建築時評
地方創生の新潮流──辺境に最先端を見る

1.地方創生を目指して──HEAD研究会の発足

筆者は2007年に鹿児島大学を定年退職後、都市プロデューサーの清水義次氏と名古屋に拠点を持つ実業家の長屋博氏の呼びかけに応じ建築界の諸問題について実務者・研究者・メーカーなどがラウンドテーブルで自由に意見を交換する場として任意団体を設立し、東京大学大学院の松村秀一教授の協力を得て活動を始めた。幸いこの活動には次第に賛同者が増え2011年には一般社団法人HEAD研究会として法人化し、筆者と松村氏が代表理事に就任して今に至っている。この法人の本拠地は千代田区末広町の旧中学校をリノベーションしたアーツ千代田3331内に置いている。

その活動はタスクフォース(TF)と名付ける分科会を中心に展開されており、その構成は会員たちの発議で柔軟に姿を変えている。現在タスクフォースは、国際化、建材部品、情報プラットフォーム、リノベーション、ビルダー、不動産マネジメント、制度改革、ライフスタイル、アート、エネルギー、フロンティア、HEAD youthなど10を超えるジャンルに広がって200を超える個人及び法人会員たちが、それぞれに多彩な活動を展開している。

HEAD研究会リノベーションTFは、建築界が新築からストック活用のフェーズに入っているという問題意識から、2011年夏北九州でリノベーションスクールというワークショップを北九州市と共催した。この反響は絶大で、当会は以降全国各地でこのワークショップを続けてきたが、殺到する開催希望に対応するためにリノベリングという法人を立ち上げ、現在では各地の自治体職員、街づくりの実務者、研究者、学生などを対象のために、既存ストック活用によるまちづくりの研修活動を続けている。

この活動の一方、2013年にはリノベーションTFと不動産マネジメントTFは共催でリノベーションによるストック社会実現の先進地ヨーロッパの事情の調査のため、現地関係者の協力を得ながら産学界の20名を超える会員たちが集中視察を行い、帰国後その報告会を3331で一般公開して行った。その反響があまりに大きかったので、筆者は協力者の漆原弘氏と共に調査範囲を全世界に広げ、その成果を昨年春に「リノベーションの新潮流」(学芸出版社)と題して発刊した。本書はニューヨーク・ロンドン・パリなどの大都市を中心に、新築によらずリノベーションによって行われている都市再生プロジェクトの動きをレポートするものである。

HEAD研究会フロンティアTFは建築や不動産、まちづくりなどに関連する新しい動きをいち早くキャッチするためのタスクフォースで、発足第一弾は嶋田洋平委員長のもと、3年間様々な分野の人々を集めてシンポジウムを重ね、その成果は日経BP社から「2025年の建築―新しい仕事」、「2025年の建築―七つの予言」として出版された。2015年度からその後を継ぐ委員長はツクルバを主宰する中村真広氏を委員長とし20代の4名の副委員長たちがこれをサポートする体制を作り活動を始めたが、そのテーマを「○○の先をつくる」とし、第1回目のシンポジウムは「『スモールコミュニティ』の先を作る」であった。11月半ばに開かれた第2回目のシンポジウムのテーマは「『地方創生』の先をつくる」であり、パネラーとして西粟倉・森の学校の井上達哉氏、土佐山アカデミーの林篤志氏、モデレーターとして古田琢也氏が加わったが、特筆すべきことは途中石破茂地方創生担当大臣が来場し、国としての方針を説明したことであった。

このような動きに対応して、筆者は九州工業大学の徳田光弘氏、東北芸術工科大学の竹内昌義氏などと共に昨年9月と12月にヨーロッパと国内の地方創生の現場の調査を行った。この成果は今年中にはアジア各地などを含め、さらなる事例調査を踏まえて「地域創生の新潮流(仮題)」として書籍化される予定である。

2.辺境の定義──中心と周縁

筆者は2007年鹿児島大学を定年退職した際上記徳田光弘氏と共著で「地域づくりの新潮流」(彰国社)を刊行している。本書刊行の直接の契機は、日本の国土の7割を占める中山間地の中でも限界集落と呼ばれる小コミュニティが消滅する危機を救うヒントを、世界に求めるという提案に対して、地元の財団の補助金が得られたことであったが、その状況は今でもそれほど変わってはいない。同書の中で、われわれはネット社会の到来によって例えばイタリアの山間集落の肉屋が、世界中の顧客を相手に特産物を売り込むことで栄えている事例などを挙げているが、その趨勢は今も変わらない。また例えば徳島県の上勝町で、高齢者たちが懐石料理のツマとして用いられるモミジの葉など「イロドリ」と呼ばれる飾りを、ネットから寄せられる市場情報を頼りに早朝から山に取りに行って迅速に出荷することにより、年収数百万円を稼ぎ出している事例なども紹介した。

現在は、その当時からさらに高度化されたネット社会の進化により、従来の僻村とか辺境というものの定義は単なる地理学的概念から大きく変容してきている。一方高速鉄道や高速道路のネットワークも国内ばかりではなく先進国の各地で整備が進み、従来の僻地の概念が大きく変わっていることも指摘しておきたい。

従来僻地とか辺境というのは中心地から遠く秘境と呼ばれるようなアクセシビリティの悪い土地とみなされてきた。そのような土地はおおむね自治体の境界に近いところにあり、たとえばEU諸国でいえば国境に近いところにある。しかし交通や情報のネットワークの整備が急速に進んだ結果、このような境界はほとんど意識されないまま通過され、とりわけヨーロッパにおいては国境の存在すらほとんど実感できない状態が生まれている。つまり境界に近いところを辺境と呼ぶ意味は急速に薄れているとも思われる。

かつて文化人類学者山口昌男氏は文化の中心性と周縁性を論じ、文化の進化は周縁から湧き上がると断じた。彼の所論は地理学的分析に基づくものではなく、あくまでも文化史的考察に基づくものであったが、世界文明の進化の過程を概観すると、多くの場合地理学的辺境から新しい動きが蠢動しはじめ、最終的に中心勢力を倒す事例が非常に多い。山口氏は同様の現象が現在でも世界の各地に存在することを論じ、道化やトリックスターが活躍する世界を最先端と位置付けた。辺境は本来地理学上の概念であったが、文明論上の概念のアレゴリーとして用いられることになったのである。一方、現在世界各地で辺境に新しい動きが見られるという情報が、筆者の主宰する上記HEAD研究会にもたらされるようになり、その中で筆者らは先に述べた調査を行ったものである。地理学上の辺境において文明論的で先端的思考が生まれている現場を、実見したいというモチベーションに基づいた行動である。訪れた地域は数多いが、そのうち国内と国外の3例をここに紹介する。

3.岡山・鳥取県境地域──森の思考

古来美作国と因幡国の境界に広がる中山間地はいわゆる山陰と山陽の境界となりその大部分は森林地域となっている。平坦な米作適地が少なかったため、豊富な森林資源を生かした林業と、タタラ製鉄が住民の生活を支えてきたが、その衰退とともに人口減少が進み過疎化が常態となった。その中で、いくつかの目覚ましい動きが注目を浴びている。そのひとつが、日本政策投資銀行出身の藻谷浩介氏が「里山資本主義」で持ち上げた真庭市にある集成材メーカー銘建工業である。毀誉褒貶が激しく寄せられ、さまざまな批判の的ともなっているが、その真相は実情を現地に見に行かねばわからない。日本の林業は終戦後戦災復興で全国的に木材の需要が急速に高まり、一時的に隆盛期を迎えたが、様々な要因からその価格が国際競争力を失い、その後外材に市場の大半を明け渡すことになった。同社は製材・加工を主たる業種としていて原木の8割はヨーロッパから輸入している。森林管理が行き届き品質の良い外材と比較すると、複雑な林地の区画、地形により林道の整備が難しく、間伐、枝打ち、搬出などにコストがかかりすぎる我が国では、旧農林省の政策はただひたすら国産林業の保護だけを目指してきたために、品質向上や販路拡大などの施策を怠ってきたと言われている。その中で銘建工業は1996年ヨーロッパで開発されたCLT(クロス・ラミネーテッド・ティンバー)の技術に着目し、これを主力製品として全国に普及させようとしている。今年中にはここに国内最大のCLT工場が完成する。また本社敷地内にはCLTを使った3階建てのモデル棟が社員寮として完成している。

図1:銘建工業CLT工場。近くに年間5万立米を生産する工場を建設中であった。

図1:銘建工業CLT工場。近くに年間5万立米を生産する工場を建設中であった。

一方真庭市、銘建工業など木材関連10団体は間伐材、製材端材などを熱源とする真庭バイオマス発電株式会社を2013年に設立し昨年から1万kWのバイオマス発電所を稼働させている。筆頭株主は銘建工業で、この会社は250名の社員を雇用している。その背後には巨額の林野庁支援が存在し、これが批判の対象となっているのである。同社は年間5万立米のCLT供給を目指しており、原木供給のため熊本と高知に現地森林組合などと共同出資して製材工場を設立している。

このような大型プロジェクトに対して、その規模の大きさに木材生産が追い付かない、採算計画がずさんなどの批判が集中しているが、2015年末のCOP21でのパリ協約により全世界的に建築の木造化の流れが加速する趨勢をいち早くとらえて、この山間部の小工場から木材の輸出を目指す目標を立てて邁進する人々と直接面談して、その熱意に触れたことは筆者らにとって非常に有意義なことであった。

図2:真庭市バイオマス発電所。1万KWを発電中。2万2千戸分の電力を賄える。

図2:真庭市バイオマス発電所。1万KWを発電中。2万2千戸分の電力を賄える。

ところで我々は、ここを訪れる前にフィンランド北部に位置する日本の住宅メーカーミサワホームが操業している製材工場を訪問しているが、こちらでは年間8万立米のホワイトウッド(スプルース)を製材し乾燥材として日本に送り出していた。乾燥の熱源は製材時の廃棄物を使う隣接する市営バイオマス発電所からの排水を利用している。これと比較すれば真庭市の取り組みはそれほど過大とも思われない。

一方真庭市に見られるような巨額の公的資金が投ぜられるプロジェクトと対照的なのが、同じ岡山県山間部でも東部に位置する西粟倉村で、こちらは森林資源そのものを大切に管理する発想から、100年の森構想を立てて2013年にカーボンオフセットの環境モデル都市に指定されている。こちらでは複雑に入り組んだ民有林の管理を森林組合が引き受け、作業道の取り付けから間伐、枝打ちをおこない、最先端のハーベスターによる伐採、枝払い、搬出などを行っている。村内には製材・乾燥・加工を行う工場があり、製材時に出る枝などの不用材を薪に加工し、暖房および温泉加熱に利用している。この一連の事業を統括しているのが前記フロンティアTFシンポに登場した井上達哉氏が主宰する西粟倉・森の学校である。外部経済のサイクルに極力巻き込まれず地域内経済を循環させるコミュニティの在り方は各地で模索されているが、この村では、環境学者井筒幸平氏一家が村有温泉施設の経営を通してエネルギー循環のシステム構築を目指している。井上氏達はエンドユーザー向けの建材の開発も積極的に行っており、HEAD研究会はマンション改装などに最適な「ユカハリタイル」というフローリングブロックに専門家が選定する「HEADベストセレクション賞」を授賞している。また村内では町内産材を用いた高性能エコハウスを建て、一戸当たり1000万円以下で販売することを目指している。

図3:西粟倉村元湯温泉。閉鎖されていた村営温泉施設を薪ボイラーで加熱している。運営は井筒幸平氏が代表の村楽エナジー株式会社が受託している。

図3:西粟倉村元湯温泉。閉鎖されていた村営温泉施設を薪ボイラーで加熱している。運営は井筒幸平氏が代表の村楽エナジー株式会社が受託している。

図4:西粟倉・森の学校の建材工場。森の学校は製材から加工・建材製造・販売まで一貫して行うことにより中間マージンを削減している。

図4:西粟倉・森の学校の建材工場。森の学校は製材から加工・建材製造・販売まで一貫して行うことにより中間マージンを削減している。

図5:西粟倉・森の学校では住宅の建設販売も試みている。一戸当たり1千万円以下で高仕様のエコハウスを供給することを目指している。ここにあるのはモデルハウス。

図5:西粟倉・森の学校では住宅の建設販売も試みている。一戸当たり1千万円以下で高仕様のエコハウスを供給することを目指している。ここにあるのはモデルハウス。

西粟倉村と県境で接するのが鳥取県智頭町で、ここも鳥取からすれば最奥部の辺境に当たる。しかしこの町の主要産物の杉材の品質は高くこの地には慶長年間に植林されたという日本最古の杉の森が残っている。また山林の集積で巨富を得た石谷家の住宅ほか豪壮な屋敷が並ぶ旧街道を歩くとその豊かさに驚かされる。

しかしこの町はまた違った意味で新しい注目を集めている。その一つは園舎のない森そのものを保育の場とする「森のようちえん」。もうひとつは行き過ぎた資本主義に対する疑問から「腐る経済」の価値を発見して、効率本位の「腐らない経済」の先を行く実践としてパン屋兼カフェ「タルマーリー」を経営している渡辺格氏の存在である。前者はスェーデンやフィンランドで長い歴史のある幼児教育システムでそこに育つ子供たちは市街地に育つ子供たちに対して有意の知的発育の差が出ていることから注目されている。後者は言うまでもなく国際的にも知られた人物であり、マルクス主義をしっかり理解した末にポスト資本主義の結論を実践に臨む人物がここにいることの意義は大きい。

図6:智頭町の「森のようちえん」の環境。園児たちは悪天気の日も森に出かけて体験を豊かにする。固定的な園舎はない。

図6:智頭町の「森のようちえん」の環境。園児たちは悪天気の日も森に出かけて体験を豊かにする。固定的な園舎はない。

4.オーストリア・スイス国境地域──最先端の辺境

オーストリアのフォアラルベルク州は東西に長いこの国にとって西端に位置する、首都ウィーンから遠く離れた辺境の地とみなされてきた。ところが、一昨年初頭、法政大学の網野禎昭教授を招いたHEAD研究会のレクチャーでこの地域の先進的な取り組みについて知り、同氏の手配により、筆者らは昨年9月に現地にてヒアリング調査することができた。

この地域はヨーロッパアルプスの山間部にあり、我が国でいえば極めて人口密度の薄い、いわゆる過疎地に当たる。ところが実際にアプローチする最寄りの地は隣国スイスのチューリッヒであり、そこから高速道路を2時間ほど行くと国境に至り、そこがすでにオーストリア木造建築の最先端地域として世界中から見学者の絶えないフォアラルベルク州なのであった。つまりオーストリアにとっては辺境であるこの地は、スイス最大の都市チューリッヒにとってはほとんど郊外ともいえる土地であり、しかもドイツ国境に近く大都市ミュンヘンからも非常に便利なアクセスができる地域であることが現地で確認できた。つまり辺境というのは相対的な概念であって、その地域をどのような視点で見るかによって一挙に最先端地域になりうるポテンシャルを持った土地であることが理解される。

この地域の先進性を象徴するのがドルンビルンというフォアラルベルグ州西端のまちで、ここは、スイスやドイツからのゲートウエイに位置する優位性から人口が急増しており現在約4万7千人が住む町に成長し、先端企業の集まる工業団地が作られ、その中心に木造8階建てのオフィスビルLCT1(ライフ・サイクル・タワー1)が聳え立っている。

図7:LCT1。木造8階建てのオフィスビルであるが外装は防火規制により金属板パネル。

図7:LCT1。木造8階建てのオフィスビルであるが外装は防火規制により金属板パネル。

図8:LCT1内部ショウルームには20階建て木造タワーのモデルが置いてある

図8:LCT1内部ショウルームには20階建て木造タワーのモデルが置いてある

この団地は既存の工場をリノベーションしたものであるが、そのデベロパーのクレー社が建設し、フォアラルベルク州の森林を19世紀から所有してきた林業家カウフマン一族に属するヘルマン・カウフマンが設計を担当した。設備設計はロンドンを拠点とするアラップ担当。カウフマンはチューリッヒ工科大学の教授でもあり、網野教授も協働した人物でもある。この建物の構造は準木造の柱や壁とコンクリートスラブに木造梁を打ち込んだハイブリッド構造で、すべての部位は工場で製作され現場で極めて短期間に建設された。そして様々な環境的配慮の結果LCCを極力抑えている。この建物の国際的反響は絶大なものがあり、建物の1,2階はPR専用スペースとなっており、専任のPR担当者が予約により案内するコースがあり、年間ものすごい数の見学者が日本を含め世界中から押し寄せているという。

カウフマンはこの建物以外にも多くの木造オフィスをこの近辺に建てていて我々はそのうち3件に訪問した。それらは山間に立地し、いまだに山村の風情を残しているが、いずれの建物にも高度な技術が適用され美しく、LCT1と合わせて訪問するツアーが大人気だそうである。しかし最も注目すべきなのは人口わずか370のザンクト・ゲルトという小村の庁舎で、これはカウフマン設計ではないが熱損失を避けるために斜面地に四角い箱状の建物を置き、そこを村役場・集会所・保育園・コンビニの複合用途に使いこなしている。いずれも極力地元産材を用い、しかも最新の環境基準を満たすべく高度な熱循環システムを導入している。

図9:ザンクト・ゲルト村役場。村の公共施設のすべてを集約したウッド・ボックス

図9:ザンクト・ゲルト村役場。村の公共施設のすべてを集約したウッド・ボックス

従来は僻村とみなされていた地域にこのような高度な技術を適用した建物が実現し、それらが世界中から注視されていることは、山間地の多いわが国でも大いに見習うべきことかと思う。

一方、これと対照的なのがフォアラルベルグからスイス国境を越えたアルプスの中にある人口250の村フリン。古来、谷奥の峠を越えたイタリア側との交易によって暮らしを支えてきたこの村の人口は19世紀にはほぼ2倍であったが、特に20世紀後半に入って人口が激減した。これに危機感を抱いた村民たちは、まず村内の共有地を買収し、土地の売買を禁止した。その上カントンと呼ばれる州の歴史保存局およびチューリッヒ工科大学と連携して村の基盤整備を行った。その結果人口は復活の途上にある。村の伝統的な産業は林業と牧畜業であるが、そのために必要な納屋や畜舎、屠殺場などの施設は地元育ちの建築家ギオン・カミナダがすべてを設計し、彼が設計した製材所で加工された地元の材木を用いて建設されている。地域循環型経済モデルを準用したものである。彼は地元の大工のもとで修業して日本の校倉造りのような独特な建築技法を地元の大工の下で習得した。その独特のスタイルは世界中から注目され、彼は今チューリッヒ工科大学で教えている。この神話的なストーリーは全世界に伝わり、世界中からこの村を訪れる人が絶えず、同じような山村出身のピーター・ズントーと並んで彼らはスイスを代表する建築家と目されている。

図10:フリン村の集落。かつての飛騨地方を思わせるたたずまいである。

図10:フリン村の集落。かつての飛騨地方を思わせるたたずまいである。

図11:フリン村の伝統的納屋。校倉造りで風が吹き抜けるので牧草や食肉の保存に適している。

図11:フリン村の伝統的納屋。校倉造りで風が吹き抜けるので牧草や食肉の保存に適している。

図12:フリン村のギオン・カミナダ設計による農業施設

図12:フリン村のギオン・カミナダ設計による農業施設

ところで、スイスの主たる産業は金融と精密機械、製薬と観光であり年間800万人の外国人たちが訪れる。そのうち大多数の人々が抱いている、森と牧場の広がるテーマパークのようなイメージを楽しませるために走らせている氷河特急などを運営する鉄道会社は、沿線の農林業に補助金を出してその景観の維持を援助しているのである。単なる農林生産はEU諸国との競争激化の中にあって、ほとんど勝算はないが、国策としては手厚い保護が最適な施策なのである。スイス自身が高山に囲まれた辺境そのものであるうえ、古来人口密度が高く、余剰人口は国外に出て外国軍の傭兵にならざるを得ないような悲惨な歴史を経てきたこの国は、永世中立国を宣言して以来、他のヨーロッパ諸国のように2回にわたる世界大戦にも巻き込まれることもなかったことから、現在その蓄積された富を使って世界で最も高いレベルの所得を享受している。

5.辺境の見直し──世界を視野に

徳島県の山間部に立地する神山町生まれの大南信也氏は、家業の建設業の傍らNPO法人グリーンバレーを主宰している。筆者はかつて「創造的過疎」と題した同氏のレクチャーを聞き、その冷静な状況判断と国際的視野に基づく綿密な事業展開に感銘を受けたが、昨年末ようやく現地を訪れその状況が、さらに進化していることを実感した。我が国の人口動態が少子高齢化へ向かっていることは抗い難い事実であり、それによってもたらされる「過疎」の状況に対して、どのような創造的対抗措置がとれるかが地域の生き残りにとって不可欠だというのである。

この町には1927年に日米親善のために全国の自治体に送られた青い目のアリスという人形が、世辞中多くは廃棄された中で、奇跡的に残されていた。1991年に、これを送り主の町に里帰りさせるというイベントが企画され、町民有志が参加し、以後先方との交流が進む中「国際文化村委員会」が設立され、これが最終的に現在のNPO法人グリーンバレーになっている。彼らの活動は、アーティスト・イン・レジデンス、ワーク・イン・レジデンス、サテライトオフィス誘致、神山塾などを矢継ぎ早に事業化して、結果として現在5900人弱の人口の内150人が外来者という構成になり、2011年から人口は漸増している。とりわけ神山塾はハローワークとのタイアップ事業で、技能のない求職者たちに3カ月の生活費を支給して技能を付けさせ独立させるシステムで、これにより若者が集まりサテライト企業に就職したり、起業したりして現地に居つき、結婚して子供を産むという好循環を生み出している。

図13:神山町えんがわオフィス。古民家をリノベーションして都内企業のサテライトオフィスとして利用。都内キー局のテレビ放送のバックアップデータの保管と処理を行っている。縁側に並んでいるのは大南、坂東氏以外は筆者らのグループ。

図13:神山町えんがわオフィス。古民家をリノベーションして都内企業のサテライトオフィスとして利用。都内キー局のテレビ放送のバックアップデータの保管と処理を行っている。縁側に並んでいるのは大南、坂東氏以外は筆者らのグループ。

図14:神山町の宿泊施設ウィークとセンターハウス。隣接してインキュベーションセンターがあり新しいビジネスのスタートアップを模索している。

図14:神山町の宿泊施設ウィークとセンターハウス。隣接してインキュベーションセンターがあり新しいビジネスのスタートアップを模索している。

図15:神山町の誘致により進出したベンチャー企業のサテライトオフィス。牛小屋をリノベーション。

図15:神山町の誘致により進出したベンチャー企業のサテライトオフィス。牛小屋をリノベーション。

大南氏はスタンフォード大学の大学院出身であるが、アートこそ地域づくりに不可欠の要素であると確信しており、地元出身でハーバード大学大学院出身の建築家坂東浩輔氏のチームに町内の空き家のリノベーションを任せ、そこに企業などを誘致している。またウィークという宿泊施設を新設し、隣接する元繊維工場をリノベーションして、そこにスタートアップの人材に入ってもらっている。ここを拠点にポートランド大学などと交流しながら新しいビジネスの拠点とする構想も持っている。最近では消費者庁の一部が徳島に移転し、神山にサテライトオフィスを設置することが取りざたされている。

筆者は冒頭で述べたHEADツアーで訪れたアムステルダムで、やはり工場をリノベーションしてインキュベーションセンターとして成功させたデベロパーが「アーティストは貧乏で家賃が取れないが、その発信力は絶大だから彼らを誘致することが必勝の秘訣だ」と言っていたことを思い出したが、期せずして四国の山村で同様の動きを見るにつけても世界の最先端を見る思いがした。
すなわち「辺境は最先端である」と確信するゆえんである。

松永安光

一般社団法人HEAD研究会理事長/近代建築研究所所長

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