研究レビュー
一人称の研究(その弐)「観察記録としての一人称視点の物語」

研究は知をデザインする行為である。研究論文には、いかなる知をデザインしようとしているか、したかについて、研究者の主張(claim)が示される。合理的であると社会的に認められる方法を用いて、その正しさが論証された主張が科学的研究の成果となる。

建築の研究は建築に関わるあらゆるものごとを対象にしうる。私たちが生きている世界で起こるものごと(経験的事実や現象)を探究、記述、説明、予測しようとする科学的探究は経験科学である。経験科学においては、誰もが観察、観測、実験、調査などによって確かめうるものごとを根拠として支持される実証的な論証が要求される。一人称の研究であっても実証の根拠や論証の方法が独善的であることは容認されがたい。

この研究批評は私の一人称視点で書いている。「興味深さ」、「好ましさ」、「正しさ」などについての価値判断は主観的である。そうではあっても、特に「正しさ」に関しては、どういう尺度をどのように用いて判断するのかについては、その尺度を選択する理由も含めて、できるだけ明示するように心がけている。批評の対象として選ぶ研究は一人称視点からの主張があり、研究方法を模索する(知のデザインの方法をデザインする)という葛藤が見え隠れする研究である。

生活空間とそれに対応した住生活の持続と変容という経験的事実と現象を対象とする科学的探究は経験科学である。しかし、生活空間や住生活に関して現存するものごとは持続と変容の過程で生じている「いま」という時のものごとである。持続や変容には時間が関わっている。生活空間や住生活の持続と変容を科学的探究の対象としようとすれば、「いま」は「むかし」という時のものごとを、論証の根拠となりうる水準で、誰もが再現しうる方法によって、いかにして確かめるのかということを明らかにしなくてはならない。固定化された普遍的な方法を無自覚に適用することは好ましくない。知だけではなく、デザインしようとしている知をデザインする方法もデザインする必要がある。

金海梨、高田光雄による「韓屋におけるチェとマダンのつながりに対応した住生活の特徴に関する一考察 − 韓国現代文学作品『庭の深い家』を対象として」(日本建築学会計画系論文集,Vol.80, No.718, pp.2763-2770, 2015.12)は、韓屋に関する記述がある文学作品を資料として、韓屋における内外部空間のつながり、そのつながりに対応した住生活の特徴を明らかにしようとする論文である。韓屋(ハンオク)は韓国の伝統的な木造住宅である。金ら(2015)によれば、韓屋には伝統韓屋と都市韓屋がある。伝統韓屋は高麗時代から李朝時代(918〜1910年)の貴族住宅であり、身分や性別による空間秩序によって分化される複数のチェ(住棟)と各チェとつながるマダン(庭)が一体となって住空間を構成する。都市韓屋は1930〜1960年頃に都市の中産層向けに供給された住宅であり、チェとマダンを一体とする伝統韓屋の空間構成の特徴を取り入れている。チェとマダンがつながった空間は、伝統韓屋から都市韓屋に至るまで、変容しながらも持続してきているといえるが、その理由やそのような空間構成に対応した住生活は十分に検討されていないのである。

金ら(2015)は住空間と住生活の結びつきの持続と変遷に関する論証の根拠に文学作品『庭の深い家』を用いている。この作品は作者である金源一(キムウォニル)の自伝的小説、すなわち、作者の経験を物語ることを通して何かを伝えようとする文学作品である。言語表現を分析することによって、文学作品それ自体を研究しようとしているのではない。金らは、自伝的小説という作者の一人称視点から記される物語に現れる、考察対象住宅(作者が住んだ住宅)における生活空間や住生活に関連する記述が指し示すものごとを通して、現前にはない生活空間や住生活という経験的事実と現象を「観察」し、それらの持続と変容を考察しようとしている。「事実と虚構が共存する文学の特性上、作家個人の経験の一部を拡大または縮小することがある」と認識しつつも、「文学は言語を通じて時代性 社会状況 歴史文化 生活様式 意識や思想などの諸要素が投影される産物である」という見解にもとづいて、文学作品に現れる経験的事実と現象と考えられるものごとに関する記述を擬似的な観察記録として扱おうとしている。建築というものごとを対象とする科学的探究の方法を模索する彼らの葛藤が「1. はじめに」に見え隠れしていて興味深い。

『庭の深い家』に現れる記述を観察記録として扱うことの妥当性を、金ら(2015)は、ふたつの事実によって示している。ひとつは、この自伝的小説が「現代韓国文学の傑作として知られて」おり、日本を含む数か国で翻訳出版されていることである。作者が経験した生活空間や住生活に関連する記述の信憑性に関して疑念があれば、これまでに指摘されたであろうし、これからも指摘されるであろう。文学作品の記述のひとつひとつについてそれが事実か虚構かを論じることは、自伝的小説であっても、野暮であろうが、記述されているものごとたちが、それらに関する一般的な認識とかけ離れたりしていたり、互いにつじつまが合わなかったりすれば、批判の的になるであろう。それらがないということは、これまでのところ、記述は実際のものごとを投影しており、記述の間に致命的な矛盾はないとみなせるのであろう。もうひとつは、この作品において、「<家><部屋><棟><庭>などのように住宅各部の名称や、<母さん><チュノ><姉さん><家族>のように家族構成員を表す言葉の出現頻度が高い」ことである。このことから、「『庭の深い家』は住宅のその中に住む人たちの話が主な構成要素となっている」と判断している。

ある時代のある社会における固有の生活空間とそこでの住生活についての物語は、記述の信憑性について疑念が提示されていない限りは、それが事実に紐づけられたものあればひとつの事例を示す擬似的な観察記録として、虚構であっても社会的に認知されているひとつの類型を示す記述として、暫定的に、認知されうる。金ら(2015)が査読付き論文として採用されたことは、上記のことを示唆している。自然科学に代表される一般的な「科学」は、客観性、普遍性、論理的整合性を旨としている。査読者は、一般的な「科学」のように客観主義をとり、物語の記述を十分に客観性がある観察記録とみなしているのであろうか。それとも、擬似的な観察記録とはみなすが、その客観性を金科玉条的には問わないことにして「採用」と判定したのであろうか。私が査読者だったら後者のようにしたであろう。物語には作者の一人称視点が投影される。主題の設定、素材の選定、表現形式の選択、使用する語の決定などに作者自身の意思がまったく関与しないことはないだろう。ちなみに、学術論文においても、主題(研究テーマ)の設定や素材(具体的な研究対象)の選択には、いかなる知をデザインしたいのかという研究者の一人称視点の問いが関わっている。『庭の深い家』の記述には、主人公が対象住宅に住み始めた1954年4月に大家のおばあさんが語る1910年からその時までの回想が含まれている。大家のおばあさんの一人称視点を通した語りが、主人公が聞いた話として一人称視点を通して語られ、作者(主人公と同一人物とみなせる)の一人称視点を投影した物語における記述として現れている。純粋に客観的な観察記録を作成することは不可能に近いかもしれない。しかし、客観性にこだわり過ぎず、物語の中に潜在しているかもしれない事実の断片や宝石を見出すことも建築を研究することの面白さであると思う。

経験科学における論証では複数の根拠から主張を帰納的に導くという推論がしばしば用いられる。この推論は論理的には正しさを担保するものではないが、主張を支持するサンプルが多ければ多いほど、その主張の蓋然性が高くなると考えられている。ひとつの事例のみを示す観察記録を根拠として導かれた主張の蓋然性は同様の事例を収集することにより向上する。

金ら(2015)が示しているものごとは対象住宅における生活空間や住生活に関連する記述が字義的に示す状態や出来事とそれらから素直に推論されるものごとである。これらを韓屋におけるチェとマダンのつながりに対応した住生活の一般的な特徴(一般解)として論証されたことと見ることはできないが、研究対象とした韓屋におけるチェとマダンのつながりに対応した住生活の特徴(特殊解)として理解することができる。固有の特殊解を見出すことも、建築の学と術においては、有用なことだと思う。ちなみに、学術的な論証という文脈を離れれば、他の韓屋でも同じような特徴が見られたのかもしれないと想像することは読む者の自由である。

「7. 結論」は対象住宅における特殊解と韓屋における一般解とを混同しないように慎重に記されていて好ましい。ひとつだけ気になるところを指摘すると、文学作品の中の記述を根拠として論証をしていることに関する省察が記されていないことである。「1. はじめに」では、事実と虚構が混在する可能性を示唆しながらも、文学作品を研究資料とすることの意義や可能性を論じていた。対象住宅に関する議論は『庭の深い家』の中から生活空間や住生活に関連するものとして金ら(2015)が選択した記述が事実であるとの仮定を前提として成立するものである。この仮定の真偽は示されていない。研究成果を厳密に示し、結論に記されているものごとはこの仮定を前提とするということを明記すれば、さらに好ましい論文になると思う。

藤井晴行

東京工業大学教授

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