これからの建築 - ココに注目!
建築教育の罪と使命

建築を取り巻くイシューが時代とともにどんどん変化しているにも関わらず、”建築界”の思考のフレームや議論の対象は本質的にあまり変わっていないように思う。僕が20年前に大学で建築を学んでいた頃から抱いていた”建築界”に対する違和感は、一言で言えば「市場や経済に対して踏み込まないこと」だった。建築領域の知的リーダーたちが経済や市場(マーケット)へのコミットメントを持たない限り、建築のアジェンダは適切にアップデートできないし、社会的な影響力や先導力は持ち得ない時代なのではないか。このことは特に教育の場面において重大な問題だと思っている。そして同時に教育からこそ変えていくべきだと感じている。

”建築界”の人々は“ケンチク”(ここではハードの問題とその周辺の抽象的なウンチクの意)によって解決できることが少なくなっていることに気づいているように思う。特に計画学や意匠論、都市論などにおいては、”建築”は自らその領域を拡張せねばならない。例えば携帯電話の世界は、フォルムのデザインは主たるイシューでもイノベーションの源泉でもなくなっており、コンテンツやその流通、インターフェース、ビジネスシステムのデザインこそが主たるイシューであり、フォルムのデザインはあくまでそれに従う背景となった。「彫刻」の専門家たちが未来の彫刻について議論したとしても、そこから芸術の未来についての答が出てくることはあまり期待できないだろう。

だが、スコープを正しく拡げれば拡げるほど、マーケットの現実を分析した上での打ち手やアイディアでない限り、どんな提案もベキ論も有効性を持たないはずだ。いわゆるアート、すなわち”問題提起”や視覚表現といった範疇でならそれでもいいのかもしれない。しかし、デザインあるいは問題解決となると、マーケットの現実と距離をとっている限り、大きな価値やイノベーションを生み出すことは難しいのではないか。

わかりやすい例で言えば、建物再生、リノベーションの分野では、投資のロジックが計画与件の中心となるし、特に賃貸空間においてはファイナンスやマーケティングとハード設計は一人の人間が同時に考えるプロセスが欠かせない。都市デザインの領域で”建築”の側から確固たるインパクトがなかなか出せないのは、市場の力学を具体的にふまえた思考をしていないからだと思う。いまの大都市を実質的にデザインしているのはもはやデザイナーではなく、テクノロジーと、資本と、マスの感性、すなわちマーケットなのだ。建物の経済価値を動かすものを知らずして都市のデザインはできない。機関投資家の資本の力学や相続対策のカラクリもふまえずして未来の都市風景を推測することはできない。病院や美術館の設計であれば”与件”を論理的に考えるのに、都市建築の多くを占める賃貸不動産の与件であるマーケットを分析しないのはおかしい。そこで社会学的な抽象論に逃げてしまっては、永遠に実効性を持ちえない。

コミュニティ、公共空間、地域再生、エコロジー、どれにおいても同様なことが言える。これからの「まちづくり」の世界では、ビジネスマンの経験がない人に大した成果は期待できないだろう。現実社会の中で本当にインパクトを生み出したり解決したりしようとするならば、経済価値を、流通やマーケティングを、一緒に捉えて答えを出すことが必要なのだ。文化や環境を、資本の力や経済とどのように調停していくかを考えることこそが、求められる解決であり、知性であり、これからの美学でもあると思う。

ここで指摘する問題が”建築界”の人たち自身の野望実現のブレーキになるのは仕方ないのかもしれない。しかし教育やアカデミーは若者の未来への視座を与える場であり、知の未来を開くリーダーシップであるべきである。アジェンダを適切にアップデートしていかないと、若者たちはこれからの社会で価値を生めない存在になり、同時に“建築“はその力を失って行く。過去の教育を続けるのはやめて、市場のイシューを建築論、建築教育のフレームの内側に取り込んでいくべきだ。”ケンチク“に生きてきた大人が後から市場のリアルに入っていくのは確かに難しいだろうが、教育現場ではそれなりに可能だと思っている。

もちろん今までの建築教育も、思考訓練としては大いに価値があるものだ。ゆえに殆どの建築学生にとっては、それは実務教育でなく、むしろ哲学や心理学のように教養教育のように捉えてもいいと思う面がある。むしろ、実学や職業学校のように見せかけて現実性・未来性に欠けた教えを授けるのは罪だろう。偉大なる”詩”としての建築を創るアーキテクトはもうそれほど多く育てる必要はないのだ。それ以外の者たちにはもっと広い視座を与えるべきだ。そのための方法がわからないならば、ダブルメジャーのような考え方で他の領域を混ぜることから始めるのでもいいと思う。

現実的社会的な問題解決、文化芸術的創造、新たな知の創造、そのどれにおいても、建築が“ケンチク”に閉じている限りフロンティアは生み出せないと思う。建築分野の知性たちは、見てみぬふりをするのはやめ、領域を超える覚悟を持つか、それが無理ならせめて若者を“ケンチク”に閉じ込めることをやめることが、結果的に建築の未来を切り開くのではないかと思う。

林厚見

「東京R不動産」ディレクター / 株式会社スピーク共同代表 / 株式会社TOOLBOX代表取締役
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了。マッキンゼー社にて経営戦略コンサルティングに従事したのち、コロンビア大学建築大学院不動産開発科修了。不動産ディベロッパーを経て2004年に独立。現在は、建築・不動産の開発・再生の企画プロデュース、不動産物件サイトの運営、内装関連のEC等の事業を展開している。

この投稿をシェアする:

コメントの投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA