1.ポルト市の概要
ポルトガル北部に位置するポルト市は、海に面して気候が温暖なポルトガル第二の都市である。人口は約23万人と少ないものの、近郊の町と共に、人口約250万人からなるポルト都市圏を形成している。
2.ポルトスクール
ヨーロッパの一小都市でしかなかったポルト市をヨーロッパ建築界において有名にしたのは、ポルト美術大学建築学専攻と、それが発展して設立されたポルト大学建築学部によるポルトスクールの存在が大きい。さらに、そこに在籍したアルヴァロ・シザとその師であるフェルナンド・タヴォラ、また、シザの弟子であるエドアルド・ソウト・デ・モウラがポルト市とその近郊の建築を世界に知らしめることに貢献した。
ソウト・デ・モウラの言によれば、近代建築、またそれに続くインターナショナルスタイルが固有性の滅却という弊害により行き詰まりを見せていた時代、ポルトガルのヴァナキュラー建築の研究者であるとともに、CIAMなどに参加し世界の最新建築事情に精通していたフェルナンド・タヴォラは、ヨーロッパの辺縁にあり、その保守性によって近代建築に完全に染まることのできないでいた北部ポルトガルにおいて、土地固有の建築様式と近代建築を融合させる考えを構築した。彼の弟子であるシザは、アルヴァ・アアルトが同じヨーロッパの辺縁で進めていた考えを参考に、独自の感性によって近代建築に地域固有の個性を持たせることに成功した。この考えが、長い歴史を有するヨーロッパの多様な文化の中に広く受け入れられることとなった。
3.ポルト市の建築家と作品
ポルト市の建築家として歴史上最初に名を残したのが、18世紀のイタリア人建築家、ニコラウ・ナソーニである。イタリアでは、画家として活躍したナソーニだが、30歳代前半にポルトに移住し、画家としてだけではなく、ポルト市のシンボルとなっているクレリゴス塔や大聖堂所属の邸宅、現在高級ホテルになっているフレイショ宮殿などを設計した。バロック様式の壮麗な様式と、絶妙なプロポーションで見るものを圧倒する。
次に名を知られているのが、19世紀から20世紀にかけて活躍した建築家マルケス・シルヴァで、 街の中央駅であるサンベント駅やサン・ジョアン国立劇場、セラールヴィシュの邸宅の設計などで知られている。彼は、フランスのエコール・デ・ボザールで教育受け、ポルトにボザールの建築をもたらした。現在でも使用されている建物が多く、見た目の美しさばかりではなく、実用性に配慮した、人々に愛される建物を設計した。
19世紀後半に入り、前出のポルトスクールの活躍が顕著になり始めた。フェルナンド・タヴォラとシザの共同によるキンタ・ド・コンセッサォン公園と、現在高級レストランになっているボアノヴァ・ティーハウスは、配置の天才と呼ばれたタヴォラと、空間に卓越したシザの才能が合わさった好例で、 小規模な建築であるにも関わらず、建設後50年以上経った今も、この地域の代表的な建築と考えられている。同時期に建てられたレサのスイミングプールは、大西洋岸沿いにあり、自然の岩をコンクリートの壁でつなぐことによってつくられた海水プールであり、夏の間は多くの利用客でにぎわう。
ポルト市とその周辺部にある代表的なシザ建築としては、1974年の革命後、住宅供給のためにつくられた社会住宅で、現在は多くのアーティストと建築家が住むボウサの集合住宅、かつての資産家が所有していた大庭園の中につくられたセラールヴィシュ現代美術館、シザが教鞭をとっていたポルト大学建築学部などがある。また、近年シザの実家をギャラリーに改修したカーサ・ダ・アーキテクトゥーラや、街の中心の広場であるアリアドス広場とその近くのサンベント鉄道駅などがつくられた。
シザの弟子のソウト・デ・モウラの作品としては、街の中心から少し離れたところにあるギャラリーとオーディトリアムである、カーサ・デ・アルテ、音楽ホール横の地下鉄駅であるカーサ・ダ・ムジカ駅、建設会社のビルであるトーレ・ド・ブルゴなどがある。
一方、オランダのレム・コールハースが、街のもう一つの中心であるボアヴィシュタの横にカーサ・ダ・ムジカを2006年完成させた。これによって、それまでシザやソウト・デ・モウラの影響を強く受けていたポルトの建築に新たなポスト・カーサ・ダ・ムジカと呼ばれるスタイルが生み出された。
4.ポルト大学建築学部
ポルト大学建築学部は、1979年にポルト芸術大学から独立する形で設立され、アルヴァロ・シザ設計による建築学部のための独自のキャンパスを持つ。本大学は公立の大学で、一学年あたりの学生数は150人、5年を終えると修士の学位までが取得できるようになっている。教育の特色としては手を動かすことが重視され、模型によるプレゼンテーションが必須になっている。また、歴史とコンテキスト、建設を重視したカリキュラムが組まれ、街にある歴史的な建造物の実測などが行なわれる。
5.建築業務の現状
ポルト市の郊外では新築物件が見受けられるものの、中心部では19世紀末から20世紀初頭に建設された建物の改修物件がほとんどである。これは、一平方メートルあたりの建設費が新築で約900ユーロだが、改修だと約450ユーロという価格差があること、構造が石造で地震が少ないため耐久性があること、街の中心部が歴史地区のため新築ができない場所があること、などの理由による。
設計料率は、1972年制定の法律により工事費と工事種別により決められていたが、現在では廃止され自由に決められるようになった。しかし、今でも設計料算定の目安として使われており、概要は次のようになっている。
工事種別
カテゴリーI:倉庫、間仕切りのない建物、設備小屋、地方の小さな建物など
カテゴリーII:住宅、商業施設、工場、農業施設、学校などの特別な要求がないもの
カテゴリーIII:低価格住宅、特別な要求のある戸建て住宅、学校、大学、ホテル、レストラン、裁判所、教会、劇場、映画館、複合的な生産施設、インフラ施設
カテゴリーIV:大型の橋や、道路、水道など
設計料率
カテゴリーごとに算定式がつくられているが、住宅設計などによく利用するカテゴリーIIでは、工事費50,000ユーロ(約670万円)で8.095%、100,000ユーロ(約1340万円)で7.259%である。改修の物件はこれらの20%増しとなり、さらに一般的には10-20%の割引を行なうのが昨今の相場である。
6.建築を支える諸制度
ポルトガルの建築士資格にあたるオーデン・ドス・アーキテクトシュは、ポルトガルもしくは海外の単位互換性のある建築学部を卒業し講習を受けるか、海外の建築士資格を書き換えることによって取得することができる。日本の建築士資格も学位などの条件がクリアできれば取得可能で、筆者は、ポルトガル史上初めて日本からポルトガルの建築資格への書き換えを行なった。資格取得後の講習などはないものの、年間200ユーロ程度の維持費が必要である。しかし、設計事務所に勤めるなどして、自身の名前で確認申請をする必要がない建築家は、建築士登録を凍結することが多い。また、建築学部の学生数が多く、資格も比較的取得しやすいために、建築士の失業率の高さが問題になっている。
特に若者の失業率を改善する政策として、エラスモスプラスとIEFPの奨学金がある。エラスモスプラスはEUによる海外留学、研修、活動、スポーツを行う場合の奨学金制度で、研修の場合、研修先が決まり選考で選ばれると、海外の事務所で研修をしながら、月額270-390ユーロの奨学金を得ることができる。もう一方のIEFPはポルトガル政府による奨学金制度で、31歳までの若者がポルトガル国内でインターンを行う場合、9ヶ月間国がインターンの給料である約700ユーロの8割を負担、事務所が給料の2割および社会保険料を負担するというものである。これらの制度によって、若年層の失業率を抑えることが試みられている。
建築需要を促進する政策として、改修物件の税金優遇制度がある。ポルトガルの消費税は23%と高いが、ポルト市で改修工事を行なう場合、材料費のみ消費税が6%になるという優遇制度がある。これにより、市内の空き家を改修する工事が進んでいる。
また、海外からの投資を促進する方策として、ゴールデンビザと外国人の為の税金優遇制度がある。ゴールデンビザは、外国人が一定の投資、もしくは雇用の創出をすると、ポルトガルの居住ビザが得られるというもので、建築に関する投資としては、50万ユーロ(約6700万円)以上の不動産を購入するか、30年以上もしくは改修が必要とされている地区における35万ユーロ(約4700万円)以上の不動産を購入することによってビザが発行されている。この制度は、特にポルトガル南部における中国人とアンゴラ人の不動産投資を促進している。外国人のための税金優遇制度としては、過去5年以内にポルトガルに居住したことがなく、ポルトガルに居住する資格のある外国人(主にEU圏の国民)が半年以上ポルトガルに居住する場合、ポルトガル国内における税金が10年間無料になるというもので、主にヨーロッパ諸国の定年退職者がこの制度を利用している。ヨーロッパ、特にイギリスとドイツの定年退職者が、気候がよく物価の安いポルトガルの南部に居住することが長年行なわれてきた。こうした制度や、近年の格安航空会社の路線がヨーロッパ各地とポルト市の各都市との間に就航したことにより、より多様な人々がポルトガルに移住することになり、南部よりも都市が発展し、首都リスボンよりも安全なポルト都市圏への移住熱も高まっている。
最近のコメント