海外建築事情
砂漠の都市に見るコミュニティとプライバシー

はじめに

2015年11月、パリで起こった同時多発テロは人々に大きな衝撃を与えた。花の都パリが一瞬にして惨劇の舞台となってしまった。同時期にレバノンの首都ベイルートでも中心地で多くの人が犠牲になる爆弾テロが起こった。どちらも滞在した経験のある素敵な街。これらは人々で賑わう繁華街の公共の場で起こったイスラム国によるテロだという。近年メディアを通し我々はイスラムという言葉を度々耳にするようになってきた。しかしイスラム教についてはあまり多くは語られず、イスラム国による悪いイメージだけが人々の頭には焼き付けられているように思える。2001年の9.11同時多発テロから15年が経とうとする現在までイスラムとテロの結びつきはメディアを通して報道され続けてきているが、実際にイスラム文化に日本の人々が触れるような機会はあまりないのが現実だろう。世界の人口の五分の一ともいわれるイスラム教徒人口。2020年には東京オリンピックが開催され、そして同時期にドバイでは万博も開催されることを考えると、サウジアラビアでの実体験を通してイスラム教と接しながらの都市生活を伝えるのもよいことかもしれないと思った次第だ。私は現在サウジアラビアの首都リヤドにてロンドン拠点の設計事務所を代表した一人として商業ビルの設計、現場監理の任務に就いている。いわば極端に厳しいイスラム文化の真ん中で生活している駐在員のひとりである。2013年10月着任からもうすでに二年が過ぎてしまった。今までシンガポールから始まりロンドン、バルセロナと色々な都市で生活してきたが、中東は今回が初めてだ。なぜリヤドに来るに至ったか。サウジアラビアはメッカやメディーナがあることからムスリムにとっては聖地として認識されていて、信者にとっては憧れの場所ともされる。先に申しておくが私はムスリムではない。お酒もなく豚肉もなく娯楽施設が一切ないこの街に来るノンムスリムの多くは会社の辞令とかが主な理由であろう。私の場合も事務所からオファーを頂き、基本設計から担当したプロジェクトということもある上に、さらにこの地が観光で訪問することができない場所であるということもあってスムースにそのオファーを受け入れた。そんな世界でも最も厳しいムスリムの国とも言われる首都リヤドにおける生活は私にとってある意味実験的都市生活といえる。様々な国で設計を行う上で重要なこと、それはやはりその土地の風土や言語、宗教や文化、人々の暮らし、そしてそこで暮らす人々それ自体を知ることであると私は思う。そこで今回リヤドおよびサウジアラビアの紹介を踏まえて、その都市におけるパブリックスペースとプライバシーについて少し触れてみたいと思う。

サウジアラビアの首都リヤド

サウジアラビアの国土面積は日本のおよそ5.7倍で人口は四分の一の3000万人程度(外務省サイト参照)。国土は大きいがそのほとんどが砂漠だ。首都のリヤドはその果てしなく続く砂漠の真ん中に位置しており、そこでサウジアラビア人全体の五分の一程の人々が暮らしている。そのうちの六割がサウジアラビア人で残りは外国人である。(ARRIYADHのサイト参照)。四人に一人は車を所有していて街はいつも車で溢れている。現在リヤドではメトロ計画が進行中だが、今のところ街の人々の主な交通手段は車だ。歩道はほとんどなく、アメリカを彷彿させるハイウェイが輪を描くようにリングロードとして約20キロ四方でリヤドを囲っており、その中に平行して主要の道路が走っている。その中でKingFahd通りはリングロードの中心を突っ切るように走っており、その通りが中心であることを主張するかのごとく特異な形状の超高層が列を成して建設されている。1980年代前半に竣工した日本の丹下健三氏が生前設計したファイサル国王財団施設や弊社の設計したアル・ファイサリアタワー(2000年竣工)もこの通り沿いに建設されている。

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King Fahd Road北側からの俯瞰(KAFDより撮影)

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King Fahd Road中心地からの眺め(King Fahd Road より朝の出勤時撮影)

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リヤドの主要道路図

パブリックスペース

イスラム教の最も重要な聖地メッカそしてメディーナの二大都市を抱え、ラマダン後のハッジ時期になると巡礼のため世界中から多くのイスラム教徒が訪問する。この国にはイスラム教徒以外の人に対し観光ビザが存在しない。つまりこの国で見られる外国人のほとんどが仕事の関係で滞在しているということになる。私もその内の一人である。ここサウジアラビアではイスラムの教えに従い国内での飲酒は禁じらており、集会や娯楽、そして未婚の男女が公で会話することも禁じられている。街中には宗教警察(ムタワ)が多く配備され人々がイスラムの教えに反したことをしないよう常に監視している。一日に五回街中に響き渡るアザーン(礼拝の呼びかけ)の音とともにサラーという礼拝の時間が設けられ、その時間は街中の店が閉まり、この時間に信者は街に点在するモスクにてお祈りをする。オフィスで勤務中の信者はオフィス内にある祈りの部屋(プレイヤールーム)にてメッカの方角に向かってお祈りをする。この時間全ての営業は固く禁じられており、やはりムタワがこれらをしっかりと監視している。各サラーの時間は三十分ほど設けられている。街のシステムがいかにイスラム教ベースであるかがここに強くあらわれている。筆者のようにノンムスリムにとってもこのサラーの時間は一日の活動を決める上で重要な存在だ。例えば買い物ひとつとってもサラー30分前には店に入らねば店が再び開店するまで外で待つという大変退屈な時間を過ごさねばならないからだ。ノンムスリムの私にとってはこの待ち時間は世界一無駄な時間となるわけだ。

そんなリヤドで生活しながら気づいた点が、いわゆる人々が集うパブリックスペースと呼ばれるものがほとんど見当たらないことだ。先述の通り、公共の場での集会は禁じられている。やはり夏に暑いときで50°C以上にもなるためか歩行できる場所も少なく、横断歩道もあまり見当たらない。サッカー競技場も人々は集うが女性は全く見当たらないためパブリックスペースとは言い難い。モスクはムスリム専用であることを考えると、いわゆるパブリックスペースと言い切ることができる場所はスークと呼ばれるマーケットやショッピングモールそしてDeera広場(公開処刑広場)くらいであろう。

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スケッチ Al Faisaliah TowerとKing Faisal Foundation

ショッピングモールと処刑場

リヤドにはハイウェイ沿いにたくさんショッピングモールが並んでいる。スークと呼ばれる伝統的なマーケットもあるがその数は少なく今ではショッピングモールが主流のようだ。これらモールは平日、週末問わず憩いの場として人々で賑わう。その空間は白装束と黒装束の人々で溢れるわけだが、その様子は独特で外国人は一目で見分けがついてしまう。モールの構成は主に直線型か回遊式型かのどちらかだ。モール内にはいくつものお店が入っているが、中には女性と家族連れのみ入店可能という看板もあったり、または一つのフロアが女性専用だったりもする。モールにあるレストランフロアは基本オープンプランであるが間仕切りがしっかりと家族+女性専用と男性専用に空間を分節している。パブリックスペースといえども男女間の壁は住居の門まで続くのがサウジアラビアの都市構造である。ちなみに銀行においても男性専用と女性専用とに分かれている。一方のDeera広場はというと、毎週金曜日に裁判の判決によって処罰、処刑が行われるようだが、この広場の周りにはカフェや博物館、雑貨屋などがあり、いわゆるプラザ(広場)になっているわけだが、皮肉なことにこの広場は法を犯した者が罰せられる様子を目にする公共空間なのだ。目の前で処罰される罪人を目にすることのできるこの広場の存在が街の秩序を保っているといっても過言ではないかもしれない。実際、交通事故は多いが犯罪は少ないようだ。

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衣服とプライバシー

サウジアラビア人の衣装は独特で、男性はトーブといわれるワンピースの衣服にシマッグといわれる布を頭にかぶりイガール(もともとはラクダを縛るための道具)でそれをとめており、サンダルを履いて生活している。これを着ていることでサウジアラビア人として認識される。この衣装がサウジアラビアでは男性にとっての正装である。一方の女性はヒジャブというスカーフを頭から被り、アバヤという布が体の形がわからないように全体を覆っている。アバヤの下には普段着を着ているようだが、公共の場ではアバヤを脱ぐこと、場所によってはヒジャブをとることすら許されていない。これが女性の一般的服装である。男性はサウジアラビア人として色々な意味で“見られる”側として存在する一方で女性は“見られてはいけない”存在にあるように見受けられる。家というプライバシーが守られている空間内において、いわゆる普段着に戻りいわゆる普通の男女の生活に戻ることができるとされる。住宅群の写真を見てもわかるように常に家々は高い塀で囲われていて、敷地内の様子が全く分からないようになっている。日本でも英国でも住宅は公道から柔らかい境界で区切られているのに対し、リヤドでは分厚い境界がきっぱりと公私を分断している。これは公共の場での規制が多いということからの反動の表れなのかもしれない。サウジアラビアには建具のおさまりがあまりよくない住宅がおおいため、細かい砂漠の砂だけはこのハードな境界を潜り抜けパブリックからプライベートを自由に行き来しているように見てとれる。そのため家の掃除には頭を抱えさせられる。

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リヤド市内の住宅群、筆者撮影

リヤド市内の住宅群、筆者撮影

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プライバシーとしての車

《車のなかでは何の美徳も養成されず、ただ新しい悪徳が生まれるだけである。敵は隣のドライバーであり、この憎悪は自動車時代の初期にはまだみられた親近感を変貌させてしまった。現代のハイウェーには善良なサマリア人は見出し難い。-コミュニティとプライバシー、C・シャマイエフ、C・アレキサンダー著》1963年にクリストファー・アレキサンダーらも車について記述しているが、この記述は出勤時のリヤドの現状を克明に表現しているかに思え、記述から50年以上も経つ今なおその表現はここリヤドでは適用できる。車以外の移動手段のないリヤドは常に車で溢れている。女性は運転できないこともありタクシーあるいはプライベートドライバーを利用し移動する。公共用の小さいバスは走っているものの外国人労働者が利用することが多くあまり利用しているサウジ人は見かけない。夜になるとリヤド市内は目的もない車で溢れかえる。若者が車内で音楽をかけ友人と思われるものたちとともに踊りながら運転している光景を目にすることがよくあるが、これは公共の空間では集会や娯楽が禁じられていることから、車というプライベート空間を利用した娯楽の過ごし方の表れと考えられる。車は昔も今も、欧米でもサウジアラビアでもやはり移動するプライベート空間なのである。

制限の中だから感じる尊い“普通”

1930年代から始まったサウジアラビア王国はいうなれば国としてまだ若く、アラブという深く長い歴史を背負いながらもこれから成長しようとしている国でもある。イスラムの厳しい規律を公共の場でしっかりと守り、毎日決まった礼拝の時間に一日五回お祈りをし、宗教を通して伝統を後世に受け継いでいこうというその姿勢に私は感銘を受ける。一方でノンムスリムの私にとってはこの都市での生活は言わば開かれているが閉ざされている空間と例えられる。ある程度自由な室内に対し外は監視下の生活。青い空はあれどサウジアラビアでの室外はコントロール下の世界なのである。本当の外、つまりサウジアラビアの国外に出たときに味わう開放感はまるで、『ショーシャンクの空に』のアンディーの気分である。人はある制限が与えられると当然ながら、その制御されてしまっている対象に大変大きな価値を見出す。ノンムスリム、ノン・サウジアラビア人にとってごく当たり前のこと、それは鳥のさえずりが朝聞こえることだったり、散歩道で歩く人とびとの横で犬や猫が自由に緑の上を走るの目にすることだったり、美術館や博物館を行き来することであったり、広場で男女が楽しそうに会話をする、あるいはそれを見ることだったりする。そんなごく当たり前の光景がとても美しく見える。一方のリヤドに見られるショッピングモールの直線、あるいは回遊式の動線は散歩道の代用であってやはり自然のそれとは大きく違う。夏に50度以上になるから外で歩くこともできない街と考えられているリヤドであるが、実際生活していると、モールあるいは室内空間を建設することだけが回答ではないのではと次第に思えてくる。涼しくなれば外でサッカーをするものあるいはゴルフをするものだっている。そんなときに散歩道があったってよい。その散歩道はとってつけたようものではなく美しくあるべきで、しっかりと手入れをされていると快適に利用できるものである。固定観念やステレオタイプに囚われて物事を考えると視野は狭まる一方であるが、経験をすることでものの見方は変わるものだと私は思う。

サウジアラビアの今後について

サルマン国王による絶対君主制国家のサウジアラビアは世界一石油埋蔵量を誇る国であるが、今後メトロ計画が進みサウジ女性の行動範囲も広がり街はどんどん変化していくことになるだろう。そしてなによりも石油というエネルギー資源が有限であることは大きい。それを踏まえて、私も関わりのあるKAFD(アブダラー国王フィナンシャル地区)の計画を含め、リヤドをはじめサウジアラビアでは様々なビッグプロジェクトが進行中なのである。ジェッダには高さ1kmのタワーが建設中だ。観光地としても、メディーナの北西400kmほどに位置するマダイン・サーレは2008年に世界遺産に登録され、ヨルダンのぺトラの次に大きなナバテア王国時代の遺跡群として知られる。さらにその途中にアル・ウラという街の旧市街があるのだが、薄いブロックが積まれた土壁が連続して一つの集落を成しているなんとも魅力的な集落がある。ここには30年前まで実際にガイドしてくれた現地人の両親が住んでいたというから驚きだ。屋上の食卓で食事をとる風景を想像するだけでも今私が体験しているリヤドの都市生活とは大きく異なるものであろう。この集落の当時のプライバシーとパブリックの概念は現在のそれとおそらく違っていたのだろう。政府は三年内に課税することを決めた。これはガルフ地域全般で決められたことのようだが、この決断が将来の中東、特にサウジアラビアに大きな影響を及ぼすことになるだろう。今後、宗教の教えを守りつつ、国の厳しい規律を守りつつ、どこまでパブリックとプライバシーの関係を見直すか、そのバランスのとり方がリヤドの街そしてサウジアラビアに変化をもたらす鍵となるだろう。

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キングダム・タワー完成予想図 (http://gizmodo.com/how-the-worlds-next-tallest-building-will-be-built-1525129231)

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マダイン・サーレ 2015年1月筆者撮影

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アル・ウラ旧市街 2015年1月筆者撮影

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砂嵐のリヤド、筆者撮影

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リヤド郊外にあるEdge of the World (世界の末端)、筆者撮影

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KAFD(アブダラー国王フィナンシャル地区)のスケッチ

宮﨑慎司

1982年生まれ。早稲田大学建築学科卒業後、カタロニア工科大学にてMArchを取得。 Foster+Partners所属、Associate。現在リヤドKAFD内のプロジェクトの設計、施工監理。 Instagram: @shinji913

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