設計論の新しいあり方、市場経済の中で優良な住宅の獲得の課題、出口ではストック過剰の住宅の課題、都市の密集地域での住宅の改善はどうするかなど、多数の問題がある。私は建築の研究者なので、微生物研究のような虫眼鏡的な探求でなく、西山夘三が成功したように全面調査による鳥瞰的な遠望を好むのだが、現在一番建築現象でうるさく感じるのは、先に述べた個人性・匿名性が顕在化して都市や環境の中で、コミュニティの中で、自己主張する膨大な数の住まいの個性をどう鳥瞰するかという問題である。研究者の立場でいうと、住宅の全体像を把握できなくなり、総合的や眺望的な研究が消えて行くことになる問題である。
もう一度、論考の立ち位置を確認する。最初にも述べたが、設計の住宅づくりは多元的な条件の住宅を作るわけで、無数の試行錯誤で総合的な解決を探索する。しかし必ずしも、住宅の時間的に多元的な事象を記述する必要は無いし、制作の方法を論理的に説明しなくてもよい。住宅づくりは一対象で行われればよいという立ち位置である。しかし、研究的には、住宅づくりの意味のある事象から原理的な論理を探索するので、住宅づくりという一対象としてさえ多元的である上で、さらに絶えず匿名の住宅の創造と更新があり、時間で変化する多元性が階層化した膨大な住宅事例を鳥瞰し、それらを説明できる論理を探索する立ち位置である。多元性が階層化することを、無数化すると考える。ここでは、研究的な視点で論考する。
それで、こうした問題の理解するために、無数化して明確でなくなる情報に挑戦した先人の事例を取り上げる。まず、「いきの構造」[9]を取り上げる。この著作を、多様で定義しにくいの美の概念の「粋」を識別する論理学として読む。当時すでに、無数の無尽蔵の「粋」の考え方と曖昧な認識があったことに飽きて、その内部にある意味の関係性を視覚化し鳥瞰しようとしたのではないか。粋という現象が八つの概念に繋がっていることを断定し、その関係を深化していく。
無数の現象にみられる位相から階層的な小現象を探り、小現象間の関係論を論じて詰めていく。その推論から8つの差異が存在するという観念の隠れていた構造が生まれる。「運命によって<諦め>を得た<媚態>が、<意気地>の自由を生きるのが、<いき>である。」その基礎に時代の粋に対する膨満感、飽き飽きした気持ちがあり、それをたしなめる皮肉の研究ではなかったかと思う。私が住宅設計に抱くからそう思うのかもしれないが。
それでは、観念「粋」の現象の中に含まれる要素が階層的に存在し構成されているという仮説を明らかにした方法は、住宅設計の本質を記述できるのであろうか。
2

間取りだけでない新しい建築計画
無数の住宅事例から住宅設計のあり様の潜在知識を見いだすには、設計で扱う多次元の要因を時間の中で情報処理していく知的な行為の論理と言う方法への有効性を持っていなければならない。粋の四角柱という形式は、住宅設計の概念の時間的な変化がある多元的な形式になるかということが問題である。残念だが住宅設計は、静的な四角柱の頂点の関係体系にならないのではないかと思う。
現代住宅の本委員会に課せられたミッションは、「建築計画でない新しい建築計画のスコープ」あるいは「間取りや寸法だけを見るだけでない建築計画」を探るためであったことを思い出す。時代状況は、上から目線の建築計画を超えようとしている新しい理論に飽き飽きし軽蔑してせっかちに実践に飢えている時代であったが、少しずつ創造的な建築が生まれつつある。実践を説明する建築家の饒舌と晦渋は、過剰に現代を覆っている。建築計画は、いったいどう言う形で、秩序だった意味の理論を作り出せるかと、研究会の創設を言い出した西村伸也が言っていた。建築の多元性そのものを説明する論理はないか?その後、委員会の主査が替わっていったが、住まいづくりの個性を楽しみはしたが解けないままの難問として消えていったかに見える。
無数の差異そのものが意味のある建築現象であるから説明しにくい。言い換えれば、実践の方法では、無数の個別事例を理解すれば、見えてくることがある。作る立ち位置では、必ずしも論理的な記述にならないものも、即興的な方法も理解すれば可能となる。即興は、今後の研究の可能性でもある。研究の視点では、現代の自由な住宅づくりを鳥瞰することを不可能にし、無数の実践活動が視界を曇らせる。

現代がうしなったモノ
大きな物語が消え、個人の物語だけが見える時代である。新しい建築計画のリテラシー問題を定義しようとすると、無数の視点が浮かび上がってくる。今の自分は、建築現象を同時的に観念にして想像しているが、現物の物体の建築を対象にすると、目の前に見ているモノはその一部であり、時間とともに変化している。時間変化と空間変化の視点は、無限だし、自分以外の他人はまた違う。こういうときに自分の想像力の不十分さに気がつく。西村がおいた問題に、どうして戻ってしまう。設計でも同じだと思うが、設計にある即興は、その秘密を明らかにしない行為である。私は、設計の経験で、多くの即興による決定を経験している。学術研究は、時間の変化すら論理化するモチベーションがあり、再現性、繰り返し可能性を大切にする。学術研究は、事象の全体的説明の可能性に挑むものである。研究では、事象の鳥瞰の可能性が必要である。建築の設計と、研究は相容れないのかもしれない。
鳥瞰的な学術研究というと、住宅では西山夘三の「国民住居論攷」[10]が典型的な成果であると思う。彼の時代の社会の住宅の実態を住宅事情、建築計画、平面計画、あるいは構法や外観計画を鳥瞰し、住宅計画の類型化により将来の住宅計画を見通している。西山の鳥瞰像を継承し、鈴木成文は、生活と住宅の矛盾を解決する計画契機を重視する学術成果を提案し、公共住宅の建築計画に影響を与えた。その継承として、公共を大切にする方法論も試みられてきた。近年、公共圏[11]の回復と創造は、共通性を獲得している建築計画の価値概念である。これらの学術成果が現代でまた委員会での自分の目標として、だれもが最高のものだとは思わないだろうが、新しい視野が開けるだろうか?
こう妄想していると、歴史の中で提起されてきたトピックスにぶつかった。その一つが、ピカソが視覚現象の同時性を図のように表現しようとした描画法であり、もうひとつは十二単衣の衣装の問題の論理である。
建築の多元性を考えてきたら、ピカソの女から十二単衣にたどり着いた想像を説明する。住宅研究委員会の最初の頃、住宅ではなかったが、C+Aの幕張にある打瀬中学校を見学した。住宅と違って、多数の教室があり、子供たちが多数いて、学校の設計はどうするのか、学校のスペースをどう理解するかを大きな疑問がわき上がった。特に、研究委員会の発起者の西村伸也が、行動と空間の同時把握というようなことを言ったことが気になっていた。

同時性
しかし、住宅設計で、玄関での事象と、子供の個室での事象となど多種多様な事象が同時継起しているとしても、設計段階ではそれぞれの事象を切り離し設計するとともに、複数の事象の関係の妨害や促進関係を調整して設計を進めればいい訳で、同時把握は、事象をきり放しあるいは関係のある複数事象に絞り処理をするので必要がない。
研究の方では、同時把握の方法は、理屈では成り立つが研究的な記述方法はできないと思っていた。同時に事象が生起していることにも、豊かな意味がある、捉えたいということである。設計者へ、こういう疑問を届けたことはないが、研究の視点がいかにもばかばかしいことなのでしなかった。予想として設計者も同じ人間なので、多元性のいろいろな基礎となる次元を繰り返し作りあげ建築に組み込み、相互関係を調整して行くのだと思う。設計者の方法は、結果は魅力的に語られるが、方法でなく実はスローガンや目標としての有効性があるだけのようにも思う。研究的な立場での方法とは異なっていると考える。私は研究を始めた頃コンピューター設計に相当入れ込んでいたので、アルゴリズムさえできれば多元性の要素を同時並行的にシミュレーションできると信じていた。これはコンピューター内にむりやり同時性を実現できるプログラムを作るということだが、研究的な方法とも、また設計の方法とも違っている。
論点を戻すが、その時あたりからピカソの眼が互い違いに配置される女性像が時間的な多元性表現と言うことへの、解答ではないかと考えられるようになった。建築設計で開口部をわざと互い違いにする表現とか、形態を故意にデフォルメする作家がいる。そのような形態表現は、ピカソからヒントを得ているのだろうか?人間の表情の変化を、2次元のキャンバスに表現するには、瞬間的に切り替わっていく表情を肉体の実態とは関わりなく接続して行くことで生まれているのではないかと思えるようになった。しかし、デッサンや類似の女性像を見ると、ピカソはほとんど同じ互い違いの構図に収束させている。女性の事象は、多数の同時性があるはずだ。ピカソが同時性の重要性あるいはその情報発信の着想を考えると、彼の創造性を感じる。しかし、なぜ、同じ構図になるのかが疑問になった。同時性の表現を最高に追求すると、収斂すると言うことか、どこかにその秘密が記録されているかもしれない。その後他のピカソの作品に、愛の絵で構図が繰り返されないことも気がついた。ピカソは同時性の描出というテーマのメッセージを発信してはいるが、そういう意味性を絵画に仕上げていき図柄を創出したに過ぎないのではないか。しかし、意味と意味される記号ゲームみたいで、ばかばかしくなったので、もうこれは止めた。
同一建築で同時に起こっている事象(同時性)が十分にとらえられたら、発見がありそうで未知の研究対象だ。多元的な事象の要素を同時に記述することで、事象の全体が把握できる。ピカソの同時表現は、映画の特性を意識していると思うが、学術研究で要因を多元の要素に還元していく考え方では、元相互の関係が分断されるので、要素関係を維持する把握方法は、大いに期待できる。同時に記述し意味を把握することは、鳥瞰的な事象把握でない新しい公共的な価値を生み出すと期待したい。
次に、十二単衣の論理について考えた。

ドラ・マールの肖像 1937  出典 http://artprogramkt.blog91.fc2.com/blog-entry-67.html

ドラ・マールの肖像 1937 
出典
http://artprogramkt.blog91.fc2.com/blog-entry-67.html

和室の多様性と類型化
私の現在の関心事は、日本の和室を世界遺産として意味づける研究的活動である。ところが、和室は消えつつあるだけでなく、日本の歴史的・伝統的発明品であるはずなのに、なんらその多様性を明らかにする論理が形成されていないことに気がついた。畳数による分類、書院、茶室、座敷などの用途による類型は流通し、和室もどこにもあり、どの時代にもあった無数の性格のものである。しかし、その無数な事象を解説する論考はない。
そこから、突然和室に、性別的なタイプがあり、そのタイプで説明できるのかもしれないと閃いた。書院造りで豪華な将軍に拝跪する和室と平安の寝殿の女性が帳に入ってくつろぐ和室がある。武士の儀式的な和室と日常家具のあるくつろぎ的な和室の区別である。前者を、男性和室とすれば、後者は女性和室である。あるいは、客室和室と家族和室としても良いかもしれない。実は最近の調査で、僧坊の書院は、信徒と院主の対面の書院造りと、高僧の客室として能舞台や食事装置などの娯楽装置を持つ書院があり、畳の部屋であるので客室あるいは娯楽室としての和室があることを知ったが、これは男女の懇親あるいは家族の和室といえると思う。和室には、数寄屋の茶室が存在し、現在に必ずしも多数が継承されていないので、今後研究が必要だと思う。多種類の和室の存在に関係する、住宅設計に繋がる知識の創造には、西山夘三から始まる現象の「類型化」が有効である。男和室、女和室、家族和室の類型である。
本論は、而邸の感想文であるので而邸の和室を見ると、一階の3畳和室と3階の4.5畳和室がある。一階の和室は、おそらく接客用であったり、奥様の茶室であるのではないかと思うが、小庭に面した落ち着いた雰囲気で、特段あげつらうモノでない。3階の和室は、小窓の出窓で囲まれた小室で、玄関から2階のリビングスペース、食事スペース、寝室の一体的な連続空間にさらに高く入り込める配置になっており、連続空間に奥行きという特徴を生み出している。而邸の塊に変形したピーナッツのようなCAVEが仕込まれている。このような和室は、現代の数寄者が作った空間である。この小和室を、先の男性和室、女性和室のような対局に配置するとなると、小間の茶室の類型で癒やしの和室といえるかもしれない。
和室の種類を定義する思考がまだ十分でないが、類型化という秩序で多数の空間の関係性を視覚化できる一例である。類型化は、多元の強い相互関係を抽出してセットとすることで、種類という差別化を図る方法だが、建築現象の無数性からいうと、まだまだ、論理が初歩的であると思う。

失われれた和室―書院の書斎 出典 大岡敏昭 幕末下級武士の絵日記2007

失われれた和室―書院の書斎
出典 大岡敏昭 幕末下級武士の絵日記 2007

十二単衣
そこで十二単衣の問題に入る。十二単衣に無数の事象の記述や把握方法が潜んでいるわけではない。私にとっては、この衣装を製作する人は、どういう視点でデザインや制作をしているか、この衣装を着用する人はどのように重点を決めているのかという、十二単衣そのものが住宅と同様に作る面でも使う面でも多元性(多面性)があり、その元となる要素間の関係を捉えたらどう良いかという関心が生まれた。
十二単衣について、過去に多数の論評があるわけではない。現代でも、同様に論考は少ないように思うので、絵図や衣装の解説図などから現象観察で推理する。
ここでは「使う面」での多元性を考える。十二単衣は、実際は5枚重ね程度で襟部分に十二の重ねを用いたと言うが、重ねの意味はどうだったのか?一番上の衣装は明らかに装飾が多くきらびやかである。多くは赤色のアクセントで強調している。一番室の重ねは、肌着であるがどういう機能を前提に色彩はどうしたか?正面の外観を見ると、下部の重ねを繋ぐ上着があるように見える。こうして考えていくと、ひょっとして専門家の考証があるであろうが、重ねることの衣装相互の関係性が興味深い点である。表からの順序もおもしろい。装飾と色というデザインの特性が、おそらく表から一番肌着まで意味づけられていると思う。
衣裳の襟の重ね方に、伝統的な「襲の色目(かさねのいろめ)」という様式があるという[12]。そこには、季節ごと、祝いごとなどで着方があるという。重ね着は、当時の絹の材質は薄く裏地が表に現れるので、効果的であったという。
例えば春らしい着方では、「紅梅の匂(こうばいのにほひ)」の名称の着方は、「下より淡く・淡紅梅(淡蘇芳)・紅梅(蘇芳)・同・濃紅梅(濃蘇芳)・青(単は濃紅梅でもよし)」(出典Wikipedia)となっている。このようなアレンジは、規則が明示されたモノだけでなく、その他にも無数にあったと思う。
また、各部の名称が細かく存在しており、意味を想像すると、機能が暗示されており興味深い。唐衣、表衣、引腰、大腰、小腰、裳、あがちの。当時の十二単衣のような伝統的な女性貴族の衣裳を女房装束という(出典:コトバンク)」。その中で唐衣は、「平安時代、十二単衣(じゅうにひとえ)のいちばん上に着る丈の短い衣。前は袖丈の長さで後ろはそれよりも短く、袖幅は狭く、綾・錦(にしき)・二重織物で仕立て、裳(も)とともにつけて一具とする」というものである。上着で、形態がハーフコートの様である。引腰は「女房装束の裳(も)の大腰の左右に取り付け、後ろに長く引き垂らした2本の飾りひも(出典:コトバンク)」である。大腰は「女房装束で、裳(も)の上端、後ろ腰に当てる部分(出典:コトバンyク)」、小腰は「女房装束の裳(も)の大腰の左右に取り付け、前に回して結ぶ細いひも(出典:コトバンク)」、裳は「八幅の生地(八枚の細長い生地)を横についで作り、頒幅(あがちの)という短い生地がその左右につく形になっていた(出典Wikipedia)」これらの名称は、当時の上流階層の夫人の衣裳として、相当に形式性が生まれており、儀式的な衣裳であった。

女房装束姿(佐竹本三十六歌仙) 出典 http://inuiyouko.web.fc2.com/sirotae/j03/nyoubou.html

女房装束姿(佐竹本三十六歌仙)
出典
http://inuiyouko.web.fc2.com/sirotae/j03/nyoubou.html

総合的な方法と直感的な方法
十二単衣の着る立場の多元的な実態を垣間見たが、作り手側の視点で言うと、多元性を創造していく方法や同時的な意味の表現の内容は、居意味深いテーマである。また多元性が、流動して収束する過程の時代があったと思うが、十二単衣の遠い過去は詳細な記録を伝えていないので、どのような理由で定着したかは分からない。現代の住宅のようになぜ個性化しなかったのかも興味深い。
建築あるいは住宅の要素の多元性という視点で見ると、衣裳の形式化が進む、すなわち住宅計画の固定化が進み、要素が固定化するのと類似している。
このあたりで論考の糸が切れた。
住宅でも固定的で基準的な条件が定まってきた戦後から20世紀後半までの時代では、研究方法は総合的であったし、住まいづくりも同様であったと考えられる。建築の基準や考え方が明確であると、特に平面計画だけでその多元性を把握できるような錯覚に陥る。現代のように無数の考え方の時代では、総合的な方法はなくなり、あえて言えば直感的即興的な方法が顕在化する。作ることが優先となる。どのようなモノにも意味を持つ資格があると考える優しい時代である。意味を評価できないので事例は、語り口で意味を加えられるようになる。
住まいづくりを、作る人間というより研究的な視点で見てきたが、要素の多元な関係は、モノのあり方の基本的な特性であり、結果だけでなくモノの意味を見る視点が重要である。

まとめ:多視点の典型問題—物語性と設計・研究

多視点あるいは多元性問題は、建築や住宅の評価が簡単に決まらない理由である。問題を多視点、多元性などと曖昧に定義している理由は、関わる人の立場、視点、価値観、また、建築現象が場所の座標、時間、物体、経済性などの意味、心理的/生理的な影響をもつあらゆる要素などが、変数となって関係しているからである。
建築の物語性ということがある。建築には、そのものづくりの施主、設計者、建設業者のいろいろな時間軸に沿った歴史があり、それを物語というのである。また、建築を利用する人には、利用する生活史があり、それを物語になぞらえ物語性ということもある。さらに、遺跡などで入り口から構内へ進む過程で視野が変化していくことを、視野の連続関係を物語になぞらえることがある。多種の物語があり、それを語る人、あるいは主役となる人の立場で、一定の内容を持つわけでなく、匿名性の特徴がある。

解決法の例示
これまで建築や住宅の専門分野で、具体的に多元性問題を解こうとして有効な成果を得た例示をしないと、私が言い張っている解決の必要性が理解できないと思う。そこで、専門の研究分野での例を紹介する。
最初は、CAD(電算機自動設計研究)における矩形分割の成果である。平面図を田の字のような矩形の直線による分割図で表現するが、「矩形分割」はすべての建築の平面の分割図を描き出す研究分野である。一定の抽象化と分割ルールによるが、既に存在する建築もこれから生み出せる建築もリスト化できる。この分野はイギリスを中心に日本でも、多くの研究成果がある。すべての建築を記述する活動は、どのような建築の平面の事象も位置づけることが出来る。しかし、平面しか対象としないことおよびあまりに無数であることから、多くは進展しなかった。
もう一つの事例は、動線の性能の研究でケンブリッジ大学で試みられたものである。ひとつの建築で人間が通行する動線をワイヤー・フレーム構造として置きかえる。いろいろな類型が存在するので先の平面の分割図のようにリストとして体系化できないが、ワイヤーの各所から人が出入りし他の目的地に交通するというモデルとして、人の流動上の性能(時間、交通容量など)を計測し性能とするものである。住宅では有効性がないかもしれないが、大規模建築の動線の性能は建築計画の基本であり、研究の有効性がある。
これらは建築の多元性を前提に、従来の調査研究ではない方法で未発見の意味を発掘している。未発見の意味は、建築の価値として評価されることを前提としている。ひょっとすると読者は別のことを思っていたかもしれないが、把握方法は工学的だと私は考える。多元の中から優位な意味を発掘することで、無数の事象に通底する法則性が得られれば、住宅づくりの創造性に繋がる道が開ける。これらの他にも多くの挑戦があるが可能性が隠れている未開分野である。
いよいよ、住宅のあり様を記述することが、未だ有効な方法になるものがないのに気がついてきた。それで、これまでの論考の整理を行う。

価値と知識の総合的体系
1)多数の個性としての住宅の出現を、学術的な面で見ると西山夘三調査のような鳥瞰的な知識・情報を得るには膨大な数の事象があり、知識体系の形成が困難な時代となっており、学術の発展に制約が出ていると思う。
学術の流れの中で、西山や鈴木の価値概念と方法を含む住宅の総合的な知識体系を形成した成果は、やはり壮大なものである。それを継承するには、無数の住宅の事象があり、記録不可能である。視点と焦点を工夫することがないと、鳥瞰が困難である。単純に公共を基準とする価値観はもう戻らない。また、先の多元性の関する研究事例のような工学的方法も必ずしも創造力に繋がらず、新しい提案はいまだないのではないかと思う。
個人が重視されると建築の評価が困難になり、共通の計画のモティべーションが失われる。価値観の共有がないと、共有価値に基づく建築の評価が出来なくなる。非常に困難な時代である。

多元の記述
2)多元的な事象を同時的に把握する方法が学術の深化に必要だと思うが、先人の方法や十二単衣のデザインを考究したが直接有効な成果にならなかった。
特に建築家は、住宅設計の方法という点で、多次元の同時把握という方法も鳥瞰的な住宅事象の把握においても困っているわけでない。もともと、設計の知識や情報は必要と言うより当事者のスキルが重要である。職業的実務は専門分化しているとともにパターン化、ルーティン化してきているのかもしれない。新規の独自性や社会的な正当性のある住宅づくりは、設計の優秀さとともに報酬を増加させるはずだが、そういう情報が少ないので、住宅づくりが個性化・多様化しているのは、本質的な変化でなく表層的な賑やかさなのかもしれない。
住宅の設計では、利用者やその社会が、そこで起こる多元的な要素の事象について、違和感がある、あるいは不適切であると感じることがあれば、その理由や原因を防ぐ手立てを取ればよい。根本的に改善することもあるが、本論で検討してきた、特に住宅づくりのリテラシーの考え方は、どちらか言うと緊急に必要ではないが、基本的に必要なことと思う。
しかし、学術研究の方の立場では、平面計画を重視する住宅設計が、必ずしも優れた住宅を生み出してこなかった反省がある。特に公共建築で平面計画、寸法や規模の基準が強く、固定化や形式化が起こり、社会的に批判された経緯があった。その改善は、早急な対応が必要であったので、公共建築設計にいわゆる建築家が参加するなど設計の門戸が開かれるようになった。委員会における自分のミッションは、そういうことで新しい可能性が期待できる方法を探求した。その切り口が、個人性が重視される時代の住宅事例について総合的に把握する、西山夘三の調査を継承する鳥瞰的な知識と情報の方法を探った。また、個別事象の多元的な様相の関係性を捉えるために、平面計画のような極端に要素を切り捨てるのでなく、空間の特性を組み込んだ類型化やピカソなどの方法を論考した。しかし、あまりよい結果が出なかったが、建築計画の新しい方法という視点でどういう方法が予想されるか、先にCAD研究の探求を紹介したがもう少し乱暴な想像をしてみる。西山は、調査と統計学による鳥瞰を行い、実態の住宅計画の類型化による分布と小住宅における生活の秩序を「食寝分離や就寝分離」の原則で提案した。このような総合的な把握は多元的で無数の住宅計画を10程度の類型に収束させる方法によったが、より多様でデザインの要素を含む無数の住宅を少数の類型にまとめるには、人工知能のパターン認識のような高度な情報処理でパターンを抽出する方法が使えるかもしれない。その結果から、「粋の構造」のような立体の仮説が生み出せるかもしれない。実際、車のデザインについて某自動車メーカーでは、確か26次元空間のような多元的な空間に車の特性26元をプロットし、車の存在する空間領域を見える化している。多次元空間に同種の車がプロットされる群となっている様相を想像すると、実在の車が存在している領域があり、存在しない領域が見える化している。C.アレクサンダーが「形の合成に関するノート」[13]で、相互の関係が強い次元を判別しグループとすることでデザイン課題を類型化しているのと類似している。私もそのうちに挑戦してみたいと思う。

新しいリテラシー
3)而邸は、住宅設計のリテラシーとしてみると、ファサード視点:防御的な見せ方、内部空間視点:内部の一体的な連続空間の技巧、の2点で新しいもうひとつの日本の住宅の原型(非分節的連続体CAVE)として考えることが出来る。
個別の住宅設計の評価という点で、共通の価値観をとして感動などの魅力要素を重視する評価が提唱されたが、感覚を客観化することの難しさにぶつかったのか、普及し定着することはなかった。ここでは、住宅が取り巻かれる都市の住宅街区への影響(住宅の都市構成への影響)を、住宅設計の第一にリテラシーとして考察した。さらに、第二のリテラシーとして内部空間のデザインについて、CAVEと非CAVEの、ヨーロッパ的な空間と直交座標の格子で構成する日本の書院造り空間を対比させ考察し、その中間的なもう一つの原型を位置づけた。この対比に大きな意味があるならば、日本的な空間ばかりがはびこっており、ヨーロッパ的な住まいの原型が失われていくことになる。この実態に、而邸がひとつの衝撃を与えているのでは無いかということになる。住宅の二つのリテラシーを、もっとまじめに考えてみるべきではないだろうか。
もう終わりになるが、論考で整理できないことが多く残った。20年ほど前「意地の都市住宅」[14]という現代住宅の本があった。住宅の良さを実感させる著作で、住み手も作り手も意地があって住宅づくりをやったという点だけに意味があるということなのかとも思った。それなら、この建築学会の連載の住宅論は、意地がある住宅のみを扱っているかというとそうはいえない。最近は出版編集者風のアレンジが多く情報が過剰になって困るし、編集で工夫するだけでは建築学会の委員会の学術的な成果としては別物かと思うと難しいテーマであり、また徒労感が募ってくる。
以上、泉さんの而邸の感想文としていろいろ考えたが十分でない。委員の一人西村の提起した問題への探求について今後の研究の研鑽をさらに覚悟して考えてみたい。

  1. 二川幸雄編:GAJapan 現代建築を考える○と× エーディーエー・エディタ・トーキョー 1998~

  2. 八田利也:現代建築愚作論(彰国社、2011、復刻)

  3. 西山夘三:日本の住まい(Ⅰ~Ⅲ)(勁草書房、1975、1978、1980)

  4. 隈 研吾:10宅論(筑摩書房、1986)

  5. Percy L. Marks : The Principles of Architectural Planning (The Darien Press,1905)

  6. ギャラリー・間20周年記念展 日本の現代住宅1985-2005 (2005年12月8日~2006年2月25日、http://www.toto.co.jp/gallerma/ex051201/space3.htm)

  7. プルーイットアイゴー団地の爆破Pruitt-Igoe(1954~1974)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%BC

  8. 田中康夫著 河出書房新社 1981

  9. 九鬼周造著 岩波書店 1930

  10. 西山夘三著 伊藤書店 1944

  11. 人々が「共通な関心事」について語り合う空間のことを指し、「公共性」と訳されることもある。ドイツの哲学者ハーバーマスが、名付けたと言われる。

  12. 参考:平安時代の衣裳の歴史とその解説書満佐須計装束抄による。

  13. C.アレクサンダー著 鹿島出版会 1964

  14. 中原洋著/藤塚光政写真 ダイアモンド社 1991

服部岑生

千葉大学名誉教授

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