平良敬一、1926年、沖縄宮古島生まれ、今年91歳である。東京大学第一工学部建築学科を1949年に卒業すると同時に新日本建築家集団NAU事務局に勤める。以降、平良さんが一貫して建築運動に関わってきたことはよく知られている[1]。その主戦場となったのは建築雑誌である。『国際建築』(美術出版社、1950~1952)、『新建築』(新建築社、1953~1958)、『建築知識』(全日本建築士会出版局、創刊、1959)、『建築』(槇書店、青銅社、創刊、1960~)、『SD』(鹿島研究所出版会、創刊、1965~)、『都市住宅』(鹿島研究所出版会、創刊、1968~)、『住宅建築』(建築資料研究社、創刊、1975~)、『造景』(建築資料研究社、創刊、1996~)と、一貫して建築ジャーナリズムに関わってきた。その軌跡については、本書の最後に「あとがきに代えて 戦後建築ジャーナリズムとともに歩む」に書かれている。また、本誌『建築討論』の「建築と戦後70年, 010号:2016年冬(10月-12月)」「運動の媒体としてのジャーナリズム」にインタビュー記事がある。
僕は、建築ジャーナリズムの「神様」と呼んできた。
僕もまた『同時代建築通信』(第1号~第21号、1983~1992)、『群居』(創刊準備号~第50号、1982年~2000年)、『建築思潮』(第1号~第5号、1992~1997)、『traverse』(01~17~、2000年~)、『京都げのむ』(第1号~第6号、2001~2006)など、様々な建築メディアに関わってきたけれど、平良さんの軌跡は常に頭にあった。というと畏れ多いし烏滸がましいが、実際、同時代建築研究会、『群居』などいろんな機会にアドヴァイスを受けてきた。建築思潮研究所を立ち上げられたのは1974年であるが、『建築思潮』を創刊するときには、「建築思潮」という年鑑名の使用について許可を得に行っている。そして、『建築思潮』001号に「戦後建築ジャーナリズム秘史」を書いてもらった(布野がインタビューしてまとめた)のであるが、「あとがきに代えて 戦後建築ジャーナリズムとともに歩む」の前半は、その「戦後建築ジャーナリズム秘史」である。
本書は、実に意外であるけれど、そうした平良さんの初めての建築論集である。
全体は5章からなる。すなわち、5章に分けるかたちで編まれている。基本論文、すなわち、本書の核となる論文は、2章に収められた「機能主義を超える論理と倫理を求めてー「言語モデル的空間論」を手掛かりに」である。1969年に書かれた本書288頁中の75頁、4分の1に及ぶ長文の論文(『現代デザイン講座第二巻 デザインの環境』(風土社)「言語モデル的空間論」)である。実に読みごたえがある。
「機能主義を超えて」という本書のタイトルに込められた方向性がいかに一貫してきたのかは、この論文に、1954年に『美術批評』に書いた「機能主義を超えるもの」(3)がほぼ再録されている(三 機能主義を超えるもの)ことが示している。この処女論文は、針生一郎が訳した、ハンガリーでの社会主義リアリズムをめぐる建築論であるJ.レーヴァイの「建築の伝統と近代主義」(『美術批評』1953年10月号)をについての評論として書かれたものである。『戦後建築論ノート』で、僕は「モスクワ大学に象徴される「ソヴィエト建築のなかに巣食う固定化した造景主義」は意識されているのであるが、「社会主義リアリズムの方向へ積極的に自己を前進させる」(平良)というのがそこでの確認であったといえるであろうか。」と書いている。平良さんも、「社会主義リアリズムが提起している思想的・社会的な意味は受け止めなければならないと考えていたのは事実である」といい、「根本的に書き改めなければならない箇所があまりにも多いけれども」と留保するが、「根底に技術論をすえていること、また、建築表現を言語のようなものとして考えたいという姿勢が示されている」といいながら、その思考をさらに深化しようとしているのである。
論の展開はここでは追わないけれど、結論は開かれたままである。「最後にこのヴェンチューリ(『建築の多様性と対立性』)に触れながら、「共同環境論」を構築していくべき具体的な手がかりが示すつもりであった。しかし、それは新たな構想のもとに組み立て直さなければならないだろう。」というにとどまっている。
「共同環境論」なるものを、新たな構想のもとに組み立て直すことは、今も要請されているのである。
機能主義を超える、その方向性については、それ以前に示されている。2章に収められた「地域共同体への現代の視座 鼎談/伊藤ていじ・神代雄一郎・平良敬一」(『SD』1971年1月号)である。そして、その方向性を端的に示すのが1章「地域主義の可能性」である。いずれも、雑誌編集などに伴う短いメッセージであり、わかりやすい。
そうした方向性は、鹿島研究所出版会をやめて『住宅建築』を創刊したことに大きく示されてきた。3章「空間から場所へ 技能の復権」の最初に収められた「雑誌『住宅建築』創刊に当たって」が明快である。キーワードは、地域、場所、技能である。
そして、3章に「都市計画批判の哲学へ」が収められるが、4章に「<非都市化>論」が求められる。さらに、編集者の作品表として極めて興味深いのが5章「建築批評」である。取り上げられているのは、吉阪隆正(「アテネ・フランセ」「江津市庁舎」)、菊竹清訓(「島根県立図書館」「萩市民館」)、白井晟一(「親和銀行」)、前川國男(「埼玉県立博物館」「熊本県立美術館」)である。
2017年5月11日、本書の出版記念会が東京・神田の学士会館で開催された。内田祥哉、磯崎新、原広司、長谷川堯、益子義弘、安藤邦広といった登壇者をはじめとして、錚々たるメンバーが集った。90歳を超えたというけれど、実に元気であった。
司会者あるいは平良さん自らの指名で、何人も呼び出されて、様々なエピソードが披露されたが、僕も指名されて、しゃべらされたが、その幅の広さには、改めてそのすごさを思った。
実に、鮮烈な言葉として耳に残ったのは、
「ひとりでもやれ!そしたらできるんだよ」
という言葉である。
僕が学部の学生の頃、平良さんが、原(広司)さん、宮内嘉久さんなどとAF(建築戦線)というグループを結成し、JIA(日本建築家協会)に、その閉鎖性を告発する、抗議デモをかけるのを目撃したことがある。反万博を訴える学生を主体とする建築家’70行動委員会と三すくみの討論会に参加した後のことである。
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