先だって、隈研吾・山口由美『熱帯建築家: ジェフリー・バワの冒険 』(新潮社(とんぼの本) 2015年11月27日)も上梓されている。ジェフリー・バワ(1919~2003)が亡くなったのは10年以上も前であるが、学位論文、高取愛子『ジェフリー・バワの建築思想に関する設計論的研究』(2012年、京都大学)もあり、時ならぬバワ・ブームの感がある。Robson, David (2002): Geoffrey Bawa: The Complete Works, Thames & Hudsonが出版されたのは死の直前であるが、その後、財団Geoffrey Bawa Trustが出来て(2010年)、ジェフリー・バワ賞も創設され、ジェフリー・バワに関するアーカイブも充実し、Robson, David & Daswatte, Channa(2011) ,“Geoffrey Bawa1919-2003”,Geoffrey Bawa Trustがまとめられたことが大きいのであろう。
オランダ植民都市研究を展開するなかで、スリランカには随分通った。主要なターゲットとしたのはコロンボであり、ゴールGalleである。その成果は、布野修司編(2005)『近代世界システムと植民都市』(京都大学学術出版会)にまとめたが、その直前のインド洋大津波当日(2004年12月26日)にはゴールに居て危うく難を逃れ、さらに復旧支援ということでしばらく通った。京都大学で同僚であったモラトゥア大学のサミタ・マナワドゥ教授との縁である。ジェフリー・バワの作品は、従って、折に触れて見る機会があった。ゴールには「ライトハウス・ホテル」(1995~97)があり、コロンボからゴールまでのインド洋沿岸には、ベントータ周辺などにいくつかホテルがある。特に、遺作と言っていいブルーウォーター・ホテル(1996~98)には行き帰りに度々依った。インド洋と一体化するような水の扱いが巧みなホテルである。「熱帯建築家」というレッテルが貼られるが、いずれも、自然と一体化する実に素直な良質の心地いいモダニズム建築という印象がある。
本書は、石窟寺院で著名なタンブッラ近くの「カンダラマ・ホテル」(1991~94)でダワ作品に出会ったという著者による独自のジェフリー・バワ論である。
バワはもともと建築家を志したわけではない。ケンブリッジで学んで弁護士となり、その後、AAスクールに入学するのは35歳である。断面図も描けず、いわば素人建築家として出発するのであるが、そのバワを支えたのが10歳年下のパートナー、デンマーク人建築家ウルリック・ブレスナーである。本書をユニークなものとしているのは、第一に、現在テルアビブに住むウルリックへのインタビューをはじめ、バワ事務所の関係者へのヒヤリングを試みていることである。
中心となるのは、著者が選定する25の作品である。ジェフリー・バワ財団から入手した図面は貴重である。その作品リスト、年表なども添えられ、バワへのアプローチのための基本資料は得ることができる。
バワのAAスクールの同級生には、K.フランプトン、C.プライス、D.S.ブラウンが要るという。遅い学生だから一回り以上歳は違う。世代を異にし、スリランカをホームグラウンドとしたバワをどう位置づけるかは興味深いテーマである。
著者は、「バワ建築を理解するための10の視点」として、その位置づけを試みている。総括すれば、サブタイトルにいう「スリランカの「アミニズム・モダン」」ということであるが、読者もまたバワ建築の位置づけを試みることになる。そのための情報は本書に充分を用意されている。
著者紹介:
岩本弘光:1954年和歌山県高野山生まれ。建築家。岡山県立大学デザイン学部教授。1978年、日本大学理工学部建築学科卒業。1980年、同大学大学院修士課程修了。1982年-1985年、石井和紘建築研究所。1987年-1988年、イタリア政府給費留学生としてフィレンツェ大学留学。1989年、ロータリー財団給費留学生としてミラノ工科大学留学。2010年、現職。主要作品 「casa100」(2001年 旭硝子DESIGN SELECTION 2000 優秀賞)、「太田市立休泊小学校」(2001年 第10回BELCA賞)、「静岡ガス研修センター」 (2003年グッドデザイン賞 第35回中部建築賞入賞 建築学会作品選集)、「静岡ガス研修センター」( 2004年 グッドデザイン賞)、「静岡八幡SS」 (2004年 グッドデザイン賞 第36回中部建築賞入選)、「富士山荘」 (2005年 東京ガス第7回あたたかな住空間最優秀賞)など。
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