二地域居住、二拠点生活、デュアルライフ、マルチハビテーション。
何だかいろいろな呼称がありますが、わたしはそれをしています。平日は東京に住み、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす、というスタイルです。
生きもの好きの息子を自然環境の中で育てたい、と思い至って個人的に始めた暮らし方ですが、2011年に仲間とともに任意団体南房総リパブリックを立ち上げ、2012年に法人化。都市と農村の関わり方を模索するフィールドとして、多くの人が関わるようになりました。
☆NPO法人南房総リパブリック http://mb-republic.com/
わたしたちは南房総を「東京からもっとも近くて、もっとも深い田舎」だと定義しています。だからこそ、移住するか否か、ではなく、「観光と定住の間」にある多様な関わり方が可能です。二地域居住も、そのひとつ。地域の問題を地域内だけで抱え込むのではなく、外の地域との相互補完的な関係により解決していくことが、“田舎”とよばれる地域の健全でひらかれた未来だと考えています。
南房総と東京、どちらもメンバーのいるこのNPOでは、都市生活者の立場で地域の魅力を掘り起こしつつ、地域の当事者として活動を展開しています。内と外を繋げる働きかけの中で通底する思いは「誰もができることを増やしたい」というものです。
2011年から行っている「里山学校」は、食べられる野草探し、水辺のいきもの探し、里山ロゲイニングなど今ある地域環境を味わい倒す通年プログラムがあり、自然のディテールを知って楽しみ方を体得する学びの場を提供しています。
たとえば里山環境は、気持ちいいけれど漫然と見ていたら1分で飽き、人はすぐ手持ち無沙汰になって「バーベキューでもやるか」となります。でも、食べられる草が5種類見分けられるだけで、そこは突如宝の山となり、袋を片手に何時間でも食料探しを楽しめる空間に変わります。
知識を得て見る目が変わることで、自分にとってのその環境の価値を上げる力をつける。それは、地域の未来へつながる資源を見抜く力をつけることとイコールです。
今年の1月、2月には「南房総でDIYエコリノベ!ワークショップ」を開催しました。断熱性能がほぼない民家で寒い冬をじっと耐えてしのぐのはもうやめて、自分の手で“居心地のいい田舎”をつくろうじゃないかという実験です。
古民家の風情をそのままに、どれだけ断熱性能を上げられるか。そして、改修費用を押さえて誰もがマネできるレシピができるか。そんなワガママのような課題を掲げ、建築ユニットみかんぐみの竹内昌義さん、つみき設計施工社の河野直さん・桃子さんをリーダーとして、市内外の参加者とともに断熱改修を試みました。
結果、小さなヒーターひとつで部屋がぐんと暖まるようになり、かかったお金は古民家1棟で20万円程度。「ともにつくる」ことで得られたものは、暖かい部屋という結果だけでなく、一緒に手を動かした仲間や、意外と自分でできるんだという自信、そして地域に対する大きな愛着など、両手に余りある実感でした。
「誰もができることを増やしたい」という思いは、なるべく多様な人たちが、地域のつくり手であり、受益者である、という状態をつくりたいと いう思いに端を発しています。
二地域居住をしていると、都市と田舎の得手、不得手を実感する機会が増えます。
例えば、都市ではより素敵な事業をする人たちはそのまちで勝ち残り、そのまちの価値をつくり、その価値観に憧れて人が集まり、まち全体の価値も高まるという動きが進められています。
一方で、勝ち残れる人以外はどうかといえば、そういう生存競争の熾烈な場所から遠ざかっていきます。つまり、非都市部には事実上、他者と闘う生き方を選ばない、選べない人たちがたくさんいることになるわけです。
都市的な理屈でいけば、闘いに負け終わった人や不戦敗の人は淘汰されるべき、ということになると思いますが、実は、負け終わらない場所にこそ未来があるのではないか、と最近考えるようになりました。
熾烈な弱肉強食の世界から距離を置いた田舎には、人を選ばない包容力があります。昔から暮らしを営む人も、ローカルに目をつけて移り住んできた連中も、体の自由のきかない人も、生まれつき頑張るのが苦手な人も得意な人も「お互いさまだからよぉ」と共に日々を生きています。
お互いさま、というのは、一生の間でつじつまのあう等価交換です。自分が大人になるまでに受けてきただけのものと同程度のものを、次世代に残して、最後にまた世話になって、とんとん。残すものを多くするのが「事業」的な生き方だとすれば、とんとんなのは「生業」的な生き方だと言えます。
自分の一生でつじつまが合わなければ、地域全体で誰かが誰かの分をやって、とんとんになればいい。過疎化や高齢化でなかなかそうはいかないところを、外部の存在を引き入れることでそのバランスを目指せればと考えています。
哲学者の和辻哲郎は著書『風土』の中で、日本人の基本的性格には「戦闘的な恬淡」が存在すると言っています。恬淡とは、“あっさりとしていて、名誉や利益に執着しない”こと。実に矛盾することばの連なりですが、自然とともに生きる日本人は、何かを力で押さえ込んだり、勝って栄えることを目指すのではなく、しなやかに、諦めることなく、状況に寄り添いながら力強く暮らしを紡いでいたことを示しています。
思えば南房総の里山には、その思想を思わせる暮らし方があり、闘うべきは隣人ではないという大きな流れの中で、「みんなで生きつないでいく、とんとんの暮らし」があるのです。
都市が勝ち進む興奮のある場所であるなら、里山的な暮らしの価値は、負け終わらない場所であること。長い目で“とんとんになればいい”と考えると、失敗しても終わってもそれは負けではなく、営みの中で必要なトライアンドエラーとして許容されていく。
人間が怠けず働いたところですべてが無になるほどのダメージを食らう自然と共存する暮らしから、リスク管理の限界を学び、持続可能でリトライ可能な世界を見出していく。南房総の里山をフィールドにしたNPOの活動では、そうしたGDPには現れにくい類の豊かさを追求していきたいと考えています。
2016/07/15
建築学会HPを見ていて、偶然この頁を見つけました。マルチハビテーションというのは40年位前から考えて(探って)いましたが、切替の出来る生活はとても良いと思います。視点が複数になって来ると、ものの見方も立体的になります。
そこから何かが産まれ、次の何かに繋がって行くととても良いと思いますし、人口減少を埋める?ことにもなるかも知れません。
楽しそうですね?
2016/07/15
因みに、私は東京都港区と静岡県熱海市に住んでいます。