IRONHOUSEの設計依頼を梅沢氏より受けたとき、その始めに感じたものは、IRONHOUSEの建築主であり、構造設計者であり、かつ共同設計者でもある梅沢氏の、鉄を素材として建築をつくるという強い意志であった。
そしてIRONHOUSE というこの建築の名称もまた、梅沢氏によって名付けられたものである。
この建築は、地階が鉄筋コンクリートでつくられているが、1階と2階は、構造から仕上げまでのそのほとんどすべてがコルテン鋼でつくられている混構造建築である。今思うと、敷地周辺が高台にあり、地下水位が低いということを考えると、地階もコルテン鋼でつくるという選択肢があったかもしれない。そうなると地階の壁天井もコルテン鋼のさび仕上げとなり、現在とはまったく違った空間が現れるということになり、想像力がかき立てられる感じがする。その時、コルテン鋼という鉄は、建築の全体性にまで及び、正真正銘のIRONHOUSE が出現することになる。
L字型をしたIRONHOUSEの中央にあるアウタールームは、空間的コアとしてこの建築を律しているが、そこでは屋内外の空間の相互貫入が可能であり、天気さえ良ければ食事やお茶やお酒・語らい・休憩・読書・午睡などリビングやダイニングと同じ行為が可能であり、屋内では味わえない素晴らしい時間を過ごすことができる。アウタールームにはそこでの行為を誘発する道具としてのアウターファーニチャーを設えることが大切であって、それがないといわゆる中庭と変わらないものになってしまう。
私が住宅にとって大切だと思うことの一つは、そこが世界もしくは宇宙から隔絶した場ではなく、宇宙に連続するような空間性を携えているということである。私達の生は、宇宙137億光年の拡がりの中にあり、地球46億年の歴史の最高点にあって、日々流れているわけであるが、人間関係によってできた世界である社会的日常の中にあっては、真実の時空的な拡がりは失われがちである。そのような状況にあってアウタールームの存在は、天井高137億光年を有する部屋として、大きな意味を担っていると言える。
今一つ大切だと思うことは、これは住宅に限ってのことではないが、すべてに渡って「自然の感覚」を携えることだと思う。「自然の感覚」とは、そこにそれがあって然るべき感覚である。私達は、不自然という概念を所有しており、私達の周りを見ると、不自然なるものの何と多いことかと思うが、それは大いなる自然の拡がりの中にあって、不自然→反自然となって、自然に与しない存在であり、生き長らえる力を失うものであると思われる。自然の感覚を携えた建築は、その自然さ故に外自然に連続する力を持ち、その外自然の力を内部空間に導入することで、人に落ち着きとか癒しを、心地よさとかフォースを与えることができるのではないのかと思われる。そのような空間は、その人が今そこに存在していることを肯定するような、yes の建築とでも呼べるような建築ではないだろうか。それこそ、物理的な装備で事足りるようなものではない、本当の意味でエコロジカルでサスティナブルな建築であるのではないのかと私は思う。
IRONHOUSEには千人を超える方々がいらしたが、ある方は涙を流され、建築を見て涙が出たのは初めてだということを話された。その話しを聞いて、私自身も感動してしまったのだが、「自然の感覚」を携えた空間は、人の心の奥深くに訴えかける力を持つことができるものであって、特に住宅は私達が生活するための単なるシェルターではなく、私達の生に深く関わっており、私達に生きる確信を与えることが出来るものだと私は思う。
私達が素晴らしい空間を携えた住宅に住むということは、私達が生きてゆくための単なる手段ではなく、大いなる目的の一つではないのかと、私は思っている。
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