建築家自邸シリーズ 001 内田祥哉邸
おっくうにならない一生の課題

内田祥哉
泉幸甫+各委員

築50年を過ぎた家

東京大学名誉教授、内田祥哉先生のご自宅は、東京都杉並区の閑静な住宅街に位置する。建物は木造平屋で延床面積は約119㎡。昭和36年(1961)4月に、佐藤秀工務店の施工により完成した。

建築設計計画評価小委員会のメンバーが、内田邸をお訪ねしたのは平成24年(2012)5月31日。築後51年目ということになる。内田邸は大きく3点、変化した。まず、住宅(母屋)の北側に設計室(離れ)を新築したこと。次に、それに伴い、玄関を応接室に改築したこと。さらに、各種の収納機能を充実させたこと。

見学の当日は、担当の泉委員と各委員が内田先生に質問し、先生に教えていただく方式をとり、対談する形式にまとめ直した。

Q:これまでの住まい遍歴をお尋ねします。先生のお父さん(内田祥三氏。東京大学総長、日本建築学会会長を歴任。文化勲章受章者)は、昭和初期に、東京の麻布に内田祥三邸(洋館)を建てておられます。

内田:僕はね、初めは和風の住宅に住んでいました。昭和6年(1931)、6歳になったとき、麻布の家(洋館)ができました。麻布に長く住んで、結婚してから、恵比寿に移りました。

Q:その恵比寿から、なぜ杉並に移られたんですか。

内田:恵比寿では、家の下を、山手線に沿って貨物列車が走っていて、蒸気機関車が黒煙を上げていた。その黒煙が子供の健康に良くないと考えて、杉並に引っ越すことにしたのです。

Q:杉並には、土地鑑があったのですか。

内田:土地は父が持っていました。大正元年(1912)に購入したそうですので、今年で丁度100年になりますね。

Q:別荘のような感じで、ときどき来ていたような場所だったんですか。

内田:原っぱがあるだけです。時々ハイキングなんかには来ていましたけどね。その頃は、ここから京王井の頭線が見えました。当時は、京王帝都線という名前でしたね。

9点のエスキス

見学当日、内田先生からいただいた資料「エスキスの思い出」には、内田祥哉邸に関するエスキスが9点掲載されている。そのうち4点は敷地が決まる以前の構想案で、残りの5点は敷地が決まってからの実現案である。

構想案には、イームズとサーリネンのケース・スタディーハウスからヒントを得た案、郭茂林の12坪の住宅にヒントを得た案、堀口捨巳の八勝館をベースに増沢洵の原邸に想を得た中庭を持つ案、それをモジュールで展開した案などがある。

これに対して、実現案は、杉並に家をつくることが決まってから急きょ着手したもの。昭和35年(1960)10月にそれまでの構想を引き継ぐ中庭案が作成されているが、12月6日に実施図のベースになる南側に広縁をもつ案が確定。昭和36年(1961)2月4日にその修正案をつくり、4月の竣工に間に合わせるという強行軍になった。

Q:プランはすっとこの形に決まったのでしょうか。

内田:時間がなくて、詰めるゆとりがなかったですね。なにしろ、敷地が10月に決まって、完成は、子供が小学校に入る翌年4月1日以前。これ(資料「エスキスの思い出」)にも書いてあります。ただ、その原型となるエスキスは、学生時代の昭和22年(1947)から、いろいろつくっていたんですよ。

Q:建築をやっている人は、意外にバタバタとつくることがあります。

内田:そうでないと、また、「ああでもない、こうでもない」とやっちゃうからねぇ。

Q:ファンズワース邸というのはやっぱり意識されましたか?

内田:ファンズワース邸はあの頃は意識がないとはいえないでしょうね。だけど、あれは中に何もないんですよ。むしろ、増沢の原邸のような感じ。増沢君の原邸も回遊があるし、ファンズワース邸もあるわね。そういう意味では、ああいうふうにすっきりできたらいいなと思っていたけれども、ファンズワース邸はミースでしょ。ぼくはミースが和小屋のことに関心があるとは知らなかった。それを知ったのは最近ですね。

Q:それはどういう?

内田:要するに、室内のフレキシビリィティのためには和小屋がいい。

Q:和小屋だと屋根と桁の上で自由にできるからということですね。

内田:そうです。そうです。柱がどこにあるかによって、梁の組み方を変えれば。でもミースは全然なしにして持たせようという。和小屋はある柱を使って格子を組めばいいという精神。柱がこっちにいったらこっちに格子を組めばいいという、そういう感じ。

Q:小屋組みは合わせて飛ばしてあるんだけど、屋根は二寸勾配で、きれいに作られていますね。天井はボードでしょうか?

内田:そうですね。天井の高さは2メートル40。この当時は、増沢の住宅なんかも畳と板の間を平らにしているでしょ? 僕もバリアフリーという考えはなかったけど、床に段差をつけたくない、という気持ちがあって。今だったら畳の部屋を36センチ上げといたほうがよかったかな、と思っています。それでここ(応接間とした玄関土間)は54センチ下がっているんです。こういう部屋が台所なんかもこれでよかったかな。

Q:つまりこういうところは天井高さがもうちょっとあったほうがいいということでしょうか。

内田:そうですね。

Q:ここの、囲まれたいい感じですね。もとはと言えばここは玄関ですね。

内田:全体を土間にして、土間の玄関にして、みなさん靴で入ってもらって、それで階段の下で靴を脱いで、上に上がってもらうと。そういう風に今でもしたいと思っています。

内田邸玄関土間

内田邸玄関土間

内田邸広縁

内田邸広縁

内田邸南面

内田邸南面

東西は1m20cmモデュール、南北は1mモデュール

内田邸は、東西方向(横)は1m20cmモデュールだが、南北方向(縦)は1mモデュールになっている。例えば6畳の和室の中に、畳を6枚並べると少しスペースが余るため、そこを板間にしている。

Q:東西は1m20cmモデュール、南北は1mモデュールですよね。2つのモデュールを、混在させた理由は何ですか。

内田:実際に設計していると、両方とも1m20cmだと、苦しいんですよ。僕の気持ちをいえば、モデュール論がまだ完成していない時代。なので、混在させました。勤務していた逓信省(後に電気通信省、日本電信電話公社建築部、現・NTTファシリティーズ)では1mモデュールだったので、今だったら、自宅も縦横ともmモデュールでやったかもしれない。この家と、丹下健三さんの成城の住宅と、どういうわけかしらないけど、寸法がぴったり一致するんですよ。

Q:両方とも1m20cmだと、苦しいというのは、なぜですか。

内田:ディテールを書いていると、難しくて、何か苦しくなる。

Q:合わなくなる、ということですか。先生は、畳を入れるとき、芯々でやられますか。

内田:芯々です。両方とも1m20cmだと、京間の畳が入らない。

Q:そういうことですか。南北方向は1mモデュールになっていて、スペースが結構余って、板間になっていますよね。それに、何ともいえない、広がりを感じていました。

内田:本当はmモデュールで縦も横もやるほうがいい。今でもそう思いますよ。積水ハウスがそうですよね。

Q:板間をつくるため、あえてこうされたのかと思っていました。

内田:そんな深謀遠慮じゃなくて、いきあたりばったりです(笑)。

内田邸和室

内田邸和室

内田邸断面図

内田邸断面図

内田邸平面図

内田邸平面図

堀口捨巳の影響

Q:先生のご自邸は、堀口捨巳さんの影響を、結構受けていると思いますか。

内田:それは、絶対に影響を受けています。

Q:堀口さんとは、どういうご関係なんですか。

内田:僕が東京大学で堀口先生に会ったのは、昭和20年(1945)に戦争が終わった後なので、昭和21年(1946)頃です。

Q:当時、先生は学生ですよね。

内田:そう。僕が学生のときに、堀口先生が講師で来られた。で、学生が3人くらいしかいない。

Q:学生の絶対数が少なかったんですか。

内田:40人くらいはいました。だけど、家がなかったり、食べるものがなかったりで、みんな忙しくて・・・、堀口先生が講義をなさるんだけれども、3人くらいでいつもお話を聞いていた。そういう期間が1年くらいあって、堀口先生と親しくなったんです。

Q:堀口さんは、どんな話をしていましたか。

内田:茶室の話とかですね。全部理解できたかは、分からないですけどね。最近、藤岡洋保さんが、堀口先生の本(『表現者・堀口捨己―総合芸術の探求』)を出されました。あれを見ると、堀口先生は、八勝館・行幸の間が竣工する昭和25年(1950)以前は、ずいぶん苦労していらしたんですね。僕は堀口先生のお宅にも行ったし、八勝館にも泊めていただきました。

Q:八勝館の平面を見ると、柱がぽんぽんぽんと立っているだけですよね。ところが、実際に見学すると、空間に奥行きが出て不思議な感じします。

内田:堀口先生はいらない所に柱を立てたりするんですよ。縁側のちょっと先に、木を入れると距離感が伸びる。そういう意味で、いらない所に柱を立てる。

Q:奥行きが出て、深みが増すんですね。

内田:そうかもしれませんね。この頃は、住宅に庭がないですから、殺風景ですね。

竹小舞の真壁で

Q:先生、この部屋(6畳の和室)は真壁ですね。

内田:そうです。単価の件で、佐藤秀三(佐藤秀工務店創業者)さんが、文句を言わせず、「壁下地は竹小舞ですよ」、と。

Q:この家が建った頃、東京でも小舞壁が残っていたんですね。

内田:こういう小さな工事には、左官屋さんと竹小舞がいるという時代でした。僕が木造建築で関心しているのは、基礎はコンクリートだけど、まず大工さんが来るでしょ、そして建てて、そして骨ができて、いろいろこうちょっと養生して、それで一度、大工さんがいなくなるんですよね。その後に左官屋が入ってくる。現代であれば大工さんが来て、その後ボード屋が来て、それから最後に壁紙はったり、シーリングで目地を収めるわけですが、和風建築にはそれがないんですよ。土壁っていうのはね、最後は何でも左官屋が全部ダメ工事をやっちゃう。工事の手順としてはすばらしいと思っています。

Q:先生、左官屋さんが、ダメ工事といいますと…。

内田:柱があって壁塗っていくでしょう、ちゃんと壁の端っこまでやるじゃない。

Q:あぁ、多少、歪もうが何しようが、後をちゃんと合わせてくれるという意味ですね。

内田:相手がくにゃくにゃしていたら叱り付けるという・・・。

Q:僕も左官は大好きです。

内田:左官はいいですよ。久住章さんは少し年をとられたけれど、茨城県左官工業連合会の会長をしている根子清さんという元気な人もいます。根子さんは左官のために運動していて、「国交省の仕様書で左官の単価がゼロになっているのはけしからん、改めるべきだ」と頑張っていたんです。「現場にはどこも左官がいて、コンクリートの打ちそこないを直している。しかし、単価がゼロなので、契約上はただでやっているのがおかしい」と。そうしたら、左官組合の下の方の人が、「根子さん、止めてください」と頼んできた。当時は「コンクリートを失敗した時のお金が請負金額に入っていないから、現場監督がポケットマネーから出してくれる。それなのに、単価を決められたら左官屋はつぶれますよ」という時代だった。なので、根子さんも、単価の話はいわなくなりました(笑)。左官屋さんは、ダメ直しという大事な仕事をやってくれるんです。

内田邸居間での対話

内田邸居間での対話

寒さと雨漏り

Q:この家に住まわれて51年になります。一番、記憶に残ることといいますと?

内田:やっぱり寒さとか、雨漏りじゃないですかね(笑)。でも、空気はいいですよ。

Q:木造で、隙間が多い家は、冬は寒いですね。ストーブがなくては過ごせません。

内田:そういう意味では、隙間の多いログハウスはストーブがなかったらだめですね。この家よりもっと寒い。校倉造りも一種のログハウスです。文献によると、奈良の正倉院では、室外と室内の気温がまったく同じだったそうです。要するに、正倉院の宝物にカビが生えなかったのは、木組みに隙間があったからと考えられます。北欧の連中がどうして寒い所に暮らしていけるかというと、彼らは、内側からは詰め物をして、外側からは漆喰を塗っています。だから、この家でも、内側から詰めればいいわけだけど、日本人は木と木の間に詰め物をするという習慣がありません。

Q:先生も、正倉院の伝統を今に引き継がれた、ということですね。

内田:正倉院の中に住むと、きっと寒いですよ(笑)。

奥行きで分類する本棚

内田邸の見学会で、建築空間と同様の関心を集めたのは、収納に対する先生の「熱い工夫」である。応接室の頭上には、天井から吊り下げた船の模型が飾られていたし、設計室の頭上にも、図面類などが吊り下げられていた。また、書斎に入ると、各種の製図道具や日曜大工に使う道具類などが、あたかも東急ハンズの店頭であるかのように、きちんと整理されて収納されていた。

応接室には、内田先生が考案された、「重ねられ、つなげて並べられる机」があった。これには、角脚型、丸脚型、ステンレス鋳物型、斜め脚型、鉄鋳物型などがあり、一部は商品化されている。そして、台所では、立体トラスからヒントを得た、木と紐でつくった「お盆立て」を見せていただいた。

構法をご専門とする、内田先生ならではの工夫の数々である。

その中でも、話題を集めたのは、応接室の壁際に配置した本棚であった。建築を生業とするものの悩みのひとつは、建築書のサイズが多様で、かつ上質の紙を使っているため、本が重いこと。このため、華奢な本棚だと、棚板がたわんで壊れてしまうこともある。

Q:何かすっきりした感じの本棚ですね。

内田:一番苦労したのは、この本棚です。ここまで来るのに、ずいぶん、紆余曲折がありました。

Q:棚板の厚さとスパンは、どうなっているのですか。

内田:どこの棚にも入るように、棚板の厚さは2cmに統一しました。ただし、大きなサイズの本を、スパン90cm、厚さ2cmの棚板に載せると、これまでの経験では、必ずたわんできます。それで、小さな本を入れる本棚はスパンを90cmにするけれど、大きな本を入れる本棚のスパンは70〜75cmくらいにする。あとは大工さんに頼んで、壁面にきれいに収まるように、つくってもらいました。

Q:壁側はどうやって止めていますか。

内田:どっかで、止まっているんですよ。東日本大震災の地震でも本が倒れてこなかったのは、本をきれいに詰めていたからでしょう。引き出しはみんな出てきましたけどね。

Q:本がきれいに並んでいます。

内田:初めは本の高さに合わせて並べていました。背の高い本を上に置いて、低い本を下に置く。で、そういうことをやっていたら、本を探すのが容易じゃないんですよ。なぜかというと、高さはぴったり並んでいるんですが、奥行きが違うため、本と本の間に凹凸ができて、見えない本が出てくる。これに対して、本の奥行きで並べると、奥行きに比べて特に高かったり低かったりする本は滅多にないため、高さも揃ってきます。

Q:本を奥行きで並べる話は、初めて聞きました。

内田:奥行きが同じだと、高さは大体同じです。ただ、地図なんかはちょっと違います。

Q:本棚はスペースが限られています。古い本は捨てるんですね。

内田:このスペースには、これ以上増やしたくないので、すごく大胆に棄てています。

Q:毎年、何回かに分けて、捨てられる。

内田:1〜2週間単位です。ご近所に、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが住んでいます。彼は本が一杯になると、新たに家を借りるんですよ。この界隈で、もう4、5件借りておられると聞いています。

内田邸お盆立て

内田邸お盆立て

内田邸書斎

内田邸書斎

内田邸書斎・道具室

内田邸書斎・道具室

内田邸本棚

内田邸本棚

建築家の自邸とは?

内田邸妻側立面

内田邸妻側立面

Q:私どもの建築設計計画評価小委員会は、建築家の自邸をテーマにしています。「建築家の自邸はかくあるべし」、みたいなご意見はありますか。

内田:人によってみんな違うんじゃないでしょうか。中村勉君(ものつくり大学名誉教授)なんかは、通気とか換気とかエコとか言いながら、自分の家がちゃんとそうなっているのかはよく分からない(笑)。やっぱり手が回らないでしょう。また、技術の進歩に合わせて、家をしょっちゅう改造していくわけにはいきません。

Q: 財力があったら、どんな家を作ったんでしょう?

内田:財力があったら、ろくな家ができなかったでしょう(笑)。

Q:この家ができたとき、先生のお父さんはまだご健在でしたか? そのときに何かお父さんから批評みたいなものはありましたか?

内田:父の家は書院造ですからね、書院造から見ると何というかこっちは民家みたいなもので。家は書院造だという風に思っているみたいでしたから。節があるだけでももう、バラックかと思うんですよ。

Q:ここは節があんまりないように見えますが。

内田:節がないわけではない。少なくとも柾ではないですよ。

Q:建築家というのは普通、自宅だったらできることをやれるから、ある意味、思い入れがありますが、先生はいかがでしたか?

内田:いや、なかなかそれがそうはいかないですね。財力もあるし。そういうのを一生懸命やったのは西澤文隆さんですね。西澤さんは自邸を実験のための家と、かなり割り切っていらした。僕がお尋ねしたら、西澤さんの奥さんは、「家は実験住宅みたいで、雨が漏ります」などといわれていた。前川国男さんの奥さんもそうでした。西澤さんが亡くなられた後に、「奥さん、思う通りに直したらいかがですか」といったら、「西澤がいないのに直していいかしら」、なんていっていらした。

Q:西澤さんの奥さんのお話が出てきましたが、内田先生の奥様はこの家をどんな風におっしゃっていますか。

内田:家の中で、具合が悪いことがあれば、言ってきます。でも、そんなにいいません。全体としては不満はないのだろうと、僕は想像しているんです。

デザインと構法の関係

見学会は、最後に建物外へと向かった。通りからすこし奥まった広い敷地内には50年の月日に大きく茂った樹木が取り囲む、美しいプロポーションの妻面が際立っていた。

Q:この妻面はきれいですね、これ。目地をデザインされたのでしょうか。

内田:これは左官屋さんと中村伸さんにいろいろ教わって、目地がないと、こういうところに亀裂が入るんですよ。

Q:妻面にポストをいれていらっしゃいますが。この発想は初めからだったのでしょうか。

内田:それはもう最初からです。郵便物を外に取りに行くのは嫌だから、中からとれるように、そこにポストを作ったんです。だけど、その頃郵政省が頑固で、郵便屋は敷地の中に入らないという、そういう決まりがあったみたいで、入り口にポストを作れ、郵便局の規定のポストを買えというわけですよ。そんなもの買っても雑誌が入らないからダメだって何度も断ったんだけど、それじゃあ郵便は配達しないとか言い出して、しょうがないから外側の表札があるところに郵便ポストを作ったんですよ。それが腐ってきて、だんだん郵便局も弱気になって、ついにこっちにいれてくれることになった。

Q:表札は、いつ頃デザインされたのでしょうか?

内田:初めは木に結わえ付けたりしていたんだけど、そうすると腐るんですよね。椎の木の葉っぱで。だから、空中に浮かせたいわけ。それで、今は空中に浮かせてあるから水切れが良くて、まあ比較的腐らないのです。

Q:屋根は何か変えられたんですか?

内田:屋根は、まず最初は亜鉛鉄板、瓦棒葺き。それが意外に丈夫だった、僕は中央学園の講堂を亜鉛鉄板瓦棒葺きでやっていて、中央学園の講堂では未だにびくともしていないから、僕は錆びないものだと思っていたんだけど、この家のほうがちょっと後なんですよ。そうすると亜鉛鉄板というものは昔はドブ付けだったのが、流れ作業になって、亜鉛がどんどん薄くなって、ここら辺になると錆びるんです。亜鉛も、だけど錆びるんですね。それ以後、亜鉛鉄板というのはそんなに長持ちしないということが分かったんで、剥がさないでいきなりその上に折板を乗せちゃう。どんどん重ねていくから、どんどん涼しくなってね(笑)。置屋根。

Q:折板を載せているのがわからず、すっきり見えていますが。

内田:庇のところまで来ないで、留めてあるんです。

Q:なるほど。折板は内側から引っ張っちゃっても大丈夫ですよね?

内田:折板は頭で押さえられますから。防水層だとそうはいかないんですけどね。

Q:最後に1つうかがいたいのは、先生はデザインと構法の関係をどのようにお考えかということですが。

内田:全然関係ない。デザインの関係のためにいろいろな構法が必要なときはあるけど、構法のためにデザインは必要ない。

Q:それでも先生の中で一体にさせていきたい、というのはあったのでしょうか?

内田:それはなかなか一体にならないね。デザインしているときはやっぱり、構法を無視してデザインしたい、というのがあるじゃないですか。

Q:そういう時はどうするんですか?

内田:でも、やっぱりなるべく雨が漏らないようにしようと思いますからね。

内田祥哉

泉幸甫

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