はじめに
第二次大戦後の住宅難を解消するために、英国では近代建築の思想を積極的に活用した集合住宅団地が地方自治体によって多く建設され、それらは戦後の集合住宅の形を予見するものとして世界中から注目されてきた。しかし、そうした集合住宅団地も建設から50年以上がたち、多くの物理的、社会的な問題に悩まされる事となり、更に、その維持、管理の費用の増加は、地方自治体にとり大きな負担となってきている。
昨年、HEAD研究会の理事長であり、近代建築研究所を主宰する松永安光氏と「リノベーションの新潮流」という本を一緒に書く機会を得、世界のリノベーションの事例を調べ、様々な人と議論する機会を得た。私自身も英国のヨーク大学で英国と日本と戦後集合住宅の研究というテーマで博士号を取得して以来、戦後の集合住宅団地の現状や、その再開発には常に関心をもっていたのだが、本のための調査を進める過程で、近年、英国で戦後にたてられた団地や集合住宅を、リノベーションで再生しようとする事例が増えつつある状況に大変興味をもった。1980年代から、英国では荒廃した団地を再生する動きが始まるが、当初は、既存の建物を取り壊し、新規の住宅を建設する手法が一般的であった。しかし、近年、英国において増えつつあるリノベーションによる再開発の流れは、同様の問題を抱える日本の現状においても大いに参考になるものではないだろうか。本稿では、そうしたリノベーションによる英国における団地や集合住宅の再生の事例を紹介していきたい。
ヒューム地区とニューイズリントン地区 − マンチェスター
英国においては、1980年代に様々な団地再生の活動が始まるが、実際に具体的な大規模な事例が完成するのは1990年代からとなる。その中でも、良く知られている代表的な事例は マンチェスター中心部の南側に位置するヒューム地区の団地再開発であろう。ここでは1960年代後半から70年代初頭にかけて建設された団地内のほぼすべての集合住宅が取り壊された後、 デザインガイドラインにそって新しい団地の再開発がおこなわれた[1]。
しかし、現在、同じマンチェスターのニューイズリントン地区の住宅団地で進められる開発はヒューム地区とは全く違った様相を示している。ニューイズリントン地区は、マンチェスター中心部の東側、マンチェスターの表玄関であるマンチェスター・ピカデリー駅のすぐ裏手に位置する。60年代に建設された、低層の長屋と中高層の集合住宅で構成される住宅団地は、近年、建物の老朽化による維持費の増加や犯罪などの社会的な問題に悩まされ、60年代の理想とはほど遠い住環境となっていた。しかし、マンチェスター市は、2002年にマンチェスターに拠点をおく民間デベロッパー、アーバン・スプラッシュをパートナーとして、この住宅団地の再開発を開始した。ここでは、一部の住棟の建て替えや改装はおこなわれるが、出来る限り既存の建物を残しつつ、 隣接する空地に、新たなオフィスや集合住戸、公共広場を建設、そして、周辺のランドスケープの整備などを通して、 団地全体の再生を図ろうとしている。
マンチェスターは、産業革命の中心地として栄え、18世紀から19世紀にかけて建設された運河や鉄道、倉庫群など工業遺産が街の至る所にある。そうした工業遺産のひとつである運河はこの団地を囲むように流れ、さらに、その運河の周りには赤煉瓦造りの倉庫が並び、現在こうした倉庫の多くは、その外観を保ったまま、マンションやオフィスへと改装されている。ニューイズリントン地区のランドスケープのデザインにおいては、運河や周辺の倉庫群を団地の一部として取り込み、さらに運河まわりを公園として整備するなど、団地とマンチェスターの工業遺産と結びつけ新たなアイデンティティーを与えることを意図している。
パークヒル団地 − シェフィールド
アーバン・スプラッシュは、その拠点であるマンチェスターに限らず、英国内各地で意欲的なプロジェクトを進行させているが、その中でも特に注目を集めているのは、シェフィールドのパークヒル団地の再開発であろう。イギリス中部の都市、鉄鋼と炭坑の街としてイギリス経済を支えてきたシェフィールド市が、街を見下ろす丘の上にパークヒル団地の建設をおこなったのは1960年代のことである。コンクリート造による中層の住宅団地は、シェフィールド市の建築課によって設計され、空中歩廊など当時の集合住宅計画における最新のアイデアを取り入れ、未来に向けた新しい集合住宅の形を実現しようとする意欲的な集合住宅団地であった。しかし、近年では、団地内の社会問題の増加や、建物の劣化に伴う維持費の増加など、団地を管理運営する市にとって大きな負担となっていた。
アーバンス・プラッシュは、2004年に、シェフィールドのパークヒル団地を再開発することをシェフィールド市と同意、パークヒルの再開発が始められた。アーバン・スプラッシュは、パークヒル団地の開発において、既存の建物を再利用した再開発を提案、すべての内外装をとり壊し、建物をスケルトンにまで戻した後、躯体構造の補修、断熱性能の向上、そして最新の設備の設置により 環境共生型の集合住宅団地へと作り変えた。新しい建物のデザインも、かつての手すりや、窓のデザインを踏襲するなど、過去と決別するのではなく、過去のデザインをできる限り受け継いだものとしている。2013年に一期工事完成し、現在も再開発が進んでいる。
シプトン・ハウス – ロンドン
小規模ながら、コミュニティーのニーズに沿ったリノベーションにおいても、注目すべき事例はある。そのなかでも、1950年代に建設された集合住宅の一部をコミュニティー・センターと高齢者向け住宅に改装したシプトン・ハウスの事例は興味深い。シプトン・ハウスは、ロンドンの下町にあたるロンドン東部で、ピーボディー財団が所有する集合住宅の一つである[2]。この時期にロンドンに多く建設された他の労働者向け集合住宅と同じく、コンクリートと煉瓦の混構造で、5階建て、外廊下式の住棟が中庭を囲むようなコの字型のレイアウトで構成されている。低予算で作られた、この時代に建設された中層の労働者向け集合住宅としては、ごく一般的なデザインである。
ピーボディー財団は高齢化が進む地元コミュニティーの需要に応え、現在ある集合住宅に、2階建ての高齢者向けのデイケア・センターを兼ねた、地域住民のためのコミュニティー・センターをシプトン・ハウスに増設、さらに、既存の住宅の一部を認知症の住民のための高齢者向け住宅としてリノベーションをおこなった。
改装された住棟部分は、既存の外廊下の外側に、新たにカーテン・ウォールのスクリーンを取り付けて内廊下とすると同時に、カーテン・ウォールに色ガラスを使うことにより、外から視線を防ぎ、認知症の住民のプライバシーを確保している。また、エレベータや最新のセキュリティー設備が取り付けられ、住民の安全と、各階への車いすにも対応したアクセスが確保されている。中庭は、ランドスケープ・アーキテクトによってデザインされ、近隣の住民にも解放された地元コミュニティーの新たな集いの場として使われている。50年代に建設された集合住宅といった、今迄はリノベーションの対象としても見られていなかった物件を、地域型在宅介護をコミュニティーに提供する集合住宅として再生する手法は、高齢化という同じ課題を抱える日本の社会にとっても 興味深いと思われる。
まとめ
昨年出版された、松永氏との本の中で、我々はレガシー、レジェンド、ストーリーという概念をリノベーションにおける有効な戦略として提案している。かつては英国内でも60年代の集合住宅団地というと否定的な視点で語られることが多かったが、近年、そうした団地を社会資産(レガシー)として認識しようとする流れがある事は注目すべきであろう。しかし、社会資産と認識される過程で、戦後の住環境を近代的な集合住宅によって改革し、さらに、それまでの一般の人々の生活を改善してきたという英国の戦後の集合住宅史(レジェンド)が認識されたことも重要である。そして、その上で、団地再生という全体のスキームを未来に向けたストーリーによって再生する手法が問われているのである。
日本においても、戦後、我々の諸先輩たちによって作られた多くの団地が、現在、様々な問題を抱えている事はよく知られているが、そうした蓄積を負の遺産とするのではなく、社会資産(レガシー)として次の世代に伝えていくためには、そのレジェンドを認識し、創造的なストーリーを組み立てて次の世代に伝えていく戦略が必要なのではないのだろうか。そのためにも、現在進んでいる英国での団地再生の試みを今後も注目していきたい。
再開発は、アーバン・ビレッジ の思想を基本とし、低層、高密度なコンパクトシティーを目指している。さらに、低所得者向け住宅や、民間の分譲住宅などを意図的に混在させたソーシャル・ミックス、ベンチャー企業などにオフィス・スペースを提供するなど、持続可能な発展が見込める街づくりを目指している。
英国では、ピーボディー財団など、低所得者向け住宅などを提供する非営利団体が多くある。こうした非営利団体の歴史は古く、その多くは19世紀後半から活動を始め、政府が公営住宅を建設するよりも前に、低所得者向けの住宅の提供を始めている。英国では、1979年のサッチャー政権以降、公営住宅政策が大きく変わり、現在、地方自治による公営住宅の新規の建設はほぼされていない状態であるが、地方自治体の代わりに、こうした非営利団体が低所得者向け住宅の供給の主体となっている。
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