人間的尺度による機能的都市の提案
<アテネ憲章>
世界中から建築家が集まり近代建築の発展に主導的役割を担ったCIAM(現代建築の国際会議)。マルセイユとアテネを往復する船の中で開催された1933年の第4回大会の成果をまとめたのが95条からなる「アテネ憲章」[1]だ。従来のように、道路と街区の形状を中心に考える形式的都市計画ではなく、住居や労働など都市を構成する機能を抽出し、その機能間をいかに結びつけていくかを重視し、都市を「機能的統一体」とみなした。
-
19世紀からの急激な工業化は、世界の都市に大きな混乱を生み出していた。都心部では人口密度があまりにも高いため、住居空間や緑地面積の不足、維持管理の不備によって居住環境が悪化し、また新しく都市交通の主役となった自動車は、徒歩を基本としてつくられてきた街路と摩擦を生み、渋滞や事故、排気ガスや騒音による環境悪化を生んでいた。さらには場当たり的な郊外の開発や諸施設(住居、空地、職場)の配置により、さまざまな不利益と不公平が市民に生じていた。そこで、CIAMは都市の主な機能を「住む」「働く」「楽しむ(余暇)」「往来する(交通)」の4つに分類し、個人の自由と共同の利益の保証を前提に、都市を混乱から救う手立てを次のように提示した[2]。
2.速度に応じて交通を分離する:散歩道、幹線道路など用途に従った道路区分の設定と、速度による乗り物の分離(歩車分離)によって歩行者と車の軋轢を取り除く。
3.自然と住居を関係づける:新たに生み出された空地によって、緑地の確保や、太陽の動きに合わせた住戸の配置が可能となり、健康な住居(広さ、清潔な空気、太陽が保証された場)を生み出す。
4.機能を人間の時間的尺度で位置づけ直す:単に身体的なスケールに応じるだけでなく、24時間という人間に与えられた時間の尺度に適するように「住む」「働く」「楽しむ」ための空間単位とその合理的な配置を定め、交通網を整備する。
「アテネ憲章」などのCIAMの理念は、第二次世界大戦後各地で花開くこととなるが(「関連作品」参照)、現在では地域性を顧みない行き過ぎた機能の分離がなされているとしてしばしば批判の対象となってきた。しかし、本来のアテネ憲章には、地形や地域の自然的条件との調和を意識したり、文化による都市活動の必要性を認め、歴史的に重要なものは「現在の人々の健康的な環境を犠牲にしない」限り尊重すべきとするなど、地域性や、歴史的なものとの共存も言及されている。重要なのは、そうした自然や歴史的な要素と、新しく生まれてきた都市の要素との間に人間的な尺度を持った結びつきをつくりだそうとする視点であり、現代にも通じる豊かさを志向したものだったとも捉えられる。
関連作品
ブラジリア
たとえばブラジルの首都として建設されたブラジリアは、線状に伸びる都市形状、建物の高層化による広い空地、幹線道路と居住地を分ける緑地帯、住居単位という考え方などアテネ憲章の考え方を実現している都市だ。現在では280万人を擁する都市に発展しており、特に集合住宅によって構成されているエリアは、豊かな緑地と生活のための施設や娯楽施設が適度に配置され、良好な住環境を形成している。
関連文献
– ル・コルビュジェ(吉阪隆正訳)『アテネ憲章(SD選書102)』鹿島出版会、1976年
– ル・コルビュジェ(坂倉準三訳)『輝く都市(SD選書33)』鹿島出版会、1968年
イラストを手助けに、やや難解な概念を理解することで、さまざまな思考が張り巡らされてきた、建築の広くて深い知の世界に分け入るきっかけをつくりたいと思っています。それは「建築討論」に参加する第一歩になるでしょう!
約2週間に1度、新しい記事が更新されていく予定です。また学芸出版社により、2017年度の書籍化も計画中です。
「建築思想図鑑」の取り組みに、ぜひご注目下さい。
「アテネ憲章」と呼ばれる憲章には、第1回「歴史的記念建造物に関わる建築家および技術者の国際会議」(1931年、アテネ)において採択された歴史的記念建造物の修復に関するものもあるが、別のものである。
内容の多くは、ル・コルビュジエがそれまでに提示していた「300万人の現代都市」「ヴォアザン計画」「輝く都市」などの都市計画構想に依っている。
最近のコメント