建築作品小委員会選定作品
平坦なまちを紡ぎなおす「道」 岐南町庁舎

誤解を恐れずに言えば、平坦で特徴のないランドスケープに覆われた岐南町を再構成するために挿入された、新たな「道」が岐南町新庁舎である。この「道」は、文字通り人が行き来する通路であり、町と庁舎をつなぐ場であり、人と人が出会う場であり、留まって過ごす場であり、時には遊び場であり、祭りの時には広場のエッジになる。岐南町新庁舎の公共空間の要である。

〈屋根と歩廊〉

大きな屋根が曲線を描き、T字型の敷地に伸びる。この屋根面は、その向こう側に見える普通の民家が不思議に浮かび上がるほど、白く光るまっさらな面となっている。そして、この屋根に表情のある庁舎棟が囲まれている。岐南町新庁舎は庁舎と公民館、保健相談センターの合築で、低層の公民館と保健相談センターが5階建ての庁舎棟を取り囲む構成だ。

低層部の屋根は天井高を必要とする講堂なども抱え込み、棟は高さを変化させながら続いていくが、軒高は2100mmほどにピタリと揃えられている。身長170センチの筆者が手を伸ばせば丁度手の届く高さだ。軒が抑えられた日本建築の寸法と言って良い。この軒の下には建物全体を取り囲むように歩廊がつくられ、庁舎の敷地を四周から通り抜けられるような道となっている。これが岐南町のランドスケープを再構成する「道」である。歩廊にはコンクリートのベンチが各所につくられ、敷地をショートカットするように歩廊を進むことも、ベンチに座って留まることもできる。

岐南町新庁舎には明確な正面性がない。あるいはすべての面が正面であるといえる。建物内部へは、この歩廊から屋根の下が抜けたアプローチ1・2・3へ進んでから入ることになり、庁舎・公民館・保健相談センターを利用する町民は必然的にこの「道」を通ることになる。これが徹底されている。庁舎と南側の消防署の間の細い通路にも屋根がかかり「道」がつくられている。

敷地内を通り抜けられるということで言えば、庁舎と講堂の間の「道」は、もはや隙間と言うほどしかない幅であるが、しかし、ここを開けることで敷地東側からも人が通り抜けてくる(実際に筆者が岐南町庁舎に行った際、何人もの歩行者が通り抜けていた)。

「道」につくられたコンクリートのベンチも、徹底して設けられている。南西側の駐車場に面する歩廊はもちろん、南西側の駐車場との一体的な利用が要求された北側の駐車場に面する歩廊、そして建物の裏側ともいえる、アプローチ3の北側の学習室に沿っても設けられている。

アプローチ1・2・3を含め、施設が閉まっている時間でも、建物の下へと入ることができる場所が各所に存在し、庁舎としては不思議なほど解放された建物だ。みなで集まることが前提とならない、一人でも落ち着いて座っていられる場所が各所に存在する。歩廊を覆う軒は、夏には日陰をつくり、雨の日には雨を避けるトンネルをつくる(軒には一部を除き樋がない)。あらゆる人を受け入れる場所としての公共性が、そこにはある。

〈岐南町のランドスケープ 起伏の無い町〉

ランドスケープ〈景観〉という言葉は、人間と環境とが関係し合いながら、どのように地表面の物的環境をつくりあげているかを捉えるものだ。岐南町新庁舎は、岐南町のランドスケープを組み直そうとする建築である。

岐阜県羽島郡岐南町は東西約8キロ南北約2キロの7.9㎢ほどの範囲に、25,000人弱の人が暮らす町である。岐阜県で二番目に面積が小さく、平均年齢が最も若い町であり、人口減少社会にあって人口が増加している。これには、町が道路交通の要所になっていることが背景にある。町内の中心部では名古屋市と岐阜市をつなぐ国道22号と、岐阜県瑞浪市と滋賀県米原市をつなぐ国道21号が交差し、また町に隣接して東海北陸自動車道の岐阜・各務原インターがあることで、岐南町は交通の要所となっている。

しかし一方で、幹線道路は町を中心部で十字に分割しており、地域を四象限に分割してしまっている。岐南町新庁舎の敷地はこの十字の交点付近に位置しており、コンペでは「町はこの中心地において、将来の長きに渡り、住民、議会、行政の三者が多様な関係を築き、普段から集い、語り、助け合い続けられる庁舎の姿を求め」(『岐南町新庁舎等設計者選定設計競技実施要領』p.1)ていた。

時代を遡ろう。交通インフラの整う前の岐南町は農業の地であった。岐南町は非常に平坦なまちであるが、自然堤防による微地形の上に集落が成立し、その周辺の広大な後背湿地が農地となっていた。現在の地図を見ると、町内に部分的に道が入り組んだ場所が点在していることがわかる。これが古い集落である。岐南町のかつてのランドスケープは、こうした島状の微地形に集落(町内の寺や神社はこうした道が入り組んだ場所にまとまっている)が成立し、それを農地が取り囲んだものであった。

こうしたランドスケープを一転させたのが、昭和30年代の土地改良である。広がる農地にグリッド状の道路が通され、町を縦断・交差する国道が誘致された。土地改良が施された、交通至便な岐南町には人口が流入し、かつての農地が宅地化し工場や住宅地へと変わっていった。島状に集落が点在し農地が広がる景観は、工場と住宅地がメリハリなく展開する景観へと変わった。土地改良は、岐南町の景観の起伏を無効化するものであったのだ。

〈敷地を越えて〉

土地改良と幹線道路の敷設という、道がつくられる事業によって、フラットでかつ地域が分断された岐南町のランドスケープが生まれた。これに対して、kwhgアーキテクツは景観の起伏を再構築し、地域を紡ぎなおす「道」として庁舎を構成している。

岐南町新庁舎を囲む「道」は、他方で周辺を抱え込んでいる。南西側では町の駐車場とJA(ぎふ農協岐南支店)とその駐車場を、北側では隣接する道路と町の駐車場を、南東側では消防署を囲んでいる。「道」が周辺を抱え込んでいることによって、例えば町が毎年開催するお祭り「岐南フェスタ」などでは、敷地を越えた使われ方がされるだろう。南西側では町の駐車場だけでなく、JAの駐車場も一体となった広場が、北側では道路とその向こう側の駐車場が一体になった広場ができるはずだ。これら二つの場が、アプローチ2と歩廊によって繋がれる。そうした光景をベンチに座る人々が眺めるだろう。

日常と非日常、両者の公共性の中心に「道」がある。町民によるささやかな利用と、逞しい利用を期待したい。

石榑督和

明治大学理工学部助教、ツバメアーキテクツ。1986年岐阜県生まれ。都市史・建築史。明治大学理工学部建築学科卒業。同大学大学院理工学研究科建築学専攻修了。博士(工学)。共著に『盛り場はヤミ市から生まれた・増補版』など。2015年日本建築学会奨励賞受賞。

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