虚飾を攻撃した合理主義の先駆け
<原始の小屋>
18世紀、理性によって旧慣を打破する考えが主張されるようになった(啓蒙主義)。建築においても外見のみを着飾るこれまでの方法を改め、建築の原理を探求する姿勢が生まれる。それは新古典主義の基盤になると同時に、後の合理主義的な建築理論にも影響を与えた。
18世紀フランスの修道士・建築理論家のマルク=アントワーヌ・ロージエは、著書『建築試論』において、とりわけバロック建築における装飾やオーダーの濫用に釘を差し、建築はもう一度原点に立ち戻って再考されるべきだ、と訴えた。このとき理想的な建築の原点として示されたのが「原始の小屋」である。『建築試論』の口絵に描かれた小屋が示す建築の初源状態には、いっさいの無駄がない。
樹木は大地からまっすぐ生え、その上方で枝が水平と三角屋根状に架け渡される。これこそ必要に基づく単純明快な自然の原理であり、建築もその原理に沿ってつくられるべきだというのである。こうして、円柱、エンタブレチュア、ペディメントの三要素が建築の真なる表現として抽出された。
もっともロージエの原理主義的な主張は、あくまで古典主義の伝統の範囲内でなされていたから、過剰・奇抜な装飾を否定したといっても、一足飛びに無装飾の建築とまではいかなかった。建築の美は、あくまで適正で厳格なオーダーに求められた。これが、簡潔明瞭な新古典主義の表現である。
当時、実地調査によってギリシア建築の正確な情報が知られるようになったこともあり、ロージエの唱えた原点回帰は、ローマ建築に比べてギリシア建築の方が優れているとする動きと連動し、19世紀前半まではギリシア様式を賛美し復興するグリーク・リヴァイヴァルとして普及していく。
その一方で、ロージエは鉛直荷重をまっすぐに支える構造要素である独立円柱にこだわっていた。19世紀後半には、これが合理的な構造こそ真なる表現であるというプレ・モダニズムの理論につながっていった。
関連作品
サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂(1790)
新古典主義の建築家、ジャック=ジェルマン・スフロの代表作。当初は「原始の小屋」の思想通り独立柱で支えられる構想だったが、後年、構造的無理が指摘され、壁体がかなり増える形で補強を余儀なくされた。複数の独立柱を束ねた結果、付柱も出現している。
関連文献
– マルク=アントワーヌ・ロージエ(三宅理一訳)『建築試論』中央公論美術出版、1986年
– Wolfgang Herrmann, Laugier and 18th French Theory, Zwemmer, 1962
この連載は、主に建築を勉強し始めたばかりの若い建築学生や、建築に少しでも関心のある一般の方を想定して進められますが、イラストとともに説明することで、すでに一通り建築を学んだ建築関係者も楽しめる内容になることを目指しています。
イラストを手助けに、やや難解な概念を理解することで、さまざまな思考が張り巡らされてきた、建築の広くて深い知の世界に分け入るきっかけをつくりたいと思っています。それは「建築討論」に参加する第一歩になるでしょう!
約2週間に1度、新しい記事が更新されていく予定です。また学芸出版社により、2017年度の書籍化も計画中です。
「建築思想図鑑」の取り組みに、ぜひご注目下さい。
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