はじめに
2005年に始まった海外生活は、昨年で10年目を迎えた。日本で建築教育を受け、ポルトガルの設計事務所において実務経験を積み、スペインで個人の実践を始めている。そこで、現在活動をしているスペインの建築事情についてのみ書くのではなく、大学院修了直後に渡航し、自分の建築観の形成に大きな影響を与えたポルトガルについても書いてみたい。とはいえ、両国の建築事情の概要を明らかにするとなると膨大な文字数になるであろうから、両国での経験と実践を元に、ごく私的な視点から筆者が見てきた両国の建築事情について断片的に記してみたい。
ポルトガルの二面性
ポルトガルの設計事務所に勤めるきっかけとなったのは、大学院在籍中に参加した交換留学プログラムだ。ポルトガルとベルギーの大学に三ヶ月ずつ滞在し、設計課題に一題ずつ取り組むという風変わりな、そして革新的なプログラムだった。[1]六年半の間、現地で生活しながら見えてきたのは、欧州の辺境にありながら、一方で旧宗主国としてかつての植民地支配した国々との間で今なお中心であり続けるポルトガルという国の二面性であった。
それは、例えば彼らが享受する娯楽に見て取れる。世界中のどの国とも同様にハリウッド映画をはじめとするインターナショナルな娯楽を受容すると同時に、ブラジルやアンゴラ、カーボ・ヴェルデなどの、他の欧州諸国では決してメジャーとは言えない音楽も彼らにとって身近なものとなっている。後者は「クレオール」と称される白人と現地人との混合による植民地生まれの文化であり、映画や音楽に限らず食文化などにもその一端が垣間見られる。クレオール文化を目の当たりにすることで、私自身、ポルトガルという欧州の西端から、遠く大西洋の果てにある未知の国々に思いを巡らせることとなった。
モダニズムと地域主義のはざま
ポルトガルの建築を語る上でも、その二面性に着目する必要がある。1933年から1974年まで続いた「エスタード・ノヴォ」と呼ばれる独裁政権下、建築ムーブメントは、政治の中心地リスボンではなく、首都から離れ、自由な雰囲気にあった商都ポルトの建築家たちが先導した。第二次世界大戦後、ポルトガルにモダニズムを取り入れたのもポルトの建築家たちであったが、彼らの目にしていたモダニズム建築とはマルセイユのユニテ・ダビタシオンだけではなく、オスカー・ニーマイヤーを始めとする旧植民地ブラジルの建築家たちの作品であった。
一方で、モダニズムへの反動として、1955年から1960年にかけて「ポルトガル地域建築調査」が実施された。これは、1956年に最後のCIAM(近代国際建築会議)が行われたのと時を同じくしている。この調査は当時のポルトガル建築家協会の主導で行われ、「ポルトガルの大衆建築」(1961年)としてまとめられた。独裁体制の下、国のアイデンティティを探った同調査は、結果的には各地域ごとに特徴を持った一様ではない建築物を発見することとなった。その頃、ボア・ノヴァのティー・ハウスでデビューしたアルヴァロ・シザは、「伝統主義者になるのでもなく、ルーツを無視するのでもなく」[2]と当時の建築界の気風を告白している。
Tradition is Innovation
その流れは後代の建築家たちにも受け継がれ、その作品には、現代的な要素とともに、地域や伝統と連続する土着的な要素を認めることができる。それについて、欧州の周縁国という地理的要因、欧州共同体加盟後も振るわない自国の経済などを理由として挙げることができるが、ポルトガル建築に見られるこの両義性は、日本の、そして世界の現代建築の潮流とは大きくかけ離れた、特殊な性格であると言って良い。それは伝統を乗り越えていくことに革新性を見出すという態度ではなく、アルヴァロ・シザの言葉を借りれば、「伝統こそ革新への挑戦だ」[3]という視点をわれわれに提示している。
筆者は、ポルトガルの建築家たちのデザインプロセスを明らかにすることを目的に、2010年から11年にかけて、当時の勤務先の同僚であったゴンサロ・バティスタとともに8組のポルトガル人建築家へのインタビューを行った。それらをまとめたビデオ映像を展示物とし、先述のアルヴァロ・シザの言葉にヒントを得た「Tradition is Innovation」という名の建築展を、東京、サン・パウロ、リスボン、ソウルなどの都市で開催した。
建築士の資格、建築家の資質
ポルトガルからスペインに移住し、まず私が行ったのが建築士の資格(Arquitecto)を取得することである。あくまで大学の建築学過程を修了することが資格を取得する要件であるため、スペインの大学で建築学を修了するか、もしくはそれと同等の過程を修了しているとみなされる必要がある。私の場合、スペインの教育省に日本の大学で履修した全科目一覧と成績、卒業証明書を提出し、審査の後、他の多くのケースと同様に卒業設計の履修を求められた。スペインの大学における卒業設計では、空間設計だけではなく、構造計算、設備機器のレイアウトを含めた総合的な能力が試されるため、実施設計と同程度の設計図書の提出を求められるのが日本の大学との大きな違いである。
学位認定のためには各自が希望する大学を選べるわけだが、私はかねてから興味のあったマドリッド建築高等学校(Escuela Técnica Superior de Arquitectura de Madrid、以下、ETSAM)にて要件である卒業設計を履修した。伝統的に工学的なアプローチを校風とするETSAMは、フェリックス・カンデラ、フランシスコ・サエンス・デ・オイサ、ホセ・ラファエル・モネオ、アルベルト・カンポ・バエサ、ルイス・マンシーリャなど、多種多様な、革新的な建築家を輩出し続けている。ETSAMの、そしてスペインの建築教育はどのように行なわれているのか。同校出身でもあるスペインを代表する建築家アレハンドロ・デ・ラ・ソータ(1913-96)の言葉に次のようなものがある。
──新しい建築家たちは(誰もが常にそうなりたいと願っているが)、質の良さ、新しさの両方を備えた建築のみが存在することを知っている。「新しさ」というのは、「芳香」のようなものであり、芸術の根源である。「質の良さ」というのは、これまでの良質な建築の潮流のなかにある「確かさ」のようなものだ。[4]
先述のシザの言葉と照らし合わせて見れば、それらは同質の意見であることが理解できる。国や時代が変わり、異なる社会状況とそれに基づく価値観が存在したとしても、建築家に求められる資質は変わらないように見える。
スペインの多様性
スペインという国を評するとき、多様性という言葉が用いられることが多い。それはカスティーリャ語(いわゆるスペイン語)、カタルーニャ語、バスク語、そしてガリシア語という4つの公用語があることにも、地域ごとに異なる性格の風土を有することにも見てとることができる。スペイン国営放送が各地域の風土を「均等に」映し出す様は、この国の多様性をポジティブに捉えているように見える。多様さは各々が相手を受け入れてこそ、その国の強みとなるはずだが、現地で生活をしていると、その理想と現実に大きな隔たりがあることを痛感する。人々は多様であることに「不便さ」さえをも感じているように見える。近年のスペイン政治の混迷はそれを如実に表しており、民主化後40年が経過したこの国は大きな転換期を迎えている。
誰のためにデザインをするか
この多様性は例えば建設に関する法律にも見て取れる。建設行為に関する法律は「建設計画法(Ordenación de la Edificación)」、そして「建設に関わる技術基準法(Código Técnico de la Edificación)」により国レベルで規定を設けているが、これを基本に各自治州、市町村が地域事情に応じた都市計画法やその他の建築基準を設けている。実際に店舗の設計をした際に経験したことだが、たとえ旧市街地にあっても、都市によって景観や既存建物の維持保存に対する態度に温度差があることが分かった。バルセロナ市では街並みを考慮してどのようなサッシをデザインすべきか、工事前に市の建築家と打ち合わせがあったのが印象的であった。具体的には、建具は本来のファサード面からセットバックさせた位置に取り付けること、シャッターは落書きが可能な不透明なものではなく、夜間の街路への明かりも考慮して透過性のあるものにすること、といったことである。さらには、建具を隠して一枚のガラスだけが開口部にはめ込まれたようなデザインは避けてほしい、という細部に踏み込んだ要望もあった。一方、マヨルカ島のパルマ市では、旧市街地であるにも関わらず規制は緩く、セットバックの必要もなく、看板の設置についてもある程度自由、という具合であった。そのような規制の違いを前提としながらも、建築家としてクライアントの要望を満たしつつ、時には説得しながら、街並みをいくらかでも向上させるようなデザインを心がけた。旧市街地のプロジェクトでは特に、クライアントのためだけにデザインをしない、ということを意識させられる。
建築と都市に関する学生の国際交流プログラム「AUSMIP」。日本の東京大学大学院、千葉大学大学院、九州大学大学院と欧州の国立パリ・ラヴィレット建築大学(フランス)、ル ーヴァン・カソリック大学(ベルギー)、リスボン大学(ポルトガル)、ミュンヘン工科大学(ドイツ)との間で2003年より始まった。同プログラムは、2016年日本建築学会教育賞を受賞。
Álvaro Siza Vieira, Imaginare l’evidenza, Laterza, 1998
Álvaro Siza, Kenneth Frampton, Professione Poetica, Electa, 1986
Alejandro de la Sota, Alejandro de la Sota, Arquitecto, Ediciones Pronaos, 1989
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