1.はじめに
現在、オーストラリアは自他ともに認める住宅ブームのさなかにある。その背景には、安定的な人口増加、シドニー、メルボルンなどの主要大都市への人口流入、個人投資家に有利な所得税制などの要因があるが、近年はそれらに加えて移民の増加、海外からの投資の増加が大きく影響しているとされる。
上記のうち移民については、2005年から2014年までの10年間、年平均21万人(ネット)のペースで増えており、それ以前の10年間の年平均10万人から倍増している。オーストラリアの人口増加の約60%が移民受け入れによるものであり、オーストラリア最大の都市シドニーでは海外生まれの住民が全体の40%に達するほどである。
海外からの直接投資については、特に中国からオーストラリアの不動産、不動産業向け投資が増加しており、昨年2015年は243億豪ドルに達した。中国からの不動産投資は、オーストラリアの同セグメントに対する海外からの総投資額640億豪ドルの38%を占め、市場に与える影響が非常に大きい。さらに不動産投資の多くが住宅市場に向かっていること、オーストラリアでは非居住者が中古住宅を購入できないことなどから、海外投資家、特に中国人投資家の新築住宅市場における存在感はこれまでになく大きくなっている。
2.集合住宅市場の動向と購入者・入居者への影響
上記のような背景の元、オーストラリアの住宅許認可件数、住宅価格は歴史的なペースで上昇している。しかし、長期化するブームの一方で、商品内容と価格の両面で、市場に供給されるものが入居者が求めるニーズに十分対応できていないのではないかと強く感じる。
一点目の集合住宅の商品内容については、大都市中心部の中高層物件の供給が多い点に特徴がある。それらの物件では、購入者に占める投資家(特に海外投資家)の比率が非常に高い。公的な統計数値はないが、オーストラリアの複数の金融機関の話では都市中心部の高層分譲マンションの7割近くは個人投資家が購入し、全体の5割程度は海外投資家が関与しているとのことである。また、それらの物件はユニークな外観の建物が多い一方で、住戸内は画一的なプランニング、ディテールのものが多い。販売戦略においても、住宅としての居住環境の良し悪しよりは、立地や広告手法に重点が置かれている。
二点目の住宅価格については、長期間にわたり平均世帯年収の増加を超えるペースで上昇している。シドニーの戸建て住宅価格の中間値は100豪万ドルを超え、豪不動産情報会社のDomain Groupによれば、シドニーはロンドンを超えて世界一住宅が高い街になったとのことである。シドニーの集合住宅価格の中間値は65万豪ドルであるが、私が仕事柄触れる機会の多い大都市近郊の新築集合住宅に限れば、上記の1.5倍~2倍ぐらいが相場ではないかとの印象を持っている。
新築案件の価格上昇には建設コストの上昇も大きく影響している。具体的には、建設業界の労働組合に加入する労働者の平均労賃は2007年から2015年の間にインフレ調整後の実質値で28%程度上昇した。大手会計事務所デロイトの調査によれば、組合に加入する大工の年収は15万豪ドル(8月末時点の為替レートで約1,200万円)を超えるなど、他の職業と比較してもバランスを欠く水準になっている。
詳しい説明は割愛させていただくが、オーストラリアでは労働組合の法的な権利が厚く保護されている。各建設会社は建設労働者が加入する労働組合と個別に3年程度の包括契約を締結し、そこで規定された水準以上の条件で労働者を雇用する必要がある。州により多少状況は異なるが、例えばオーストラリア第二の都市メルボルンでは、組合との力関係により、工事金額約20百万豪ドル以上の建設工事を組合非加入の協力会社を採用して施工することは難しい。また、労働条件改善交渉の過程でストライキ等により作業が中断することもあり、オーストラリアの建設業が価格低減や生産性向上への取り組みで後れをとる一因になっている。(余談になるが、オーストラリアでは刑務所の囚人が拘置中の労務に対する日当引き上げを求めてストライキを起こす程、労働者の権利意識が高い。)結果として、例えばオーストラリア最大市場の一つであるビクトリア州では、過去10年間、建設労働者の実質賃金が年率平均3%程度で上昇しているのに対し、生産性は逆に0.8%下がっている。
3.供給者側の取り組みの可能性
多くの金融機関、専門家は、集合住宅の供給過剰、金融機関の融資態度の変化、海外投資家に対する税制変更などの要因により、今後、集合住宅市場が調整局面に入る可能性が高いことを指摘している。実際、一部の地域で市場の調整が顕在化しつつあるが、一方で、まだ十分に満たされていないニーズは確実に存在し、供給側の提案・改善の余地は残されていると感じる。ここでは、弊社(鹿島オーストラリア)の事業に引き寄せてディベロッパー、施工者としての立場から提案・改善の切り口をいくつか挙げて、本稿のまとめとしたい。
ディベロッパーとしては、購入物件を自宅として使う世帯(Owner Occupier)向けの良質の集合住宅物件が少ないという点に注目している。例えば、子育てを終わった夫婦が郊外の家を売却して都市近郊の集合住宅に引っ越したいというニーズが、オーストラリアには根強く存在する。ベビー・ブーマー(Baby Boomer)と呼ばれる顧客セグメントであるが、こういった比較的余裕のある世帯を満足させる質の良い物件は意外に少ない。新築案件の多くは、不動産価格の高騰に伴い専有面積が小さくなり、建物同士も以前より近接する傾向にある。にもかかわらず、市場に出回る物件は(少々大げさにいえば)一戸あたりの平均専有面積が大きかった頃のプランをそのまま縮小したようなもの、投資家向けにコスト低減が過大に優先されているものが多い。仕様上は高級に見えても、収納が十分になかったり、使い勝手の悪い無駄なスペースが多かったり、通風や隣接住戸との見合いの問題が良く検討されていなかったりといった例が散見される。
そういった市場では、狭いスペースをいかに有効に使い快適な空間にするかということに気を配ってきた日本的な設計センス、質へのこだわりが貢献できる場面も多いのではないかと感じている。当社では、昨年のオーストラリア市場参入以来、上記のアプローチで4件の中小規模住宅開発に着手したが、いずれもローカル層からの反響は良好で、確実な手ごたえを感じている。
施工者としては、何と言っても生産性の向上が重要な課題である。前述の通り、オーストラリアは極めて人件費の高い国である。生活費、住居費も高いため日本との単純な比較は出来ないが、額面だけをみればオーストラリアの建設労働者は日本の建設労働者よりも格段に高い所得を得ている。日本では待遇の悪さから若い世代が建設業界に入らず熟練工の世代交代が進まないという話を聞くが、ここオーストラリアでは、労働者はいるが労賃が高すぎてふんだんに使えないという状況がある。日本とは異なる理由で生産性向上が喫緊の課題となっている。
建設業は地場産業ゆえに、製造業のように全てを輸入や工場製作に頼ることは出来ないが、今後は標準化や工場製品・工業化工法導入の重要性がますます高まると考えている。オーストラリアの高層集合住宅のほとんどはRC造で、コア壁はジャンプフォームを用い、柱壁は在来工法(一部プレキャストコンクリート)、スラブはポストテンションケーブル入りのフラットスラブというのが定番の組み合わせである。非常に平準化されており作業員の熟練度も高いが、現場作業員のコストの高さを考えれば、プレキャストコンクリートの導入比率は引き上げの余地がある。
設備のユニット化も検討の余地があるように思う。他にも、例えばキッチンや洗面所は、工種ごとの作業区分の関係から、キャビネット、天板、衛生機器、調理機器等を別々に調達し、現場で複数の業者が組み立てるのが主流であるが、設計のモデュール化やプリアセンブリ化が進めば作業効率や施工の質が改善する可能性がある。
いずれも多くの事業者が関与しなければ解決できない問題であり字で書くほど簡単な仕事ではないが、これらの方策に地道に取り組み、優良な資産の構築に貢献することが、地元に根を張るディベロッパー、建設会社としての使命ではないかと考えている。
参考文献
豪統計局,『ABS Demographic Statistics (3101.0) 』
『Building Approvals』
『Industrial Disputes, Australia』
『Australian National Accounts』
『Labour Force, Australia』
外国投資審査委員会(FIRB) ,『Annual Report』
The Australian Financial Review記事, http://www.afr.com/real-estate/residential/median-house-price-in-sydney-tops-1-million-for-first-time-20150722-gihqjk
Jetro Sydney (2016年7月), 『オーストラリア概況』
Deloitte (2016年3月), 『Construction sector – outlook,labour costs and productivity』
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