建築作品小委員会選定作品
平準化する都市の「空気」のなかで——《アップルストア表参道》にみる都市空間の「道具化」—
In Flattening Mood of City: “Tool-ization” of Urban Space as Seen in “Apple Store, Omotesando”

都市の「空気」

1990年代から2000年代にかけて、都市における「空気」は大きく変化したように思われる[1]。その変化とは、とらえどころのないものではあるが、メディアや都市空間の中における、平準化した価値観の広がりとして表現できるだろう。具体的な現象としては「究極の普通」を意味する「ノームコア」と呼ばれるファッションの流行にみるように[2]、同一的で平準なものを指向する空気があると考えられる。他方、「空気を読む」ことが重視されるように、複数の人々による集団の価値規範を崩さないことを良しとする同調性がある[3]
さて、こうした都市の「空気」は建築空間といかなる関係を持つだろうか。「空気」という、実体がなく捉えどころのないものと、建築の関係を考えることはいささか難しい。しかし、そうした困難さを前に、本稿では《アップルストア表参道》について論じることで、その問いに迫ってみたい。《アップルストア表参道》は、きらびやかな建築作品が並ぶ表参道の中で、平屋の〈ガラスボックス〉という形式を採用することで、ひと目を引く存在となっている(図1)。ガラスで囲われた一室空間の中に、パラパラと並べられたアップル製品。その製品の周りを、さっそうと動き周り、コミュニケーションをとるスタッフと客(図2)。このように、空間の形態のみならず、そこに配置された商品や、スタッフや客のふるまいが絡まり合うことで、この空間は、平準化した、フラットなものが拡張していく都市の「空気」とどこか共振する。もちろん、こうした特徴は、《アップルストア表参道》固有のものではなく、アップルストアという類型が持つものでもある。ただし、表参道というコンテクストの中に存在することで、当該建築は、その特徴を顕在化させているのではないか。このような仮説のもと、本稿では、現代都市の「空気」と《アップルストア表参道》の関係を巡る試論を展開したい。

図1:アップルストア全景

図1:アップルストア全景

図2:エントランス正面から内部をみる

図2:エントランス正面から内部をみる

密実な都市空間を穿つ低密な〈ガラスボックス〉

《アップルストア表参道》は、ボーリン・シウィンスキー・ジャクソンと光井純&アソシエーツ建築設計事務所の共同設計により、2014年に竣工したものである。この店舗は、東京メトロ・表参道駅の地上A2出口のちょうど前方に位置し、表参道沿いのケヤキ並木に対面するように建っている。周囲には、安藤忠雄の設計による複合施設《表参道ヒルズ》(2006年竣工)や伊東豊雄の設計によるブランドショップ《TOD’S表参道ビル》(2004年竣工)がある。ほかにも、表参道における、建築家やデザイナーの設計によるブランドショップ・商業施設に関して言及しようとすれば、枚挙にいとまがない。このように、表参道は、東京でも随一のファッション地区であり、その経済的価値は非常に高い。しかし、《アップルストア表参道》をみると、その高さが10.7m(ファサードのガラス壁面の高さは9.5m)、当該地区の限度以下に設定されており[4]、その容積率はわずか215%である。周囲の建物とは異なるこのような建ち方が、当該建築を表参道においてひと際印象的な存在にしている。言うなれば、都市空間の密実さに対し、空白を穿つかのように建っている。
続いて、《アップルストア表参道》そのものの空間構成に目を向けてみたい。この建築は、外壁3面がガラスのみで構成されており、残りの1面にはバックヤードのヴォリュームが付帯している。ガラスで囲われた店舗空間の内部は、地上1層、地下1層の構成となっている。地上階には、アップル製品がオーク材のテーブル並べられているとともに、地下には、周辺機器やカバーなどのアクセサリが置かれているとともに、トレーニングセンターやサポートセンターが設けられている。そして、それら二層の空間を、シンボリックなガラスの踏板の階段が繋いでいる。このようにプランニング面をみると、異なる質を持った二層の空間が積層されることで全体が構成されている。すなわち、《アップルストア表参道》は、〈バックスヤードを付帯したガラスボックス〉という外観上の特徴と、〈ガラスの階段に繋がれた二層の空間〉という空間構成上の特徴を有する。
さて、こうした構成は、《アップルストア表参道》に固有のものではなく、世界各地に存在するアップルストアで多くみられる。まず、プランニング面でみれば、アップルストアでは、商品が並べられるエリアに加えて、「ジーニアスバー」・「シアター」・「ザ・スタジオ」と呼ばれる各種サービスを提供するエリアが設けられている[5]。各店舗の条件に応じて、これらのプログラムをアレンジしながらゾーニングすることで、アップルストアの空間が形成される。こうした店舗の空間設計においては、単に製品を販売することよりも、ユーザーにアップル・コミュニティーへの帰属意識を高めてもらうこと、アップルというブランドを体験してもらうことを重視するというコンセプトがある[6]。すなわち、製品やスタッフ・ユーザーのふるまいを含めたアップルの世界観をいかに伝えるかが重視されることで、店舗空間は、低密で開放的なものとなり、店舗内に配置された製品の斉一性とあいまって、そこでは物事が平準化されるような印象が付帯する。
一方、外観の特徴についてみると、〈ガラスボックス〉に類する形式は、世界のいくつかのアップルストアにおいて先例がある。具体的には、外壁・屋根からなる5つの面をすべてガラスで構成したエントランス空間を持つニューヨーク五番街店(2006年オープン、2011年リニューアル。店舗そのものは地階に設けられている)や、同じく地上のエントランス空間をガラスの円筒によって構成した上海の浦東店(2011年オープン)が挙げられる[7]。また、特殊な例では、アップルのロゴが付された白い屋根とガラスの外壁4面で空間が構成されることで、Mac miniがそのまま空間化されたかのような外観を有する、イスタンブールのゾルルセンター店(2014年オープン)がある。また、これらの店舗の立地をみると[8]、ニューヨーク・五番街ではGeneral Motors Building前の広場(図3)、上海・裏東でも複合施設である上海国金中心商場(ifc mall)内の円形広場に店舗のエントランス空間(ガラスのボックスや円筒)が位置しており、いずれもオープンスペースの一画を敷地としている。すなわち、オープンスペースを敷地とするという条件の基で、低密な店舗空間を出現させている。

図3:5番街店の敷地。写真中央の空地にアップルストアのガラスキューブが位置している。出典: Google Map

図3:5番街店の敷地。写真中央の空地にアップルストアのガラスキューブが位置している。出典: Google Map

図4:アップルストア渋谷店

図4:アップルストア渋谷店

さて、このように、他のアップルストアの事例をみていると、《アップルストア表参道》の特殊性が浮かび上がってくる。それは、経済的価値が高く、容積率の確保が求められる表参道という立地における、極端な空間の密度の低さである。表参道店以外のアップルストアは、ビルの一部にテナントとして入っているか(例として渋谷店を図4に示す)、既存のオープンスペースの中に建っているか、のいずれかであり、高密な都市空間を穿つようには配置されていない。都市空間における通常の建築が、密度の要求と空間デザインの葛藤の中で形成されているのに対し、《アップルストア表参道》はそうした葛藤を無効化することで成立している。このことが、表参道のアップルストアを、特異なものとしている要因だろう。すなわち、低密で開放的で平準なものを指向する、アップルストアの空間形成の原理を徹底的に推し進め、経済性に基づくものとは異なる原理を都市空間にもたらしている。
さて、こうした《アップルストア表参道》の空間形成原理は、空間の形成過程のみと関連しているわけではない。前述したように、アップルストアの世界観とは、空間の形態だけではなく、商品、スタッフ・ユーザーのふるまいを含めたものである。すなわち、空間・小さなモノ(道具)・人のすべてに通底する価値規範が存在している。言い換えれば、ここには独得の「空気」がある。山本七平によれば、「空気」とは、客観情勢に基づく論理的な判断とは異なり、人々の行動や思考を暗黙裡に規定する判断基準である[9]。こう考えると、アップルストアに共通し、表参道店で先鋭化されている原理は、平準なものを志向し、人々のふるまいや考えを規定する「空気」を顕在化させているといえる。

まとめ: 2000年代以降の都市における「空気」の変容と都市空間の「道具化」

さて、冒頭で述べた通り都市の「空気」は、1990年代から2000年代にかけて変化したように考えられる。鴻上尚史が指摘しているように、2000年代に入り、急速に「空気」という言葉が流行する[10]。鴻上は、その要因として、1990年代まではかろうじて残存していいた「世間」(=会社等の共同体に基づく価値規範)が、経済・精神面でのグローバル化によって解体され、同じ「空気」に属すことで「共同体の匂い」を求めるようになったことを挙げている。そうした中で、「ノームコア」という言葉の流行にみられるような、同一性を志向したふるまいやファッションが広がっていく。このことは、アップル製品の一つであるiPhoneが、日本において極端に普及していることでも例証されているだろう[11]。さらに、ノームコアのようなミニマリズムは、インテリアとして都市空間の中でも表出する[12]。他方、2000年代以降、恐怖や不安の現れである「都市伝説」が、消費や「萌え」の対象としてコンテンツ化していくことが指摘されている[13]。このことは、都市から秘密めいた場が消えていく過程として捉えることができる[14]。こうした同一性の志向と、秘密めいた場所の消失は、都市から凹凸を持った場ごとの意味の差異が消え去り、平準な「空気」が広がっていくことの、ポジとネガと考えられる。
前節で述べた、アップルストア表参道の「空気」は、上述した現代都市の「空気」とどこか共振する。また、「空気」とはモノに対する無意識的な感情移入=物神化によって醸成されると山本は指摘している[15]。このことを考慮すると、アップルストア表参道が都市社会の「空気」と共振するのは、この建築が、建築的な葛藤の外側の論理で作られており、商品と空間が対応した物質的・道具的なものであることに依るのではないだろうか。
では、ここにはどのような意義や問題を見出すことができるだろうか。多木浩二によれば、伝統的な日本の都市空間とは、「おもて」(安定したもの・見えるもの)と「うら」(不安定なもの・隠されるもの)が折り重なることで成り立つものであった[16]。こうした場の意味は、人々の身振りや儀礼などの出来事や、それを支える物・道具によって発生するという[17]。さらに、槇文彦はこうした空間構造が生まれる背景として、日本における「奥の思想」を見出している[18]。他方、このような場の意味を消失させていく力が、近代性であったといえる。ただし、そうした性質の一方で、「近代」という時代において、場の意味は完全には解体されることはなかった。それは、〈未来/過去〉、〈未知/既知〉というような、時間軸に基づく認識的な対立図式がかろうじて存在し、それらが場に表象されていたからであると考えられる。しかし、こうした図式は、近代化(=西洋化)した生活が当たり前のものとして定着する高度成長期以降、解体されていく[19]。さらに、前述した都市伝説のコンテンツ化にみるように、2000年代以降においては、こうした解体の過程が徹底的に進められ、結果として、都市の変化に基づく不安や希望などの感情が場に表象されることはなくなっていく。そのような状況で、場が持つ意味に代り、道具に付帯する意味=「空気」が前面化したと考えることができないだろうか。《アップルストア表参道》は、都市空間を構造化する経済的な秩序の一部(経済的価値の高い場所における空間の高密さ)を解除しながら、都市の「空気」を現出させている。このことは、都市空間の「道具化」ともいえるのではないだろうか。こうした、平準化する「空気」を付帯する道具的な空間は、場の表象なき時代において、人々の身振り・ふるまい・移動のための拠り所を確保する一方で、その同調性ゆえに、ある種の窮屈さを持ち込んでしまう。人々は、同質的な道具にもとづき、他者とのつながりを重視する世界の住人を「演じる」のだ[20]
さて、多木浩二は『都市の政治学』の中で、コンビニの普及に注目し、その「差異を生み出すことなく反復する次元を広げ、均質化していく過程」が情報ネットワークの広がりを背景としていることを指摘している[21]。同質性を求める「空気」は、このコンビニのシステム・空間とも親和性が高い。であるならば、上述した「空気」の窮屈さから解放されるためには、この情報ネットワークを相手にする必要がある。近年では、誰もがスマートフォンを持ち、WEBにアクセスすることは当たり前となった。そのような情報空間の広がりが、あらゆるものを既知のものとし、斉一化・平準化しようとする、都市の「空気」を助長しているといえないだろうか。情報ネットワークが醸成する「空気」から脱し、道具ないしは場に「うら」や「秘密」を見出すことは可能だろうか。現代都市は情報(データ)と分離して考えることができないものであるが、部分的に、その情報の網目が作りだす空気から抜け出す術も考える必要があるだろう。このように、《アップルストア表参道》から発せられる問いとは、ここに付帯する「空気」から脱することは可能か、という逆説的な挑戦としても受け止めることができるだろう。そして、そのためのヒントもまた、《アップルストア表参道》の道具性に内在している。

  1. 国語辞典では、「空気」とは「その場の状態や気分」や「社会や人々の間にみられるある傾向」とである。(『スーパー大辞林』、三省堂、2006)本稿でも基本的にはこのような意味で「空気」という概念を用いる。

  2. 「ノームコア」は、ニューヨークのトレンド・リサーチ・グループ「K-HOLE」による2013年のレポートで提示された概念であり、伝統に組みせず、他者との「差異」ではなく「同一性」を確保することで、共同性を見出そうとする姿勢のことを指す(K-HOLE & BOX1824, “Youth Mode: A Report on Freedom”, 2013)。このレポート以降、この語は、日本のWEBメディアやファッション誌においても頻出する。

  3. 「KY(空気が読めない)」という言葉が2007年の「ユーキャン新語・流行語大賞」に入ったことは、「空気」が重視される価値観の台頭を傍証している。

  4. 表参道地区における、建築物の高さの最高限度は30m(階数の最高限度は8階)である。

  5. 「ジーニアスバー」は技術サポートのカウンター、「シアター」は各種ワークショップやプレゼンテーションが行われる映画館のような客席とスクリーンを持つ空間、「ザ・スタジオ」は各種機器のセットアップやパーソナルトレーニングなどのサービスを提供する場所をそれぞれ指す(店舗の状況に応じて、「ザ・スタジオ」の役割を「ジーニアスバー」が担うこともある)。(「アップルストアの知られざる真実」、『MacPeople』2014.07、KADOKAWA、2014)

  6. 同上書、pp.56-63

  7. 同上書、pp.64-68

  8. 立地に関しては、Google Mapを用いて確認。

  9. 山本七平、『「空気」の研究』、文藝春秋、pp.22-23、1983

  10. 鴻上尚史、『「空気」と「世間」』、講談社、pp.141-216、2009

  11. カンタージャパン社の調査によれば、2015年末の日本におけるスマートフォン販売シェアのうち、iPhoneのシェアは50%である。これは世界でも最も高い値を示している。また、海外においては日本と異なり、iPhoneよりもAndroidのシェアが伸びている。(「カンター・ワールドパネル・コムテック調査」2015年度版)

  12. 浅子佳英、「インテリアデザイン(内面の設計)」、『TOKYO インテリアツアー』、LIXiL出版、pp.154-164、2016

  13. 飯倉義之、「都市伝説が『コンテンツ』になるまで――『都市伝説』の1998〜2012――」、『口承文芸研究』第36号、日本口承文芸学会、2013

  14. 飯倉義之は、1990年代において「都市伝説」という語が商業メディアで広まった原因として、都市が「秘密めいた〈場〉であるという観点が、多くの読者に共有されていたことがあるだろう」と述べている。(同上)

  15. 前掲、『「空気」の研究』、p.38

  16. 多木浩二、『生きられた家』(岩波書店、pp.52-57、2001)

  17. 同上書、pp.40-52

  18. 槇文彦、「奥の思想」、『見えがくれする都市』、鹿島出版会、1980

  19. 吉見俊哉は、高度成長以降に、都市における〈未来〉のイメージの源泉を特定の源泉に結びつけて考えることが困難になってきていると述べている。(吉見俊哉、『都市のドラマトゥルギー』、河出書房、p.327、2008)

  20. 山本七平が述べるように、空気に支配された社会は、「演劇」的な状態を示す。(前掲『「空気」の研究』、pp.161-162)

  21. 多木浩二、『都市の政治学』、岩波書店、pp.50-56、1994

吉本憲生

1985年大阪府生まれ。日本近現代都市史・イメージ研究。東京工業大学卒業。同大学大学院博士課程修了。博士(工学)。現在、横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院Y-GSA産学連携研究員。

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