この夏、一冊の本を出版した。タイトルは「建築女子が聞く 住まいの金融と税制」である。建築学と住居学を学んだ私と馬場未織さんという二人の“建築女子”が、住まいと金融、住まいと税制の関係について、それぞれの斯界の権威、金融は大垣尚司立命館大学教授、税制は三木義一青山学院大学教授に素朴な疑問をぶつけ、それを丁寧に解題していただくという仕立ての本である。
この本の首謀者は私であるが、その本意は「住宅」と「お金」の関係について、あからさまに討議し、理解する場面を、特に、建築や住宅について日頃アカデミックに語っておられる面々に提示したかったからである。その意図を瞬時に見破った、この連載の主宰者である松村秀一先生からは、「建築に関わるものは士農工商の「士」だということが暗黙の裡に共有化されている世界に、あっけらかんと全面的に「NO」を突きつけてしまった「女子」」と大いに揶揄されてしまったが・・・・。
今から遡ること四半世紀前のバブル経済真っ盛りの頃、日本建築学会のある研究会で、「住宅商品は・・」と語ったところ、ある先生から「園田さん!住宅を“商品”と言ってはいけません!!」とブスリと釘をさされた。その一言には、住宅を商品と語った時点で私はとんでもない拝金主義者で、学会及び建築とは禁欲主義で成り立っているルールも知らないのかという強烈なメッセージが詰め込まれていた。
以来、とりあえずは、住宅と「商品」や「お金」をあからさまに結びつけて語ることは避けてきたが、一方で、90年代半ば以降の住専処理問題とそれに続く長期の経済不況、05年の耐震偽装問題、08年のリーマンショックなど、大きな社会経済事象と「住宅」が密接に結びついていることは自明である。耐震偽装では、マンションの構造設計料が㎡当たり900円とか1000円だという話を聞いて、構造設計とはまるでグラム単位で牛肉を売り買いするようなことなのかと、その分かりやすさに心底驚いた。そうしたら、建築家を名乗る人による個人住宅の設計料も㎡当たり5千円とか1万円という値付けがされていることも聞こえてきた。これらのことは全て形而下のことであって、アカデミアとは無関係なことだろうか。
今は、縁あって大学で学生たちを教えているが、学生のほぼ100%近くが卒業後は建築の実学が必要な世界で生きていく。形而上、形而下と区別すること自体がもはやナンセンスである。真の知性や創造力とは「Aか、Bか」の選択ではなく、「AもBも超えるCを見つけること」である。少なくとも私はそれをしたい。
皆さんに心から問いかけます。日本建築学会で「お金」の話をすることはなぜタブーなのですか!?
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