海外建築事情
3つの海をめぐる3つの家の話

18歳 KOBE _ 4×4 House

この年はこれまでの30年間の中で最も空虚な一年だったと言えるし、一方で最も質実な一年であったとも言える。そして最も海を見た1年だった。大学受験に失敗した僕は親に頼んでわざわざ大阪の歓楽街のほとりにある予備校に通うことに決めた。幸いにもその予備校には僕が知っている人、あるいは僕の事を知っている人は誰もいなかった。定期的なサイクルで自分が匿名になれる環境に身を置くということが、僕のライフスタイルにおける趣向のひとつなのかもしれない。しかしながらこの1年の生活そのものは極単純な日々の繰り返しであった。朝6時に起きて、決められた時間の決められた車両に乗り、満員電車に揺られながら大阪を目指す。予備校では授業の板書を漏らさず書き写し、毎日閉館まで自習室に篭った。もちろん朝の上りのラッシュには辟易したが、それでも車窓に映る神戸の海と山の景色を眺めるている間は心落ち着けるひとときだった。

神戸の瀬戸内海

とりわけ海岸線に沿ってレールを走らせていた区間が好きだった。この辺りは誰もが称えるような美しい海とは言いがたかったが、季節とともに変化する海の表情に飽きることはなかった。春の穏やかなピンクの水面、夏の太陽できらめく青い水面、秋の台風で波立つ白い水面、冬の鈍いグレーの水面。ウォークマンのボリュームを上げて窓の外に視線を向けると、その間は車内の喧騒を逃れて海の景色に集中することが出来た。それは純粋な海の景色というよりは、島があり、船があり、橋があり、家があり、それら海を前提とした生活総体としての瀬戸内の景色である。その中でも1軒の住宅の佇まいは印象的であった。そのコンクリートのモダンな家はちょっとした塔のようになっており、最上階には海に向かって大きな窓が穿たれていた。とても大きい窓だ。天気が良い日は電車からその大きな窓を通して海の水面を垣間見ることができた。毎日見慣れている海の景色もそのコンクリートの四角い額で切り取られた部分は何か特別な海のように感じられた。ちょうどエドワード・ホッパーの「海辺の部屋」のように。もちろんこの頃の建築に対する興味は今よりもずっと曖昧なものであったが、それでもこの住宅が海とともにある建築の佇まいの規範のひとつとして今でも僕の記憶にインプットされている。そしてその住宅が安藤忠雄という高名な建築家による住宅(4×4の家)だと知ったのは翌年の春になってからだった。
あれほど必死になって詰め込んだ数学の公式や英語の構文はすっかりと記憶から抜け落ちてしまったが、あの頃何気なく眺めていた海の景色は今でも鮮明に思い出すことが出来る。

4×4 House

23歳 CAPRI _ Villa Malaparte

きっかけはゴダールとネルーダだった。

大学院に入って建築に対する情熱が冷ややかになりつつある自分を感じた。おそらく物を作ることに対しての情熱はくすぶっていたが、その矛先を向ける対象としての建築を見失いかけていた。あるいはただ単に物事(課題)がうまくいかないと環境のせいにしたがる年頃によるものだったのかもしれない。漠然とした思いを抱きながら、夏休みはぬるいクーラーのかかった大学の図書館に篭り、視聴覚コーナーで映画を見て時間を潰すことが多かった。国税の文化的捌け口としての映画鑑賞だ。新旧洋邦気ままに見たが、中でもイタリアの映画、正確に言えばイタリア南部を舞台にしたものに感銘を受けた。ヌーヴェルバーグの旗手ジャン・リュック・ゴダールによる『軽蔑』、チリの国民的詩人パブロ・ネルーダを題材にした『イル・ポスティーノ』。互いに文学的で美しいロケーションが印象的な、愛にまつわる映画である。双方の愛の結末は対照的なものであったが、それでもそれらの舞台となったカプリ島という土地には強く惹かれるものがあった。

カプリ島の地中海

そうと決まれば早いもので、アルバイトを詰め込んでまとまった金を用意し、イタリア行きのチケットを買った。地図を見てイタリア、クロアチア、スロヴェニアというアドリア海をぐるりと周遊するコースにした。旅程は全部で1ヵ月半ほどを予定していたが、結局そのうち1ヶ月近くをイタリアに費やすことになった。ミラノ、フィレンツェ、ローマと南下を進めるに従って人も景色もきらめきが増してゆくのを感じた。目的のカプリ島へ向かう拠点として、ナポリから南に1時間ほど下ったところにあるソレントという海辺のリゾート地に宿を取った。使用人部屋を改修したような安宿の2段ベッドで、明日のカプリ島行きに期待を膨らませながら健やかに眠った。
ソレントの船着場から高速船を小1時間も走らせると、リゾートアイランドとして世界的に有名なカプリ島に辿り着く。10月も半ば、季節はすっかり夏から秋に変わりつつあったが、そこは未だ初夏のような瑞々しさを保っていた。観光客が賑わう島の中心を抜け、ローカルな民家の通りを抜け、たわわに実るレモン畑を抜け、島をぐるりと1周する細い道に差し掛かった。険しくも官能的な海岸線に心奪われながらも注意深く歩いた。あらかじめ地図を見ておよその場所は目星を付けていた。そして、ついに島の突端の岩壁にそれは姿を現した。コバルトブルーの海へと向かうくすんだピンクの階段と、弧を描く白亜の壁。それはまさしくゴダールの映画で見た、あのヴィラ・マラパルテだった。もちろんこれまでも憧れの建物を見るという機会は何度もあったが、しかし映画の中の建物を、異国の孤島で見るというシチュエーションがことさら気分の高揚に拍車をかけた。詩的で幻想的で孤独で。ひと目見ただけでその佇まいに物語性を強く感じた。ここで劇中のネルーダのように、この大きくて静かな感動を巧い比喩を用いて表現することができればよかったのだが、あいにく僕はそういう才能は持ち合わせていなかった。目の前には夏の視聴覚室で見たあの映像と同じ景色が広がり、そして海の匂いがした。

Villa Malaparte

28歳 VALPARAÍSO _ La Sebastiana

チリでの暮らしも3年目になる。普段は内陸側の首都サンチアゴで暮らしているが、このチリ最大の港町バルパライソに来るのもゆうに10回は越えているはずだ。はるばるチリまでやって来た知人を案内したり、あるいは個人的に気ままに散策したり。

バルパライソの太平洋

特に人を案内するときはお決まりのルートがあるので、この街に対する土地勘はずいぶんと体に染み付いてきた。それでも毎回バルパライソに来て、大きな太平洋を見るたびに気持ちは晴れやかになった。そのお決まりのルートの中でもお気に入りなのが港の船着場から乗る遊覧船だ。30分ほどかけてバルパライソの湾内をぐるりと1周する。カラフルでにぎやかなコンテナ集積場、平地に建つ植民地時代の歴史的建造物、そしてその背後の丘をびっしりと埋め尽くすカラフルな家々。そのひとつひとつは極質素なものであるが、それら街と海と山が織り成すラテンアメリカらしい鮮やかな光景はこの街を世界遺産たらしめるのに十分な美しさを有している。そしてこの遊覧ツアーの半ばに差しかかるとガイドの船頭は乗客たちに決まってこうアナウンスする。
「ほら見ろ!あそこに見えるひときわカラフルな家がラ・セバスティアーナだ!」
彼の言うラ・セバスティアーナ(= La Sebastiana)とは先ほども登場したチリの国民的詩人パブロ・ネルーダのバルパライソの家である。「バルパライソの」と言うのは、彼はチリ国内に3つの邸宅を有しており、ひとつは首都サンチアゴに、そしてあとひとつはイスラ・ネグラという海辺の小さな町にある。それら3つの邸宅は彼の死後いずれもミュージアムとして公開されておりチリを代表する文化的観光スポットとなっている。それぞれロケーションや建物の形式は異なるが内部には共通して彼が外交官時代に世界中から蒐集したオブジェで溢れかえっている。このバルパライソの家、ラ・セバスティアーナは4層に積まれた木造の住宅で、層ごとに赤色や水色やグリーンに鮮やかに塗り分けられている。また春から夏にかけて南米の桜とも呼ばれるジャカランダが淡い紫の花をつけ、彩りはより一層鮮やかになる。実際に彼自身が設計を行ったわけではないが「宙に浮かんでいるようであり、一方でどっしりとバルパライソの大地に腰を据えているような住まいを」という彼の願望は、フィレットされたごろりとしたヴォリューム感と軽やかに設えられた水平窓や軒によって巧く体現されている。また狭い螺旋階段や低く抑えられた天井などは船の内部のようでもあり、海を愛した彼らしい空間的嗜好を反映させたものとなっている。部屋のひとつひとつは決して大きくはないが、視線は外へと広がってゆく。ふんだんに備え付けられたその水平窓からはバルパライソの色とりどりの街並みや行き交う貨物船、そしてどこまでも広がる水平線を望むことができた。こうした控えめで親密なスケール感は他の2つの家でも同様に展開されており、そこに彼のお気に入りのオブジェが所狭しと並べられている。彼のその個人史的空間に多くの人は魅了され、実際いつ行っても館内はひどく混み合っている。そうした彼の強烈な個人的嗜好が民衆の心を掴み大衆化される有様は、まさしく彼の詩そのものである。極端な話、彼はラブレターによって世界初の民主的社会主義革命を牽引し、そしてノーベル賞まで取ったのだから。すなわちこれは詩的な住宅、というよりは彼の人生をかけた空間的な詩そのものなのかもしれない。

La Sebastiana

te obligaremos, mar,
te obligaremos, tierra,
a hacer milagros,
porque en nosotros mismos,
en la lucha,
está el pez, está el pan,
está el milagro.
-Oda al Mar
Pablo Neruda

海よ おれたちはお前に命じる
陸よ おれたちはお前に命じる
奇跡を起こすように
なぜなら おれたち自身のなかに
闘争のなかに
魚があり パンがあり
奇跡があるのだから
-海へのオード
パブロ・ネルーダ
(田村さと子訳)

photo : Yuji Harada

原田雄次

1986年神戸市生まれ。2011年横浜国立大学大学院工学府Y-GSA修了。2012年~スミルハン・ラディック(サンチアゴ、チリ)に師事。

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